マラーの覚醒(2)
二人目の弟、チャービル家では三人目の息子の誕生である。
「サハラ!」
「母上!」
父と俺は転がる勢いで部屋へ飛び込んだ。
扉のすぐ近くにいたミリアがにっこりと微笑んだ。
「大丈夫、二人とも。サハラ様もご無事よ」
ミリアは父から甘えるヴィーシャを受け取り、あやし始めた。
母はまるで何事もなかったかのようにケロリとしており、その手には産着にくるまった赤ん坊を抱いていた。
「全く。その狼狽えよう、これじゃどっちが産んだんだか分からないな」
母は呆れたと言葉を漏らし、声色には疲弊と安堵が入り混じっていた。
チャービル家にとって三人目の息子は「シヴァ」と名付けられた。
三兄弟は皆、母により名前を付けられている。ヴェルーリャ家の伝統に則り、母はカナンの民に伝わる戦神の名前からなぞらえ、息子たちを名付けた。シヴァは力による戦を好む神らしい。
父はシヴァを腕に抱いた。
「シヴァ、か。いい名だ。見ろ、この足の強さ。嵐の中で生まれたなんて、いい海賊になるぞ。お前も抱いてみろ、マラー」
「え?」
戸惑う俺に父は落とさぬようにゆっくりと渡して来た。母も頷き、俺は生まれたばかりの弟を恐る恐る抱いた。温かくて柔らかい。くぷくぷと口を鳴らしている。
ふにゃふにゃとしていて、壊れてしまいそうだ。
父と母がいない時、俺が弟たちを守らなくてはならないのだ。
「俺に、守れる、のかな?」
父と母は顔を見合わせた。
「お前はどうも真面目すぎるな。お前もまだ子どもなんだ。大きくなったら弟たちを頼るんだぞ」
——守るんじゃなくて、頼る?
一人は甘えん坊で、もう一人はまだ赤ん坊だというのに。
夜が明けてようやく嵐が去った。
このまま陸に向かおうと、皆が準備を整えていた時だ。
しかし、見張りをしていた船員が、白む水平線に点在する影を見つけ、十数の船団がこちらに向かっていた。掲げる旗はヘビクイワシ、黒いハクジラ、白い一角獣。
どれもチャービル家敵対する海賊たちである。
チャービル家の膨れ上がる勢力に危機感を覚えた船団たちが好機と手を組んだのだ。こちらは嵐が帆も船員もぼろぼろだというのに——。
「奴ら嵐を待っていたな!」
船団はあっという間に取り囲まれ、父は自ら甲板で戦いに向かった。
出産を終えたばかりの母サハラは、シヴァを俺に預け、ヴィーシャの手を引っ張って、部屋の奥に隠れるように告げ、出産を手伝った女海賊二人と共に、甲板へと加勢に出た。
その時、とにかく俺は弟二人をどうにか泣き出さないようにするので精一杯だった。
——しまった。
護身用のナイフが、母の部屋の扉の前に置きっぱなしだったことを思い出した。
「ヴィーシャ、シヴァを持っててくれ」
嫌だと首を横に振り、服の裾を掴んで離さない。
「すぐに戻るから」
「やだ」
どうしてこうも聞き訳がよくないのか。俺はいつだって母上の言う事を聞いているのに。俺だって怖くてたまらないのに。
「ヴィーシャ……」
少し怒っているのが伝わったのか、ヴィーシャはしゅんとした。
弟二人は衣装ダンスにすっぽりと入ってくれたので、蓋をして俺はナイフを取りに戻った。
すぐに戻らねばと踵を返した時だ。
入れ違いで誰かが、部屋に入り込んでいた。外の窓から侵入したのだ。
扉の影から覗くと、斧を肩に担いだ大男が一人、部屋の中を物色し、母の髪飾りと指輪、目についた金目の物を次から次へと懐に入れていった。
———甲板はどうなっているんだ? 父上は? 母上は?
子どもの自分が大男に叶う訳がない。今はやり過ごすしかないと、声を殺し、心を落ち着かせようと目を瞑ったその時だ。
奥から赤ん坊の泣き声が響いた。
「———っ」
声に気が付いた敵が、衣装ダンスへと近づいていく。
行かなくては。ダメだ、あっちの方が距離は近い。
それでも、行かないと。
——体が、動かない。
「——っ」
目を覚ましたそこは、海でも船の上でもなかった。
自分は五歳の時の体ではなく、あれから十年経っていた。
全力疾走したかのように、汗をかき、息を切らし、爪が食い込む程に握りしめた手。
——また、この夢。
「どれだけ臆病なんだ、俺は……」
十年以上も引きずってしまうなんて自嘲するしかない。
俺は、あの時———。
軽蔑されても仕方ないようなことを、考えてしまった。
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