マラーの覚醒(10)

 異なる牢屋に入れられた俺たちは、あちこち殴られはしたが致命的な怪我はない。

 足首に繋がれた鎖だけが厄介だが、立つくらいは出来る。

 船は小島の海岸に錨を下ろしたらしい。

 暗くじめじめした牢屋、溜まったぬるい海水がべとべとして気分が悪い。

 それよりも——。

「くっそ、腹減った」

「うるせえな。何度目だっつの。フナムシでも食っとけよ、ヴィーシャ」

「俺はお前と違ってビンボー舌じゃねえんだよ」

「ああん?」

 俺たちは不毛な会話を続けていることに飽きてきた。

「はあーあ、こんなことならもっと娼館に通っておけば良かった。こんな汚いところでむさ苦しい奴と並んで死ぬなんて最悪だ」

「ああ? それはこっちのセリフだっての!」

「…………」

「…………」

「やっぱ。怒ってるよな」

「マラーのことか? そりゃそうだろ。俺だったらこんなクソ生意気な弟二人いたら発狂するわ」

「自覚あんのかよ。俺はお前が弟ってだけでイライラするけどな」

「俺もスケコマシ野郎が兄貴とか最悪だわ。マラーはいなくなってせいせいしてるんじゃねえの」

「はあーあ。マラーが姉貴だったら俺もひねくれないのに」

「お前、見境なしかよ。虚しいから辞めようぜ」

 ————。

「————、おい。今何か?」

「何かって何だよ」

 見張りの男が張り上げた声が聞こえたが、また静かになった。

 とうとう自分たちの処遇を決めたのかと身構えた。

 首を跳ねて晒されるか、サメのエサにされるか。それとも四肢を奪って、母の元へ返されるか。海賊の残虐な復讐は想像するだけでもキリがない。

 コツコツと歩く音。この歩き方は

「え? 兄さん?」

 そこにはびっしょりと濡れた兄の姿があった。



 小舟を乗りつけ、船底の小窓から容易に侵入したのである。今日ばかりは小柄な体が役に立った。

 俺は見張りの男を気絶させ、落とした牢屋の鍵を手にした。

「兄さん、どうやって? 見張りは?」

「…………」

 黙々と鍵を探して開ける俺に、ヴィーシャは狼狽え、シヴァはぽかんと口を開けている。

 二人とも浅い傷だけで済んでいるようだが、かなり抵抗したのだろう。いくつも殴られた痕がある。でも何より、五体満足だ。

それぞれの扉を開けて気が付いたら俺は二人を抱きしめていた。

「——よかった」

「ちょ、兄さん!」

「離せよ、後で恥ずかしくて死にそうになる!」

 ああ、そうだ。

 大きくなっても、俺よりも喧嘩が強くなっても、生意気で手が掛かっても、こいつらは俺の弟だ。

「正直、もうダメかと思った」

「え? 嘘だろ」

「に、兄さん、泣いてる?」

「泣いてない」

 これは俺のモノだ。

 俺の大事なモノだ。勝手に盗み手を出すことを許さない。



 俺たちは船底の小窓を壊し、海に飛び込んだ。

 水音を立てずに静かに泳ぐことぐらい、俺たちにはわけのないことだ。離れて停泊している船まではそう遠くはない。

「悪かったよ、迷惑かけて」

 シヴァは謝罪の言葉を口にしたがむくれている。捕まったことも謝ることも不本意なのだろう。

「まったくだな」

 船尾がようやく見えて指笛で合図をした。

「戻って来た!」

 いち早く気が付いたザシャがロープを下ろした。

「まさか港から泳いできたのかと思った」

「意外とやりそうだよな、あいつ」

「聞こえてるぞ。分かっていると思うが、これで終わりじゃないからな」

「「え?」」

 弟二人は声を揃えて兄の言葉に耳を疑った。

 甲板に上がり、ぐしゃぐしゃになった革靴を俺は脱ぎ捨てた。


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