<3rd・Rowland>

 リンジーが産みだした恐るべき錬金術とは。生きた人間を、まるまるミライダイト鉱石に変えてしまうという禁術である。

 彼は人間の魂そのものが、どんな無機物にも勝る優れた素材であるという考え方を持っていた。人間を構成するタンパク質などの物質は、そのままでいけばミライダイト鉱石の成分とはかけ離れたものであるのだが。魂を主軸として別の物質と織り交ぜ、変質させることによってミライダイト鉱石と同等の物質として扱うことができるようになるのだそうだ。

 ちなみに大凡50キロというのは平均の問題で、正確には素材にした人間の体重と全く同じ重さのミライダイト鉱石が手に入るということであるらしい。


「で、でも。それって……」


 アラステアは困惑の目で、ローランドと書物を見比べた。

 当然、生きた人間を使うというのは倫理的な問題がある。人が人を殺すというだけで大きな罪に違いないのに、この書物によればただ殺すだけではなく、非常に残酷な殺害方法を取らなければならないというのだ。なんせ、生きた人間を魔方陣を描いた台座に縛り付け、両手両足に切れ込みを入れた上で一気に引きちぎって殺害するというものであるのだから。

 その時溢れた血と、両手両足を失った身体、ちぎれた手足をミンチにし最終的に溶かした鉄などと混ぜて仕上げを行うことにより、人間をまるごとミライダイト鉱石に変えることができるというのである。そのようなおぞましい所業、考えついたついたというだけで常軌を逸しているというものだ。そもそもリンジーがこの方法を編み出したということはすなわち、成功するまでに何人もの生贄を使って血を流していることに他ならないのだから。


――た、確かに今バートン一族は困窮している。このままでは王国直属の錬金術師の任を解かれてしまいかねない。でも、でも……!


 果たして、ここまでの悪魔の所業を行ってもいいものか。いくら、歴史ある一族が路頭に迷う瀬戸際であるからといって。


――それに。生きた人間を攫って素材にするような真似をすれば、すぐに犯行は露呈する。戸籍もないような下層階級の人間を素材にしたとしても、浚って罪にならないなんてことはない。そもそも、大量失踪事件が起きればいくら貧民達の事件に出足が鈍い警察でもいずれは動く。この誇り高い一族に、犯罪者の汚名を着せるわけには……!


 一族のためには何でもする覚悟があったつもりだが、それでもアラステアも一般レベルの倫理観や常識は持ち合わせているつもりだった。死刑囚を攫って生贄にするというのであればいくらか罪悪感も薄まるが。だからといって、通常の処刑方法とはかけ離れた、残酷すぎる儀式の生贄に使うなどということ、いくらなんでも許可が降りるとは思えない。

 そもそも今の国王陛下は、軍事力の強化に非常に積極的である反面、世間体を非常に気にするタイプである。ミライダイト鉱石を大量に使った軍事力強化に熱心であるのも、そもそも他国の脅威を感じたからというより、他国の脅威を恐れた国民世論が“もっと国の防衛力を高めなければ不安だ”と訴えてきたのを反映したためというのが大きいのだ。横暴な一面もある反面、国民からの求心力が下がることを非常に恐れるのが今の国王の器である。万が一国民にバレた時、信頼を大きく失うような行為に果たして国王が金と許しを出すのかどうか。

 もっと言えば。万が一の時は、全ての罪をバートン一族になすりつけて自分は知らぬ存ぜぬを貫き通しそうな嫌な予感さえするのである。――やはり、このようなやり方、国の許可の上で行えるとも思えない。どうしてもやるなら国にバレないようにこっそりとやるしかないが、しかし失踪しても問題にならないような人間なんてそうそうはいないわけで――。


「お悩みのようですねえ」


 ローランドはくすくすと笑いながら言う。


「確かに、人間には柵が多いですものね。人が人を殺すのは、昔から最大の禁忌とされています。階級制度が少々そのハードルを下げる傾向にありますが、それでも平時に人が人を殺してまったくの無罪になるということはないでしょう。……戦争などの多くの争いで、一般的な殺人事件などより遥かに多くの人間を傷つけ、死に至らしめ、そのつど戦争を理由に無罪放免となることも少なくないのに矛盾していると思いますがね」

「そりゃ……戦争は、そういうものだからでしょう?僕だって、戦争が良いことだとは思っていないけれど。殺さなければ殺されるという状況で殺人を犯すのはどうしようもないことじゃないか。それで、平時の殺人と同じように扱われたらたまったもんじゃないよ。兵士の人達はみんなそう思ってるさ」

「そういうことですよ、アラステア」

「?」

「おや、わかりませんか?」


 彼はそっとアラステアの傍に寄り、肩に優しくてを置いた。そして。


「その理屈で行くとね。私はどうも……既に“今”がこの一族にとっての平時とは思えないんですよ」


 耳元で、囁く。高すぎず低すぎず、穏やかで甘い青年の声色で。


「言ったでしょう?私は、この一族を長いこと見守ってきたのだと。……このまま、バートン一族が滅びていく様を見るのは非常に忍びないのです。確かに人が人を殺すのは罪とされていますが……貴方もわかっているのでしょう?それは“時と場合によりけり”であり“殺さなければ殺される”場合は例外であると。この秘術を実行してミライダイト鉱石を国王陛下に供出できなければ一族は終わりです。それは“平時”ではなく“非常時”と考えても良いのではないですか?」

「で、でも……」


 彼の言葉は、甘言だった。確かに、現状他にミライダイト鉱石を錬成する方法があるわけではない。もう一ヶ月を切っているこの状況で、父がこれ以上に真っ当な方法を思いつけるとも思っていないからこそアラステアも禁断の地下室に踏み込むことを選んだのである。

 それでも、アラステアにまだ迷いがあるのは。人を大量に誘拐して、発覚しない方法というものもまた思いつかないからであるわけで。


「貴方の危惧はわかっていますが。その問題もクリアできるのです。1ページ後ろをご覧ください」


 ローランドはアラステアの迷いを見抜いたかのように、ページを捲るよう促す。そこには、リンジーが同じく考え出したと思しきもう一つの秘術について書かれていた。

 それは、絶対に行方不明であることが発覚しない、リスクのない生贄をランダムで召喚する方法である。複雑な魔方陣と翡翠の粉、大理石の粉を使って、遠い遠い場所からリスクのない生贄を呼び出すことができるというのだ。


「にわかには信じがたいですか?……では、最初ですから生贄を呼び出す儀式の方は私が行ってみせましょう」


 そんなことができるわけがない。疑うアラステアの前で、ローランドは手早く準備を始めてしまった。まだこのやり方でミライダイト鉱石を作り出す覚悟ができたわけでもないというのに。

 多分、ローランドにはもっとずっと前からアラステアが此処を訪れることがわかっていて、そのために必要な術も道具も粗方揃えてあったということなのだろう。閉じ込められていたはずなのに、外部から最新の電灯を取り寄せて取り替えるなんてことができるような化物である。ある程度過去を知り、未来を予測できてもおかしくはあるまい。この人物が守り神というのが本当かどうかはわからないが、既に人外であることに関してはアラステアも疑う余地がないと思っていた。

 どうやらこの書庫には、奥にもう一つ部屋があったらしい。本棚をどけると、古びた木製のドアが現れた。何があるのかと思いきや、なんとそちらには巨大な機械の上に乗り、魔方陣を描いた丸テーブルが用意されているではないか。

 丸テーブルには、四ヶ所縄で手足を固定できるロープと棒が設置されている。

 生贄の両手両足を固定して、機械のスイッチを入れることにより、ひとりでに生贄の身体を引きちぎってくれる装置であることは明白だった。リンジーの時代からこのような機械があったとは思えないので、これもローランドが自分達のために事前に用意していたということなのだろうか。


「召喚と、生贄を捧げる儀式は別室で行います。魔方陣も必要な魔法の粉の成分も違うので、同じテーブルではできないのですよ」

「た、確かに」

「生贄を捧げる儀式の方は、血も汚物も飛び散ることになりますからね。本が汚れてしまっては困りますし。……こちらで生贄を召喚して、その生贄をそのまま隣室に運ぶという流れになります。ああ、生贄は眠った状態で呼び出されますから、抵抗される心配もなく隣室へ運ぶことができますよ」


 まるで、過去にも同じ術を試したことがあると言わんばかりである。ということはまさか本当に、この人物はリンジーが生きていた時代から存在しているとでもいうのだろうか。顔の半分は帽子で隠れて見えないとはいえ、声も肌も若々しい青年のそれとしか思えないほどハリがあるというのに。

 ローランドの“準備”は、数十分もかかるということがなかった。彼はまず生贄を召喚する儀式台(最初にアラステアが見つけた長方形のテーブルのことだ)の前に立つと、合成した粉を台座の上に振りかけながら呪文を唱える。本に書かれていた呪文はまるでミミズが這ったような奇妙な文字で、そこに強引にアルファベットでルビがふられていた。到底人間の言葉とは思えない、奇妙な発音の言葉である。遠い国の言葉であるのか、それともリンジーが独自に作った言語であるのかどちらなのだろう。


――行方不明になっても、絶対政府にバレない生贄?……そんなものがいるのか?外国から連れてくる、とか?


 半信半疑で儀式台を見つめるアラステア。しかし、すぐに疑念は吹き飛ぶことになる。魔方陣の上に置かれた青い粉がキラキラと発光し、ふわりと浮かび上がって人の形になり――眩い閃光の後、人の姿へと変わってしまったのだから。


「う、嘘……!?」


 思わず呟いてしまった。長方形の台座の上にぐったりと横たわっていたのは、見慣れない鮮やかなピンクのドレスを着た、お姫様のように可愛らしい女性であったのだから。年は、二十歳くらいところか――いや女性の年齢はわかりづらいから、もう少し年がいっているかもしれない。金髪の女性は、まるでベッドの上にでもいるかのように、すよすよと寝息を立てているのである。


「さて、彼女が目を覚ます前に、隣室に運んでしまいましょう」

「ま、待って。彼女、本当に……」

「大丈夫です。この世界に、彼女を探す者は一人もいません。彼女がいなくなったことを知る人間もね。政府に咎められることもなければ、彼女を拉致して殺害したことが罪に問われる心配もないですよ。残念ながらこの方法での召喚は“特定の条件下の相手”をランダムに選んで呼び出すため、時には体重の軽い小さな子供などを呼んでしまうこともあるわけですが。……この女性は小柄ではないですし、体重50キロは充分にありそうです。良かったですね」


 信じて、いいのだろうか。そうは思いながらもアラステアは、じわじわと己の逃げ道が塞がれていることに気づきつつあった。

 もはやそこから、人の道へと戻りたいという気持ちが薄れつつあることも。


――この人を殺しても、罪に問われない。……罪もないこの人には申し訳ないし、可哀想だとは思うけど……でも。


 これが、一族を救う唯一の方法であるならば。

 それを成し遂げるのは、次期当主たる自分の役目ではないか。


「運びましょう、アラステア。大丈夫、私が手伝いますから、ね?」

「……わ、わかった」


 アラステアは頷いたのである。自らの良心と次期当主としての使命感を、天秤に賭けた上で。

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