第四章 孤影拳『無我』 その一
小さな商店街で発砲事件があり、身寄りのない少女が拉致される事件があったというニュースが、たった十数秒で地方ラジオ局にて報じられた。
桜は散ってしまった。
春はあっという間に過ぎていき、風の匂いが花の甘い香りから新緑を思わせる爽やかなものへと移り変わっていった。太陽が眩しく、いかにも清々しい初夏らしい澄んだ青空が容赦のない時の流れを感じさせ、ある男の心を不安にさせた。
その男は全身に包帯を巻き、パジャマ姿でサンダルを履いていた。負傷した右腿を庇うように松葉杖を左手に持ち、不自由な足を酷使しながら近所の人通りの多い駅の構内を右往左往していた。
「しょ! 少女が攫われ、ました。さ、さがし、探して、います!」
その男は夜行半月であった。
半月は銃弾を四発も貰いながら生還していた。
不幸中の幸いか、発見から通報も早く、撃たれた箇所も良かったらしい。胸部に受けた一発は一センチでもずれていれば肺を、右腿に受けた一発も一センチずれていたら大腿動脈を破って文句なく死んでいたそうだ。
だがそれでも重傷である。
当初、半月は病院で入院生活を余儀無くされていた。しかし警察が今回の事件を起こしたピエロや、イヴの捜索に消極的なことを感じると、半月は居ても立っても居られず病院を抜け出した。
そうして半月はイヴの特徴を書き、その娘を探しているということと、自身の連絡先を書いたビラを作成した。
そしてそれを近所の様々な場所で配り始めたのだ。今は帰宅するサラリーマンの多い最寄り駅でビラを配っている。
「おねが、……お願い、します」
半月は必死にビラ配りを続けるが、反応は芳しくない。
原因はまず極度の人見知りである半月が、大衆の前では緊張してどもってしまい、言いたいことを伝えられないこと。そして半月の獣のような外見が自然と周りを威圧してしまうこと。そして何よりも世間というものが、自分達の関与する以外の悲劇などどうでも良いと思っていることだ。
「お、おね、お願いします。ありが、……とうございます……あ、……」
半月は通りすぎる人に懸命に頭を下げ、ビラを差し出す。しかし中々受け取って貰えない。人によっては半月からビラを受け取った次の瞬間に、目の前で興味なさげにビラを捨てる人もいた。
「くっ……」
半月は捨てられて、踏みつけられた紙を拾う。
半月はこんなことしか出来ない自分が悔しかった。そして少女が暴力の末に拉致されるという悲惨な事件があったというのに、冷ややかな世間が悔しかった。
しかし半月もそうだったのだ。
テレビやラジオでニュースキャスターがどんなに悲報を伝えて、それを半月が見聞きしていても結局は他人事であると切り捨てていた。
自分が他人に対して何もしてこなかったのだから、他人も自分に対して何もしないだけの話なのだ。
「探しましたよ、夜行半月さん」
半月が声を掛けられて、振り向くと看護師がいた。病室を勝手に抜け出した半月を探しに来たようであった。
「絶対安静なんですから、病院に戻りますよ。ほら」
看護師が半月の腕を取り、松葉杖を突く半月に肩を貸そうとする。
「すみま、……せん。この、ビ、ビラを配り終えるまで、待って貰え、ませんか? 配り終えたら、……その、……病室で連絡を待つので……」
「でもビラ、まだ沢山残っているじゃないですか?」
「それは……」
コンビニのコピー機で大量に印刷されたビラはまだ五十枚以上ありそうだった。
半月は道行く人に足を止めて貰い、たった一枚の紙を受け取って貰うことがこんなに大変だとは思っていなかったのだ。
半月は初めてイヴと会った時、花を買ってやらなかったことを思い出す。あの時、自分は「要らん」の一言で冷たく突き放したのだ。イヴもこんなにやるせない気持ちであったのだろうか?
「元々身寄りのない子だったんですよね? それを夜行さんが預かってまた消えただけ……。見つかるか分からないその女の子のことがそんなに気掛かりですか?」
「…………正直、イヴ……かの、彼女との、思い出は全て、し、幸せな、……短い夢の中の出来事と思って、…………もう、あ、諦めようとも……思いました」
「それならもう十分なのでは? 後は警察に任せて、夜行さんはしっかり病院で休んで体を治して下さい」
どこの誰かも分からない身寄りのない少女が一人、行方不明になっただけ。それは世間的には大したことではないのかもしれない。でも半月にとってはその一人は掛け替えのない人なのだ。それを半月は病院を抜け出した後、孤独な自宅で思い知らされた。
毛先の開いた二本の歯ブラシ、兄妹のように並べられた大小のサボテン、増えた小奇麗な食器、イヴの体臭を閉じ込めた可愛げのないジャージ、そして下手だが丁寧な文字が書かれた自由帳、他にも枚挙に暇がないくらいのイヴの痕跡……。
あの幸せだった日々は夢なんかじゃない。
「かの、……彼女はいたん、……で、す」
「…………」
イヴは確かにいたのだ。イヴときたら、あんな小さな体で自分を庇って……、でもそのおかげで自分は今も生きていると半月は確信している。
何のために磨いた技術か? 何のために鍛えた体なのか? 何のために強さを追い求めたのか? 半月は己に問う。悔しくて胸の奥から熱い何かが込み上げてくる。そしてイヴを思うと息が詰まり、鼻の奥がつんと刺激されて涙が溢れてくる。
「あ、諦められないっ!」
半月は柄にもなく大きな声を出した。
「夜行さん……」
「かの、……彼女は、今も、、助けを……もと、求めているかも。だから――」
だから少しでもイヴが見つかる可能性を高めたいと、そう半月が泣きそうな顔で言い切る前に、看護師はビラを奪った。
「夜行さんがあまりにも不器用なので見てられません。お姉さんが一肌脱いであげましょう。あ、脱ぐと言っても裸になるって意味ではありませんよ? エッチな想像はお姉さん感心しません」
「お、おね、お姉さん?」
「はーい! 近くの商店街で拳銃を使った痛ましい傷害事件がありました! こちらが被害者の男性です。ほらこんなに全身ボロボロ……。そしてか弱い少女が一人行方不明です! 何か手掛かりを探しています。ご協力下さーい!」
看護師が大きな声を出して群衆に呼び掛ける。そして近くを通る人に一枚一枚紙を笑顔で渡して行く。
半月の時よりもずっと感触が良い。中には「撃たれて良く死ななかったわね。女の子見つかると良いわね。頑張って」と背中を叩いて、声をかけてくれる人もいた。
「まぁやり方次第ですよね。私、学生の頃、ティッシュ配りのバイトとかやっていたので、こういうの得意なんですよねぇ」
看護師が夜行半月を発見したとPHSで連絡すると他の看護師達もぞろぞろと駅にやって来た。
半月を含めた皆でビラを配り始める。
「近くのお店にこの紙置いて貰えないかしら?」
「それ良いわね。やっぱり商店街が現場だし、感心が高いんじゃないかしら?」
「掲示板に貼るのも手よね」
看護師達は皆、意欲的に取り組んでくれる。また規模が大きくなると群衆からも目を引くようで多くの人が足を止めてくれるようになった。
「その、ほ、本当にありがとう、ございます」
半月は目を潤せ、声を詰まらせながら感謝を伝える。世の中、捨てたものじゃないと思わされた。
そして大分手持ちのビラが減ってきたところで半月のパジャマのポケットから電子音が鳴り出した。
「何の音?」
看護師の一人が半月に尋ねる。
「あ、あの、すみません。けい、携帯電話、みたいです」
半月の家には電話はなく、ビラに載せた半月への連絡先には購入したばかりのプリペイド式携帯電話の番号を書いておいたのだ。
それが初めて鳴った。
何か手掛かりになる情報かもしれないと半月は期待する。
「え、と……どど、どう、やって……」
「ちょっとあんた貸しなさい。モタモタしてると切れちゃうでしょ」
最近の携帯電話は操作方法が複雑で、電話に出るやり方がわからず慌てふためく半月。それを看護師が代わりに操作してくれる。
「あの、えー……、は、はい。もし、……もしもし、夜行半月です」
電話の先の相手は良く知っている人物だった。
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