ヴィーシャの愛(8)
俺は一人の男としてミリアを愛していた。
彼女もまた俺たち兄弟を愛してくれていた。しかしそれが特別な愛ではないと分かったのは、ミリアが父の二人目の妻となったと知った時だった。
海賊たちと多くの死線を乗り越えて来た父とミリアの間には確かな絆と愛があったのだろう。ミリアを奪おうと海に出ても、彼女は俺を弟扱いするばかり。そして彼女が妊娠したと知り、アリスタを産み、幼い我が子を置いて海の上で死んだと知った後も彼女への想いは風化することはなかった。
誰かと対等にではなく不平等に、特別に思うこと。
特別で、他人と差別して、ただ一人を思うこと。
それが愛なのだとミリアに教えて貰った。
――――誰かの特別になるには、どうしたらいいのだろう。
宝を多く奪うこと?
敵の海賊の船を沈めること?
荒波を越えること?
そしてそのどれをとっても、兄の存在が自分を一番にすることはなかった。
兄はそれでも弟たちが劣っていると思う素振りは一度たりともなかった。
対等に、平等に。守るだけではなく頼ることを忘れず、宝も手柄すらも自分一人のものにはしなかった。それがまたヴィーシャの劣等感を強くした。一生、兄に叶うことがないのだろうと、ヴィーシャはどこかで思っていた。
しかし、アリスタが王都へ召還され、マラーが家督を望んでいないとはっきり母に告げた時、ヴィーシャの中で何か変わった。
自分がただ寂しかっただけなのだと気が付いたのだ。
リズが言い当てたことは正しい。
誰かに愛されたいのではなく、手に入れた物を、傍にいる人を失いたくないのだと。
海の男として生まれながら何て女々しい。
俺はずっとこの矛盾した感情を抱えている。
岸までもう少し。ヴィーシャは漕ぐ手を止め、波の流れに身を任せた。
今力強く漕いでしまえば、マラーと話す時間が永久になくなってしまうと直感したからだ。
「ヴィーシャ、お前には辛い思いをさせるかもしれないが――――」
家督を継ぎ、小国を治めるために尽力することが辛く厳しいものだとマラーは知っている。その責任から逃れていると後ろ指をさされていることも分かっていた。
ヴィーシャにとって辛いのは、兄ともう二度と会えなくなるかもしれないことだ。
「お前とシヴァなら上手くやれる」
憎まれ口を叩かれず、頭を撫でられたのなんて数年ぶりだ。
「兄さん」
声が震えるのを抑えられず、顔が上げられないまま、ヴィーシャは言葉を紡いだ。
「帰って来られなくてもいい。俺がいつか兄さんを見つけるよ」
「ヴィーシャ?」
きっと今、兄は珍しく驚いた顔をしているに違いない。兄を出し抜くことが出来て何よりだ。
「その時は兄さんが見た全てを、俺に教えてくれよ」
いつか、必ず。
「————ああ」
翌春。
マラーは船団を率いて故郷を離れた。
ヴィーシャは生涯において実に五十人以上の愛人を持つことになるが、そのほとんどが奴隷商人から買った少女たちだった。彼女たちはチャービル家の支えとなり、港町の女性の地位向上に大きく影響を与えた。
そして末の息子に授けた名は、兄の名であるマレクザルガであったことから、ヴィーシャは兄を慕っていたこと、そして兄弟の仲は確かなものだったと言える。
マラーは千草の国を離れてから、二度と故郷に戻ることはなかった。
そして晩年。生涯二度と会うことはないと思われたマラーとヴィーシャは再会する。この時、マラーは病により視力を失っていたが、姿が見えずとも来訪者が弟であることはすぐに分かったという。
その後彼らは、生涯を閉じるまでお互いの家族と共に暮らし、死後、同じ海にその遺灰を撒かれることになった。
ノヴァ・コスタ・ベルンシュタンイン著「グラン・シャル王国記」別冊より
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