<5th・Alastair>

 ああどうして、どうしてこのようなことになってしまったのか。


「はあ、はあ、はあ……!」


 アラステア、七十二歳。年々衰える体力に加え、昨年病を患ったことで歩くのにも難儀するようになった身。杖をついて、息を切らしながら地下室へと降りていった。幼いあの時、父の言いつけを破って初めて禁断の書庫を訪れた時と同じように。

 自分は、一体何を間違えてしまったというのだろう。

 何故、このような恐ろしい事態になってしまったのだろう。

 十三歳のあの日。確かにバートン一族は追い詰めれていて、どんな手を使ってでもミライダイト鉱石を錬成し国王に差し出さなければならない状況にあった。それは事実だ。そして、リンジーの禁断の秘術以外に、王を説得できるほどのミライダイト鉱石を作り出すことが可能だったのかなど、今となってはわからないことである。一週間、部屋に閉じこもって文献を漁った父も自分も、有効な方法を見つけることができなかった。それゆえに、仕方なく息子である自分が、地下室へ降りて禁断の術に手を染めることを選んだのである。

 そう、間違っていなかったはずだ。家を守るためには、他の方法などきっとなかったはずなのだから――それなのに。


――何故、何故このようなことになったのだ!


 十三歳のあの日。国王にミライダイト鉱石を大量に供出したことで信頼を得た自分達一族は、みるみる国で最大かつ最強の錬金術師として名を馳せることになった。他の方法を見つけ出す錬金術師がいないわけでもなかったのだが、バートン一族ほど大量に、効率的にミライダイト鉱石を錬成できる者が他にはいなかったためである。禁術ゆえ方法は教えられぬと国王にも伏せたものの、王はそのやり方を深く追求してくることはなかった。とにかく、大量のミライダイト鉱石を入手できるという結果さえあれば満足であったからなのだろう。

 ミライダイト鉱石の需要は、増える一歩だった。

 キノウリア帝国が近隣諸国を次々と侵略。アス王国はそれに備えて軍事力を強化するため、次々と強力な武器や兵器を開発する必要に迫られたためである。大きな戦車から、戦艦や戦闘機。加えて小銃の類にも鉱石を組み込むことで、通常の射撃より遥かに大きな威力を出せると分かってからは、小型の武器にもミライダイト鉱石を用いるのが一般的になっていた。

 キノウリア帝国との緒戦に買って鉱山の一部を取り戻し、発掘ができるようになってからは少しばかりバートン一族の負担は減ったが。せっせと鉱山で掘り起こすよりも、遥かにコストもリスクも低いのがバートン一族の錬成である。生産速度も非常に早い。キノウリア帝国と最終的に講和を結ぶことに成功し戦線が落ち着いてからも、王国はミライダイト鉱石を使った電化製品などを次々と発明することによって莫大な利益を得、結果バートン一族もまた大きな富を得るに至ったのである。

 郊外にこじんまりと佇んでいた屋敷は、みるみる増築されて大きくなっていった。

 アラステアがオーガスタと結婚し、五人の子供を設ける頃には。遠方からの親戚を招き、貴族や王族、有力な事業家達とも人脈を結び、一族は大きな繁栄を遂げていたのである。家財はどんどん派手になり、何百万Gもの高価なシャンデリアが屋敷のそこかしこで煌き、大量の金を使ったパーティが毎日のように開催されることとなった。金は、いくら使っても問題なかった。なんせ錬成するたび、じゃぶじゃぶと音を立てそうなほどの額が王国から給付されることになるのだから。

 だが。

 全ての歯車は、あの時突然――ガタガタと音を立てて狂い始めたのである。

 ああ、何故、こんなことになってしまったのか。今ではこの広すぎる屋敷には、数人の使用人とアラステアしかいない。一族の者達はみんないなくなってしまった。あれだけ派手に輝いていたシャンデリアや高価なオルガンは、一部は売り払われ、一部は手入れもままならないまま埃をかぶっている始末である。

 もうずっと、パーティを開いていない。

 そんなことができるような状況ではなくなってしまったのだから、当然だ。ああ、あの栄光の日々は、一体何処に行ってしまったのか。


「おい、居るんだろう!ローランド!」


 もっと早く、訪れるべきだった。

 それができなかったのは、ひとえにアラステアが年を取って体力が衰え、ベッドから起き上がれない日々が続いたからに他ならない。これでも杖をついて階段を降りられるようになっただけ、大きく回復した結果なのである。

 幼いあの日よりずっと重たく感じる扉を押し開け、アラステアは叫んだ。もしあの日、この扉を開かなければ。ローランドと出会わなければ。自分は今でも、ささやかな幸せを享受して生きることができていたのだろうか。


「これはどういうことなんだ。何故こんなことになった!説明しろ……頼むから!!」


 絶叫するアラステア。その視界の向こうで、あの日と同じようにゆったりと椅子に座った男が、微笑を浮かべてこちらに身体を向けているのである。


「おや、随分お久しぶりですね、アラステア。お待ちしておりましたよ、貴方様の来訪を」


 あの時とよく似た、台詞を口にして。




 ***




 始まりは、愛する妻のオーガスタが突然姿を消したことだった。

 お茶会を抜け、少しお手洗いに行ってくるわと言った彼女。屋敷から出ていないはずだというのに、それが彼女を見た最後の姿となってしまった。いつまでたっても広間に戻ってこない彼女を心配して、使用人に探させたが。どこのお手洗いにも、それどころか屋敷を隅々まで探しても彼女の姿を見つけることが叶わなかったのである。

 かつてバートン一族に生まれた子供は、アラステアと同じ銀髪に赤い目になるのが通例であった。

 しかしその血がどんどん薄まってきた弊害なのか、アラステアとオーガスタの間に生まれた子供達には一人も銀髪と赤目を揃えた子供はいなかったのである。特に、残念ながら赤い目の子供は一人も生まれなかった。しかしそれは、一族にとってはけして大きな問題ではない。自分と妻によく似た五人の子供達は皆聡明であったし、魔術や錬金術の才にも非常に恵まれていた彼らを二人は心から愛していたからである。

 三十になっても、二十前後と見間違えるほどに美しく可憐な妻。そして恵まれた愛しい子宝。栄華を極めた幸せな一族の歯車は、妻の謎の失踪によって突如として狂わされることになったのである。


――オーガスタ!愛しいオーガスタ!ああ、一体何処へ消えてしまったのだ!?


 妻が浮気をして男と共に逃げたかもしれない――なんてことはまったくといっていいほど考えなかった。相思相愛である自覚があったし、何より自分ほど金を持っていて、妻に贅沢な暮らしを約束できる男が他にいるとも思えなかったからである。妻の日記も見つけたが、この家に対する不満は殆ど何も書かれていなかった。何より、屋敷は常に出入り口を警備兵が見張っていたのである。妻が外に出ていったなら、誰かが目撃したはず。やはりどう考えても、妻は屋敷の中で消えたとしか思えない状況なのだった。

 何か、奇妙で恐ろしいことが起きつつあるのではないか。アラステアの嫌な予感はあっさりと的中した。次には、妻の兄が同じように自宅の中で行方不明になったのだという連絡を受けるに至ったのである。

 さらには、五人の子供達のうち、真ん中の娘が同じように消えた。

 次には、五人の末の息子が。

 さらには、消えた妻の母も、一族で最も優秀と見込まれていた長男も。

 五人の子供達のうち、無事成人するまで生き延びることができたのは、次男と長女の二人だけであった。彼らは早いうちに結婚し、それぞれたくさんの子供を儲けたが。次男の四人の息子達も、長女の五人の兄妹達も、まるで誰かが狙ったかのように次から次へと消息を断つに至るのである。

 繰り返される悲劇に、長女は心の病にかかり、生まれたばかりの乳飲み子を抱いて屋敷の屋上から飛び降りて自殺。使用人数名を巻き込む大惨事を引き起こした。

 次男は気丈にも錬金術師としての役目をアラステアから引き継ごうと奮闘していたものの、彼の五人目の子を妻が妊娠するのと同時に煙のように姿を消してしまうこととなる。

 遠い国では、そのように人が消える事件を“神隠し”と呼んだりするのだという。なんせ、死体も見つからないのだ。神様が自分の国に連れ去ってしまったと思いたくなるのも無理からぬことであろう。


――これはさすがにおかしい。私がやっと気づいた時には、全てが手遅れとなっていたのだ。


 同時進行で、親戚にも同じような不幸が続いていたことが発覚する。特に、オーガスタの方の一族は壊滅的な打撃を被っており、生き残っているのはほとんど彼女の年老いた父と、オーガスタの一番上の姉だけとなっていた。それ以外の者は消えたか死んだか、あるいは一族から籍を抜いてどこかに逃げてしまったという。

 バートン一族も同じような状況に陥っていた。バートンの家は神の怒りを買うような恐ろしい行為に手を染めたのではないか、ゆえに呪いを受けたのではないか。そのような噂が広まってしまっては、気味悪がって一族に近寄る者がいなくなるのも道理だ。

 使用人は次々とやめていった。

 アラステアは消えた妻や息子、孫達を探そうと人を雇って躍起になったが、成果は一切見えず。己が難病を患って錬成が行えなくなったこと、それによる収入が途絶えたにもかかわらず出費が嵩んだこと、そして人が次から次へといなくなったことにより――一時期は栄華を極めたはずの一族は、見る影もなく落ちぶれてしまったのだった。

 もうアラステアには、自分を心配してくれる友も、愛する妻も家族もいない。

 そうなってしまった原因に愚かにも気づいたのは、妻の若い頃の写真を見つめていた時のことだった。鮮やかな金髪に、お気に入りであったピンクのドレス。彼女がいなくなった日に着ていた服装と姿――見覚えがあるという事実に、ようやく思い至ったからである。

 まさか、そんなはずは。

 いや、しかし。

 信じたくない事実を確かめるべく今、アラステアはふらつきながらもローランドの前に立っているのである。何十年も過ぎたにもかかわらず、一向に若々しい姿を保ち続けている、自称守り神の前に。


「り、リンジーの禁術は。けして政府に露見することのない、探されるような心配のない人間をランダムで連れてきて、生贄に捧げるというものであったな?」


 声が、震える。

 気づいてしまった事実、それは。




「お、教えてくれ、ローランド……!私は、最初から……未来の妻や子や……親戚を。生贄に差し出してしまっていたというのか……!?」




 自分が愛した妻、リンジーが。あの日、幼かったアラステアが一番最初に生贄にした女性、その人ではないかという事実だ。

 遠い日の朧げな記憶ゆえ、女性の顔までははっきりと覚えていなかった。そもそも、たくさんの生贄を捧げすぎて、その結果産まれる名誉にばかり目がいきすぎていて全く気づかなかったというのが正しい。

 それでも記憶が正しければ。髪の色とドレスの色は、確かに一致するのである。自分が斧で切り刻み、機械をもってして両腕両足を引きちぎったあの女性と。


「ふふっ……」


 否定して、欲しかった。このような恐ろしいことが、現実にあっていいとも思えなかった。しかし。


「ふふふふ、はははははははは、ははははははははははは!なんだ、やっと気づいたのですか!随分遅かったですねえ!!」


 守り神――否、悪魔は。心底愉快そうに、けらけらと笑い声を上げたのである。


「そもそもアラステア、何故気づかないのでしょう?誰からも探されない、殺しても罪に問われない生贄。そんなものが都合よく存在するはずがないではありませんか。そもそも貴方も錬金術師なら“等価交換”の原則は理解しているはず。何の代償も支払わず、奇跡が起こせると本気で思っていたのですか?」

「そ、そんな、それって」

「“その時代には存在していない人物だから、生贄に捧げても誰もいなくなったことに気づかない”。そして未来から連れてくる生贄は、貴方自身の血族や親しいもので賄われることになる。銀髪赤目の人間が一人もいなかったから気づかなかった?いえいえ、だからといって少し考えればわかったはずでしょう、こんな簡単な可能性など。よほど、栄光に目が眩んでいたのでしょうねえ」

「あ……」




『大丈夫です。この世界に、彼女を探す者は一人もいません。彼女がいなくなったことを知る人間もね。政府に咎められることもなければ、彼女を拉致して殺害したことが罪に問われる心配もないですよ。残念ながらこの方法での召喚は“特定の条件下の相手”をランダムに選んで呼び出すため、時には体重の軽い小さな子供などを呼んでしまうこともあるわけですが。……この女性は背も高いですし、体重50キロは充分にありそうです。良かったですね』




 遠い日に聞いた男の言葉が、リフレインする。

 ローランドの嘲笑に、アラステアはがっくりと膝をつく他なかった。この男が悪魔かもしれないとわかっていて、力を借りることを選んだのは確かに自分である。しかしだからといって、その痛みや代価が“己ではない別の者から強制的に”徴収されているなどと何故予想することができるだろうか。

 もはや、まともに残っているバートンの一族は年老いたアラステア一人。年老いて病に臥せってばかりの自分には、まともに錬金術を行う力も殆ど残されていない。もはや子孫繁栄も望めぬのこの状況では、一族の没落と消滅は免れられない状況にあった。そして自分が死ねば法律に基づきこの屋敷は国に徴収され、地下に遺された多くの秘密が白日の元に晒されることになるのだろう。


――私は、どうすれば良かった?……ああもう、わかっている。あの日、この扉を開けてはならなかったのだ……例え一族路頭に迷うことになったとしても、少なくとも未来の大切な存在を失うことだけは免れられたはずなのだから。


 どれほど力を得た錬金術師や魔術師でも、けしてかなわない望みがこの世にはある。それでも今、アラステアは頭を掻きむしって嗚咽を漏らしながら、その願いを口にせずにはいられないのだ。


――お願いだ、誰か、誰か……時を巻戻しておくれ!あの日、私がこの悪魔に出会ってしまう、その前に!

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肉塊とアラステア はじめアキラ @last_eden

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