マラーの覚醒(3)

 十五年前。俺は、千草の国一の海賊団を率いるカルカニス、入江の女帝サハラとの間に第一子として生を受けた。それから二人の弟、そして父の二番目の妻となったミリアとの間に生まれた腹違いの弟が出来て、俺は四兄弟の一番上となった。海賊としてはそれなりに平穏無事に過ごして来た。

 しかし順風満帆とは行かないのが人生である。チャービル家にとって最大の危機が訪れた。

 それは、父カルカニスと母サハラの決裂。

 幾度の海戦を夫婦として乗り切って来た彼らも、互いに愛する者の死は余りにも深い傷を残し、絆を断ち切るには十分だった。

 ミリアの死である。

 母は俺たち以上にミリアの死を嘆き、父を憎んだ。そしてこの陸に上がることを許さなかった。

 その後、名目上カルカニスの後継者である俺が、港町を支配しなくてはならなくなった。「入江の女帝」である母の補佐があっても、俺にはその責は重すぎる。


 近い未来「ハイグラス」と呼ばれる千草の国の港町は賑わいとは異なる喧騒で日々満ちていた。

 千草の国に点在する島々に、かつて財宝王と呼ばれたフレデリア王が隠した財宝の数々を奪い合うことが、千草の国の海賊の生き甲斐であった。海と船を操れる船乗りだけがこの海で生き残れる。

 この国に生きる海賊の子どもたちは船乗り、釣り、賭けごとが出来て当たり前。自分たちで生きる術をたくましく身に着けていくことがこの国の子どもたちの生き方だった。

 俺たち兄弟もその例外ではなく、海賊の一族らしく育った。

 海の上は一人前の海賊のもの、陸の上には海に焦がれる子どもたちがいる。それが千草の国の在り方だった。

 しかし今、以前のように賑わっていた港町の姿は薄れていた。陸に残された海賊たちで溢れ、無法地帯となっていた。全盛期を誇っていたチャービル家の支配力が次第に薄れていったことは明らかである。

 俺は悪夢のせいでじっとりとした汗を乾いた朝の風で流してしまおうと部屋を出た時だった。

「マラー、大変だ!」

 エルマは一つ違いの海賊仲間で、ひょろひょろとした体格に似合わず度胸があり、気が利くためマラーも重宝していた。

「どうした、エルマ」

 血相を変えて転がり込んできたエルマを見て、只事ではないことを察した。

「ヴィーシャが……」

「——またか」

 弟の名前が出て俺は全てを察した。

「今、ザシャが止めにいってるけど」

 いくら喧嘩の強いザシャでもヴィーシャを止めることは出来ないだろう。すぐ下の弟のヴィーシャは兄弟の中でもキレやすく、気にくわないことがあるとすぐに手が出る。

 今更、愚弟の行動に頭を抱えても仕方ない。俺はエルマと共に路地裏を走った。

 水路を跨ぐ橋の上で馬乗りになり、男を殴りつける弟の姿があった。明らかに自分より年上の男だ。その横で気絶している男が二人もいる。ザシャはその横で蹲っていた。

「ザシャ!」

「大事ない」

 ザシャはずれたターバンを巻き直し、苦笑いをした。

 肝心のヴィーシャは兄の登場にも構わず、男を力いっぱい殴りつけていた。

「よせ、ヴィーシャ!」

 羽交い絞めにしても、上背があるヴィーシャは簡単にマラーの腕を簡単に振り切った。

「離せ!」

 エルマと二人がかりでようやく引き剥がし、殴られた男は鼻が砕けて血を流しながら、逃げるように後ずさりしていく。

「逃げんな!」

「ヴィーシャ!」

 ヴィーシャは俺とエルマを振り切って、男たちを水路に投げ捨てた。気絶していた男たちは衝撃で目を覚ましたらしいが、拳を血で濡らしたヴィーシャの姿を見て悲鳴を上げて逃げて行く。

「ヴィーシャ、いい加減にしろ! 何度言えば分かるんだ」

 母は息子たちには暴力で解決することを禁じていた。しかしそれを額面通りに受け取る弟たちではなかった。

「あいつらは兄さんを馬鹿にした! だから思い知らせてやっただけだ!」

 ヴィーシャは未だ怒りを収められず、血塗れになった拳をまだ握っている。

「女を作らないあんたを、『母の乳をしゃぶる腑抜け』だと馬鹿にしたんだと……」

 ザシャはエルマに支えられて起き上がった。ヴィーシャを止めようとして腹を蹴られても、ヴィーシャの行動に弁明してくれたことに、俺はますます兄として不甲斐なく思った。

「お前、そんなことで——」

「そんなこと?」

「俺は慣れてる。一々気にするな」

「慣れてる? 何でこっちが慣れなきゃいけないんだ? 改めるのはあいつらだ!」

 ヴィーシャの怒りは未だ収まっていない。

「俺たちはこの千草の国を守るチャービル家だ。だから――」

「違う、俺たちは海賊だ! 家名なんてどうでもいいんだ、兄さん! 貴族でもなければ領主でもない! ただ家名があるだけの海賊なんだぞ!」

 ヴィーシャは俺の首を掴んだ。

「お前にはまだ分からないだけだ。俺たちがどれだけ重要な立場にあるか」

「なら、分からせてよ。兄さん?」

 軽蔑するような赤銅色の目。

 体も、目も、髪も。自分とは対極的な弟。血の繋がりなんてないんじゃないかと思うこともあったが、この短気で暴力的なところは紛れもなく父と母の子だ。

「感情に任せて怒るお前は、怖くない」

「本当に? 俺よりも強い奴からこうして掴まれたら兄さんは一歩も動けないだろ? 俺より小さいし、力も弱い」

「——っ」

 首を掴むヴィーシャの手に力が入っていく。ヴィーシャの言う通り、力でも喧嘩でもこの弟には叶わない。

「いい加減分かれよ。俺たちに盾突く奴らは力でねじ伏せるしかないんだ」

「げほっ」

敬愛する女海賊ミリアが亡くなってからそれが顕著になり、ヴィーシャを止められるのは母のサハラだけとなった。

「大丈夫か、マラー」

「ああ」

 一部始終を見守っていたエルマとザシャは、崩れたマラーの肩を持った。

 力でも叶わず説き伏せることもできない。

「マラー、弟の気持ちも分かってやれ。あいつは自分よりもあんたを貶されることが許せないんだ」

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