肉塊とアラステア
はじめアキラ
<1st・Norman>
「バートン家、お前達には失望している」
偉大なる国王陛下から、バートン一族に半ば死刑宣告にも等しい言葉が告げられたのは、つい一週間前のことである。
「お前達は長年我が国に仕えた、錬金術師としての名家であったが……ここのところの成果は何だ。自分達でもわかっているであろう?我らが兵器を動かすために必要なミライダイト鉱石。お前達錬金術師が錬成しなければ、我が国の軍事力は先細る一方だというのに」
バートン一族が使えるアス王国は、現在軍事力増強に大きく力を入れている。近隣諸国がこぞって戦争を始め、領地を広げるようになり、危機感を強めているためだった。
特にキノウリア帝国の勢いは凄まじい。このままでは、大陸全土を制覇してしまうのではないか、と周辺諸国は戦々恐々としている状態だ。アス国王が不安を抱き、錬金術師達にハッパをかけるのも仕方のないことではあるだろう。なんせ、この世界の兵器は全て、ある特別な鉱石を核にしなければ動かすこともままならないのである。その鉱石は、鉱山からせっせと掘り起こしてくるか、あるいはお抱えの錬金術師達が錬成することでしか産みだすことができないのだった。
最大の問題は、そのミライダイト鉱石が掘れる鉱山の大半を、よりにもよってキノウリア帝国にほとんど抑えられてしまっているということである。キノウリア帝国以外の国々の殆どが現状、軍事力増強のために錬金術師達に頼るしかない状況にあるのだ。
バートン一族も、そうして国王陛下に仕えてきた錬金術師の一族のうちの一つ。問題は、ここ近年ミライダイト鉱石を産みだす錬成に、バートン一族がほとんど成功していないということだった。
「一ヶ月だ。一ヶ月以内に、なんとしてでも新しい研究成果を示せ。現在国内にある“使える”材料のみで、ミライダイト鉱石を錬成する方法を見つけ出すのだ。私はいつまでも役立たずに給料を出すほど、お人好しの国王ではないぞ……!」
そのようなことを言われたとて、たった一ヶ月で答えを見つけることができるのなら誰も苦労しないのである。
アラステア=バートンの父であり、バートン一族の当主である彼は、国王に厳しく叱咤されて意気消沈してしまった。書斎にこもったまま心を病んでしまった父を、十三歳のアラステアは苦い気持ちで見つめるしかない。
アラステアは己が勤勉で、この一族の使命に歴代当主達にも負けないほど誇りを持っているという自負があった。いずれバートン家唯一の男子として父の後を継いで、バートン一族にさらなる繁栄を齎すことこそ自分の己の最大の使命と信じて生きてきたのである。それがまさか、自分が当主になるよりも前に、このような危機が一族に訪れようとは。百五十三代も続いた一族を、このようなところで耐えさせるようなことなどあってはならない。父にはなんとしても、国王の期待に応える成果を見つけて貰わなければならなかった。
だが、一週間もの間、父は書斎に閉じこもって呻くばかりで、ほとんど研究を進められている気配がないのである。
無理もないことではあった。そもそも、ミライダイト鉱石を人工的に作り出すことがどれほど至難の技であり、歴代のバートン当主達がどれほど苦心してきたかは言うまでもないことなのである。
鉱山に行って鉱石を掘るのは危険が伴うが、それでも確実な方法であることに違いはなかった。その確実な方法が使えなくなってしまったのは、ひとえにアス王国が帝国を侮り、みすみす鉱山を敵国に明け渡してしまったからに他ならない。その尻拭いをするため、父も祖父も血眼になって錬金術による錬成を試してきたのである。鉄鉱石、翡翠、金剛石、石灰岩。様々な意思を魔術で溶かして混ぜ込み、秘術を持ってしてミライダイト鉱石に変える。それが可能なのは長年秘術を受け継いだ、錬金術師と呼ばれる一族のみであるのだった。
問題は。その“代替素材”でさえ、近年は不足してきているということだ。
今まではどうにか苦労に苦労を重ねてミライダイト鉱石を、少量ずつとはいえ王国に提供できていたのだが。ここ最近は金剛石の価値が上がってしまったせいで、それも叶わなくなりつつあった。金剛石に、宝飾品としての価値を見出す王族貴族が増えてしまい、石を錬成の要として使うことが殆どできなくなってしまったのである。
代わりの素材を探し続けるも、見つけることができないまま過ぎてしまった数年間。国王からせっつかれて今、バートン一族は崖っぷちまで追い込まれている状況だった。早くミライダイト鉱石を作れと追い詰めるくせに、国王陛下ときたらもう金剛石は使うなとも命令してきている始末なのである。一体どうすればいいのか、と父は長年背負ってきたバートン一族の歴史と責任に押しつぶされそうになっているところなのだろう。
――僕が、なんとかしなければ。
アラステアは奮起した。この家を守るために、自分に出来ることは何でもするという覚悟があった。そのためには、管理が行き届いておらず、危険な書物が山ほど眠っているとされて封印されていた――屋敷の地下書庫に足を踏み入れることも厭わないと思うほどに。
百五十三代続いたバートン一族を支えたのは、長年当主達が堅実に積み上げてきた秘術の知識があったからに他ならなかった。
魔力を使って王国を支える仕事は数多く存在する昨今。中でも、錬金術師という仕事は魔術師や幻術士より長くこの国に存在し、繁栄を助けてきた誇り高い職業である。多くの鉱石の性質を変えることにより、毒を薬に変え、価値のない石を宝石に変え、あらゆる兵器の原動力となるミライダイト鉱石を作り出すという偉業を成し遂げてきたのだ。
それは歴代のバートン一族の当主達が、皆々揃って研究熱心であり、その知識を代々子孫に引き継いで来たからに他ならなかった。錬金術師は魔法使いであると同時に、血と涙と努力を積み重ねる研究者でもある。ただ、そうして長年研究を重ねれば必然的に、“本来人は知りえない方が良いこと”までその知識欲の手を伸ばしてしまうことも多々あるわけなのだ。死者を蘇らせる方法や、私利私欲のために人をバレないように殺す方法、などがそれに当たるとされている。
そういった禁じられた研究は全て地下の書庫に保管され、当主以外がけして立ち入ることがないようにと厳重に封印を施されてきたのだった。当然、アラステアも父から、自分が当主になるまでは絶対に入るなと言われている。それは危険な書物が多いからもあるが、ろくに掃除もされていないし管理もされていないので、部屋そのものが倒壊したり不衛生だからというのもあるらしい。実際、アラステアが地下の階段を降りた時、その扉は固く南京錠がかけられ、酷く錆び付いた有様となっていたのだった。
――……父上。確かに、触れてはならぬ禁断の書庫であるのはわかりますが。だからといって、掃除もしないというのはどうなのでしょう?
真っ黒な扉の前に立ったアラステアは、手に持った鍵がまったくの無駄であったことを悟った。錆びた南京錠は鍵を開けるまでもなく、錆び付いて今にも外れそうになっていたからだ。
――禁断とはいえ、此処もまた長年の当主様が丁寧に積み重ねてきた知の泉であることは間違いなく……大切に保管すべきと思ったからこそ、こうして存在しているはずだというのに。不衛生なままにしておく方が、御祖父様方へ失礼にあたるのではないでしょうか。
確かに、人間は掃除をしようとすると、その場にある本をついつい読んでしまうイキモノではある。読むことさえも危ないとされるような書物の類ならば、掃除という名目であっても近づかないのが無難であるという考え方は理解できなくもないが。
階段に降り積もった砂をブーツで払いながら、アラステアは南京錠へと手を触れた。瞬間、まるでアラステアが触るのを待っていたかのように、錆びてボロボロになった南京錠は外れてぽろりと床に落下してしまう。これは自分が壊してしまったことにはならないだろう、とため息をついて、ゆっくりと扉に手をかけた。
黒い鉄扉は重厚な存在感を放っている。まだ幼い自分の腕力で押し開けられなかったらどうしようと思ったが、幸いにして見た目ほど重たい扉ではなかった。ゴゴゴゴ、と重たい音を立てて開いていく扉。限界まで扉を開いたところで――アラステアは中の異常に目を見開くことになるのである。
この禁断の英知を詰め込んだ書庫は、父どころか祖父の代でさえ一度も踏み入っていないと聞いている。南京錠が取り替えられる気配もなく放置されていたことから察するに、書庫へ近づくことさえしなかったと考えるのが正解だろう。つまり、何十年分の埃と砂が、この石造りの書庫には大量に溜め込まれて然るべきであるはずなのだった。残っている本や本棚も虫食いだらけになっていて、読める本は殆ど残っていないかもしれない――それくらいの状態をアラステアは覚悟していたのである。実際、大量の砂が積もった階段は、ここ数年誰も降りていないことを証明していた。
それなのに。
「な、何故……!?」
アラステアは絶句した。何故、誰も管理していないはずの書庫に、煌々と灯りが灯っているのだろう。明るく白い電灯が書庫の内部を照らし、アンティーク調のお洒落な本棚は中の本も含めて綺麗に整頓されている。まるで、近年誰かが天井の灯りを古いランプから電灯に替え、本棚をきちんと整頓して管理し続けていたような有様だ。
そんなはずがないというのに。
なんせこの書庫の入口は、壊れかけとはいえ南京錠で封鎖されていた。階段も砂が降り積もり、誰の足跡も残っていなかったというのに――。
「おやおや、可愛いおぼっちゃんですねえ」
「!」
書庫の奥から、唐突に声が響いた。ぎょっとしてそちらを見たアラステアの目に、コツコツと革靴を鳴らして歩み寄ってくる黒服の人物が映ることになる。
黒いスーツを着、黒い帽子を目深に被った人物。その耳からは、金色のピアスがじゃらじゃらとぶら下がり、歩くたびにキラキラと人工的な光を反射して音を鳴らしている。
何故封印されていた禁断の書庫に、人間がいるのだろう。声も出ないアラステアを、男(多分)はしげしげと見つめて言った。
「ふうん、なるほどなるほど。年の功は十三歳といったところ……そしてバートン一族特有の、銀髪に赤い目。貴方が百五十三代バートン家当主、ノーマン・バートン氏の長男であるアラステア・バートン君ですか」
「!……ぼ、僕のことを知っているのか!?」
「勿論知っていますとも。私は、このバートン一族を長年に渡り見守ってきた存在でございますから。それともまさか、この封じられた書庫を守っていたこの私が、ただの人間などと思ってはおりますまい?」
「!!」
まさか、とあっけにとられるアラステア。男は帽子も取らずに深々とお辞儀をすると、初めまして、と慇懃に挨拶をしてきたのだった。
「私こそ、この書庫とバートン家の守り神……ローランド、とでもお呼びください。バートン一族の最大の危機であること、聞き及んでおります。貴方様の来訪、お待ちしておりました」
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