第5話
かなえは体育館前に立っていた。内開きのドアを両手でゆっくり押して開ける。
壇上に緑川聖子の姿があった。
「もう止めたんだ? 見て見ぬふりは」
聖子の声が透き通るようにして響く。窓から差す光は赤い。
「分かってきたわ。これは私に対する罰なんでしょう?」
乾いた声が体育館にこだました。
「かなえは流れに合わせてばかりなのよ。卑怯なコウモリと同じね」
かなえが翼を開く。対応する様に聖子の右腕が蛇に変わった。緑色の大蛇が演壇に牙を深く刺す。
「左頬が腫れちゃって。可愛い顔になったわね」
大蛇がしなり演壇を投げる。かなえは空中に飛び上がり軽く避けた。
聖子の白くて長い左腕も蛇になる。今度は紫色だった。
2匹の大蛇がかなえに向かう。かなえも聖子に向かって行った。右に2回転して蛇をかわし、聖子の腹に蹴りを喰らわす。手ごたえは無い。聖子の腹から無数の小蛇が湧いて出ていた。
「聖子はどうなの? 頭も体も恵まれて、不自由が無い。チカをいじめる動機は何?」
「皆がそう望むからよ」
子蛇たちがかなえの脚を捕まえたまま、ジャイアントスイングの要領でかなえを投げる。投げられたかなえが空中で止まった。
「黒幕でも居るってワケ?」
「いいえ。リーダーは私でしょうね」
緑と紫の蛇が涎をまき散らしながら、かなえを狙う。かなえは体育館を出た。蛇が追う。飛翔するかなえは近くの男子トイレを経由して、水入りのバケツを確保した。 向かうのは渡り廊下の先、家庭科室の隣にあるコンピュータールームだった。
パソコンとハードディスク、大量のコードがコンセントに繋がっている。
机を縫うようにして飛行しながら追ってきた蛇をかわす。攻撃を何度も避けているうちに緑の蛇にコードが絡まる。
噛みつきを避けたタイミングで、かなえはバケツの水をぶちまけた。緑蛇は一瞬だけ面食らったが、またすぐに動き出した。紫蛇は冷静で、水も掛かっていないしコードにも絡まっていなかった。
緑蛇が体を伸ばして攻撃を続ける。しばらくするとコンセントが抜けた。緑蛇に電流が走り、焦げた匂いが部屋に満ちる。
手で鼻をふさいでいると、紫の蛇が口を開けて酸を吐いた。かなえの右の翼手が少し溶ける。横たわる緑蛇にも酸が当たって、さらに悪臭が立ち込めた。
宙に浮くかなえが肩で息をし始めた。紫蛇がニヤリと笑う。
傷ついた翼でかなえは再度、渡り廊下を戻って行った。体育館の下、美術室に行きたかった。蛇は巨体を動かし方向を転換するのが苦手なのか、ズルズルと体を縮ませて聖子の元に戻ろうとしていた。
美術室の扉を開けると、絵具と薬品の匂いがする。この部屋に入るための扉は一つしかない。かなえはキャンバスや胸像、椅子を使ってバリケードを作り、ドアをふさいだ。
(聖子自身はイジメなんてしたくないの?)
もう無視はしたくなかった。無関係ではいられない。
扉を叩きつける様な音がした。バリケードが揺れる。かなえはキャンバスに背中を押し当てた。蛇が体当たりを繰り返している。4度目の衝撃で扉とバリケードが破られた。
かなえが床に倒れ込む。紫色の大蛇がかなえの脚を口に咥えた。紫蛇の体には無数の子蛇が纏わりついて蠢いていた。
2度、3度かなえが床に叩きつけられる。蛇はかなえを咥えつつ、窓を突き破って外に出た。ガラスの破片が背中に刺さる。蛇とかなえが上昇していく。
「プレゼントよ!」
かなえが隠し持っていた絵画用の油を牙の隙間から投げ込んだ。蛇は体を大きくくねらせて、かなえを離した。
自由になったかなえは銃を抜き、口の中に向けて弾丸を放つ。口から背中にかけて穴が開き、蛇の体は力なく落下した。
弾は後2発しかない。
かなえの口の端から血が流れる。
「かなえも思っているんでしょう? ターゲットにならなくて済んだって」
美術室の割れた窓の近くから言ったのは聖子だった。千切れた両腕から細い蛇が生え始めている。
「いや……。私は……」
聖子の両腕から緑色の2匹の蛇がかなえを襲う。翼をぎこちなく動かしながら、かなえは校舎の側面を飛んで逃げた。
聖子の蛇が体育館の
別棟の音楽室の外側辺りで、反転したかなえが聖子の顔面目掛けて回し蹴りした。
聖子は頭を下げて軽くかわし、そのまま左腕の蛇をかなえの体に巻き付けた。耳元で聖子が囁く。
「ねぇ。覚えてる? 中1の頃、私達同じクラスだったでしょう。かなえ言ったのよ。イジメられるのだけは嫌だって」
「そんな理由でチカを皆でイジメたの?」
かなえの額に汗が浮かぶ。聖子の腹に肘を打ち付け、蛇からは逃れた。ベランダの手すりにぶら下がる聖子が言う。
「皆、誰かがイジメられるのを望んでいたわ。皆の希望を叶える事がきっと支配者としての役割なのね」
かなえが聖子の後ろに回り、両腕で胴を抱える。
「あなたは支配者なんかじゃない。流れに身を任せてるだけの卑怯者よ」
聖子が手すりから手を離し、全体重をかなえに預ける。
「卑怯者なら誰かさんと同じね」
嫌に甘えた声だった。
かなえが体を反らし、地面に向けて聖子を投げる。聖子は地面にぶつかる直前、両腕の蛇をクッションにして衝撃を和らげた。かなえが聖子の視線から消えた。
再び両腕の蛇を上手く使い、聖子が各教室を見て回る。
3-Aベランダに聖子が立つ。教壇の奥に手が見えた。
「そこに居るのね」
割れた窓から教室に入り、勢いよく教壇を倒した。隠れていたのはかなえではなく、死体になったチカだった。
かなえが自分の席の近くから、片膝をついて銃を構える。
かなえの目を見て聖子が言った。
「ねぇ。私、かなえの事、嫌いじゃないわ」
聖子の頭は吹き飛んだ。かなえがその場にへたり込む。
「聖子も私も変わらない。同じだった」
呟いてから立ち上がり、自分の席にかなえが座った。銃口を自分のこめかみに向ける。手は震えていなかった。
炸裂音が教室に響く。学校にはもう、誰も居ない。
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