<2nd・Lindsey>

 ローランドという男は、一件するとアス王国でも洗練された、いわば上級貴族の一員であるかのような上品な佇まいだった。鍔の広い黒い帽子も同じ色のスーツもピカピカで、なかなか値の張る代物に見える。靴も丁寧に磨き上げられているようだった。

 ただし、帽子を目深にかぶりすぎていて前が見えているのが不思議なほどであるし、挨拶の時さえ帽子を外さないのはどうかとアラステアは思ったわけだが。


「私はこの書庫を守るため、何十年もの間この書庫の中で過ごしていたのです。寂しかったですよ、まさか貴方の曾祖父様を最後に、この書庫を誰も訪れなくなってしまうとは露ほども思いませんでしたから」

「そりゃだって、此処には当主以外誰も訪れるなって聞いてたんだから当然だよ。当主になった後だって、どうしても必要じゃないなら此処に踏み入らないっていうのが暗黙の了解になっていたっていうし」

「淋しいことを仰る。せめて掃除くらいしてくださってもいいのに。結局、何十年も私一人で頑張るハメになったんですよ?電灯まで最新のものにこっそり取り替えたんですから、褒めていただきたいものです」

「それはその……ご苦労様だけども」


 やっぱりこの人が掃除していたのか、と少しだけ同情した。同時に、守り神というからには書庫の外にも自由に出入りすることができてもおかしくはない。電灯が最新のものになっていたのもそういうことなのだろう、と割り切ることにした。守り神様とやらがせっせと書庫に閉じこもり、掃除と整理整頓をやってくれていたと思うとなんだかおかしな気持ちにもなるが。


「掃除をしたら、うっかり危険な書物を見てしまうのが人間の性だから。仕方なく放置していたんじゃないかな。僕だって、本当はこんなところに来たくはなかったし」


 これは、嘘だった。

 幼い頃に一度、こっそり此処に忍び込んで大目玉を食らったことがあるのである。バートン家はアス王国お抱えの錬金術師の一族であると同時に、伯爵という高い貴族階級も持ち合わせている。少し町から外れたところに屋敷は建っているが、時折同じ階級の子供達を招いて遊んだり、ちょっとしたお茶会を開くことはままあることなのだ。奥様方がお茶会という名の無駄話をしている間、子供達は当然のごとく暇を弄ぶことになる。広い庭と屋敷を使ってのかくれんぼが頻発するのも、当然の帰結であると言って過言でないだろう。

 七歳くらいの時だ。地下のワイン蔵に逃げ込むつもりが、間違えてこの書庫の方の階段を降りてしまったのである。此処は暗いし、他の子供達も怖がって近づいてこない。途中で間違いに気づいたが、中に入らなければ叱られることもないだろうと、階段を降りた扉の前でじっと息をひそめていたのである。

 結論を言えば、かくれんぼには勝った。友人達は誰も、こちらの階段を降りてアラステアを探しに来るということはしなかったためである。しかし、埃まみれになっていたアラステアはすぐ母に見つかり、厳しい叱責を受けたあと父の前に引き出されて大目玉を喰らうことになったのだった。中には入ってない、扉の前に行っただけだと弁明しても聞き入れて貰えなかった。

 そう、あの時父はなんと言ったのだろうか。


『あの場所には、悪魔とも呼ばれた恐ろしい禁術の数々が眠っている!それこそ、一族全てを滅ぼす可能性のあるような術も、本を読んだだけで悪魔に魅入られてしまうようなものも存在しているのだ。まかり間違ってもあの階段を降りるな、中に入るのは勿論扉に近づくこともあってはならん!今度同じことをしてみろ、アラステア!お前の髪の毛を全部ひっこぬいて、丸坊主にしてやるからな!!』


 冗談じゃない、と幼心に思ったものだ。誇り高きバートン一族の証である銀髪を全部丸刈りにされてしまうなんて、考えるだけでぞっとしてしまう。

 以来、アラステアはこの場所に絶対近づかないようにしていたし、近年までこの書庫の存在さえも忘れていたほどであったのである。そう、今回の国王の無茶な命令さえなければ、自分とてこの当主になった後も言いつけを守り、この書庫に踏み入れることなどしなかったことだろう。

 裏を返せばそれほどまでに、現在のバートン一族が困窮しているということであるのだが。


――読んだだけで悪魔に魅入られる書物、か。悪魔なんて、本当にいるのかな。


 ローランドに連れられて書庫の奥へと歩を進めながら、周囲に綺麗に並べられた本棚を見回す。凄まじい数の本の群れだ。そんな本が本当にあったところで、見つけることは困難極まりないだろう。

 有難いことに、ローランドは非常にマメな人物であったらしい。ざっと見ただけでも、本が綺麗にアルファベット順に並んでいることが分かる。アルファベットで記述されていない本もそれはそれで、ひとまとめにして探しやすくしてあるようだった。尤も、チャイナント皇国のように“カンジ”を使うような言語の国の言葉を、自分が理解できるとも到底思えなかったが。


「こちらへどうぞ」


 案内されたのは、書庫の奥の広いスペースだ。どうやら本をゆっくり閲覧できるように丸テーブルと椅子が二つ、綺麗に掃除された状態で容易されているらしい。床には赤くふかふかのカーペットが敷かれていて、存外居心地が良さそうな空間になってしまっている。

 おまけに、そのさらに奥には長机にビーカー、フラスコ、流し台が設置されたスペースまである。この書庫で見つけた本の内容を、この場ですぐに実践出来るようにお膳立てされているらしい。元々あったのか、ローランドが用意しておいたのかは定かでないが。


――よく見ると、一部鉱石が保管されている棚もあるっぽい。……書庫って一体?


 まるで、今この場で禁術を試せと言わんばかりに何もかもが揃い過ぎている。ここまで露骨だといっそ清々しいほどだ。こいつこそ守り神じゃなくて悪魔か何かではないのか――そう思いつつもローランドに従って椅子に座ったのは、悪魔だろうと何だろうと縋るしかない状況であったからに他ならない。

 多少リスクがあったとしても。多少それが人の道を外れることであったとしても。今は、バートン一族のため、出来ることは全て試さなければいけない時である。

 アラステアの覚悟を悟っているのか、ローランドは“少し待っていてくださいね”と言うと、近くの書架から一冊の本を取り出してきた。あちこちカビていて、本の赤い表紙もあちこち虫に食われたような跡が残っている。古いどころではなく古いその裏表紙に、見慣れたサインを見つけてアラステアは驚いた。

 Lindsey=Burton――リンジーという名前を持っていた当主は歴代に一人。バートン家の始祖であり全ての錬金術の祖、初代当主のリンジー=バートンである。


――そういえば、父上が言っていた。バートン一族の力は、嘆かわしいことに年々弱くなっていっている。かつては魔力が強い貴族の家からのみ妻を娶っていたが、近年は魔術師や錬金術師の家系と婚姻を結ぶことが難しくなり、力を持たない者達の血を一族に入れるようになってしまったからだと。


 魔力とは、掛け算なのだと父は言っていた。強い魔力を持つ夫と妻の力が掛け合わされることにより、より強い魔力を持つ子孫を残していける仕組みであるという。

 ところが、もし妻の家の魔力がほぼ皆無なら、魔力の掛け算は増えるどころかマイナスになりかねない。ゼロを掛け合わせてしまえば、当然引き継がれる魔力も殆どゼロになってしまうからだ。

 それでも、代々伝わる“生まれ持った魔力を増強し、解放する秘術”を行い続けることにより、どうにかバートン一族の血と魔力を繋いでいくということをしていたらしい。それでも力の衰えはどうしようもなく、昔ならば行えた筈の数多くの奇跡が起こせなくなってしまったのが今のバートン一族であるというのだ。

 歴代最強の錬金術師でありながら、魔術師としても高い才能を持っていたリンジー=バートン。しかし強い才能と魔力を持つがゆえ、ややその性格は破綻気味であり、妻や子供達を振り回すことが少なくなかったという。この書庫も、元はといえばそのリンジー=バートンが人の道を外れることも厭わず危険な研究を繰り返したことから、その恐ろしい術を封じるためにできたのが始まりとされているのだ。

 この書庫の書物は年々増えていったが、半分以上がそのリンジーが産みだした秘術であるとされている。

 祖父はどのようなものがあるか、曽祖父に話だけ聞いていたらしいが。アラステアには、ただ一言言うだけに留まっていた。


『リンジーは悪魔に魂を売っていた、私には分かる』


 そのリンジーが記したという、錬金術書。

 興味がないと言えば、嘘になる。


「ミライダイト鉱石を、金剛石を用いずに錬成する方法が知りたい。そうでしたね?」

「あ、うん……」


 本当に、ローランドは自分達の事情を全て理解しているのか。アラステアはおずおずと頷いた。


「いくつか錬成するレシピはあったんだけど……カクレ石がほとんど山から取れなくなってしまった今、金剛石が唯一安全に、安定してミライダイト鉱石を錬成する要石として使える石だったんだ。ところが王様ときたら、金剛石は宝飾品として高く売れるからって、ミライダイト鉱石の錬成に使うななんていうんだよ。もう三週間。あと三週間のうちに、ミライダイト鉱石を作る新しいレシピを考えないといけない……金剛石以外を用いて。でも、父上はそれが見つけられず、すっかり頭を悩ませてしまっているんだ」


 このままでは、我が一族は王国専属錬金術師の職を解かれ、路頭に迷ってしまうことになる。錬金術の研究は非常にお金がかかるのだ。国の援助なくしては仕事にならないし、そもそも自分達に仕事を下ろしてきていたのが国である。彼らに見捨てられてしまえば、バートン一族は没落以外に道はなくなってしまう。


「そういうことだと思って。ミライダイト鉱石を安全に、大量に作ることのできるレシピを記した錬金術書……私の方で探しておきましたよ」


 彼は口元に穏やかな笑みを浮かべつつ、リンジーのサインが入った書物をぱらぱらと広げて見せた。中にはぐねぐねに連なった走り書きの文字がびっしりと書き込まれている。どうやらリンジーという人物は、あまり字が綺麗ではなかったらしい。


「ここです。P153。どうやら、過去にも同じように王様から無理難題を言われて困らされたことがあったようですね。その時の状況と共に、とっさに考え出した素晴らしいレシピがここに記されていますよ。これならば、一度の錬成で大凡50キロものミライダイト鉱石を作ることができます」

「ご、50キロ!?」

「基本的な戦車を一台動かすのに必要なミライダイトは約10グラム程度ですから……50キロあれば、五千台の戦車分に相当します。素晴らしいですねえ」


 ぐねぐねしたリンジーの文字の解読には少々骨が折れたが、それでも全く読めないわけではない。アラステアは食い入るように示されたページを見つめ――次第に、全身の血の気が引いてくるのを感じていた。

 気づいたからだ。何故この本が、禁術書としてこの書庫にしまわれてしまっていたのかということを。


「これ……まさか……」


 アラステアは、ゆっくりと顔を上げた。


「ミライダイト鉱石の原材料に……生きた人間を使うってことなのか……!?」

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