第九章 絶命剣『死狂』 その一

 クーデターの報告を受けた第二、第三、第四管区隊の遊撃士達は鎮圧部隊としていち早く無限大の正義の会の鎮圧に動き出し港区の芝公園に陣を張った。集まった兵士は合計で九千人ほど、直ぐに出撃可能な人員の大半を割いている。


 戦争の鍵は国会議事堂にある。もし国会議事堂を占拠されれば無限大の正義の会は残った国会議員を皆殺しにし、新政府の樹立を宣言するだろう。そして帝王に武力で存在を認めさせ、日本をひっくり返すに違いない。


 そのため鎮圧部隊は各管区合同の隊を二つに分け、一つを千代田区の国会議事堂を警備する部隊に、もう一つを江東区に潜伏していると考えられる草薙の捜索と抹殺を行う部隊に当てた。


 そして息つく間もなく芝公園から江東区へ向かう最中に戦闘は開始された。


 今のところ安岡警察監補の水際作戦が功を奏し、時間を稼ぐことに成功した第一管区隊に動きはない。このことは暗号通信により鎮圧部隊にも知らされていた。よって対空手段を持たない無限大の正義の会は制空権を鎮圧部隊に譲ることとなったが爆弾の量が足りない。そのため肝心の地上での戦闘は、一時間変身していられる兵士八百人を有する無限大の正義の会が優位に展開していた。


 鎮圧部隊の敗戦が濃厚であったが、無限大の正義の会は変身が一時間しか持たないという弱味があるのでこの戦争に慎重な態度で臨んだ。しかし前線は江東区から国会議事堂のある千代田区にじりじりと動いている。ここで第一管区隊が動けば完全に決着だ。


 東京は火の手が上がり大雨でも鎮火の兆しがない。大きく崩れた煉瓦積みの建物や、屋上が崩落している鉄筋の入った石造りのビルで溢れている。


 明け方、散発的な戦闘は数度あったが、大規模戦闘には至っていない。そんな大雨と爆弾が降る戦場を走る無数の影があった。草薙抹殺の命を受けた第二管区隊第十一遊撃士中隊、風助達だ。


「急げ! 逃げろ! 隠れろ!」


 七十名を取りまとめる中隊長二等警察士、風間風助の考えた戦法は単純なものだ。


 発見した敵を変身させないまま銃か刀で殺すか、変身された場合は変身形態が崩壊する約一時間の間、逃げ続けるというものである。そして今まさに変身した敵兵から逃走している最中であった。


「駄目です! 追いつかれます! 私が囮になりますので、皆は逃げて下さい!」

「わかった。しかし死ぬな、これは命令だ! 他の者は各々近くの建物へ入りその身を隠せ!」

「「「応!」」」


 東京の道路のど真ん中、黒いアスファルトの上で一人が反転し、変身した鬼人とも言うべき角を持った巨大な兵士四人に向かって走り出す。銃は持っていない、腰に差した太刀一本で立ちはだかった。


 それはあまりに無謀過ぎた。


 この戦場は特殊だ。相手を殺害し、戦力を削ぐことが第一の目的ではない。何としてでも生き残ることこそが大局的な勝利への礎となる。しかしただ生きるだけということがこんなに難しい戦場を風助は知らなかった。


「日本に栄光あれぇえええええ!」


 爆撃や雨音に混じって部下の悲鳴が聞こえる。


(糞ッ! また一人失った……)


 風助は近くの黒煙を上げ、三階建ての三階部分が崩落している百貨店に突入した。


 電気は点灯していないので暗い、身を隠すには丁度良いと判断する。風助は階段を急ぎ駆け上がると衣類売り場に来た。


「このままでは終われない。生きるんだ……」


(あの人なら……あの死んでしまった兵士も助けられたのだろうか?)


 ふとそんなことが頭を過る。しかしあの人はもういない。あの人は自分達を見限り、見捨てた人間だ。今ならそれは正しいと思う。鳳凰海運の件で自分の欲求が強すぎて調子に乗り過ぎたせいだ。罰が下った。自分の失態だと風助は反省していた。遊びが過ぎたのだ。


(こんな時でもまだ期待しているのか、僕は……)


 急ぎ三室並んだ試着室の右端の中に靴を、その先をこちらに向け、置いた。直ぐにその場を離れて待つ。


「うふふ、迷子の子猫ちゃんはここかしら? ハロー……」


 下の階からゆっくりと変身形態の兵士が上がって来る足音が聞こえる。


 風助の心臓は音が周りに聞こえているのではないかと思うほど大きく鼓動する。風助は深呼吸を繰り返し、心臓の鼓動を安定させるよう努めた。そして祈る、作戦が上手く行きますようにと……。


 カツカツカツと音を立てて歩く兵士、その足音が次第に大きくなって行く。風助は緊張のあまり腕が震え出し、少し気分が悪くなった。


「ここかしら?」


 左端の試着室からカーテンを開ける音が聞こえる。まんまと作戦に引っ掛かっているようだった。


 実の所、この百貨店に風助が来るのは初めてではない。この命懸けの鬼ごっこに下見もせず挑むほど愚かではなかった。ここは事前に偵察済み。


 風助たち十一遊撃士中隊の隊員達は出撃時、港区の芝公園へと向かう船の中で必殺の武器を預かったが、重すぎて逃げるのに邪魔となっていた。そこで戦場となる地域を推測し、隠れることができるポイントに武器を隠しておいたのだ。


「ここね?」


 真ん中の試着室のカーテンが開かれる。


 いよいよ戦闘の時が近い。


「ここも、違う……じゃあ、さ・い・ごは……ここ!」


 靴の置いてある右端の試着室を最後に調べる辺り、相手の意地の悪さを感じる。完全に自分達の方が力が上であることを理解し、余裕を持って、弱者をいたぶって、できるだけ恐怖を与えて殺そうという考えが透けて見える。


 そして自分達が殺される可能性など、微塵も感じていない。


「ッ! いない!? 靴だけ!?」

「あの世で詫びろ!」


 それは戦場で個人が携帯できる最も強力な武器の一つ、ドイツ製の対戦車擲弾発射器であった。それは既に試着室に向けてある。風助は生きるため、殺すと決めた。衣類を被せて隠しておいた対戦車擲弾発射器の引き金をためらわず引いた。


 轟音、爆風。


「ッ――」


 短い悲鳴を残し、変身した兵士の腹から上が弾け跳ぶ。対戦車擲弾はそれだけに留まらず、試着室の奥の壁を突き抜ける。頭を失った兵士の体はその場に崩れた。


 ガラガラと壁が、そして天井が崩壊していく。


 風助は変身形態の信じられないような再生力を知っている。落ちた兵士がきちんと死んでいるのか確認するため、大雨に打たれながら外を眺めた。


「しまった」


 風助はここで自らの過ちに気付く。


 壁を破壊した轟音で周囲の注目を浴びることは間違いない。外には何が起きたのかと確認に来た変身形態の敵兵が三人、死体となった仲間の亡骸を囲むように眺めていた。そして次の瞬間には皆崩落した二階部分の壁、つまり風助がいる所を見上げた。目が合った。敵兵がニヤリと笑う。


 風助は鬼達に見つかったのだ。


「くっ」


 そこからの風助の思考は速かった。対戦車擲弾はまだ木箱に三発残されている。このまま戦うか? いや無謀だ。逃げるべきだ。どこへ? 下は危ない。屋上からなんとか隣のビルへ移動できないか? そう考えていた先に崩落した壁からドスンと音がした。


 振り返ると一人、ずぶ濡れの敵兵が超人的な跳躍によって崩落した壁から侵入して来た。風助が走り出すと同時だった。


 時間がない。今隠れても遅い。しかし二階から侵入して来るのだとしたら一階はがら空きの筈だ。風助は思い切って一階から外へ出る決意を固めた。非常階段から一階に降りる。


 一階は静かだった。背後から迫る殺気に身を震わせ、従業員専用と思われる裏口兼駐輪場からガラスのドアを突き破り、土砂降りの雨が降る外へと駆け出る。


 逃げ切れるかと思ったその刹那、足に強い衝撃が走った。


「なッ!」

「ヒットォオ!」


 風助は道路の真ん中で激しく横転する。脇には物凄い力で投げられたと思われる自転車も一緒に転がっていた。


「足が……」


 右膝が折れ曲がっている。激痛が風助を襲った。しかし心は折れず、生きるため、泥水を掻き分けるように這って、少しでも身を隠せる場所を探した。だが無常にも背中を踏まれ、動きを封じられる。


「虫がッ、手間かけさせやがって……」

「お、こいつの階級章見ろよ、子供の癖に二等警察士だぜ。おそらく隊長だな」

「このガキを嬲り殺しにすれば敵の戦意を削げるな」


 風助は腹を蹴られた。顔面を踏まれ、唾を吐き付けられる。


「ほら、我慢しろよ」

「痛ぅぅッアアアァァァ!」


 右手の指を折られた。一本ずつ、小指から親指まで。そして折れた指を摘ままれると爪を引き剥がされた。


 風助は今まで殺した小動物達のことが頭を過った。なるほど、このような感触か、今までやってきた報いだ。仕方ない。


「戦闘機だッ」


 敵兵が叫んだ。


 見上げると高度をうんと下げた戦闘機が三機こちらへ向かって来ていた。六十貫もの質量を持つ巨大な爆弾を落とされれば風助も巻き込まれる。身の危険を察知したが、投下されたのは爆弾ではなく、一体の黒い武者であった。



****



 激しい雷雨の闇の中、エンジンが唸りプロペラが吠える。重力に抗い、空気を裂くように進む狂四狼を乗せた二人乗りの零戦練習戦闘機とその僚機二機は激しく揺さ振られながらもなんとか飛行していた。


 空は初めての狂四狼にとってそれは未知の体験だった。病み付きになる者もいると聞くが、狂四狼にとっては恐怖だった。踏み締めていた大地の喪失感、空を駆け上がる時に肉体に圧し掛かる負荷、全てを置き去りにして進む空虚感、薄暗い空と雲だけの世界の孤独、そして近づく戦場、全てが畏怖の対象だった。


「糞、雑音ばかりで聞き取れやしない」


 伝声管から声がする。


「どうした?」

「本部から無線連絡、救難信号を二カ所で確認しました! その内一カ所へ僚機と共に爆撃を行うように低空飛行を行いつつ貴方を送り届けよとのことですが、意味がわかりません!」

「直接落とすんだ」

「は?」

「変身すれば直接降りられる」

「わ、わかりました!」


 戦闘機が滑空を始めた。浮遊感が訪れ、大地が近づく。そこで狂四狼は変身を始めた。高度が二町ほどに達した時、天蓋を開ける。「案内有難う」と言い残し、パラシュートのない自由落下を敢行した。


 その時見下ろした東京は観閲式の時のものとは全く違っていた。崩れた建物、上がる火の手、避難する民間人、そして最前線で逃げ惑う警察予備隊員にそれを追いかける変身をした敵兵。変身し、強化された視力のおかげでそれらが見えた。


 狂四狼は六秒ほどの対空時間の間に変身を完全に終えて、右足の諸刃の刀を折らぬように左足の足刀部から蹴るような格好で地面に激突入する。


 ザザザザザと地響き立てて、アスファルトでできた長い道路を割り続ける。一直線状に陥没穴を形成し、減速した。


 横には上空で確認した変身形態の敵兵が三人と、一人の警察予備隊員。


「先輩……?」


 隊員は風助だった。だが、今は差し迫った脅威に集中する。狂四狼は風助を無視し、まずは目の前の敵兵へと視線を向ける。


「貴様が最後の改造人間か」

「…………」

「貴様、最後という言葉の意味がわかるか? 貴様以外の二人の改造人間は草薙様に敗北し逃走したぞ?」


 敵の変身の力は命と引き換えの破滅の力だ。暴力のみで支配はできない、何の秩序も生み出さない破壊の力だ。しかし、そんな力でも身命を賭して来るというのなら応えるのが自分の役目だと狂四狼は認識した。


「イザ」


 狂四狼は敵兵の戯言を無視する。暁ノ鴉を二回転振り回し、これを鉛直に構え、重心を落としながらそう宣言。口からは赤い蒸気が漏れ出ている。


 するとまず敵兵が反応した。三人全員が背中から手榴弾を取り出すとこれを狂四狼に向かって投げ付けた。その数、合計十一。


『地獄三刀流・邪影』


 ステップを踏みながら前方へ、そのまま敵兵に近づきつつ、踊るような回転を加え、十一閃。右足の諸刃の刀で蹴り上げ、左腕の脇差で払い、右腕の暁ノ鴉で弾き切った。


 そして散らされた手榴弾が爆発すると同時、された三人の敵兵の一番近い者の懐に入る。


「何ッ!」

「斬」


 急接近を許し、怯んで後ずさりした敵兵の重心の乗った左太腿に暁ノ鴉で表切上を行う。


 変身形態特有の分厚い外側広筋に阻まれ、切り抜けるまでに至らなかったが五寸ほどの深さまで暁ノ鴉の斬撃が突き刺さる。それで十分だった。


 狂四狼がカチッと奥歯を鳴らすと同時、暁ノ鴉で斬り込んだ左太腿が爆発した。左太腿は完全に千切れ、吹き飛ばされる。


 敵兵は重心の乗った足を失い、平衡を失い、倒れ込む。その敵兵の首を横から薙ぐように右足の諸刃の刀で斬り込む。これも分厚い胸鎖乳突筋に阻まれ、五寸ほどしか刃が入らないが、刃から爆発を起こし首が吹き飛ぶ。


 これでまず一人殺した。


「ちぃいいッ」


 次に狂四狼のこめかみを狙い横から殴打する一撃。それは狂四狼にとってはあまりに遅い。上体を屈めてこれを躱すと下から敵の口内に左腕の脇差を突き刺し、脳まで貫通させるとこれを爆発させた。


 これで二人殺した。最後の一人は殺さない。


「草薙空我ト一騎討チガ望ミダ」


 最後の敵兵に暁ノ鴉を向け、そう告げた。


「…………」


 敵兵は無言のまま強化された肉体を存分に用いて、弾けるような衝撃を残し、大きく跳躍する。そして追手を気にしているのか、狭い道を塞ぐように崩れている雑居ビルの瓦礫を登りながらビルの間を縫うように走り、その場を離脱した。


 狂四狼は雨に打たれながら見送り、脅威がなくなったことを確認する。そして地面に這いつくばっている風助を横にして抱き上げる。


「先輩……今更なにしに来たんですか……?」

「……戦ウタメ」

「僕達を見捨てた癖に……」

「…………」


 狂四狼は風助を抱き、支えながら歩き、雨風を凌げる近くの瓦礫まで運び入れるとそこで風助を降ろした。慎重に風助の体を横にする。


 辺りから身を隠し、潜みつつ様子を伺っていたと思われる遊撃士中隊の面子が四十人ほどぞろぞろと集まってきた。恐らく風助の危機を遠目で見て、救難信号を発信したのも彼らだろう。


「…………」


 狂四狼は黒い武者姿のまま、黙って両膝を突き、皆に土下座をした。


「え……」

「……そこまでしなくても」

「頭を上げて下さい……」


 辺りがざわつく。


 狂四狼は土下座をし続ける。


「心身不調ノ者ハ医者ヲ頼レ、薬物ニハ溺レルナ」

「それだけですか?」


 風助は骨を折られた右手を摩りながら問いかける。


「今度ハ……逃ゲン」


 狂四狼は皆を守らせてくれと懇願し、頭を上げた。風助の目を見る。


 …………長い沈黙が場を支配した。


 遊撃士中隊の面々が黙って、風助と狂四狼を見守る。


「…………不死身狂四狼二等警査……僕達をお願いします」


 そして風助も痛みを堪えながら、上半身を起こすと狂四狼に頭を下げた。


「承知」


 黒い武者は立ち上がると草薙との一騎討ちに臨むため立ち上がった。赤い首巻と黒い小袖が雨に濡れて重く、足取りも心なしか重い。


「俺ガ戻ラヌ時ハ……妻ヲ頼ム」


 隊の皆に背中を見せて去ろうとした時、狂四狼はそう言い残し、最後の戦場に向かった。

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