第3話
「首なし死体が出たんです。今年の一月に」
タクシー運転手の言葉にぎょっとして、
「首なし死体? 成葉里村でですか?」
「
運転手はバックミラー越しに礼人の顔色を見たのか、安心させるように笑顔を作る。
「白骨? 白骨死体だったんですか? でも、首なし死体って言いませんでしたか」
「頭の骨だけが見つからなかったらしいんですわ。野生動物に持って行かれたか、川の増水で流されたんだろうって事なんですが。だからまあ、この辺じゃ首なし死体って言われたんです。お客さんが成葉里村まで行くって言うから、山登りするなら気をつけたほうが良いと思って。あの辺りの山は標高は大した事ないですが、迷いやすいらしいんで。あの周辺の山に入って行方知れずになる者が多かったって、昔から伝えられてるんで」
礼人はパーカーとカーゴパンツを身につけたうえに、トレッキングシューズを履いている。登山者に間違われても仕方ない。この服装は、仕事に都合がいいだけなのだが。
「ありがとうございます、ご親切に。でも俺は山登りじゃなくて写真の仕事で来たんです」
自分の傍らのシートに置いてある、カメラ機材入りのバッグを叩く。
「谷中・・・・・東京で写真屋をやってるんです。結婚式や、記念日なんかの写真を撮ってアルバムまで作ります。その仕事で成葉里村へ行くんです」
「成葉里村で結婚式でもあるんですか? 今時、屋敷で?」
「何かの祝い事があるんで、写真を撮って欲しいって依頼で。ネットで注文を受けたから詳細はわからないんですけど、現地に行って話を詰めることになってます」
パーカーのポケットを探り、次にはカーゴパンツのポケットを探り、目当ての用紙を発見した。パソコンから打ち出した用紙には依頼者の名前が印刷されている。
藤蔭姫沙紀。それが今回の仕事の依頼者だ。
礼人が一人で営む『にのまえ写真館』は、写真撮影の一切を包括的に請け負う、写真のなんでも屋的な商売を主軸にしている。
デジタルカメラが比較的安価に手に入り、さらにはスマートフォンのカメラ機能が高性能化している現在では、写真を撮ることそのものを楽しむ人が多く、昔に比べて写真屋の需要は極端に少ない。近隣だけを相手にするのでは客の絶対数が少ないと判断した礼人は、写真館をはじめるにあたって出張撮影を主軸に置いた。
さらに、結婚式やパーティー、葬式、あらゆるイベントの写真と動画を撮影し、動画編集とアルバム作りまで行い、撮影したデータは全て依頼者に渡す方式をとった。撮るだけ撮って整理が覚束ない人が多いのに目をつけ、データは全て顧客に引き渡して自由な利用を推奨した上で、面倒なことはこちらで一切引き受けるというサービスを提供した。
それら全て一式で幾らと、割安な値段設定をし、インターネットで顧客を募った。
するとぽつぽつと依頼が入り、仕事を丁寧にこなしていくと口コミで顧客が増えた。
手作りで個性的な結婚式をしたり、個人でイベントを立ちあげる人も多いので、そういった人達からの依頼が大半。富裕層の顧客からホームパーティーを撮影してくれというような依頼もあったし、SNS用の映える写真を撮ってくれと別荘地に呼ばれたこともある。
依頼があれば交通費を出してもらうことを条件に、全国どこへでも行く。
営業開始から十年。細々と、潰れない程度の利益は上げている。
今回、藤蔭姫沙紀という人物からの依頼は、一ヶ月前、ホームページ経由からだった。
五月下旬に藤蔭家で祝い事がある。期間は二週間。その間は村に滞在し、祝い事の一部始終を記録して欲しいという。村には『藤や』という民宿が一軒あるので、そこに滞在すればいい。そういった細々したことが書かれた上に「遠方までご足労願うので、ホームページに記載されている規定料金の三割増しの料金を支払う」と、書き添えられていた。
二週間もの長期で仕事が入るのは初めてだったし、規定の三割増しの料金が支払われるとなれば、かなりの収入が見込める。おいしい話だ。
ただ二週間も続く祝い事などあるのだろうかと、不審に思った。
祝い事の詳細を問うメールを送ると、「詳細は仕事をはじめる時に話せばすむので、とりあえず来て欲しい。祝いは五月の第三週から始まる。五月の第二週の日曜日には、成葉里村に来てくれ」と返信があった。それならと、五千円でも一万円でも良いので、いくらか前金を入れてもらうように頼むと、いきなり五万円も振り込まれた。
変わった依頼だとは思ったが、こうなれば悪戯でもなんでもなく、先方は本気だと判断して差し支えなかった。
どんな写真を撮る必要があるのか不明だ。様々な状況に対応できるように、可能な限りのカメラ機材を担ぎ新幹線で東京を発ったのが今朝のこと。岡山駅に到着するとJR在来線を乗り継ぎ、午後の遅い時間に無人駅に降り立った。
駅前には、錆の浮いた頼りないバス停の標識が一本立っていたが、掲示してあるバスの運行表は、朝と夕方の各二本しかバスが走っていないことを知らせていた。駅舎にはタクシー会社の電話番号が、「ここから先はこれしか交通手段がない」と主張するように大きく貼り出されていたので、割高なのを覚悟でタクシーを呼んで乗車したのだ。
「
「知ってますよ。この辺じゃ資産家で名が知られてますから。かなり山林所有していて、お屋敷も大きいですよ。二、三度ご利用頂いて、お迎えに行ったこともありますねぇ。昔は庄屋だったとか。祝い事のために東京から写真屋を呼ぶとは、さすが優雅なもんですわ。あの村は昔から、どういうわけか羽振りが良い家が多かったですから。まだ財産がたんまりあるお屋敷が、藤蔭屋敷以外にもありますよ。羨ましいもんだ」
「俺も羨ましいですよ。写真屋なんて、収入が不安定で。あの手この手で、お客さんを探してます。だからこそ、ここまで出張してるんで」
「うちも同じく不安定ですよ」と、運転手は冗談めかした合いの手を入れる。
「私が子どもの頃に成葉里村っていったら、ちょっと怖いような気もしてましてね。ご神木の根元から大量の髑髏が出てきたって、騒ぎになった事があったもんで」
「え、なんですか、それ。まさか大量殺人とか」
運転手は大声で笑った。
「いやいや。終戦直後でも、さすがにないです。調べたら江戸時代以前の埋葬地だったらしいんですわ。あの村は昔、人が死んだら体は火葬にして、首だけご神木の下に埋めていたそうで。ただね、そんな風習は成葉里村以外じゃないもんだから、私らには気味悪くて。未だに、ご神木の下には回収しきれなかった髑髏が埋まってるって怪談話もあって」
「白骨死体が発見されて、首なしだと言われたのは、その辺りの連想からですか」
白骨化した死体が発見されれば普通、「白骨死体が出た」と噂になる。その噂の付属情報で頭の骨がなかったと伝わる方が自然で、白骨よりも、首なしがクローズアップされて噂になったのは、その辺に原因があるらしい。
「そうですねぇ。首なし死体が出たのは峠だから、成葉里村に近いですしね。ちょっと前までは、
タクシーはかれこれ一時間も走り続けているが、窓の外を流れる景色は、ほとんど変わらない。時折ゆるくカーブしながら延々と続く道路は、濃い緑を茂らせる中途半端に高い山に囲まれている。
山裾には民家が集まり、ハウスメーカーが建てた現代的な家と、昔ながらの重そうな瓦屋根を乗せた木造建築とが混在していた。そんな集落の周囲だけは開けていて、簡易郵便局や農協の建物がある。タクシーに乗車した駅からここまでの間に、寺は三つも見つけた。
駅周辺の地名は三村町というらしい。三つの村が合併してできた地域だろう。
——寺とか好きよね、お兄ちゃん。だからかな? お兄ちゃんは話題が年寄り臭い。
妹の
——女子が喜びそうな話題を提供する能力、身につけた方がいいよ。私、
お節介にもそんな助言をしてくれたが、礼人は苦笑いしか出来なかった。
(お袋も優穂も、俺の手を離れた。結局、俺一人が残されたんじゃないか)
五月の鮮やかな緑の景色を見つめ、ふと虚しさが心の隙間に滑り込む。
幅が狭く窮屈そうな二車線道路が続いていたが、そのうち道幅はさらに狭まり、さらには一車線になた。そのうち〇・七車線程度になる。せいぜい通れて二トン車までだろう。
急な上り坂で、左右は鬱蒼とした杉木立が迫り、道路脇は雑草や羊歯に浸食されかかっている。道の左側は杉が林立しているものの、深い沢へと落ちる急斜面。ガードレールもない。アスファルト舗装の道路は細かくひび割れ、茶色く枯れた杉の葉が散乱しており、さらに轍のように道路の真ん中がうっすら苔むしている。
(登山者の首なし死体が見つかったっていうのは、この辺りなんだろうな)
杉林になっている左側斜面の下の、岩だらけの沢を見おろす。
こんな場所で、よくも白骨死体が発見されたものだ。交通量は知れているだろうし、離合すらままならない山中で車を止める者などまずいない。徒歩で通過する者はほぼ皆無だろうし、いたとしても沢の下まで覗きこみはしないはず。
発見されたのが奇跡で、散り散りの骨の欠片になって、永久に見つけられなかった可能性の方がはるかに高かったのだろう。
日本の行方不明者数は、年間八万人におよぶ。地方の、ちょっとした町の全住民が行方不明になるのと、数は同じ。それが毎年なのだ。日常生活を送っていると、毎年町一つが消えるほど多くの人間が失踪しているのは信じがたい。しかしこういう場所に来ると、誰にも知られることなく姿を消す、あるいは消されることは、存外簡単な気もした。
一時間も道を上るとやっと道は下りになり、二十分後には突如、目の前が開けた。
杉林を抜けても道は変わらず細いのだが、左右に畑が現れる。小さな川にかかるコンクリート製の橋を渡ると、青々した田圃が左右に広がり民家が点在していた。
「着きましたよ、お客さん。成葉里村」
長いドライブの終わりを言祝ぐように、運転手が明るい声で告げる。領収書をもらって下車すると、タクシーは今来た道を引き返し、杉木立にのみこまれる道へと姿を消した。
この村には、あの道を一時間以上車で走らなければ到達できない。しかも道はその一本しかないとくれば、孤島に等しい。下手をすると孤島の方が便利だ。孤島は船さえあれば、一気に何十人何百人と上陸できるし、荷物も大量輸送が可能。
この村のように、村に到達する道が狭い一本道しかなければ大型車は通れない。小型車で人や物資を運ぶしかないし、対向車が来れば、にっちもさっちもいかなくなる。道の途中で崖崩れでも起きようものなら、通行は不可能。外の世界と断絶するしかない。
孤島以上に孤立した集落・成葉里村。正式には岡山県T市三村町成葉里地区という。平成の市町村合併で村の名は消えたが、今も周辺地域の人間はここを成葉里村と呼ぶし、この地区の住人達も自分達の住む土地を成葉里村と呼ぶらしい。
都会人の感覚からすれば成葉里村は、かくりよと呼べるほど孤立している。うつしよとつながるのは、細く、苔むしひび割れた暗い道。
礼人は周囲を見回した。自分はどうやら、大きな窪地の真ん中に降り立ったらしいと知る。山がそこだけ大きく深く抉られ、底がわずかな平地になった地形。平坦な場所は彼が立つ村の中央の、周囲二キロほど。そこが鉢の底になっているのだ。
山は五月の圧倒的な濃い緑に覆われ、すり鉢状の村を抱く。
すり鉢の側面に添うように民家が数件かたまり、三つの部落を形成し、それら部落をつなぐ道がすり鉢の底で交差していた。
民家は斜面の緩やかな場所を求めて、すり鉢側面の、底に近い場所に集まっている。
一軒だけ、急峻な山腹に大きな屋敷があった。二棟が連なった日本家屋と土蔵。大正時代の建築と思われる、褪せた朱色屋根の文化住宅らしい離れ。それらが土壁の塀の中に収まってる。他の民家とは一線を画す重厚な造りと、村を見おろす位置にある事から、その屋敷がこの土地を支配してきた地主の屋敷なのだと分かる。
仕事を依頼してきた藤蔭家は、あの屋敷だろうか。
しかしその大きな屋敷よりも、屋敷の背後を覆うものに礼人の目は釘付けになっていた。
「藤だ」
屋敷の背後は濃い紫の霞に覆われていた。巨大な藤棚が広がっている。
屋敷の背後にある紫の霞は、けして小さくない山の中腹を覆う。青々とした山に突如、紫の雲が沸き立ち、横へ横へと広がったかのようだ。濃い紫は艶やか。村を見おろしている。驚いた事に藤は一本の巨木のようだった。禍々しいほどに大きい。
折しも、山から吹き下りてきた強い風に、濃い紫が大きく揺れる。その中に、黒い着物を着て、長い髪を背に流した女が立っている後ろ姿が小さく見えた。
はっとしたが、それは一瞬。何度か瞬きすると消えていた。
(あれは喪服? けれど袖も裾も長かった。すると黒引き? 花嫁衣装か?)
黒引きは、黒引き振り袖のことを指す。黒地振り袖の裾を長く引いて着付ける江戸時代武家の婚礼衣装だが、今しがた目にした女性は角隠しもつけていないし、振り袖には雅な柄もなく、喪服のように真っ黒だった。背の中程まで髪を垂らし、黒一色の振り袖を裾引きで身につける者などいない。そもそも、黒一色の振り袖など存在しないだろう。
目の錯覚に違いなかったが、何をどう見間違えたのだろうか。暫し、ぼうっとしていた。
(馬鹿、錯覚だ。花影を人と見間違えたんだ)
気をとりなおし、自分の周囲に改めて目を向ける。
路の左右は若い稲がそよぐ田圃で、車のエンジン音もなければ人影もない。濃い緑の匂いだけがある。ぶんと、耳元を虻が通り過ぎた。日本では失われたと思っていた昼間の静寂。藤の花を背負う屋敷。観光地的な作り物ではない、本物の静けさと古の景色だった。
この風景を写真に撮りたいと、ふいに強い衝動を覚えた。
仕事では人物写真ばかりを撮っているが、礼人は小学生の頃から、同じく写真屋だった父の影響で風景写真や鉄道写真を撮るのが趣味だったのだ。だからこそ美術大学の写真科に入り、その流れで写真の仕事をしたいと考えた。それ以来写真は「仕事」になった。昔のように「楽しみ」ではなくなっていた。大学を卒業してから既に十年。久しぶりに無性に景色が撮りたい。「楽しみ」を思い出せそうな気がした。
自分の中に沸き立つものを感じ、荷物を道ばたに置くとカメラ機材を取り出そうとした。嬉しさのあまり、カメラレンズの蓋を取るときに手が滑り、股の間を抜け、背後のアスファルトの上へと転がる。蓋を追ってふり向いた礼人は、「うわっ!」と声をあげた。
背後に一人、青年が立っていたのだ。
おそらく礼人がカメラ機材を探っている間に真後ろに立ったのだろうが、音も気配も感じなかった。青年は足下に転がってきた丸く平たいプラスチックの蓋をつまみ上げると、「はい。どうぞ」と、力ない声とともに礼人の方へと差し出す。
「ありがとう」とりあえず礼を言ったが、何者だろうかと不審に思う。
青年は長身だ。礼人も長身の部類で「がたいが良いから立ってるだけでOK」と言われ、高校時代は警備のアルバイトをしていたこともあるのだが、その自分といい勝負だ。手足も長く、礼人より格段に痩せている。だからなのか、デニムにカットソー、薄っぺらのコートというぞんざいな服装でも見栄えがした。惚けたような丸眼鏡をかけているし、前髪が長くうねって目にかかっているので表情は読み取りづらい。どことなく、ムーミン谷で釣りをしている男に似ている気がする。ぼやっとした見かけによらず、眼鏡の奥の目が鋭いので、哲学者めいた雰囲気があるのだ。
「あなた成葉里村の人じゃないよね」
問う青年の足下には、黒のリュックがあった。彼も村の住人ではなさそうだ。
「仕事で来た者だけど」
礼人の傍らにあるキャリーケースとカメラ機材に目をやってから、青年は嘆息した。
「到着したばっかりなんだね、あなたも」
「あなたもって、君も今来たの? でも俺のあとにタクシーが来たかな? いくら俺が景色に興奮してたからって、車が来れば分かるはずだけど」
「興奮?」
急に青年の目が冷ややかになったので、礼人は慌てる。
「え、いや! そういう意味じゃないから」
「あなたが景色に興奮して、ゲンゴロウに欲情する変態でも、僕には関係ないから問題ない。それよりも、あなたが僕と同じく今到着したばかりで、土地勘がさっぱりないことが問題だ」
(変態って、おい)
突っこみたかったが初対面なので、年下相手でも躊躇った。見たところ二十歳前後の若者だ。発言内容が失礼なのを、若さ故に認識していないのだろうか。
青年は「困ったな」と、髪の毛を掻き回す。本当に困っているらしい。
「君は、旅行? なにが困ってるって?」
「旅行みたいなものだけど。困っていると言えば、今夜自分が泊まる宿の場所が、わからないから困ってる。住所を聞き忘れてたんだ。小さな村だから、すぐにわかるだろうと思ってたんだけど。見回しても宿らしき建物が発見できない。僕はもう、一歩も無駄な歩数を歩きたくない。歩いて来たんで、体力の限界に近いんだ」
青年の顔色は心なしか悪い。
「歩いたって、何処から」
「近場のJRの無人駅から朝のバスに乗ったんだ。けど三村農協支所前ってバス停からは、歩くしかなくて。ここまで七時間かかった。軽く遭難するかと思った」
いかにも疲れた声で答える。そりゃそうだろうと、礼人は内心呆れる。
「なんでタクシーを使わなかったんだい」
「お金がない」
お金の苦労を知っている礼人だからこそ、その言葉には深く同情した。
「君、もしかして『藤や』に泊まるの? この村には、そこしか泊まれるところがないって仕事の依頼者から知らされたけど」
「そう。藤や。場所、わかるの? わかるのだったら場所を教えて欲しいんだけど」
「地図を見ればわかると思う。俺も荷物を下ろしたいし、一緒に行こうか」
写真を撮るのを後回しにしてカメラをバッグに収め、スマートフォンの地図アプリを起動した。電話で藤やの予約を取ったときに、電話口に出た女性に教えられた住所を打ち込み検索する。アプリは、礼人達が立っている十字路から北に延びる坂道を上るように指示している。「あっちみたいだ。行こうか」と、キャリーバッグを引いて出発すると、青年もリュックを肩にかけて一緒に歩き出す。
「君、こんな場所に旅行って、なにか目的でもあるの? 登山する格好でもないし」
ここに来る前に色々と調べてみたが、成葉里村に関しては、ほとんど情報が出てこなかったのだ。名所旧跡の類いはないし、近頃はやりの体験型のイベント企画も施設も、一切ない。人々が日々暮らしているだけの、つましい山間の集落なのだ。
「祭があると聞いたから。しかも村の名前が興味深いし」
こうやって若者が見物に来るような祭があるなら、礼人への仕事の依頼は祭に関する祝い事の可能性がある。それなら、やり甲斐がありそうな仕事だ。
「なるほど祭か。けど村の名前が興味深いか? よくありそうな、長閑な名前じゃないか」
「それはただの印象。人間心理として字面は体裁の良いものを並べたがるから、あなたは、まんまと引っかかってる」
彼は、どこか小馬鹿にしたように目を細める。
「注目すべきは音。しかも来てわかったけど、この景色は普通じゃない」
里山は初夏の青空の下、穏やかな空気に満ちている。山の中腹に大きな屋敷が佇み、山のすり鉢の底近くに点在する民家を見おろしているだけ。地理的に新築するのが難しいのか、どの家も昔ながらの日本家屋で特に変わったところはない。
「音って『ナバリ』だろ。何か変かな? しかもこの景色の何処が普通じゃないって? 民家と田畑、山林以外なにもないじゃないか」
「そこだよ」
「どこだよ?」
「今は空き家も多いかも知れないけど、ここから見える戸数からすると、昔は千人人以上の村人がいたはずだ。その規模の村にあって当然のものが、ない。真に人目を憚るものは存在を誇示しない。隠されているものこそ、人の目に触れてはならないものだよ」
それ以上詳しく説明して欲しいと言えなかった。彼が口にしたことの意味がほとんどわからないし、飄々とした青年の雰囲気に少し気を呑まれたのだ。
(何者だろう)
一見すると、ひょろひょろした若者だが、低い声で語る言葉が二十歳前後の若者らしくない。若者には、若さとも幼さとも呼べる独特の雰囲気があり、物静かな若者でも、全身から発散される熱気がじわじわ伝わるものだ。しかし彼に限ってはそれがない。喩えるなら植物のような気配。確かに生きて呼吸しているが、ひどくひっそりしている。
「俺は一っていうんだ。一礼人。漢数字の一を書いてニノマエと読む。『一』だから『二』の前。覚えやすいだろう」
「頓知のきいた苗字だね」
「皆に言われるよ。君の名前を訊いていいか?」
「シュウヤ」
「シュウヤ君? 苗字は?」
「シュウヤが苗字」
彼は宙に、「終夜」と書いた。
「終わりの夜、と書いて
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