第一章 一人ぼっちの怪物 その二

 半月が少女と出会ってから二週間が経過した。


 少女は少し変わった。半月の目から見て、性格が明るくなった気がするのだ。


 少女は身寄りがなく花屋に住み込みで一日中働いているそうだった。そんな中で少女は厳しく冷たい世の中を感じつつ、それでも生きることに対し前向きになったようであったのだ。何か希望を見出したらしい。来る日も来る日も朝から晩まで積極的に、元気に、ハキハキと商店街を中心に近場で花を売り込んでいる。


 半月は人見知りなので、始めはランニングをこなしながらその有様を遠巻きに伺うだけに留めた。だが少女は半月を見かけると、繰り返し笑顔で挨拶をしてくる。そんな日が続くと無視するのも不自然であったため、最近は少しだけ少女の花を買ってやったりもした。


 その花は少女の手によって、いつも半月の髪に飾られた。無骨な半月には全くつり合いが取れていないので周囲から奇異な目で見られる。それでも根暗な少女が少しでも楽しそうならそれでも良いかと、半月は花をそのままにしておいた。


 人見知りの半月もそんな風に少女からの積極的なアプローチを受け、だんだん打ち解けていった。彼女と話す時はどもりもなくなった。一見して仲睦まじい兄妹のようになった。だが半月は忘れてはいない。あくまで客と商売人の関係である。


 ある時、半月はいつもの通り少女の花を買い、頭を花で飾ったまま柔軟体操をしていた。


 念入りに手首と足首を回し、上体を反らす。どんどん上体が後方に深く沈みこんだかと思うとそのまま頭をコンクリートの地面につけ、ブリッジする。そのまま首を柔軟に曲げ関節をほぐす。次に起き上がると両脚をどんどん広げていき、股割りをして股関節をほぐす。


「…………?」


 そんな半月を少女は人差し指を口にくわえながら不思議そうに見ていた。口の利けない身でありながら、何かをおそるおそる半月に問いかけようとしていた。


「何が言いたいのか、わからんな」


 半月は少女に自分がなぜそんなことをするのかは語ろうとせず、少女の視線と無言の訴えを無視して放って置く。


 決してお互いが何者であるかは語らない。互いの事情に深入りはしない。今の半月は昔とは違いもう一人の寂しさを受け入れた。これ以上余計な対人関係は作るべきではない。それで良いのだとこの時の半月はそう考えていた。


 それは今の半月が自分のことを弱い人間と考えているからだ。弱く、責任を持てない身分だからだ。いつ廃人になるかもしれない身で、いつ死ぬかもしれない身だからだ。


 夜行半月は格闘家なのだ。


 今、半月は古びたダンスホールを『薄翅蜉蝣衆』と呼ばれるヤクザが買い上げ、改築して作らせた違法賭博施設にいた。中にはルーレットやトランプゲームなどのスタンダードなゲームから、最新のビデオゲームにスロットマシンまであったが、一番目が行くのはダンスホールの中央に設置されている金網の檻だ。


 その中に半月はいた。


 今回その檻の中が格闘家としての半月の戦場となる。


 檻の形は円柱に近いが正確には八角形柱である。直径は九メートルほどで、中は大体畳四十枚ほどの広さだ。


 この中で二人の人間が戦うこととなる。それを考慮すると檻の中は決して広い空間とは言えない。そんな空間に高密度の観客の熱い視線が、照明の熱い光が向けられる。


「年齢二十二歳、身長一八九センチ、体重九十六キログラム! 和製元ヘビー級プロボクサー、銃火器の拳を持つ男! 夜行半月ぅぅううう!」


 半月はアナウンサーの紹介に応え、グローブに守られていないテーピングをしただけの剥き出しの拳を真上に突き出す。


「対するは! 年齢三十四歳、身長一九一センチ、体重一〇四キログラム! アメリカンプロレスからの刺客! タイタン・ヘルファイアァァアアア!」


 名をタイタンという相手選手は癖のあるもじゃもじゃな顎鬚が印象的な黒人だった。黒い肌に白いパンツを履いていた。体付きは半月より一回り大きく、全身の筋肉が盛り出しているごつい男だった。


 その肉体は大方ショーとしてのプロレスのため、観客に見せるために筋肉増強剤を使用して作ったと予想される。筋肉増強剤を使用して作った体には柔軟性、瞬発力、持久力が大幅に失われるというが、圧倒的な質量を持つその肉体はそれだけで凶器だ。


 まともにぶつかれば厳しい相手になるだろう。


「賭けた賭けた! オッズは三対二だあ!」


 この戦いは基本的に素手による一騎討ちという以外に基本的にルールはない。格闘技としては最も危険な、まさに喧嘩を想定したかのようなバーリトゥード(いわゆる何でもアリ)と呼ばれるものだ。例えばお互いの肘打ち、膝蹴りは勿論のこと、更には頭突き、目や金的などへ急所への攻撃、噛み付きすらも許されている。


 これは薄翅蜉蝣衆とタイタンの所属するプロレス団体とルールの折り合いがつかなかったためだ。日本の格闘技とアメリカの格闘技、互いの誇りを賭けた戦いになる。


 その筈だった。


 レフェリーが両者にルールの説明をすると離れる。


 半月が自陣に戻ると、金網のすぐ外側に細身のスキンヘッドで片目に眼帯をしたTシャツ姿の老漢がいた。その老漢が煙草を口にくわえながら残った一つの目で半月を睨みつけている。半月のセコンドの柳生重蔵である。


「しっかり良い仕事をしてこい」


 柳生はそんなことを半月の耳元で呟く。当然観客には聞こえない。


 半月はその台詞を聞くと、先ほどまで控室にいた時まで煮えたぎっていた自身の血が急速に冷えていく感覚を覚えた。代わりに心に灰色のネバついて剥がれ落ちない鬱屈した何かが現れる。


 コングが鳴った。


 檻の中央で対戦相手のタイタンと向かい合う。拳と拳を合わせる儀礼を交わす。そしてタイタンは腰を少し落とし、手のひらをこちらへ向け両腕を少し押し出して「行くぞ!」と叫んでいる。


「タイタンが倒しに来るぞ! カウンターじゃ!」


 柳生が先ほどの呟きとは全く異なる、観客へアピールするような大声で指示を出す。


「半! 月! 半! 月! 半! 月!」

「…………」


 半月は両拳で顔面下半分を守るようなピーカブースタイルの形に、そしてやや猫背で足のスタンスを広く腰をやや落とすことによって重心を低く少し前に出す形にして、ボクシングよりだがボクシングよりは少しだけ後ろに体重を残した前傾姿勢に構えた。


 ただ怒声にも似た歓声を受けると半月は苛立ちで全身を掻き毟りたい衝動を抑え、構えを下ろし、そのまま最短距離を駆け抜けるようにタイタンへと突っかけた。


 バーリトゥードはグローブで守られているボクシングとは違い、一瞬一発で勝敗が決してしまうことも多い。従ってお互いが相手の攻撃を警戒し、間合いは広く取られがちだ。


 しかし半月がセオリーを破り、一気に間合いを詰めた。


「ほ!」


 先に仕掛けたのはタイタンだった。半月の拳が届く間合いに入ろうとした瞬間、タイタンが半月の左脚に右の下段回し蹴りを放った。


「打撃……」


 半月は驚いた。


 半月と柳生はタイタンの戦略を、まず組み付くと読んでいたからだ。


 半月は異種格闘技戦に慣れていないボクサーが自身の強みを活かせず、一方的にレスラーの餌食になりマットに沈んでいく光景を何回も見た。だから半月は数年に渡り、強い打撃が可能な程度にだけ重心を下に落とし、その上でタックルを切り潰すなどのレスリングのディフェンスの練習を行ってきた。


 それに半月はタイタンの蹴りにさほどの脅威を感じていなかった。所詮は打撃の素人だと思ったのだ。しかしどうだ? 太腿に強く打ち下ろされたその下段回し蹴りはダメージが大腿骨まで響くではないか。その下段回し蹴りは空手家とそん色ない。常人ならば苦痛のあまりマットの上に寝っ転がって悶絶しているところだ。


 タイタンの打撃について認識を改める必要があった。


「馬鹿野郎! 練習通りにやれ!」


 柳生が煩い。……熱血漢振るなよと半月は頭の中で吐き捨てる。だが同時に基礎通り膝を上げ、鍛えたその脛で下段回し蹴りを受けるべきであったと反省もする。


「疾ッッ!」


 半月は先ほどの下段回し蹴りの痛みを堪え、左足を前へ一歩踏み出す。ピーカブースタイルから左拳を前に右拳を顎のすぐ傍に置くオーソドックスな右構えに切り替え、左のジャブと右のストレートを顔面に向けて放った。


 タイタンがボクサーのように両腕を前面に出し、顔面を守った。


 しかし盾の代わりとなる大きなボクシンググローブのない裸拳での正確なガードは難しい。


 半月の左拳も右拳もタイタンのガードを突き抜けて、タイタンの頬に顎に直撃する。左拳の当たった箇所が剃刀を使ったかのように切れて出血した。


 これがグローブを外したヘビー級ボクサーの拳だった。タイタンは苦痛に顔を歪め嫌がるように一歩二歩引いた。


 そうだ、それで良い。


「上手いじゃないか」


 そう半月は囁いた。


「打っ」


 半月は更に強く一歩、今度は右足踏み出して左構えにスイッチする。半月は左右の構えどちらでも戦えるのだ。そしてそのまま右ジャブ左ストレートをお見舞いした。そしてタイタンがバックステップでもっと下がるのを見届ける。


 するとどうだ? タイタンの背中は背後の金網に接触する。追い詰められるとタイタンは苦し紛れに拳打ち出す。


 半月はピーカブースタイルに戻し、ウェービングと呼ばれる頭を上下左右に揺らし的を絞らせないようにする技術と、ダッキングと呼ばれる相手のパンチを的確に潜って躱す技術、スウェーバックと呼ばれる上体だけ反らして攻撃を空振りさせる技術を用いて回避する。


 そして半月はタイタンの呼吸が切れると同時、タイタンのガードの上から頭部を、ガードが空いている上半身の内臓全体を、それぞれ潰すように反撃を行う。右フックと左フック、アッパーやストレートを上半身全体に散らしながら嵐のようにお見舞いする。


「むむむ……」

「射ッッッ!」


 半月の打撃が面白いように当たる。そしてタイタンの打撃が面白いように空を切った。


「これは決まったか!? 夜行半月の勝ちパターン! 怒涛の銃弾のような拳のラッシュラッシュラーッッッシュ! 『進撃烈火の拳』が炸裂するぅぅぅううううう!」


 リングアナウンサーと観客が沸く。それに柳生が「そのまま殴り倒せ」と叫ぶ。


 半月はヘビー級の中ではそれほど大きい体格ではない。しかしボクサーの拳、更には半月の拳は特別製、銃火器が噴くような破壊力と連射力がある。タイタンは長いキャリアの中でこれほど重く強く打たれたこともないだろう。そして手を伸ばせば触れるほどの近距離で、これほどの手数の打撃が空を切るのは悪夢だろう。


 総合格闘技において、圧倒的に応用力のないと思われていたボクサーの逆襲だ。


「ガアアァァァ!」


 タイタンは悲鳴を上げた。タイタンは堪らなくなり隅から脱出しようとしたが、半月の巧妙なフットワークに回り込まれ、逃げられない。


 次にタイタンは半月に組み付いたが、やはり薬で作った筋肉で見かけほどのパワーはなく、上手く投げ崩すことが出来ない。


 それに半月は蹴りに頼らず、レスリングと空手で鍛えた足をバランスの調整に特化させている。これを崩すことは容易ではない。半月は踏ん張って腕でタイタンを強く突き飛ばすことができた。


 半月はそのままタイタンを金網に磔にする。


 最終的にタイタンは真っ赤な顔をして、悲痛の声を上げながら、両腕のガードを捨てて反撃の肘打ちを繰り出した。金網に背中を預け、蹴りも出した。


 立っての打撃戦ならば、半月の望む所だった。


 殴る。

 殴られる。

 躱す。

 殴る。

 躱す。

 逃げられる。

 追い詰める。

 殴る。

 殴る。

 躱す。

 蹴られる。

 殴る。

 殴る。

 躱す。

 躱す。

 殴る。

 組みつかれる。

 突き飛ばす。


 そういうリズムの試合運びとなった。


「はあァ……はぁ……」

「ハァー……スー…………ハァー」


 半月の方が回避率も高く有効打も多い。半月優勢の試合運び。タイタンは瞼がたちまち晴れ上がり、頬に顎に痣を作り、口から血を流している。


 タイタンは生まれたての小鹿のように足元がふらついているが、辛うじて立っている。グローブを外したヘビー級ボクサーのパンチの連打を貰っても、立っている。


 半月は自分の拳の繰り出す進撃烈火の拳に絶対の自信があった。だから自分が弱いのではなく、プロレスラーのタイタンヘルファイアが非常に打たれ強い生物なのだと正しく分析する。半月は舌を巻く。


 半月とタイタン、両者の汗と血の混合物がマットに撒き散らされる。


「半月! 終わらせろ! 楽にしてやれ!」


 今叫んだのは言ったのは柳生か、観客か、それすらも分からない。


 両者が互いの吐息を交換し合う。接吻を交わすかのような距離で互いに肺の奥まで酸素を送り、二酸化炭素を吐き出す。


 機は熟した。


「破ッ」

「ガッっ」


 タイタンは両腕を前に出しガードの構え、それ故に側面はがら空きであった。


 半月は右ストレートを出した後、マットを踏みしめた左足の勢いをそのままに膝をしっかり脇まで上げて、腰を入れ、そこから足が弧を描くような高めの右上段回し蹴りに繋げた。


 タイタンの側頭部に鈍器で殴ったような蹴りが当たる。


 一瞬重力がなくなり、ふわりと飛んでしまうような衝撃が伴う筈だ。どうだ? アンタがプロレスだけじゃないように、俺だってボクシングだけじゃない。半月はそういう意味を込めて蹴った。


 タイタンは衝撃を受け、マウスピースを吐き出しながら膝から崩れ落ちる。


 半月は追撃をしない。半月はこの好機を見送った。


 試合開始からまだ六分しか経過していない。この試合の時間は無制限でこれでは短すぎるような気もしたが、これで決まったかと観客は最高の盛り上がりをみせた。


 けれどもタイタンの意識は残っていて目は死んでなかった。タイタンは倒れこむその拍子に、半月の左足に手を伸ばした。


「た!」


 タックル。


 そう思った時には半月は動いていた。


 散々レスリングの道場で見てきた動きであった。


 タイタンは低い姿勢で、半月の左足を狙って半月を押し倒しに来る。


 この時の半月は自身の足を後ろに投げ出し、タイタンの上体を上から腹で潰すようにしてタックルを防ぐことがセオリーである。だがここまでタイミングが読めればカウンターが取れた。半月は低い姿勢で来るタイタンの顔面を、右膝で迎撃したのだ。


 ベストなタイミングだった。タイタンの顔にカウンターの形で膝がめり込む。組み合わない体勢からの踏み込んでの膝蹴り、テンカオと呼ばれるものだった。通常ならばタイタンの鼻は潰れ折れ、鼻血を大量に噴き出しながら倒れる筈だった。


 だがそうはならなかった。


「イヤァアアアア!」


 タイタンが半月の左脚を抱えたまま突進する。


「ぐぐぐっ」

「イエス!」


 半月の体は後方に押され、仰向けに倒れ込んだ。


 即座に襲い来るタイタンに対し、半月は両足でタイタンの胴を抑え、接近と馬乗りを阻止する。いわゆるガードポジションに入る。


 寝かせての殴り合いなら俺だと言わんばかりに、タイタンが膝をついたままの姿勢から正拳の小指側の面である鉄槌を用いて打って来る。


 一発、二発、三発、四発。


 タイタンが勢いのあるように撃っているが、実際は半月がタイタンの腰にしっかりと足を回し、タイタンを遠ざけてコントロールしている。この膝立ちの状態ではタイタンは重い打撃が打てない。


 だがタイタンの真の狙いは鉄槌打ちによる打撃ではなく、マウントポジションと呼ばれる馬乗り姿勢に移行してからの極技(関節技、絞め技、締め技、ストレッチ技の総称)に違いない。


 半月としてはまず極技を防ぐ必要があり、それと立ち上がるための間合いも欲しい。更に言えばレスリングを含むほとんどの総合格闘技では禁止されているが、実はこの状態で下側の人間が金的を狙われると非常に不味いという事情もある。


「ぐっ!」

「シット!」


 半月は胴に回した足を解いて、下から膝立ちのタイタンの胸と腹を蹴り飛ばした。タイタンの胴に回した足がなくなるとタイタンは即座に立ち上がる。


 このまま半月は仰向けで足を相手に向けて寝ている状態、タイタンは半月から一歩半ほど間合いを取り立ち姿勢の状態となる。これはいわゆる猪木アリ状態と呼ばれるものだ。形勢は五分五分。


 この猪木アリの膠着状態を確認するとタイタンの唇が奇妙に歪んだ。タイタンは一歩派手に助走をつけて、その巨体で跳躍した。


「ぬッ!?」


 タイタンは体重一〇四キログラムを存分に用いた半月の顔面への踏みつけ攻撃を敢行したのだ。


 タイタン、俺を殺す気か? そんな思いが半月に過った。


 相討ちになる可能性があるが跳躍して落ちて来るタイタンの金的を下から蹴り上げても良い。脚を上に上げて、タイタンを中に入れさせないように壁を作るのが一般的だ。


 しかし半月は何もしなかった。この好機をも見送った。


 半月は寝たまま右に転がって横方向に回避する。するとタイタンが半月の左肩付近に着地する。マットがどすんと揺れた。


 そのままタイタンは満面の笑みで半月を上から組み敷いて馬乗りになった。マウントポジションだ。タイタンは半月を組み敷いた上から、半月の顔面に向かってガードの隙間を狙って拳を一つずつ丁寧に落として行く。


「ッッううううう!」

「イエス! イエス! イエス! イエス!」


 タイタンは先ほどのガードポジションの時とは違う、気迫のこもった拳を放つ。距離が近く狙いやすいということもあるが、もうこれで決めてしまおうという意思も感じる。


 一発一発が重く、堅固な拳だった。


「しっかりしろぉおお! 俺はおめぇに賭けてんだぞ!?」


 観客から罵声を浴びる。


 半月は懸命にブリッジしてマウントポジションの姿勢からの脱出を試みるが、タイタンの姿勢制御が巧みでそれを許さない。半月が苦し紛れに下からタイタンの喉や目を狙って貫手を放つが、ことごとく払い落とされた。


 その間にもタイタンは鼓膜や三半規管を狙って耳に掌打を入れたり、目に向かって拳を落としたりした。


 そして遂にタイタンは上から半月の体に覆い被さると半月の右脇の下に手を滑らせ、右腕を上げさせる。そして頭と右腕を抱え込む様にして腕をクラッチして抑え込む。


 肩固めと呼ばれる抑え込みの技だが、そのまま首を絞めあげることも出来る。


 タイタンは容赦なく半月の頸動脈を絞める。


「半月! プロレスに付き合うな!」


 柳生が残酷な注文を出す。


 半月は薄れゆく意識の中でもがく。そうだこれはプロレスではなくバーリトゥードだ。半月は残った左腕をタイタンの睾丸に伸ばした。同時になんとか首を捩じり、密着しているタイタンの肩に噛みついた。


「ガアアアアアアアアアアアア!」


 タイタンの肩の肉に半月の歯が食い込む。タイタンは驚き、痛みに喚いた。


 だがそこは急所ではない。これでは決定打にはならない。


 タイタンは肩固めをあっさり解く。そして怒りながらマウントポジションから半月の両腕を抑え付け、そのまま上から頭突きで幾度も半月の顔面を潰した。


 歯茎から出血し歯が少し欠けたか、口の中がネバネバジャリジャリする。顔面が熱を持っている。鼻が腫れている。鼓膜へ衝撃を受けたためか、聞こえ方が変だ。両目の瞼が腫れあがり、視界が潰れて外が見えやしない。


 やがて半月は動くことをやめた。気絶した振りをした。


 白いタオルの気配がした。柳生が投入したのだ。わざとタイミングを遅らせているようであった。


 空き缶、座布団、帽子、そんな物が檻に投げ入れられる中、レフェリーが半月とタイタンの間に割って入り試合を止めた。


 満面の笑みで勝ち名乗りを上げるタイタン。対照的に気絶した振りをして、レフェリーと柳生を含むスタッフと医師達に囲まれて担架で運ばれる半月。


「強くなりてぇ……」


 騒々しいリングの上で、半月は人知れずそう呟いた。


 半月は自分が不甲斐なくただ悔しい。俺はまだやれる、止めるなと叫びたかった。憤りにも似た怒りが自分の心臓を叩くようであった。唇を強く噛むと血が滲んだ。痛みが心に火を点けるようであった。

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