マラーの覚醒(8)
雨が止み、火の手が広がりやすくなる。夜中の港町は黒と赤に包まれた。
「いいかい。どんどん水を運ぶんだ。宿屋の男共も娼館の女共も叩き起こしな。燃え移りたくなかったら手を貸せってね。それから火傷をした奴らはすぐに私の館へ運ぶんだよ。それから東の薬屋からアロエを持ってくるようにいいな」
母はテキパキと消火の指示をした。日常では酒と喧嘩に明け暮れる海賊たちも今は、母の指揮に従う港の民だ。
尋常ではない燃え広がり方に俺はその理由に気が付いた。
「この匂い」
「ああ、奴ら油を混ぜたね。まったく、ここまで用意されていたのに気が付かないなんて、私も耄碌したものだよ」
母は苦々しい表情で爪を嚙み、苛立ちを隠せずにいる。今すぐにでも船に乗り奴らを追って首を跳ねてやりたいことだろう。
一度海岸へと向かった女海賊が息を切らして戻って来た。
「サハラ様、マラー様!」
「今度は何だ」
「連中が流した酒樽にこれが括られていました」
「——っ」
「これ、ヴィーシャとシヴァの腰布だ」
緑色と赤色の布切れが一つずつ。それは見慣れた、ヴィーシャとシヴァが身に着けていた衣服の一部だ。この町にはめったに見られない派手な布。悪目立ちするから辞めろと忠告したのは、ついこの間のことだ。
アリスタは首を傾げるがこれが何を意味するのか、俺は瞬時に理解した。
——チャービル家と敵対する海賊たちがヴィーシャとマラーを誘拐した。
奴らは俺たち家族にそしてこの町に報復をするつもりなのだと。
気が付けば俺はシャムシール(獅子の剣)を手に取り走り出した。残っている船を探さなければ。
「待て、マラー」
「母上!」
「二人は夜が明けてから取り戻す。今はここにいろ」
「何を悠長なことを! 奴らは海の上だ。今追わなければヴィーシャとシヴァを取り戻せない!」
「奴らは二人を使って交渉するつもりだ。私の財宝かそれともここの支配権か」
「そんなことはどうでもいいんです!」
母にここまで強く怒鳴ったのは生まれて初めてかもしれない。母と俺の同じ目の色が交差する。
「——出来るのか?」
「出来ます。母上、あなたが俺を、そう育てた」いつでも戦えるように、どんな時でも家族を守れるように。
母は呆れたようにため息を吐いた。
「マラー、岬の裏に私の船が一隻隠してある。それを使いなさい。風に乗ればお前の船よりずっと速い」
「分かりました」
「ここは任せな。さっさと役立たず共を連れ戻しておいで」
「ねえ、マラー。ヴィーシャとシヴァは? どうしてどこにもいないの?」
「アリスタ」
俺一人で一体何が出来る?
——何もしなくていい。
アリスタにかけるべき言葉を俺は間違っていた。
何も求めていないのだと、俺はずっと弟たちを抑え込んで来た。
そうすれば全て丸く収まるのだと。
丸く収まる?
これの一体どこが?
「二人は今から俺が連れて帰る。いいか、アリスタ。俺たちが戻るまでここで母上をお守りしろ。だが無茶はするな」
ミリアと同じ若葉色の大きな目。
いつか俺たちを守ってくれた彼女のように、俺もこの力を家族を守るために使う時が来た。俺は短剣をアリスタに渡した。
「これはお前の母親が昔使っていたものだ。使い方は分かってるな?」
「うん、勿論。シヴァにたくさん教えて貰ってるからね!」
「そうだったな」
「マラー、早く戻って来てよ」
「ああ。朝食を用意して待っててくれ」
「まったく。私は子どもに守られる程、衰えちゃいないよ」
母の小言も今は心地いい。
「行ってきます」
俺はターバンを結び直し、岬へと走った。
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