第二章 その手、紅に染めて その二
「ここの村で薄翅蜉蝣衆と名乗る賊を匿っている輩がいるとの報告を受けている」
こちらにも二人ばかり死者と一人の重傷者を出したが夜襲は成功に終わり、武器を手に取った者は全て殺害した。
そして残ったのは田沢の潟の周りに住む幼い子供やその母に老人、全ての人間合わせること二十人。その全ての武装解除を確認後、彼らを湖の背にする形で並べた。まるで皆殺しにして湖の藻屑にすると言わんばかりだ。
夜が明けて新しい朝が来た。そしてここから先は人間の時間ではない。
「反乱分子は速やかに排除されなければならない。我々はそのためなら民間人への攻撃も許可されている。だが、貴様らが身柄を差し出せば我々は何もしないし、犯人隠匿罪で逮捕することもしない!」
狂四狼が大きな声で周りに訴えかけた。
果たしてそんな美味しい話があるだろうか?
辺りが少しざわつく。村人が互いに目を合わせ、無言で探り合いはじめた。降伏の兆候か? 人は追い込まれると些細な希望さえも日光のように眩しく感じられるのかも知れないと狂四狼は不思議な思いで皆を見つめていた。
銃を使えば小さな子供でも殺人鬼になれる。そんな社会はあってはならないという帝王の意向により銃が厳しく規制された日本で、薄翅蜉蝣衆は卑怯にも自動小銃で政治家や民間人を射殺し国家転覆を謀った大賊だ。そんな帝王の威光に背いた輩を庇うということを正しく理解しているのだろうか? 恐らく、この日本で彼らの居場所はどこにもない。
「報奨金も出そう!」
狂四狼は長い長い村人の腹の探り合いを見届ける。そして彼らは最終的には静寂という応えに至ったようだ。
「……風助、得物」
口だけではどうにもならない。口で言ってわかり合えるなら争いなど起こらないのだ。できれば犠牲は少ない方が良い。しかしこう結託して匿われるとやり方がない。最終手段に打って出るしかない。
狂四狼は自然に一番効果的に恫喝できるであろう人選をした。近くにいたまだ八つくらいの体の小さな少年の髪を掴むと引き摺って村民の前に連れてきたのだ。
「どうぞ」
狂四狼は風助から自分の打刀を受け取る。
「やだ、やめて、母ちゃん助けて! 母ちゃん!」
「お願いします。うちの子を連れて行かないで! お願いします!」
そして打刀を鞘に入れたまま、ゆっくりと打刀を振り上げて天にかざした。そのまま渾身の力で思い切り少年の顔面を打擲。
――メキ――
――メキ――
少年は言葉を失い、ぐらりと土に倒れこんだ。
即死である。
「いやああああああああああ!」
歪んだ子の顔面を見て母が絶叫する。そして手遅れと思われるが母親が子供を庇うように体に覆い被さる。しかし狂四狼は母親ごと滅多打ちにする。一度ではない。二度、三度、四度、五度。
狂四狼の打刀の鞘は鉄でできて先端には鉛が埋め込まれていた。そうすることで敵の攻撃を受けたり、鈍器として使ったりもでき、更にはそのまま投擲することもできる。そのような物で何度も何度も殴りつける。悲鳴が途絶えてもメキャメキャと肉を磨り潰す鈍い音がするし、骨を砕く感触はいつまでも手に残る。
十七度、十八度、十九度。ようやく痙攣した虫のように蠢いていた肉塊がぴたりと動くのを止めた。
すぅ……と気分転換に肺に湖の新鮮な空気を取り込み、ゆっくりと吐き出す。止めどなく流れる汗は恐らく疲労のために出たものではなく、圧倒的な快感によるものだろう。これが拒否反応である筈がない。脳内麻薬が分泌されすぎたのか現実感が乏しい。酷い頭痛がする。吐き気もだ。
ひとしきり軽い運動を終えると少年の顔は陥没し脳が零れている。母は背中を何度も打たれ内臓と脊髄を損傷した上、背骨がぐにゃぐにゃと歪んで人としての形を保てていない。
そんな惨憺たる情景。また二つ、母と子の躯が出来上がった。
「くく、ははは」
狂四狼はまた殺人を犯し切った。笑いが止まらない。
辺りから憤怒の囁き声が聞こえてくる。
やめろ、やめろ、犬め、政府の犬め、戦時では我々を見捨てた癖に、我々を守って下さった薄翅蜉蝣を踏みにじる。権力を背景にした暴力なら正当化されるというのか卑怯者め……。老人は祈り、少女は涙を流す。大人はぐっと掌に力を込めずっと我慢をしていた。
「こうなりたくなかったら逆らうな。もう一度聞く。身柄を差し出せ」
「…………」
再び静寂。睨む視線は敵意に満ちていた。
「へぇ」
先ほどまで様子を伺う気配を見せていたが、一度決意を固めると中々手強い。これでも屈服しないとは、なかなか気骨があるじゃないかと狂四狼を感心させられた。しかしこれでは仕事にならない。狂四狼は薄翅蜉蝣を殲滅せよとの命を受けている。隠れられていると探すのが面倒なのだ。
「前へ」
狂四狼は手で合図を送ると林の奥から軍馬がキュルキュルと音を立てて引き摺る大きな物が姿を現す。それは村民達集められた箇所から十丈ほど離れた位置に止められた。
「歩兵砲……」
村民の誰かがそう呟いた。
「構え」
警察予備隊ですら普段は火器の使用が厳しく制限されているが、今回は相手が銃で武装しているとの情報から、狂四狼は歩兵砲を一つ貰い受け、これで敵部隊を殲滅ことが許可されていた。見た目だけでも威圧の効果がありそうだが、試し撃ちもした。古びていても一目でわかる圧倒的な戦力である。
向けられた砲の先、射線上には兄と妹と思われる小さな童がいた。最初は手を繋ぎ寄り添うだけに留まっていたが、砲を向けられると兄は妹の頭を抱きしめ、震えて目を閉じた。
「撃て」
狂四狼が合図を出し、砲弾が砲口から跳び出すのと同時、視界の外で村民達の中から影が飛び出した。
紫電一閃。
巨漢の男が滑るように動き、小さな童二人の前に立ちはだかる。
「なっ!」
狂四狼は目を疑った。それは紛うこと無く前蹴りだった。突き出された足底が放たれた砲弾をしっかりと受け止めたのだ。人間業ではない。人間なら問答無用で砲弾に潰されて即お釈迦だ。
「ぬ、んッッ!」
巨漢は受け止めたその、突き出した足を上に逸らす。
砲弾はその軌道を僅かに変えられ、前方やや空の方へ、村民を避けてあらぬ方向へ跳んで行った。それと同時、受け止めた男の体は衝撃で弾かれ、曲芸的に荒々しく後方転回しながら村民達へ向かって吹き飛ばされた。
そして巨漢が湖の緩んだ土を削りながら転がり落ちると座った姿勢のまま、即座に握り拳大の石を拾い、砲撃を行った砲手に向かって上半身の力のみで全力で投げ抜く。
「あ、…………あれ? あれれれ?」
石は砲手の左肩に当たった。
「俺と同じ、改造人間……」
狂四狼は確信する。
「……熱くなってきた。あんまり痛くない……わ……助けて、なんで、俺……あれ? 腕、俺の腕、あ、あああ、ああああああ……」
その一撃は砲手の肩をえぐり、鎖骨付近に大穴を開けた。接続部を失った砲手の左腕が地に落ち、その衝撃からか砲手は陸に打ち上げられた魚のように勢いよくのたうち回る。
明らかに致命傷であった。その状況を見た風助が速やかに近づき、のたうち回る砲手の体に馬乗りになると頸動脈を短刀で斬って楽にしてやる。
隊員に緊張が走る。皆が抜刀し重心を落とす。突撃の臨戦態勢の構えを見せた。
「随分偉くなったな。不死身狂四狼」
巨漢は村人に支えられゆっくりと立ち上がると狂四狼を指差した。
「何?」
巨漢は体付きこそ固く引き締まっているが、ぼろきれを身にまとい、無精ひげを生やし、髪を汚く伸ばしていた。まるで浮浪者だ。狂四狼は名を呼ばれたが、心当たりがない。もう一度よくよく男の容貌を観察してみる。
「いけません久我様」
「ダメです。行ってはダメです」
「殺されちまう」
村民が次々に制止の声を漏らす。その中一つ、聞き逃せない語があった。
「久我?」
この男が久我虎彦だとでも言うのか? この浮浪者があの魑魅魍魎の渦巻く旧日本軍の中で中将まで登り詰めた男だと言うのか?
狂四狼は久我への復讐の機会を伺うために軍に残った。しかし久我が軍を抜けてしまった。長くその行方を追っていたが、足取りは掴めなかった。まさかこんなところにいたとは、狂四狼は久我の浮浪者の恰好に驚嘆する。
「なあに返り討ちにしてくれる」
久我は村民にそう告げると悠然と歩き出そうとする。しかしその巨漢を、両手を広げて止める者がいた。
「…………」
「…………」
先ほど砲撃に晒されかけた兄と妹だ。巨漢を止めるにはあまりに小さいが、それでも精一杯体を広げて通せん坊をする。小さな瞳には強い意志が宿っていた。
「達者でな」
久我は腰を落とし、久我は二人を抱きしめる。二人と久我の間には何か縁があったのかも知れない。しかし狂四狼には知る由もないことだ。
そして久我は二人を優しく押し退ける。
「……変身……」
久我は『変身』と口にした。変身を促す変身促進剤と思われる薬品の入った注射器を胸に一本打ち込む。
息吹と呼ばれる呼吸法がある。まず腹を膨らませながら息を吸う。次に丹田に力を込め、腹を凹ましながら口を開き、内筋を用いて瞬時に息を吐き切るというものだ。久我は両手に正拳を作るとそのまま自身の顔の下で両腕を交差させ、息吹を行った。息を吐き切ると同時に交差させた腕を脇の下まで引き下ろす。
「これは」
狂四狼は己以外の変身を目にするのは初めてだった。それは不安定性突然変異とも呼ばれている。
久我の筋肉が醜くぶくぶくと肥大化し、皮膚は灰色に変色していく。身長は元々六尺程度ありかなり大柄だったが、今はどんどん大きくなり十尺まで達しようとしていた。そして額には二本の角が生え、口からは血の蒸気とも言うべきか赤い吐息が溢れ出していた。
「ガアアアアアアアアアアアア!」
変身、それは人から人ならざる者に変化することを示す。その力を有した者を『改造人間』と呼んだ。
それは本土決戦を控えた旧日本軍の残した最後の決戦兵器である。肉体に大きな負担を強いる改造を繰り返し、大量の薬物を接種する。それでも適応できる人間は少ない。数え切れない数の犠牲の上に立つ遺産がここに残されていた。
「不死身狂四狼、マズは貴様ヲ葬っテ、他ノ悪鬼も地獄へ堕とス……」
久我は怒りに身を任せ、さらに一本変身を安定させるための安定剤が入っていると思われる注射器を打つ。そして久我は無念を抱き死んでいった仲間と村民を思い、美酒を堪能したかのように激しい憎しみに酔いしれていた。
だがそれは久我だけではない。
「……ずっと探していた」
漏らした台詞に恐れは微塵もない。狂四狼の口元からは犬歯が見え隠れしていた。腹を空かした肉食動物が獲物を見つけたような狂暴な笑みをしていたことだろう。
ずっと……、ずっと探していた。叶わない願いかとも思った。人生をかけて探し切るつもりだった。散り行く桜の中、柳生楓を殺めてしまった夜からずっと、狂四狼もまたこの時を待っていた。
「……存分に死合おうか」
狂四狼は陽炎のような殺気を身にまといながらゆらりと久我へと歩を進める。三丈ほど間合いを取ると片左膝を突き、腰に差した打刀を左肩と左頬の間に挟むとこれをゆっくり抜刀する。そして久我と同じように呟く。
「変身……来い『暁ノ鴉』」
その変身、その不安定性突然変異は異様だった。狂四狼は前のめりに倒れ、激しく痙攣を起こす。目、耳、口から出血を起こし、失禁でもしたのか袴がじっとりと濡れてくる。狂四狼はひれ伏したまま、辛うじて着物の懐から久我と同じ安定剤の入った注射器を一本取り出すとこれを着物の上から肩に深く突き刺した。
「先輩……」
心配からか風助と仲間がざわざわと騒ぐ。だがそれも想定の範囲内。
「安心しろ、風助」
血色は悪く、まるで病人だ。とてもこれから戦おうとする者の状態とは思えない。しかし黄金色の双眼は生きており、確かに久我を捉えていた。
しばらくすると頬と肩の間に挟んで抜刀した打刀とその鞘が朧気に光り、太く長い『暁ノ鴉』と名付けた野太刀に変化する。そして狂四狼の体内の血液が霧状に散布され、赤い結界ができる。狂四狼の体を青白い炎が包みこみ、皮膚は手と足の方から黒く硬化し黒い甲冑のような甲殻を身にまとおうとしていた。
ただし変身しても隻腕隻脚はそのまま、『地獄三刀流』は健在である。
「不死身」
変身中、そして片端の肉体のままの狂四狼を確認すると、久我は駆けた。
「噴破ッ!」
握り込んだのは正拳。地面すれすれに低くしゃがむかのように狂四狼の元へ寄ると、全身のバネを利用した稲妻のようなアッパーカットが狂四狼の甲殻で覆われた下顎に炸裂した。狂四狼の体は打ち上げられ、野太刀の鞘は弾かれる。だが、野太刀は離さず右手に握りこんだまま縦に回転する。
赤い血の霧は拡散中、狂四狼の変身は腹部を除く全身完了していたが、その姿は霧に隠される。狂四狼と久我の姿が消え、互いの姿が視認できるのは互いのみとなる。誰も手出しできない。
「足リヌ」
打ち上げられた狂四狼は直立に着地した。
「足リヌかッッ!」
久我の竜巻のような裏拳打ちが狂四狼の頬を殴打する。
今度は狂四狼の体は横に回転し、狂四狼は頭から地面に激突した。
「足リヌ」
柳生楓の痛みに比べれば取るに足らぬ痛みだ。
「足りヌかッッ! 足りぬカッッ!」
久我は狂四狼の全身を何度も何度も踵で踏みつけた。どれも必殺の一撃に成り得る攻撃であった。狂四狼の体中の甲殻にいくつもヒビが入り、砕けていた。崩壊が近い。
しかしその時に久我は見た、狂四狼の黒の甲殻が腹をすっぽり埋め尽くし、変身が完了したことを。その時に久我は感じたのだろう、太腿に小さな痛みが走ったことを。
棒手裏剣だった。通称『割り箸』と呼ばれる八寸程度の大型の棒手裏剣だ。それが久我の太腿内側に深々と突き刺さっていた。勿論さしたのは狂四狼だ。寝っ転がったまま下から棒手裏剣を突き刺した。
「能力ハ、爆弾」
「ッッ!?」
狂四狼がそう囁くと、手裏剣がバンと爆発した。
太腿の内側から、それも大腿動脈を爆破させられたためおびただしい量の血が溢れ出す。 それを確認した狂四狼は下から久我の首を狙って野太刀を投げる。
「くッ!」
一瞬、久我の思考が飛び、怯んだ。後ずさりすると鼻と右目に深々と棒手裏剣が刺さった。
『地獄三刀流・両眼撃ち』
棒手裏剣は回転しながら飛んでくる野太刀とは違い、投げられる側からすれば点にしか見えず、視認が難しいという特徴を持っている。狂四狼は自身が野太刀を投げる身振りに棒手裏剣の投擲を混ぜ混んだのだ。
「ボン」
それを合図に、当然のように鼻と右目に刺さった棒手裏剣が爆発した。
久我の鼻は固い皮膚に覆われていて浅かったが目までは頑丈ではなかったようだ。右目付近の顔面が派手に吹き飛び、ぷすぷすと肉の焦げた臭いを周囲に放つ。後ろへ一歩、二歩と後ずさりする。右手で自身の顔を覆い、左手を待てと言わんばかりに前へ突き出している。
「…………小賢シイ……真似を……」
ゆっくりと狂四狼は立ち上がった。
「武器を破壊シタのも貴様ノ能力か……」
「…………肯定」
斥候が事前に武器庫に撒いた物は狂四狼の大量の小便。狂四狼は己の肉体と体液、それに隻腕の右手で長く触った物を爆発させることができた。それが改造人間としての狂四狼の能力である。
「貴様ノ能力は遠くニいテこそ力を発揮スル、相対して戦ウには分が悪イと見エる」
遠くから自分は安全な位置で起爆、確かにそれは爆弾魔のやり口だ。普通の爆弾魔ならそうするだろう。
それに分が悪いというのも大よそ久我の言う通りだ。ダメージは全身の甲殻の鎧が崩壊しそうなほど踵落としを貰った狂四狼の方が大きいし、武装しているとは言え狂四狼は隻腕隻脚だ。不利と言って良い。
「…………」
気がつけば太腿も鼻も削られつつも久我の出血は辛うじて止まっていた。傷も塞がりつつあり、その回復力には目を見張るものがある。
「決着ダ」
もう久我は不用意に近づかないだろう。先ほどは爆発の能力を知らず、面を食らってしまったが、手裏剣は急所を避ければさほど脅威ではない。肉体の大きさ、重さ、力は共に久我の方が上である。
久我は左手を前に突き出したまま、両足を開き、内股を締めている。三戦立ちと呼ばれる立ち方だ。繰り出される攻撃はおそらく正拳中段突き。それも身長差を利用して上から斜め下に打ち下ろすような突きだ。
「……」
狂四狼は左腕の脇差を前に突き出し、右足の諸刃の刀を後ろ足にして、軽く構えを取る。そして摺り足でいとも簡単に死線を超えた。久我の正拳の距離に、ためらうことなく入った。
「~~~~~~ッッ」
あまりに無警戒な狂四狼の反応に、久我は自身がコケにされたと感じた。それでも迷いはなく、文句なく初動は久我の方が先だった。大砲にも似た正拳がその巨大な体から発射される。
風圧で赤い霧が晴れた。
その姿を風助と仲間は目に焼き付けることとなる。
『爆発を伴う右鉄拳』
狂四狼は爆発する。
左腕の脇差が引き戻されるように先端が小爆発し、右腕が飛び出すように肘関節が小爆発し、腰が回転するように小爆発し、送り足がしっかりと重さを伝えるように小爆発し、踏込足が自身の体をしっかり受け止めるように小爆発した。
爆発により、速度は勿論のこと、爆発の衝撃により疑似的な慣性質量を作り出した狂四狼の正拳は、重さも申し分なく、久我の正拳とぶつかる。
拳が当たった瞬間、拳の先端を爆発させることも忘れない。
「グ……」
「不死身……」
破壊力は互角。しかし狂四狼は己の起こした爆発により、肉体が激しく損傷し、各部分から血肉が飛び出す。特に拳がぶつかった右拳は指が全て折れ曲がった上、粉々に砕け散りそうだった。使用するなら後一度と言ったところか。
「殴オオオォォ……」
狂四狼が動いた。明暗を分けたのは破壊力ではなく、連撃力であった。
正拳突きは土台となる下半身が安定していれば、当たった拳の反作用を利用して引き戻すと同時に、腰に回転を加え脇に締めたもう一方の拳を突き出す連撃が可能となる。狂四狼は打ち出した拳を爆破させることにより、更に加速して次の攻撃を打ち出すことができた。
『地獄三刀流・乱舞』
自己の破壊すら厭わない爆発を伴う連撃。打ち出された左腕の脇差で股間を突き、最後の一発と決めた右拳で丹田を殴打する。
急所に攻撃を受けた久我は前のめりに倒れそうになり、太い首に支えられた頭部が無防備に差し出される。深刻なダメージを受け、後ろに下がっていく久我を、狂四狼は隻脚の足でただ散歩をするように、歩くだけで追った。
手を伸ばせば簡単に届くほどの距離で、久我は股間と丹田を抑え、ただ後ろに後退するのみ。
『地獄三刀流・大内刈り』
柔道で馴染みの深い足技である。その特徴は柔道では珍しく、後退する相手を後ろに倒す技であることだ。
狂四狼は右足の諸刃の刀で久我の左足を払うように斬る。そのまま久我を下敷きにして、久我と共に大地へとなだれこむ。大地に倒れ込む瞬間に、狂四狼は自身の体重を預けるように左腕の脇差で久我の胸を刺した。
脇差は久我の心臓を簡単に貫いた。そして脇差を起爆させると久我の胸が破裂し、出てきた血飛沫が狂四狼にかかる。
そして最後に、駄目押しと言わんばかりに、狂四狼は変身形態の強化された顎を用いて獣のように、久我の喉を前歯で食い千切った。
――シュウ――
食い千切った久我の肉片を吐きだし、血液を霧状にして飛ばす。
最後の噛みつきは過剰殺人であったが、ここまで存分に殺し切らなければ安心できないのが戦場というものだ。
「人修羅、……さすが僕の見込んだ人だ……」
風間が何か小さく呟いた。
口についた血を手で拭い、改めて久我が絶命したことを確認する。
「他愛ナイ」
ここで狂四狼と久我の決闘は幕を閉じた。決闘の勝敗はここに決した。
狂四狼の鎧がぼろぼろと剥がれ落ち、変身は解除された。全身血まみれの狂四狼は大地に引かれるように崩れ落ちると何者かに体を支えられた。
「お疲れ様です」
「すまん、風助」
****
それから狂四狼は杉の木の切り株に座らされ、暗器を大量に仕込んだ衣服と首巻、その全部を脱がされた。これから衛生兵と風助の応急処置を受けなければならない。
「先輩、左目はどうかされたのですか?」
突然風助が両手で狂四狼の両頬を固定すると不思議そうに尋ねた。
「どうとは?」
「左目がこちらを向いておりません」
鋭いと狂四狼は思った。実は左目が失明している。何も見えない。狂四狼は左目を閉じた。
これは変身の力を行使した代償だ。毎回ではないが、変身が終わると肉体になんらかの欠損が生じることがある。前は右足、更に前は左腕だった。今度は左目らしい。
「戦闘で少々な、直に良くなるだろう」
「そうですか」
「改造人間とは凄いものですね、これだけの傷を負いながら肌の表面や筋肉に留まり、内臓はほぼ無傷です」
衛生兵が傷の間から糸を引く血と体液の混合物で手を汚しながらそんなことを言った。
改造人間の変身とは学者に言わせると、通常基底状態にある人間の生命力が激しい感情の昂ぶりによって一つ遷移した状態であるそうだ。
その時の人間の身体能力はあらゆる生物のそれを凌駕するとのことで防御力も回復力も他のどの生物よりも高い。しかし今回は完全な治癒は望めないくらい体の至るところに大小様々な傷が出来ていたため、治療にはそれなりの時間を要した。
狂四狼は自身の体を観察して、縫合の完了を確認した。そしていつの間にか全身を包帯でぐるぐる巻きにされていた。まるでミイラ男だ。
治療の間ずっと狂四狼は村民の悪意の視線に晒され続ける。
「目は口ほどに物を言うな」
人は一面だけでは全てを語れないことが多い。軍人時代は非道の男として知られていた久我でも、薄翅蜉蝣衆では村民に慕われる英雄のようだった。それも命を懸けるに値するほどのだ。
そして狂四狼は英雄を殺した男としてその憎悪を一身に受ける。
「で、先輩、村人達をどのようにしましょうか?」
薄翅蜉蝣を殲滅せよとの命は守らなければならない。残念ながらテロリストの抹殺のためならば民間人の命は軽視されてしまうものだ。それに村人が完全に被害者という訳ではない。村人はテロリストを庇うような態度である。今回の久我のように村民に紛れられてはどうしようもない。
決断しなければならない。ここで良心を見せては部下達が自責の念に駆られてしまう。当然のことのように、正しい行いのように、示さなければならない。
周りを睥睨する。一呼吸を置くと、高らかに宣言した。
「腐った林檎は、箱ごと捨てなくてはならない!」
部下達がどよめく。良心と命令の間で揺れて困惑していることがわかる。
「だ、そうだ! 皆、存分に虐殺しろ!」
しかしそんな困惑を打ち消すように、風助が最後に背中を押した。それは悪魔の声だ。
部下達は自らを鼓舞するような掛け声を上げ、歩兵砲が炸裂させた。殺戮が始まる。
「話が違う」
「命だけは助けてくれ」
「幼い子供だけはご勘弁下さい」
「嫌だ、死にたくない」
「許して下さい」
狂四狼はそんなありきたりな命乞いを全て聞き流し、殺戮領域の前線に座りこむ。
勇気を折り、信念を曲げ、屈辱を喰らい、武器を放棄し、命だけでも助かるために降伏した捕虜が、結局最後には処刑という末路を辿る場合、その膨大な無念のエネルギーはどこへ向かうのか?
狂四狼は殺戮領域の前線で考える。
俺はいつか因果という名の罰を受けるのだろうか? いや違う、意思の力など、どこにもありはしない。どんなに強く願っても、どんなに思いを込めて祈っても、それでは小石一つ動かすことはできない。たった一人の外道を殺すこともできない。憎しみでは人は殺せないのだ。
狂四狼は殺戮領域の前線で考える。
今日、俺は永遠に果たせないだろうと思っていた復讐に成功した。そして村民達は永遠に俺に復讐できないだろう。思いを果たせた俺と、思いを果たせない村人の、この二つ例の違いはなんだ? 違いなどない。宿命と呼べば聞こえは良いが、結局は理不尽という名の運の差に過ぎない。俺は悪運が良かった。
結局のところ、不死身狂四狼の思考はそこに収束するのだ。
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