第3話
かなえはチカの死体を一瞥してから廊下に出た。
空が赤くなる前と同じ光景が眼前にある。自分が出てきた教室は3-Aで、ここは学校3階の西端だ。
かなえは学校を見て回ることにした。どこかに出口があるかもしれない。しかし3-Bにも3-Cにも誰も居ない。あまりに静かで自分が本当に存在しているのか疑わしくなる。
気分を紛らわすため、かなえはスカートの背中側、ウエストベルトに差した銃を触り始めた。
持ち手は茶色く、銃身は銀色。長さは15㎝を超えるほどある。それでいて、なぜか軽い。反動も大きく感じなかった。何から何まで現実味が全くない。
3-Cと3-Dの間にあるトイレ付近に差し掛かった。
「か~な~え~」
誰も居なかった3-A方向からの呼び声だった。振り返ると短い髪に褐色肌の女が立っていた。彼女は陸上競技のユニフォームを着てスパイクを履き、右手を腰に当てている。
「春崎アキナ。あなたも私を殺しに来たの?」
「そうに決まってんだろ。チカは殺ったし。次のターゲットはお前だよ」
バリバリと裂ける音と共に、両足のふくらはぎから半月型の刃が姿を見せる。ふくらはぎと刃の間にヌメヌメとした赤い糸が引いていた。
「ねぇ、ここってどこなの? それにあなたや坪田イクミのその姿……」
「ワタシが知るワケないじゃんか」
かなえの疑問を切り捨てて、アキナは右足で前蹴りをした。かなえに届く距離ではない。アキナは3-A付近に居る。
しかしアキナの脚に付属する刃が、血を三日月型の塊にして空中に浮かばせていた。血で造られた凶器が、鋭い風の様にかなえに向かう。
かなえは床を舐めるようにして伏せ、遠距離攻撃を避けた。三日月型が通った後、生臭い匂いが風に乗って運ばれてきた。
かなえが立ち上がって銃口を向ける。
「当てられる? その距離で」
煽りながらアキナは左脚で蹴り上げる構えを見せていた。
(弾丸が命中しても、私が切り刻まれたら意味が無い)
かなえはアキナに背を向けて逃げた。
「オイオイ。走りで勝てると思ってるのか?」
アキナがクラウチングスタートの体勢をとった。かなえはDクラスを通り過ぎる。
(直線はダメ。何か作戦を考えないと)
3-D後ろのドアから、かなえは入った。
「隠れても無駄だぞ。かなえ」
アキナの右には生徒用の机と椅子が、左には掃除用具を入れるためのロッカーと三段組の背面ロッカーが並ぶだけだ。
「どこに隠れててもいいや。真っ二つに斬ってやる」
アキナが右脚で蹴りを放とうとした瞬間、掃除用具入れのロッカーが開いた。中に潜んでいたかなえがアキナの横腹に蹴りを入れる。アキナは机の間に倒れ込んだ。
「やるじゃん。聖子の奴隷のクセに」
かなえは眉毛をピクリと動かし、左手に隠し持っていたクリームクレンザーをアキナの目にぶちまけた。
「クソッ! てめぇ!」
アキナの叫びを背にして、かなえは逃げた。3-Dから出て東側の階段を降りる。
「殺す! チカよりもっと酷い目にあわせて!」
3-Dにある机や黒板は、血を三日月型にして飛ばす攻撃で、徹底的に破壊された。目をこすりながらアキナが階段を降りていく。
「みつけたら、ぜってー土下座させてやる」
呟きながら2-Eに入り、教室内をズタズタにする。
2-D、トイレ、2-Cと、アキナは順々に破壊を続けた。
「もう2つしか教室、残ってねぇぞ~」
前のドアから2-Bに入ったアキナが教室を見渡す。かなえは居ない。
「まさかさぁ。同じ手だなんて言わないよな?」
掃除用具入れのスチール制ロッカーをアキナが叩く。
「なぁ。どうなの?」
今度はスパイクで蹴りつけた。
「この中に居たらさぁ、ひきずりだしてチカみたいな目に会わせてやるよ。全身ボコボコになるまで蹴って、トイレの便器に顔、突っ込ませてやる!」
ロッカーが勢い良く開く。アキナは体を後ろにそらしてドアを避けた。
「ほらいた!」
かなえは攻撃せずに教室から出た。アキナがすぐに追いかける。
「もう逃げ場なんてねーぞ」
かなえは後ろから髪を掴まれた。
「待って……。質問させて」
「はぁ?」
「なんでイジメなんてしてるのよ」
「ハッ。今更かよ」
嘲笑いながらもアキナは落ち着いて答え始めた。
「雰囲気っつーか。聖子と一緒に居て、なんとなく」
「……本当に?」
「あぁ、チカがイジメられるのは私のせいじゃない。アイツが弱そうなのと、ノリと聖子のせいだ」
かなえが顔に手を当てた。肩を震わせながら、微かに声を出している。
「泣いてんのか?」
アキナがかなえの顔を覗こうとする。かなえは顔に当てていた両手を下げた。
「いいえ……。笑っているのよ」
「何がおかしい?」
かなえは両目を三日月目にして、アキナを見ていた。
「ハハハハッ。結局あなたも奴隷じゃない。聖子に服従するのは気持ち良かった?」
アキナはかなえの背中を蹴った。かなえの呼吸が一瞬止まる。
「イライラするんだよ。チカもお前も、陸上も!」
蹴られたかなえは、うつ伏せに倒れこんだ。
「なんで私が怒られるんだよ! タイムが少し遅れただけだろ!」
かなえの背中をスパイクのスタッドで何度も踏みつけ、脇腹につま先を喰らわせる。
「担任だって成績が悪いとすぐに怒る。そんなに私を有名校に入れたいのかよ!」
かなえは仰向けになって両腕で顔を守り始めた。腕に何度もスタッドが食い込む。しかし腕と腕の間から覗くかなえの顔はシニカルだった。
「あなたってヒステリックなおばさんみたいね」
息を切らしたアキナが、ふくらはぎから出る刃をさらに開いた。
「腕、落としてあげる」
アキナがかかと落としの体勢に入ったその瞬間、かなえは2-A後ろのドアを一気に開けた。
かなえが教室内に設置した、割り箸製の弩からペンが飛ぶ。放たれたシャープペンは防ごうとする手をすり抜けて、アキナの右目に芯から刺さった。
「クソッ! あんただって私たちと同じクセに!」
かなえが腹部側のウエストベルトに隠していた銃を抜く。かなえが狙ったのは右目だった。
銃声と共に春崎アキナの頭が半分消える。顔の右側を失った死体は仰向けに倒れ込んだ。
異形と化したアキナのふくらはぎを、かなえが見やる。大きな深呼吸をすると同時に、肩甲骨の辺りに熱を感じた。
背中から何かが生えようとしている。
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