第5話 騎士と、灰色との出会い

 「君が救国の騎士、ルーク・ウェルフォード?」


 それはまだ『救国の騎士』と呼ばれるようになってから日も浅い頃。

 呼び止められたルークは笑顔で振り返り、しかし驚きに固まった。


 男は灰色の外套を靡かせながら、宙に浮いていたのだ。





 「あの時の俺はよく悲鳴をあげなかったなと、今思い返しても思うよ」


 王都へと帰る道。

 団員たちと共に歩きながら、ルークは思い出を語り始める。


 触れてはいけない話のように扱われるのも、違う気がしたからだ。


 「そんな面白い話でも、為になる話でもない。雑談と思ってくれ」

 「わかりました」

 「それで、グレイさんは何をしてきたんですか?」


 続きをせがまれて、ルークは頬を掻く。


 「そうだな、あいつは……」


 これはただの、二人の日常の始まりの話。





 「じゃあ、君が騎士の中の騎士ってことで、いいよね?」


 男は片側の口端を上げると、右手を天に向かって掲げた。


 「騎士様っていうものがどれくらい強いのか、僕に見せてよ」


 男の掲げた右手が、ルークを指し示すように振り下ろされる。 


 「くっ!?」


 その勢いは、突風となってルークを襲う。

 ルークは一旦距離を取ろうと、後ろへと飛び退く。


 「遅いよ」


 しかし、そんなルークを超えたスピードで男はルークの懐へ入る。

 男はルークの鳩尾へ拳を叩き込む。


 「がはっ」


 その衝撃で、ルークの体が吹き飛ばされた。

 なんとか体勢こそ崩さなかったが、ルークの足は悲鳴を上げていた。


 「へぇ、やるじゃん」


 男は、ぷっと口に溜まった血を吐き出す。

 ルークは、吹き飛ばされる直前に男の左頬へ拳を入れていた。


 「楽しくなってきた」


 男の伏せがちだった目が、大きく開かれる。

 真っ赤な瞳は、喜びを糧に激しく燃える炎にも見えた。


 ルークは、腰に佩いていた剣を抜き取り、地面を蹴る。

 男との距離を縮め、剣を振りあげようとする。


 しかし、剣は何かに引っ掛かり、動きを止めた。


 「ふふ、残念」


 ルークが足元をちらりと見ると、幾本もの草の蔓が石畳を退かして天に向かって生えていた。

 それらが、ルークの剣の邪魔をしたのだ。

 男は、楽しそうに笑っている。


 「どう? ご自慢の剣を封じられた気分は」

 「いや、この程度じゃ封じられた内には入らないさ」


 そう言うとルークは、思い切り剣を振り上げる。

 剣に巻きついていた蔓は、ぶちぶちと引き千切られ、無残に地面に落ちていった。


 「あはは、馬鹿力だ」


 男が楽しそうに笑うと、蔓が鞭のようにルークへ襲いかかる。

 襲ってくる蔓を、片っ端から切り落としていく。

 しかし幾ら切っても、新しい蔓が地面の下からボコボコと生えてくる。


 キリがないな。


 ルークがそう思うのと同時だった。


 「う、うわあああああっ!」

 「きゃああああっ!」


 周囲から、悲鳴が聞こえた。

 いつの間にか、人だかりが出来ていた。


 これだけ騒いでいたらそれも当然か。


 早く終わらせようと、ルークが柄を握る手に力を入れ直した時だった。

 人だかりから聞こえてくる声が、鮮明に耳に入ってきた。


 「灰色の髪に、赤い瞳……」

 「あれって、おとぎ話に出てくる……」

 「千年前、国を滅ぼしたっていう?」

 「悪い魔法使い、グレイ……」


 それは、ルークもよく知るおとぎ話だった。

 小さいころ、何度も聞かされた悪い魔法使いのおとぎ話。


 「魔法使いグレイ……実在するのか?」


 ルークは、訝しげに男を見上げる。


 「ふふ、そうだよ。僕が、グレイだ」


 魔法使いは、にこりと笑った。



 「ああ、魔法使いは実在したんだ……」

 「この国はもう終わりだ……」


 老人たちが、頭を抱えてうずくまる姿が見えた。




 ――……悪い魔法使いグレイに、食べられてしまうから。




 それでも。

 ルークは、剣を持つ手に力を入れた。



 「大丈夫だ!」



 頭を抱える老人たちに聞こえるように。



 「この国は、絶対に滅びない」



 怯えている群衆全員に聞こえるように。



 「王と、俺たち騎士が、いる限り……!」




 ――……それは、誓いだ。




 ルークが騎士になった時に。

 王から剣を賜った時に。

 自分には不釣り合いで重すぎる、しかし期待の込められた称号を戴いた時に。


 この国とそこに住む数多の民たちを。



 守ってみせると、そう誓った。



 「ふぅん、悪い魔法使いから皆を守ってあげるんだ。優しいね」

 「ああ。騎士だからな」

 「そう」


 グレイは、左の手のひらをひらりと上に向ける。


 「本当に、守り切れるかな」


 轟々と強い風がグレイの手のひらへと集まって、球体を描いていく。

 あちこちから集まってきた風は、人を飲み込むほどの大きさへと成長していく。


 「当たったら、バラバラになっちゃうかもね」


 グレイの手が、ルークの方へ向けられる。

 その指し示す方へと巨大な風の塊が、飛んできた。


 「はああっ!」


 剣を振りかざしたルークは、向かってきた塊を叩き割るように剣を振り下ろす。

 塊は見事真っ二つに分かれ、ルークの横の石畳を削っていった。


 「うわぁぁっ」

 「きゃあっ」


 しかし、跳ね上がった石畳の欠片が、群衆に飛び掛かる。


 「ほら、気を付けないと大切な皆が怪我しちゃうよ」


 グレイは、背後に無数の小さな風の塊を作りだす。

 それは作られる度に、次々にルークへと飛んでくる。


 ルークは向かってきた塊を、片っ端から切り捨てる。

 しかし分かれた風は周囲の石畳を削り、家屋や店を削り、欠片や残った風圧が群衆を襲った。


 「守ってみせなよ、騎士様なんだろ」


 グレイが、楽しそうに笑っている。


 風の塊がまた生み出され、ルークへと飛んでくる。

 それを切り捨てれば、また新しい風の塊が飛んでくる。

 周りからの悲鳴は、途絶えない。


 どうやって切り抜けようか。


 ルークが懸命に考えている、そんな時だった。


 それは、いくつも投げられた風の塊の一つだった。


 しかしその風の塊は切り捨てられることなく、剣の上を滑っていった。

 切られることのなかった塊は、群衆の方へと飛んでいく。

 その先には、小さな子どもが立っていた。


 「危ない……!」


 隣に立っていた母親が、子どもを庇うように抱き込む。

 誰もが顔を逸らし、目を瞑った。


 「ぐあっ」


 しかし、あがった呻き声は親子のものではなかった。

 母親がそうっと目を開けると、親子に被さるルークが見えた。


 「はは、間に合って良かった」


 なんとか風の塊と親子の間に滑り込んだルークが、二人に微笑みかけた。


 「ちっとも良くないよ」


 いつの間にか移動していたグレイが、ルークの肩を横から蹴り飛ばす。


 「っ、ぐ……」


 倒れ込んだルークの背中は、風に切り刻まれて無茶苦茶だ。

 母親は子どもがその傷を見ないよう、顔を覆うように抱きしめた。


 「はは、見て、騎士様。お前の背中は汚いってさ」


 グレイがルークの肩をもう一度蹴り、ルークを仰向けに転がす。

 ルークの左肩は、汚れ一つないグレイの革靴に踏まれた。

 ルークの顔が、痛みに顰められる。


 「お前が子どもを守って受けた傷は、ぐちゃぐちゃで見苦しくって、とても見れたものじゃないって、そこの母親が言っているよ」

 「そ、そんなこと……!」 

 「じゃあ、なんで子どもの目を塞いだの」


 グレイに視線を向けられた母親は、黙ってしまう。

 子どもを抱える腕に、ぎゅっと力が入った。


 「血が汚らわしいから? それとも、すごく痛そうだから?」


 グレイはルークの肩に乗せた踵を、更に食い込ませた。

 ルークが、痛みに顔を歪ませる。


 「でもそれって、お前たちがそこでぼうっとしてるから、この男が代わりに受けてくれた傷だよね」


 ルークが間に入らなければ、親子が風に切り刻まれていただろう。


 「そんな傷を、汚いって言うんだ。守ってもらっておきながら、見苦しいものだって言って、君たちは目を逸らすんだね」

 「そ、そんなつもりは……」

 「可哀想な騎士様。君は自分を犠牲にして守ってやったのに、汚物扱いされるんだ」


 あはは、とグレイが愉快そうに笑った。


 「でも、そうだよね。守るって息巻いておいて、僕の足元に転がされてるんだ。そんな情けない姿、誰も見たくないのかも」


 ねぇ、可哀想な騎士様。

 グレイは、楽しそうにルークへ囁く。



 「君が僕に無様に負ける所を見ていた全員の記憶を、消してあげようか」



 それとも。



 「君が負け犬のように這いつくばる姿を見た全員の目玉を、くり抜いてあげようか」



 それとも。



 「救国の騎士が負けたなんて言いふらせないようここにいる全員、殺してあげようか」



 くすくすと、笑い声が響く。



 「ねぇ、騎士様。見苦しいって目を背けられた騎士様。民衆に裏切られた憐れな騎士様」



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