第二章 燃える心を持つ少女 その一
空は高く広い。今日は雲一つない晴天である。しかし温度はそこそこに低く、昨晩降った雪が少し積もっていた。息を吸えば肺から冷えて身震いを起こし、カフェインを摂取するよりも早くはっきりと意識を覚醒させてくれた。
早朝で商店街も開店前、少女と半月は商店街前の公園に来ている。
周りに樹木が植えられ、真ん中にジャングルジムやブランコ、滑り台やうんていなどの定番の遊具が備え付けられている有り触れた公園だ。その公園で、子供相手に焼き芋を売る婆さんから、二人は焼き芋を買ってベンチに並んで座ってそれを頬張っていた。
「その……すまん。もっと真っ当なものを食べさせてやりたかったのだが……」
半月は少女に謝罪する。
「……」
少女はまだ熱いであろう紙袋に入れられた焼き芋を食べる動作を止めないまま、唇を尖らせ「別に始めから期待などしていない」とでも言うかのように謝罪を聞き流す。
少女はやはり昨日のことがあって少し怒っているようだった。しかし頬に芋を溜めてゆっくりと咀嚼していく様は、まるで年老いたハムスターといった感じで威厳は全くない。
「その、一応、俺も料理をする努力はしたのだが……」
今までの半月にとって食事とはただの補給であり、楽しみではない。となると半月一人の時は体作り第一で、次に手軽さとなり、味のことなど微塵も考えない料理しか知らなかった。
そのようなつまらない食事を目指すならば食材の買い置きがあるが、それで少女が満足するとはとても思えなかった。
だから半月は夜明け前のランニング終わりにコンビニにより、少女が喜びそうな食材を揃えて意気揚々と帰ってきた訳である。
そして出来た料理は散々なものだった。
半熟で黄身が崩れた味のない目玉焼きに、ドレッシングのかけすぎでびちゃびちゃなサラダ、極めつけはそこら辺の川で拾ってきた石ころと言われても信じてしまいそうな表面が黒い炭と化したパンケーキである。
少女が目を覚まし、まずその料理らしきものを見た。
少女は首を傾げ、口をへの字に曲げていた。多分怖気づいてしまっているのだ。さすがに石ころを食べる勇気はないらしい。
少女から「現実を直視せよ」と厳しく言われたようだった。そうして半月は早々に料理を放棄し、少女と共に外に出た訳であった。
「うまくいかんことばかりだ……」
「……(プイ)」
半月がそう愚痴をこぼすと少女は「そんなの知らない」とでも言うようにそっぽを向いた。少女は、自分は今不機嫌であると主張するような雰囲気を懸命にかもし出している。
「プロが作る焼き芋は美味いな。俺のも食うか?」
「う? ……ん……」
少女は昨日のことを怒っていて、半月からの好意をなるべく受け取りたがらないようであった。しかしどうも空腹には勝てないらしい。
少女は頭を悩ませる。
「遠慮するな。俺はお前が起きる夜明け前に少し食べているのだ」
「ぅ、ぃ……」
少女が紙袋に包まれた食いかけの焼き芋二つを半月から奪い取る。他人が口を付けた食べ物でも、気にする気配を全く見せずにもぐもぐ食べ始める。そしてあっという間に平らげると舌鼓を打つ。やはりまだ十代、勢いがある。まだまだ育ち盛りらしい。
半月と少女の前を、登校中らしい高校生の男女が通り過ぎた。
男女は仲良く手を繋いでいた。男女は交際しているのかもしれなかった。もしそうなのだとしたら若さもあり、恋もあり、青春もある彼と彼女はなんと眩しいのだろうと半月は思った。
「……」
半月の隣の少女はそんな彼と彼女に羨ましそうな視線を向けていた。
現在、身寄りがない子供は児童養護施設に入所して義務教育の中学までは通うことができる。しかしそこから先の教育は本人の能力不足や金銭的な問題があって中々難しいと聞く。高校や大学、専門学校に通える子供は少ないのが現状であるようだ。
もしかしたらこの少女は学校に通ってもっと青春を謳歌したい思いがあったのかもしれない。それを思うと半月は胸が痛い。
「少し生活用品を買い物するぞ」
気分を入れ替えるため、半月は少女を連れて買い物をすることにした。
「……ぅ?」
少女は半月に懐疑の視線を送る。そして話せないが何かを言いたそうだった。何かを伝えたがっていた。
半月には少女の考えていることはなんとなく分かっていた。
まずは他人に奢ってもらうことに対する負い目。それにもう一つ、少女はこの半月という男が本気で自分と一緒に生活する気があるのかと、自分を見捨てるなら今のうちではないかと聞きあぐねているのだ。
勿論半月は聞かれるまでもなく本気だった。本気で少女の保護者となる気だった。
そろそろ公園で遊ぶ子供達が姿を見せ始めた。その時を見計らい、半月は少女と共に公園を出た。商店街の店が開く時間なのだ。アパート前の商店街をぶらつく。
「……(きょろきょろ)」
「どうした?」
始め、手を引かれた少女は店に入ることを躊躇した。
以前は不衛生だったので入店を拒否されたのであろう。そこで半月は「今のお前は清潔だ。汚くないし臭くもない。何の問題もない。そうだろ?」と説得する。すると少女は怖ず怖ずと店員の目を気にしながら店内に入った。
そして少女は焼き芋両手に抱えながら、興味深そうに店内をぐるぐると動き回る。時には半月のトレーナーの裾を引っ張って誘導する。
好奇心旺盛な猫のような娘だった。
「こうして店を回ると色々と足りない物に気付かされるな」
まずドラッグストアで歯ブラシやトイレットペーパー、シャンプーやボディソープを買った。次に雑貨店で安い食器や箸、スプーン、フォークそれにタオル類を買った。
「何か欲しい物、買っていくか?」
「んーん」
そう問いかける半月に少女は指をクロスさせてバツを作った。
少女は欲しい物はないが、商品を見るだけでもとても楽しそうだ。
半月はそれはそれで良いかと思った。事の発端は料理を失敗したせいだが、結果的に外に連れ出して良かったと思う。半月は自分が保護者として完全に失敗している訳ではないと分かると、その部分では少し安堵した。
しかしどうすれば自分を怒っている少女と仲直りが出来るのか、それが半月にはわからなかった。
「んひゅ…………」
少女が焼き芋全てを平らげる。すると虚しそうに駄菓子屋を見つめる。
駄菓子屋には筐体ゲーム機が置いてあり、数人の小学生と思しき男の子達がお菓子を食べながら遊んでいた。
もっと手前には洋菓子店や喫茶店もあったのに、駄菓子とは渋い。そして割と子供っぽい可愛らしい面があるなと半月は思う。
「!(ブンブン)」
少女は頬を膨らませて抗議する。ポンポンと半月の胸を叩く。
どうやら半月は心の中で思っていたことを口に出していたらしい。気にせず少女の頭を撫でるようとすると少女に手をパシっと払われた。自分のような男に触られるのはやはり嫌なのかと半月は落ち込む。
半月は気を取り直し、少女を連れて駄菓子屋に入る。
「いらっしゃいませー。お、お嬢ちゃん、可愛いねえ。サービスしちゃおうかねえ」
店内の入口にはニコニコと笑顔を作る愛想の良さそうな爺さんがいた。この店の主だろう。
半月は幾度かこの爺さんを見かけたことがある。
確か近所の少年野球チームの監督をやっていたり、子供食堂という貧しい子供に無料で食事を提供する社会活動もしていたりする人物だ。今時珍しい世話好きでお人好し。子供達が賑やかに、愉快にしていることが本当に好きなのだと思う。今もゲームで遊ぶ男の子に、攻略のアドバイスをしていたところだ。
「この…………この娘の、好きそうな、菓子を、……みみつ、見繕って、頂きたい……」
「失礼なことを聞くようだがねえ、あんたそこの嬢ちゃんとどんな関係?」
半月は初対面の相手だと上手く話すことが出来ず、どもって挙動不審になってしまう。
そんな半月の様子を見て、爺さんはふんぞり返って露骨に半月を訝る。強面の半月に臆する事無く、毅然とした態度で半月と向き合う。爺さんは半月が少女に何か危害を及ぼすかもしれないと、少女を心配しているのだ。
「ぎ、……義理の、きょ、う……兄妹です……」
半月も外見のせいで他人から悪印象を持たれることには慣れている。今更驚いたり怒ったりはしない。半月は緊張し、吃音を出しながらも、なるべく冷静に努め平然と嘘を吐いた。
「嬢ちゃん本当かい?」
爺さんはニッコリと、少女に不安を与えないような柔らかい態度で聞く。
少女は少し困ったように頷いた。
少女が否定すれば、そこで半月は爺さんに警察か何処かに通報されて終わりだった。だからそうしなかった少女が、半月を認めてくれたようで半月は安心する。
このおままごとを続ける気が少女にも一応はあるらしい。
「…………まぁ今時、国際結婚も珍しくないしね。いやあ兄さん、物騒な世の中なんでね、疑ってしまった。悪かった、気を悪くせんでくれ」
そう謝罪した後、爺さんは「お菓子見繕うよ」と言って十分程度で様々なお菓子を数百円分包んでくれた。
「うっす。……ま、また来ます」
半月はそう言い残すと店を後にする。
「うー……」
少女は美味しそうなお菓子を目の前に、不満げな顔をして困っていた。しかし半月が「要らないなら捨てるしかないな」と脅しをかけると渋々と受け取った。そして小さなチョコレートと棒状のスナック菓子を一つずつ取り出し、口に運ぶと頬を緩ませる。少女のこういうところが凄くわかりやすくて微笑ましい。
そうして商店街を端から端まで一通り歩き尽くす。
目の前には小さな図書館があった。
ここが終点、半月は昨日から考えていたことを実行することに決めた。半月と少女は図書館に入り、適当なテーブル前の椅子に腰掛ける。ごそごそと持って来た紙袋からある物を取り出す。
「朝、お前が起きる前に部屋を探したらな、良い物を見つけたぞ」
「?」
半月が取り出したのはノート程度の大きさのタブレットだった。
タブレットには『あ・ア』から『ん・ン』までの平仮名が五十音順に並んで表示されており、端の方に『ゃ・ャ』などの拗音、『っ・ッ』の促音、更には『゛』の濁点、『゜』の半濁点までも網羅されていた。
「……?」
「実は俺も学校へはあまり行ってなくてな、文字は独学で覚えた。電池入れたらまだ動くようで良かったよ。ほらどれか適当に文字を触ってみろ」
少女は隣に座る半月からタブレットを受け取る。横からタブレットを覗き込む半月を尻目に少女は慎重に描かれている文字を触った。
『あ』『る』『ぬ』『を』『み』
「!」
タブレットから画面に表示されている文字に対応する音声が出た。
「これを使えば、口の利けないお前でも話せるようになるのではないかと思ってな」
「~~~~~~~~ァっっ! ハっ……」
少女がふわーっと興奮したように顔を上げた。しかし次の瞬間、朝から自分が一貫して怒っているような態度を取っていたことを思い出したようだった。すると気まずさと恥ずかしさで視線を半月から外し、目を伏せて顔を紅潮させて困惑の表情浮かべた。
「適当に押してみろ」
そんな少女の困惑を半月は歯牙にも掛けず、指示を出す。
少女はうーんうーんと喉から低い唸り声を上げながら、五十ある平仮名と睨めっこを始め、順順に押して音を聞いていた。
少女は何かの文字を探しているようだった。しかし中々自分の探している字に巡り合えないようで顔をしかめてしまった。
「例えば、『か』とか『さ』とかはその音を伸ばすとどっちも『あ』になる。その要領で音を伸ばすと『あ』になる字が一行目、『い』になる字が二行目、『う』になる字が三行目、『え』になる字が四行目、『お』になる字が五行目に並んでいる」
声の出せない少女には酷な説明だったかもしれないが、半月は自分の言葉を淀みなく理解出来る少女は、声を失ったのはごく最近と推測した。ならば声を発しなくても音を捉える感覚はあると考えた。従って母音の音の判別も出来るのではと半月は思ったのだ。
「ん」
少女は半月のアドバイスをなるほどと聞き入れ、それをヒントに『あ段』の文字を右から左に押していく。次に法則を掴んだようで今度は『あ段』上から順に押していく。そして『い』と『う』を押すと納得したように頷く。そして『゛』の濁点の文字を押して再び納得したかのように頷いた。
少女は改まって隣に座る半月の方へ体を向ける。そしてタブレットの『い』と『う』と『゛』を順に押した。
『イ・ヴ』
タブレットから機械音声で短い言葉が発せられる。
「ん?」
一瞬何のことか迷ってしまった自分を、過去に戻って殴ってやりたいと半月は切実に思った。少女が探していた文字、最初に発したかった音、それが何なのか考えればすぐに分かることだった。
「……名前?」
「(こくこく)」
少女は何度も頷いた。どこか得意気だ。
「『イヴ』……」
「(こくこく)」
「良い名前じゃないか。両親が付けてくれたのか?」
「(こくこくこくこくこくこくこくこく)」
イヴは壊れたロボットのようにガクガクと何度も頷く。その後照れたように体をもじもじと捩り、はにかんで小さな花が咲いたような笑顔を見せた。えっへんと膨らみの少ない胸を張る。
話すことを含めた意思疎通の手段に乏しいイヴのことだから、今まで誰もイヴの名を呼ぶ機会がなかったに違いない。そして両親から貰った自分の大切な名前を呼ばれたのが余程嬉しかったのだろう。イヴはすっかりご機嫌だった。
しばらくの間、イヴはタブレットを用いた言葉遊びに夢中になった。そして平日の図書館の中心で半月と会話の練習をした。そして私語厳禁と図書館員に怒られた。
「じゃあイヴ、これから絵本を沢山借りてこよう。勉強だ」
「ん」
「イヴ、ついでに外出たらスーパーでお前の服も買おう」
「うー……」
この期に及んでまだ遠慮する気らしい。しかし年頃の女の子が外でジャージ姿というのはどう考えてもおかしいのだ。
人の多い街中が苦手な半月も、イヴと二人なら悪い気はしなかった。
その日丸一日を費やし、イヴの生活用品を揃えるという名目で、半月はイヴとショッピングに勤しんだ。相変わらず思春期の女の子というのは扱いが難しいと思わせられたが、イヴの表情は柔らかくなっており、少し機嫌が直っている気がした。
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