ヴィーシャの愛(2)
早朝から賑わう港町には、早くも船が数隻停泊し、鐘がひっきりなしに鳴っていた。
揚がったばかりの海の幸に、芳醇な香りを漂わせたワインの樽。
かつて荒くれ者ばかりだった港は、チャービル家のカルカニスとその妻サハラによって大きく変わった。今や他国の商人たちも足を運ぶ、グラン・シャル王国にとって最大の港町となった。
特に青の国から運ばれるガラス細工。十日の間、氷のように冷たく保てることから、千草の国はそのガラスを大変重宝された。そのガラスにちなんでこの港町が「ハイグラス」と呼ばれるようになったのは、つい最近のことである。
遠く彼方の水平線にも船が浮かんでいる。
異国の言葉も飛び交っていた。
黒曜人の絹織り商人たちが手触りの良い布を山ほど積み上げていた。
お気に入りの娼婦たちにプレゼントしてはどうかと思案するヴィーシャを横目に、マラーは目もくれず歩みを止めなかった。マラーは昔から陸地にあるものに興味を示さず、海の向こうに思いを馳せていた。
しかし、母親似のマラーを商人たちは放っておかない。まして昔からの顔なじみともなると、海賊としてまた千草の国の長として立派に育ったマラーは、兄より背の高いヴィーシャよりも目を引いた。
「マラー様。良かったら寄って行ってくれよ。いい土産が手に入ったんだ」
ほうら、早速来た。
「分かった、後で寄ろう」
マラーは目もくれず適当にあしらう。
「マラー様、よろしかったらこちらをサハラ様にお渡しください。今年一番の出来です」
素通りしようとするマラーに代わり、ヴィーシャが「ありがとさん」と受け取った。
女を連れて歩くことはないが、マラーは老若男女問わず人気があった。今やハイグラスの顔役で、大通りを少し歩くだけであちこちから声を掛けられる。
商人たちの後ろで、彼らの娘たちがマラーを見て黄色い声を発していた。
遊び惚けるだらしない海賊とは違い、母サハラの血を色濃く受け継いだ凛々しい面差しと、騎士と見紛う立ち振る舞い。海賊の中では珍しく気品がある男だった。
商人としては家柄も良く、たくましい男に、娘を見初めて欲しいのだろう。
しかし鉄仮面のマラーは全く動じることなどない。
「兄さんは本当に鈍感だねえ」
女性にモテないのではなく、熱い視線に気が付かずチャンスを逃している。
「何か言ったか」
「いんや何も」
ヴィーシャはいつもの軽口に、思わず嫌味を付け加えてしまった。
「兄さんが早く結婚してくれないと。アリスタの方が先に結婚しそうだよ。いや、もうしてるんだっけ? 王国の基準はよく分からないけど」
「お前に女のことで言われたくない。それに、俺は陸に女を作る気はない」
「————本気なの?」
今までは厄介な弟たちのために遠慮して、しかも生真面目なマラーのことだから、勝手に自分で立てた誓いを果たそうとしている、とヴィーシャは解釈していた。アリスタが王都へ召還されたため、マラーにとっても肩の荷が一つ下りたはずだ。
「俺とシヴァなら気にしなくても」
「別にお前たちのためじゃない」
兄マラーは海に心を奪われていた。海賊の血を引く男なら、最果ての海に焦がれる。そして陸地には戻らない。そのため陸地に女を作り置いていくことは悲しいことだからと、陸地に女を作らない暗黙のルールがあった。
ヴィーシャはそんな兄が羨ましかった。
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