ヴィーシャの愛(7)

 海賊長の息子として生まれたからには、自分の海賊船と船乗りを持つ。

 カナンの民として生まれたのなら、カナンの地を目指す。

 父と母の血を色濃く受け継いだ長兄マラーは、責務ではなく、両親の真似事をするわけでもなく、自分の意志で冒険に出る。

 以前から計画していたことで春に船出することは、この千草の国で知らぬ者はいない。共に冒険をしたいとイキのいい若き船乗りたちはマラーの元へと集い、共に夢に馳せている。人数にして百五十二名。マラーは四隻もの船団の長となった。

 しかしそこにヴィーシャとシヴァはいなかった。つまり俺たち弟は兄についていかない。

 末の弟は王都へ行き、長兄は海へと旅立つ。

マラーが去る以上、ヴィーシャとシヴァは千草の国を守る跡継ぎだからだ。いつか真ん中の二人も何らかの形で袂を分かつ日が来るのだろう。

 皆、離れ離れになる日はもうすぐそこだ。

「船はもう完成したからな。あとは水と食糧の準備と帆を通すだけだ」

「——そう」

 自分で尋ねておいて素っ気なかっただろうか。思わずオールを漕ぐ手を止めてしまい、ヴィーシャは慌てて漕ぎ出した。

「北を目指すならオーロラは見た方がいいよね。南じゃ見られないから」

「ああ」

「カナンの地には見たこともない花が咲いて、果てしなく続く黄金の大草原には有翼の一角獣の群がいるって御伽話、覚えてる?」

「ああ」

 母から子へ、寝物語として伝え聞かせたカナンの地の話だ。母もまた祖母からその話を聞き、忘れぬために子どもたちへと伝えたのだ。よもやその話を信じて、船団を率いてその地を探すことになるとは、誰も想像していなかっただろう。

「間違っても黒い海に呑み込まれないにしてくれよ」

「ああ」

 そんなことはすでにマラーは知っていることだ。本当は他に話したいことがあったのに、要らない言葉ばかりを並べてしまう。

アリスタに続いてマラーも、故郷を離れてしまう。家族が次第に離れていくことがこんなにも悲しいのだと、どうすれば伝えられるだろう。

「それからさ――――」

「ヴィーシャ」

 兄の静かな声色にヴィーシャは口をつぐんだ。

 凪のように静かでそして深い青のマラーの目。この目を見ると誤魔化すことは難しい。

「シヴァと喧嘩するなよ。お前たちはすぐに手が出るから」

 マラーは弟の心中を察していた。

「それは、分かってる。でも俺は兄さんみたいにはなれない」

「俺みたいになる必要はない。それに俺よりはシヴァの扱いは慣れてるだろ?」

 マラーはヴィーシャを信頼している。

 他の小国や諸侯たちは醜い跡目争いを続けているという。それを避ける方法をマラーは自分なりに解釈していた。親兄弟を信頼している我が一族はその争いなど起こるはずがないと。

 ヴィーシャは信頼されているからこそ、マラーの意志が辛かった。

 今更、一緒に行きたいなんて言えるはずもない。だがヴィーシャはマラー程、海に憧れを持ってはいないし、宝にも興味がない。

 冒険、そして航海への期待に満ちた兄の目は、とても眩しかった。

 きっと、故郷には戻って来られない旅になる。

 ずっと、兄が羨ましかった。

 命を懸けられる程の夢を持ち、怖い物なんて何もない。

 志を同じくする同志たちが集い、

 それでも自分の立場と役目を理解して、その望みを口にしたことはなかった。離れていても、腹違いの弟の身を案じ続けた。

 母譲りの、カナンの民の血を色濃く受け継いだオリエンタルブルーの目に映るのは海の果て。海賊に生まれた者は皆、最果てを目指しその先にある宝と冒険に憧れを抱く。

 家族どころか恋人すらも作らない程、その意志は固い。

 人生と命を懸けてその地を探すのだから、弟としては後押ししない理由がなかった。

「ヴィーシャ。お前に話しておきたいことがある」

 唐突に切り出した兄の話題に、ヴィーシャは戸惑った。

「え? 改まってどうしたのさ」

 マラーから話題を振るのはいつも決まって真面目な話ばかり。

 しかし少し照れたように咳払いをする兄の姿に、ヴィーシャは漕ぐ手を止めた。

 潮風が吹き二人の髪を靡かせた。

「ヴィーシャ、お前は俺よりここを治めることに向いている。だから母上もお前を選んだ」

「………兄さん?」

「母上も俺も口が上手い方じゃないからな。お前は誰よりも人を大事にする。特に弱い人間にお前は優しい」

「な、何だよ。それ」

「母上は正しい。お前はいい海賊だ。だから、お前がここを治めるんだ」

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