第16話 姫沙紀の夢(三)
姫沙紀は、クッキーが大好きだ。
クッキーとは食べ物ではなく、姫沙紀が拾ってきた雑種犬の子犬の名だ。峠に捨てられていたのを学校の帰りに見つけて抱いて帰った。クッキーは茶色くて垂れ耳の、元気な子犬だった。数ヶ月経つと少し体は大きくなったが、まだ子どもらしく、じゃれついてぴょんぴょん跳ねた。昼間には庭の小屋に繋いでいたが夜になると勝手口の土間に入れた。野犬が出るから、小さな犬は食い殺されると母親に忠告を受けていたからだ。
ある朝起きてみると、クッキーは勝手口の土間から消えていた。嫌な予感がして姫沙紀はパジャマのまま勝手口から飛び出して、そこで悲鳴をあげて座りこんだ。
勝手口を出ると屋敷の裏。狭い裏庭を挟んで蔵が見えるのだが———蔵の前にある紅葉の木に、クッキーが鎖で繋がれていた。あきらかに死んでいた。野犬に襲われたらしく、鼻先を中心に無残に顔が噛み千切られ、クッキーの愛らしさは食い荒らされていた。
姫沙紀は震えた。それが誰の仕業か、わかっていたのだ。きっとあいつは、姫沙紀の犬が噛み殺されるのを楽しんで眺めていたのだ。
怖い。怖い。怖い。クッキーが死んだことよりも、クッキーの無残な姿がただ恐ろしかった。姫沙紀は逃げたかった。ただ、ただ逃げたかった。
こんなことが起こるのは、きっと藤媛の呪いに違いないと思った。村の人達はとんでもない不幸や奇怪なことが起こると、決まって藤媛のせいだという。ならばこれは間違いなく、藤媛の呪いなのだ。余姫が封じきれなかった呪いなのだ。その時初めて姫沙紀は、数年前に亡くなった曾祖母の余姫を憎んだ。彼女さえ藤媛を怒らせなければ、こんなことにはならなかった。藤媛を怒らせ呪いを生み、それを封じきることも出来ないまま死んだ曾祖母こそが、すべての元凶だと思った。
涙を流しながら、姫沙紀は夢から覚めた。
暗闇で目を開く。夜ごと見る悪夢は恐怖の度を増している。
じゃらりと鎖の音がした。それは食い殺されていたクッキーが繋がれていた鎖の音だ。あの忌まわしい鎖は、父親がクッキーの死体から取り外して水洗いして蔵に入れた。姫沙紀は嫌がったが、父親は簡単にものを捨てない人で「いずれ役に立つかも知れないから」と、姫沙紀の願いは聞き入れてくれなかった。いつも酒の臭いをさせている父を姫沙紀は好きではなかったので一層反発したが、反発すればするほど父は意固地になって、絶対に聞き入れてくれなかった。しかし———確かに父親は正しい。役に立った。
そんな皮肉を、姫沙紀はぼんやり思った。
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