第22話:ウェストデザートからの医者3
「それではまずは痣の方から見せてもらいますね」
優里の部屋。大きな鞄に様々な見知らぬ器具を詰め込んで持ってきた輝夜は、ベッドに座る優里の首元に触れる。
服は先ほどの着物から着替えており、シンプルな白いワンピースに白衣を羽織っていた。
「あの、輝夜様っておいくつですか?」
「んー? 今年で21ですよ」
「じゃあ私に敬語は使わないでください。なんだかむず痒くて」
「ふふ、分かった、そうするわ。でも優里も『様』なんて付けたらむず痒いからやめてな」
「わ、分かりました」
使用人はまだしも、身分的には同じなのだから素で話してもらいたい。そんな優里の思いは伝わったらしく、輝夜は口調を緩めて優里のブラウスのボタンを外していく。
「首から伸びて……へその辺りで終わっている。黒い痣か……やっぱ違和感あるなあ」
輝夜に痣をなぞられくすぐったさに身をよじる。
「痛みはないんやね」
「はい……発作が起きる時はここが熱を持つんですけど……今は平気です」
触れられるだけだと、そこに痣があるのかすら分からない。
「内出血しているようにも見えないし身体が作ったというより……」
「な、何かありました?」
「ううん、やっぱり外的要因が作り出したものに間違いないのかな、と」
輝夜が痣に触れたまま言葉を止めたのでドキリとしたが、すぐに手を離され笑顔で否定される。
「よし、じゃあ次はバイタルとってくからね」
「……バイタル?」
「人間の身体の状態を知るための基本情報みたいなものやよ。大丈夫、そのまま身を任しとき」
輝夜はブラウスのボタンを閉めると鞄の中からまたいくつもの器具を取り出した。
「まずは体温計るからこれを脇に挟んで……そう、で血流はここでとって……血圧とるからちょっと圧迫されるけど我慢な」
細長い十センチほどの機器を脇に挟み、左手の指先には大きな洗濯ばさみのようなものが付けられる。
その間に腕に分厚い布のようなものが巻かれ、手のひらサイズのポンプのようなもので空気が入れられた。輝夜は布と優里の腕の間に指を入れ、手元の小さな時計を見つめているが優里には何が起きているのかさっぱり分からない。
そのうち脇に挟んでいた機器がピピっと小さな電子音を鳴らす。取り出せば小さな画面に「36.1」という数字が表示されていた。
「これはなんですか?」
「体温計ってゆうてな、優里の体温が今何度か調べたんよ。体温は36.1と……低めなんやな。冬は身体冷やさんよう気いつけなね」
「は、はい」
輝夜は手元の紙にすらすらと数字をかき込んでいく。
「じゃあ、これは」
指についている洗濯ばさみのようなものは何だろう。
「これは血液中の酸素量や脈を測ってるんよ。んー大丈夫、問題はないね」
そうして、洗濯ばさみのようなものが取られる。
「今腕に巻いていたのは血圧を測るもので……血液が順調に押し出されているかを見てるんよ。ちょっと低血圧気味だから鉄分とった方がええかもな。これは執事さんに報告っと」
腕についていた布がとられようやく手が解放される。
一人でテキパキと作業が出来てそのうえ知識もある。話の内容が半分程度しか分からない自分と比べ輝夜・ウェストデザートという女性がいかに素晴らしいのかをひしひしと実感する。
どれだけ頑張っても彼女にはたどり着けない……それだけのものを持っている気がした。
「すごいですね、輝夜さんって……ちょっと触れただけでいろいろなことが分かって……」
「ふふ、これも慣れというか好きで学んだことやから……でも褒めてもらえて嬉しいわ。ただ……」
輝夜は少し怪訝な顔をして優里の手首に触れた。
「パルスオキシメーター……この洗濯ばさみみたいな機器で調べた時には問題なかったんやけど……なんか脈が変なんよ。不整脈とも違うような……いっぺん心臓の音聞いてみるね」
輝夜は首にかけていた三本に枝分かれしたコードの二つの先端を耳につけると、もう一つのコードの先端にある半円状の部分を優里の胸に当てた。
この時の輝夜の顔は真剣でどこか色気もあり、優里は彼女の横顔に一瞬ドキリとする。
「これは聴診器。心臓の音をよく聞くためのものや。やから緊張せんくても大丈夫、今のところ問題は……」
優里の肩を優しく叩いた輝夜はふと言葉を止め優里の胸から腹の方へと手を滑らす。
「……心臓が二つある」
「え?」
心臓とは左胸の辺りで絶えずドクドクと動いているその部分のことだろう。医学には疎いがそんなものは身体に一つだけだと思っていた。輝夜の反応からも普通はそうなのだろう。
「僅かだけど優里の体内から別の音が聞こえる。これが……黒龍の音かもしれん」
「……なるほど」
自分の中にもう一つ命があるのなら心臓の音が二つ聞こえることにも説明がつくのかもしれない。
「黒龍は一体どの辺りに……?」
思わぬ発見にドキドキする。
「腸、かもしれない」
「腸……とは?」
輝夜の手が優里のお腹をそっとさする。
「食べ物を消化する器官や。丁度この辺りにあって長さは7メートルくらいある。黒龍は口から消化管を通って腸に棲みついている……そうともとれるな。生命エネルギーがどうのこうの言われているのは栄養を一部龍が奪っているからかもしれへん。食欲はある?」
「あります。屋敷の食事は美味しくて……寧ろ昔よりも食べ過ぎてしまうくらいで」
「それなのに、栄養失調の症状が消えへんのやな」
輝夜の手が優里の腰辺りをなぞり、それから指の先を摘まむ。
「栄養失調?」
「古い傷跡や痣が治らない……そして爪に残る白い斑点……これが栄養失調の症状。屋敷に来る前より多少はよくなっているんやろうけど……栄養管理されている割には不自然なんよ」
黒龍が住みつき優里が摂取した栄養を奪っている。その所為で未だ疲れやすく体力が持たないのだろうか。
「長期にわたる龍との共存は危険やんな……今以上に栄養とれるよう栄養剤を処方しておく。本当はエコーやCTもとってみたいところやけど……今回は出張しか許されんかったし……血液検査だけしてしまおうか」
輝夜は鞄から先端に針がついた小さな筒状の道具を取り出した。さらに同じ大きさくらいの筒状の容器が三本並べられる。
「血液……あ、瀉血ですか?」
体調が悪い時は悪い部位から血を抜いて毒素を抜く……それが、ノースキャニオンの医者たちが行う瀉血という治療だった。それくらいなら優里も知っている。
「瀉血……あー、まだノースキャニオンの医者はそんなことしてはるんか。あれはなあ、あまり医学的に効果はないってウェストデザートでは判明されてるんよ」
「そうなんですか……?」
継母や義姉たちが医者から瀉血をしてもらっている様子なら見たことがあった。皆いたって真面目な様子だったのに、場所が変わればそんなもの意味がないと判明されているらしい。
「今回は血を採って、持ち帰ってそこに悪いもんが入ってないか調べてみる。ウェストデザートの最先端技術ならそういうのもできるから」
「分かりました」
輝夜はゴムで優里の腕の上部を縛ると、浮き出てきた青色の血管を指でなぞる。
何か液体をしみこませた柔らかい布でその部分を拭かれると、すーっと冷たくなる感覚がした。
「ここかな……ちょっとチクっとするからね」
その言葉の通り、針が刺さった瞬間は痛みが走る。そのまま耐えていると血液が逆流して体内から出ていくのが見えた。
身体から抜けていく濃い赤色の血液は見ていてもあまりいいものではなく、少し気持ち悪くなって目を瞑った。
見ていなくても頭から血が抜けていくような感覚がするのは気のせいだろうか。
それから1分ほどで「もう針抜くね」と声がかけられ、目を開ければ針を刺したところにテープが貼られていた。
つーんとした、洗剤に近い匂いがして、胸が締め付けられるような、脈が速くなるようなおかしな感覚がする。
「ん……少し気持ち悪くなっちゃったか?」
「……はい」
頭がクラクラとして吐き気がする。優里が胸に手を当て浅い呼吸を繰り返していると、輝夜が両肩に手を置いた。
「ゆーっくり深呼吸しよか? 私に合わせて」
輝夜の呼吸音に合わせて三回深呼吸をする。吐き気は少し治まったが未だくらくらとするのは収まらない。
水筒に入れられた水を飲ませてもらい、そのままベッドに横になった。
「注射のあとに気持ち悪くなるのはよくあることで……血液中に異物が入ってきたことに身体が過剰反応してしまうんよ。暫く横になってお話しよか」
「はい」
横になれば頭から血が抜けていくような、今にも倒れこんでしまいそうな気持ち悪さは多少軽減される。
輝夜は椅子をベッドの方まで引っ張ってきてそこに座ると優里に向き合った。
白い髪をまんじゅうのように上で二つにまとめてそこからも長い髪が伸びており、それが対応の光にあたってキラキラと輝く。
彼女には詩織とはまた違った姉のような魅力があった。
「それにしても優里は集落で相当頑張ったんやろうな」
「え?」
「切り傷や打撲痕、火傷の跡……監察すればするほど皮膚に残ってしまった傷ががいくつも見つかる。だからこそ、優里が長い間暴力に耐えてきたってことが伝わった」
そう言って輝夜に頬を撫でられくすぐったくなる。痛みはなく自覚もなくなっていたため、輝夜に言われて初めてそんなものもあったと思い出した。
「向こうにいる時は病気とかしいひんかった?」
「えっと……風邪をひいたことならあります。ですが休ませてはもらえなくて……」
こうして医者に診てもらうのは初めてのことになる。
「そっかそっか……ほんまによく頑張った」
今度はそっと頭を撫でられた。ベッドに身体が沈むような疲労感も何故か心地いい。
「最後にもう一つ聞きたいんやけど、発作が起きる感覚ってどんな感じ? 抽象的でええんやけど」
発作が起きる感覚……あまり思い出したくない感覚だが、必死に記憶を手繰り寄せる。
「えっと……まず痣が疼きだして、それから身体全体に痺れる様な……胸が締め付けられるような痛みが走ります。その後何かが身体から出ようとするような感覚があって、そのせいで息ができなくなって……いつも奏人さんに助けてもらわないと自分では持ち直せなくて」
今の注射の後も気持ち悪くなったが、その比ではないように思う。
身体が制御できなくなる……最初に奏人に説明されたその感覚に近いだろうか。
「それが起きるのはいつ?」
「まちまちです。寝る前だったり車の中だったり勉強中だったり……特に決まりはないと思います。ただ一日に何度も起きるという訳ではないです」
優里の話を聞いて輝夜は腕を組む。
「発作の内容はパニック発作と変わらんか……一応精神を落ち着かせる薬を処方してみるし、ひとまず今できるのはそのくらいね」
一人で呟いた後、輝夜は改めて優里の顔を見つめた。
「そういえば優里は奏人さんのこと好き?」
「え……はい、好きですよ。勿論屋敷に住む方たち皆のことが好きなんですけど」
奏人も詩織も絢音も千尋も愛子も皆優里の大切な人たちだった。両親や舞沙たちもそこに入れていい。
「あーそういうのじゃなくてな? もっと特別な感情はないん? 恋愛感情みたいな」
「え……?」
恋愛感情……それは普通の「好き」とは違う感情だということは優里にも分かる。しかし具体的にどういう感情かと聞かれるとはっきり分かる訳ではなかった。他の人よりも一際好きという感覚だろうか。
「もっと触れたい、もっと一緒にいたい、キスをしてみたい……そんな感情はない?」
「な、ないです……そういうの、よく分からないですし」
優里にとっての奏人は自分に新しい知識を教えてくれたり困った時に支えてくれる優しい執事だ。時折甘やかしすぎに感じる時はあるし、そこまで一緒にいなくてもいいのではないかと思う時もあるが……ありがたいにはありがたかった。しかし、それだけだ。
「そうなんかあ。私は月彦と恋人同士なんやけどな」
「え?」
彼らはてっきりお嬢様と執事という関係だと思っていたが違うのだろうか。
「私が21で月彦が今年で20歳。一個違いで小さい頃からずっと一緒にいたから自然に好きになってしまった。私が眠り姫なんて言われて世間から馬鹿にされても月彦だけは支えてくれたし。なーんて、これは単なる惚気やんな。片付けて奏人さんたち呼びにいくわ」
「あ、はい……」
診察の内容を忘れるくらい、輝夜の言葉が気になってしまった。
優里は一度も恋愛感情というものを抱いたことがないし、今後もそんなものは抱かないと思っていた。
例え奏人が自分に献身的で優しくても。そこに恋をする気持ちが生まれるほど優里の心には余裕がない。
そのはずだが、何かが引っかかっているように感じるのは何だろう。
輝夜は今まで出した器具を全て鞄の中に収めると、白衣を脱ぎながら部屋を出て行ってしまう。
気づけば身体が起こせるほどに回復したが、何故輝夜があのような質問をしたかは分からなかった。
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