第5話 騎士と、灰色との出会い
「君が救国の騎士、ルーク・ウェルフォード?」
それはまだ『救国の騎士』と呼ばれるようになってから日も浅い頃。
呼び止められたルークは笑顔で振り返り、しかし驚きに固まった。
男は灰色の外套を靡かせながら、宙に浮いていたのだ。
*
「あの時の俺はよく悲鳴をあげなかったなと、今思い返しても思うよ」
王都へと帰る道。
団員たちと共に歩きながら、ルークは思い出を語り始める。
触れてはいけない話のように扱われるのも、違う気がしたからだ。
「そんな面白い話でも、為になる話でもない。雑談と思ってくれ」
「わかりました」
「それで、グレイさんは何をしてきたんですか?」
続きをせがまれて、ルークは頬を掻く。
「そうだな、あいつは……」
これはただの、二人の日常の始まりの話。
*
「じゃあ、君が騎士の中の騎士ってことで、いいよね?」
男は片側の口端を上げると、右手を天に向かって掲げた。
「騎士様っていうものがどれくらい強いのか、僕に見せてよ」
男の掲げた右手が、ルークを指し示すように振り下ろされる。
「くっ!?」
その勢いは、突風となってルークを襲う。
ルークは一旦距離を取ろうと、後ろへと飛び退く。
「遅いよ」
しかし、そんなルークを超えたスピードで男はルークの懐へ入る。
男はルークの鳩尾へ拳を叩き込む。
「がはっ」
その衝撃で、ルークの体が吹き飛ばされた。
なんとか体勢こそ崩さなかったが、ルークの足は悲鳴を上げていた。
「へぇ、やるじゃん」
男は、ぷっと口に溜まった血を吐き出す。
ルークは、吹き飛ばされる直前に男の左頬へ拳を入れていた。
「楽しくなってきた」
男の伏せがちだった目が、大きく開かれる。
真っ赤な瞳は、喜びを糧に激しく燃える炎にも見えた。
ルークは、腰に佩いていた剣を抜き取り、地面を蹴る。
男との距離を縮め、剣を振りあげようとする。
しかし、剣は何かに引っ掛かり、動きを止めた。
「ふふ、残念」
ルークが足元をちらりと見ると、幾本もの草の蔓が石畳を退かして天に向かって生えていた。
それらが、ルークの剣の邪魔をしたのだ。
男は、楽しそうに笑っている。
「どう? ご自慢の剣を封じられた気分は」
「いや、この程度じゃ封じられた内には入らないさ」
そう言うとルークは、思い切り剣を振り上げる。
剣に巻きついていた蔓は、ぶちぶちと引き千切られ、無残に地面に落ちていった。
「あはは、馬鹿力だ」
男が楽しそうに笑うと、蔓が鞭のようにルークへ襲いかかる。
襲ってくる蔓を、片っ端から切り落としていく。
しかし幾ら切っても、新しい蔓が地面の下からボコボコと生えてくる。
キリがないな。
ルークがそう思うのと同時だった。
「う、うわあああああっ!」
「きゃああああっ!」
周囲から、悲鳴が聞こえた。
いつの間にか、人だかりが出来ていた。
これだけ騒いでいたらそれも当然か。
早く終わらせようと、ルークが柄を握る手に力を入れ直した時だった。
人だかりから聞こえてくる声が、鮮明に耳に入ってきた。
「灰色の髪に、赤い瞳……」
「あれって、おとぎ話に出てくる……」
「千年前、国を滅ぼしたっていう?」
「悪い魔法使い、グレイ……」
それは、ルークもよく知るおとぎ話だった。
小さいころ、何度も聞かされた悪い魔法使いのおとぎ話。
「魔法使いグレイ……実在するのか?」
ルークは、訝しげに男を見上げる。
「ふふ、そうだよ。僕が、グレイだ」
魔法使いは、にこりと笑った。
「ああ、魔法使いは実在したんだ……」
「この国はもう終わりだ……」
老人たちが、頭を抱えてうずくまる姿が見えた。
――……悪い魔法使いグレイに、食べられてしまうから。
それでも。
ルークは、剣を持つ手に力を入れた。
「大丈夫だ!」
頭を抱える老人たちに聞こえるように。
「この国は、絶対に滅びない」
怯えている群衆全員に聞こえるように。
「王と、俺たち騎士が、いる限り……!」
――……それは、誓いだ。
ルークが騎士になった時に。
王から剣を賜った時に。
自分には不釣り合いで重すぎる、しかし期待の込められた称号を戴いた時に。
この国とそこに住む数多の民たちを。
守ってみせると、そう誓った。
「ふぅん、悪い魔法使いから皆を守ってあげるんだ。優しいね」
「ああ。騎士だからな」
「そう」
グレイは、左の手のひらをひらりと上に向ける。
「本当に、守り切れるかな」
轟々と強い風がグレイの手のひらへと集まって、球体を描いていく。
あちこちから集まってきた風は、人を飲み込むほどの大きさへと成長していく。
「当たったら、バラバラになっちゃうかもね」
グレイの手が、ルークの方へ向けられる。
その指し示す方へと巨大な風の塊が、飛んできた。
「はああっ!」
剣を振りかざしたルークは、向かってきた塊を叩き割るように剣を振り下ろす。
塊は見事真っ二つに分かれ、ルークの横の石畳を削っていった。
「うわぁぁっ」
「きゃあっ」
しかし、跳ね上がった石畳の欠片が、群衆に飛び掛かる。
「ほら、気を付けないと大切な皆が怪我しちゃうよ」
グレイは、背後に無数の小さな風の塊を作りだす。
それは作られる度に、次々にルークへと飛んでくる。
ルークは向かってきた塊を、片っ端から切り捨てる。
しかし分かれた風は周囲の石畳を削り、家屋や店を削り、欠片や残った風圧が群衆を襲った。
「守ってみせなよ、騎士様なんだろ」
グレイが、楽しそうに笑っている。
風の塊がまた生み出され、ルークへと飛んでくる。
それを切り捨てれば、また新しい風の塊が飛んでくる。
周りからの悲鳴は、途絶えない。
どうやって切り抜けようか。
ルークが懸命に考えている、そんな時だった。
それは、いくつも投げられた風の塊の一つだった。
しかしその風の塊は切り捨てられることなく、剣の上を滑っていった。
切られることのなかった塊は、群衆の方へと飛んでいく。
その先には、小さな子どもが立っていた。
「危ない……!」
隣に立っていた母親が、子どもを庇うように抱き込む。
誰もが顔を逸らし、目を瞑った。
「ぐあっ」
しかし、あがった呻き声は親子のものではなかった。
母親がそうっと目を開けると、親子に被さるルークが見えた。
「はは、間に合って良かった」
なんとか風の塊と親子の間に滑り込んだルークが、二人に微笑みかけた。
「ちっとも良くないよ」
いつの間にか移動していたグレイが、ルークの肩を横から蹴り飛ばす。
「っ、ぐ……」
倒れ込んだルークの背中は、風に切り刻まれて無茶苦茶だ。
母親は子どもがその傷を見ないよう、顔を覆うように抱きしめた。
「はは、見て、騎士様。お前の背中は汚いってさ」
グレイがルークの肩をもう一度蹴り、ルークを仰向けに転がす。
ルークの左肩は、汚れ一つないグレイの革靴に踏まれた。
ルークの顔が、痛みに顰められる。
「お前が子どもを守って受けた傷は、ぐちゃぐちゃで見苦しくって、とても見れたものじゃないって、そこの母親が言っているよ」
「そ、そんなこと……!」
「じゃあ、なんで子どもの目を塞いだの」
グレイに視線を向けられた母親は、黙ってしまう。
子どもを抱える腕に、ぎゅっと力が入った。
「血が汚らわしいから? それとも、すごく痛そうだから?」
グレイはルークの肩に乗せた踵を、更に食い込ませた。
ルークが、痛みに顔を歪ませる。
「でもそれって、お前たちがそこでぼうっとしてるから、この男が代わりに受けてくれた傷だよね」
ルークが間に入らなければ、親子が風に切り刻まれていただろう。
「そんな傷を、汚いって言うんだ。守ってもらっておきながら、見苦しいものだって言って、君たちは目を逸らすんだね」
「そ、そんなつもりは……」
「可哀想な騎士様。君は自分を犠牲にして守ってやったのに、汚物扱いされるんだ」
あはは、とグレイが愉快そうに笑った。
「でも、そうだよね。守るって息巻いておいて、僕の足元に転がされてるんだ。そんな情けない姿、誰も見たくないのかも」
ねぇ、可哀想な騎士様。
グレイは、楽しそうにルークへ囁く。
「君が僕に無様に負ける所を見ていた全員の記憶を、消してあげようか」
それとも。
「君が負け犬のように這いつくばる姿を見た全員の目玉を、くり抜いてあげようか」
それとも。
「救国の騎士が負けたなんて言いふらせないようここにいる全員、殺してあげようか」
くすくすと、笑い声が響く。
「ねぇ、騎士様。見苦しいって目を背けられた騎士様。民衆に裏切られた憐れな騎士様」
君は、どれがお好み?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます