第八章 無限大の正義 その一

 不死身狂四狼が風間風助に捕らえられる二日前のことである。


 東京都千代田区の東京警察病院には、一般には公開されておらず東京大空襲にも耐えうる強度を誇る地下の研究施設があった。そこは戦中から続く七三一部隊の人体実験の試験場である。今は死刑囚第一号始まりの改造人間である草薙空我と言う男の研究のために貸し切り状態であり、最後にその身体を解剖し検査する予定であった。


 草薙の最後の手記。


『私は改造人間となり神にも匹敵する力を得た。


 かつてノーマルな人間だった私は幻聴と幻覚に酷く悩まされ、壁を向いたまま怒鳴り声を出す精神異常者であったが、その私はもういない。


 世界は歓喜で満ち溢れている。


 今の私の精神は次元を超えた自由を獲得し、私の肉体はあらとあらゆる攻撃にも耐えられる不死の体となった。私は史上最強にして最狂にして最凶の戦士となったのだ。これはまさに奇跡という言葉以外みつからない。


 私は加速する。私は英雄となり、残酷な殺人鬼となるだろう。この私を止めてみろ』


「もう言い残すことはないかね?」

「あぁ」


 長身の男、大きく七尺ある。目元の彫りが深く、渋い顔立ちをしており、それを隠すサングラスがやけに似合う。この胸元の露出した灰色の薄い小袖と茶色の袴を着用しているこの男こそ草薙空我であった。


「お前も反政府組織との繋がりなど持とうしなければもう少し長生き出来ただろうに」

「…………」


 草薙は静かに手錠された手で手記とサングラスを差し出した。


 刑務官はこれを乱暴に受け取ると手記を勝手に覗く。


「ふん、随分挑戦的な遺書じゃないか。これから処刑される君がどのように『英雄となり、残酷な殺人鬼』になるのか知りたいよ」


 気狂いの言うことは全く理解できないと呟く刑務官。そんな刑務官を尻目に草薙は薄ら笑いを浮かべながら部下と思われる警察官二人に連れられ、十三段の階段を上がり処刑部屋に入る。


 そこは静かで落ち着いた場所だった。外界から完全に切り離された密室で、木の板が上下に張り付けてある。横は観察できるようにガラス貼りで刑を執行する執行官が待機している様子が確認できた。前面には仏像が置かれ、脇には先ほどの刑務官と警察官が二人、そして経を上げている僧侶が控えている。


 刑務官が部屋の中央の天井から吊るしてあるロープを草薙の首に巻き付ける。


「さよならだ」


 刑務官が室外に出ると同時、執行官に合図を送る。


 勢いよく床が開き、草薙は落下した。




 絞首刑では床が開いて落ちる時の衝撃で脊椎が骨折しほぼ即死するが、法では三十分吊るした状態を維持することが義務付けられている。刑務官と警察官二人は三十分別室で談笑し時間が来たことを確認すると、医師を連れて合計五人で処刑部屋の真下の大部屋に向かった。


「では先生、お願いします」


 警察官と刑務官は吊るされた身体を床に降ろす。その身体は綺麗だった。通常ならば肛門から汚物が溢れ、頸椎が脱臼し首が捻じ曲がり、口からは涎とだらしなく伸ばされた舌が出ているものであるが草薙は綺麗なままだった。


「はいはい」


 通常死刑は遺体を床の上に起き、医師が死亡を確認して終了する。


『電磁蘇生』


 しかしこの日はそうならなかった。聴診器を草薙の身体に当てて、目を瞑り耳に意識を傾けていた医師が驚いて「ワ」と短い悲鳴を漏らした。


 異常は他の者にも伝わった。聴診器を草薙に当てた瞬間、草薙の胸部が跳ね上がり、目を大きく開けたのだ。


「!」


 心肺蘇生した草薙は飛び上がるとまず手錠を破壊し、身近にいた医師に馬乗りになる。すると拳を振り下ろし、顔面が陥没するまで殴り続けた。


「変身ッ……来い空紅ノ王!」


 医師が絶命したことを確認すると草薙は両手うんと広げる。


 それは白い武者。不死身狂四狼とは全く異なっていた。まず変身による体調の悪化が微塵もない。それに加え、今まで繰り返したであろう変身による身体の欠損も全く見られない。それに変身に要する時間も一秒程度と圧倒的に短い。草薙は完璧な改造人間である。


 草薙の口から血蒸気が漏れ出し、皮膚は白い甲冑のような甲殻を身にまとう。何も握られていない両手の先から光が出現し、刀が顕現する。両手に握られたのはそれぞれ鍔のない二本の野太刀『空紅ノ王』であった。


 これもまた不死身狂四狼とは違う。狂四狼は元々一刀流。自身の肉体の欠損による戦闘能力の低下を出来る限り抑えるために三刀流にしていたが草薙は純粋な二刀流の使い手であった。


「草薙ィィイイイイ!」


 刀を抜刀した警察官二人が草薙に襲いかかるが、この二本の刀を空紅ノ王と呼んだ二本の野太刀で軽く防いだ。そして警察官の太刀を受け流すと胴と逆胴に空紅ノ王を走らせ、流れるような動作で斬って二人を殺した。


「止められない……」

「草薙ィイイイ! これでもかああ!」


 五間ほど離れた距離から刑務官は懐から拳銃を取り出し、構えた。


「誰も俺を止めることはできない」


 草薙は二本の空紅ノ王を両腰に納刀する。そして拳銃を前に怯む様子もなく唾を吐きながら悠然と歩き出す。


 激昂した刑務官は草薙に向けて発砲した。


『電磁殺界』


 カチりと草薙の奥歯が鳴る。銃弾が草薙の脳幹を目指し発射された瞬間、草薙の意識の中で世界が減速した。弾丸がゆっくりと飛ぶ紙飛行機のように目で易々と追えた。それは『加速装置』と呼ばれる思考の加速がもたらした結果であった。


 草薙は減速した世界の中で弾丸を摘まみ、そのまま歩行する。すると目を背けて発砲したままの姿勢を保ち、加速した世界を認識できない刑務官の腹部に拳を叩き込む。


 草薙の拳は刑務官の腹を容易に突き破った。


「これで本当のさよならだ。最も刑務官殿は自分が死んだことにさえ気づいてないのだろうがな」



****



 草薙は変身したまま執行官も虐殺し終え、警察病院の地下から地上へ出る非常階段を上がる。すると一階への入口に、一人の白衣を着込んだ男が煙草を口にくわえて火をつけていた。本物の医師ならば問題となるがその心配はない。この男は変装しているだけで医者ではなく本業は政治家であった。


 この金髪をオールバックにまとめた男は反政府組織『無限大の正義の会』と呼ばれる会の会長で、その名を霧崎真一と言う。


「やぁ、遅かったじゃないか」

「吊るされていたのでな」

「ああそれは大変な体験だったな、三途の川は見えたかね?」

「いや、暇を持て余していただけだ」


 二人は軽い会話などを挟みながら病室の外へ出る。そこには刀と拳銃を装備し、待機している霧崎の私兵が二十人ほどいた。そして二人が来ると敬礼をする。


「地上の片付けは彼らがしてくれた。しかし外は逃げ惑う人で阿鼻叫喚の様だ」

「彼らの脱出は考えなくて良いのか?」


 草薙は不思議そうに問う。


「皆今日のために死ぬ覚悟はできている」

「そうか」


 そして最早誰もいなくなった廊下を抜ける。人間の血肉片で溢れている。二人は散らかった仏を踏まないよう避けながら歩いていく。


 この警察病院は日本で最も安全を保障された病院だ。そう易々とは侵入できないし襲撃もできない筈であった。


「やれやれ、地下にはその道三十年の要人警護警察官が二人態勢で二十四時間三百六十五日監視、院内の医者や看護婦、その他の事務用務の部員に至るまで身元は確かで付け入れる隙はない。そして施設は入退室管理記録が徹底されている上、武装集団の襲撃にも耐えられるよう設計されている。さて君をどうして脱走させようかと熟考させられたものだが……内側からの異変には存外弱かったな」


 霧崎が「ちなみにドアや窓ガラスは防弾だ」とコンコンと近くにあった窓ガラスを叩いて、肩を竦めた。


「俺は他の改造人間とは違う。不安定性突然変異を途中で抑制する安定剤がなくても変身可能だ」

「いつでも出られたという訳か、旧日本軍や警察予備隊の話と違うな」

「元々、俺を除く八人の改造人間の安定剤は俺の血液から作られた物だ。今は製法が確立されて俺の血液は不要となったが、俺は安定剤を必要としない。俺以外の改造人間は紛い物に過ぎん」

「重大な機密を聞いてしまったよ」


 霧崎は大袈裟におののいてみせた。そうして二人は小雨の降る屋上に辿り着く。屋上から一帯の景色を眺める。


 平日の昼下がり、普段ならば働き盛りの会社員で賑わっている筈だが、話していた通り避難する市民や先導する警察官、それに扇動するヤジ馬に治安維持に努める警察予備隊員で場は混乱しており、道路には車や戦車が走っていた。


 まるで内戦が起きようとしているかのようだった。


「霧崎、俺の力に何を望む?」

「混沌だ……永田町の老害共を抹殺して戦争がしたい。草薙君、確認だが改めて聞こう、君は一体何を望む?」

「破壊だ」

「シンプルで良い」


 再変身は通常の改造人間であれば一日程度の間を要す。しかし草薙の場合は六時間程度の間隔で十分だった。


「潜伏先は既に手配済だ。それでは行こうか、私達の戦場はこんな場所ではない」


 最終目標は警察病院から一里ほど離れた国会議事堂であるが、その前に警察予備隊を味方に付けねばいつか殲滅されてしまう。潜伏先の民家で一泊し、霧崎と草薙はまず東京の治安をあずかる第一管区の警察予備隊本部がある江東区へと向かう計画を立てた。


 そして草薙は変身したまま霧崎を背負うと屋上から跳躍し、ビル群を伝い、警察病院を脱出した。

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