第二章 その手、紅に染めて その一

 生み出したのは惨劇、本土決戦にて原始の武器を使い最後には仲間の屍を踏み越え何も持たずに徒手空拳で戦う神威隊により、常軌を逸した激しい抵抗にあった連合国軍は一九四六年八月三日にポツダム宣言を修正することとなった。


『大日本帝国の現体制を認め国際軍事裁判を行わず戦争責任を問わない。連合国軍は大日本帝国領土を占領せず、一切の介入をしない。国権の発動たる戦争は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄しなければならない』


 大日本帝国は直ちにこれを受理。東條内閣閣僚は国会議事堂で三十人揃って見事に生き残った大日本帝国の栄光をたたえ、ここまで泥沼化した戦争で死んでいった数多くの英霊に頭を下げる。そして静かに全員割腹自殺を遂げた。


 そうして内閣の総殉職という形で、新たな舵を切った日本は混迷の時期を迎える。それでも辛うじて国としての機能と最低限の治安を失わずに済んだのは、ひとえに帝王の存在が大きかったからだ。


 帝王の肉声が込められた玉音放送には平和への真摯な祈りと英霊と民草への感謝があり、復興への道を示した。帝王のその姿勢は多くの日本人に感銘を与え、明日への希望を与えた。日本人一致総団結、日本人は海外に頼らず自国のみの力で立ち上がるのだ。そのために一致団結する時が来たのだと確信していた。


 そうして五年が経過する。


「『薄翅蜉蝣衆』へ強襲の準備が整いました」


「応」


 旧日本軍はポツダム宣言を受諾後、形の上では解体された。しかしその直後に軍の後任となる警察予備隊が立ち上げられ日本の治安はこの新しい組織に一任されることとなった。


 今報告を行い、敬礼したこの青年も新しい警察予備隊の一員だ。


 端正な顔立ちに青く輝く長髪を背中まで垂らしたその風貌は何だか変な気を起こさせる。堅苦しい軍服を華麗に着こなすその姿は、立派に鍛えられている筈だが着痩していて、小柄で麗しい。総評するとなんだか艶っぽい女のような青年だ。


 名を風間風助と言う。狂四狼より二つほど若く、まだ十八になったばかりと聞く。


 幼いながらもあの苛烈を極めた戦争を生き残り、新しい時代の担い手となった見所ある若者だ。容姿もさることながら、頭も非常に良く、血統も良い。親が多額の労働免除金を払わなければ入ることのできない陸軍士官学校を出て去年入隊したばかりだ。


 狂四狼はこの男に媚を売っておくのも悪くないかなと考える。


「余計なことを言う。俺の方が確かに古株だが所詮は駒だ。士官殿は俺を自由に使って構わない。だから敬礼は必要ないし敬語も必要ないぞ」


 和服で作られた伝統ある軍服姿で起立した恰好の風助と私服の着物姿で地べたに座りこんで打刀の手入れをしている狂四狼ではあまりに不釣り合いで面白い。そう思った狂四狼は苦笑いを浮かべながら軽く答礼を返す。


 そう、不死身狂四狼は生き残っていた。今は任務で薄暗いとある森の中で多くの隊員と共に待機している。


 狂四狼の様相は大きく変わっていた。華奢な体付きでほのかに色気があるが茨のような棘のある容姿はどこか危うく、整っていない黒い前髪の奥にある煌く二つの黄金色の眼光は周りの物全てを威嚇しているように鋭い。


 そして特筆すべきはその小袖から覗くはずの左腕はなく代わりに簡単な肩の太さ程度の丸太が袖から突き出ていることと、右足も同様に欠けており袴から義足と称して良いものかわからない簡単な鉄で作られた棒が覗いていることだった。


 つまり隻腕、隻脚とおおよそ四肢の半分しか残っていない。


 さぞ不気味だろうが、この風助という若者は狂四狼に興味津々だ。


「はい! 貴方は国のために勇猛果敢に戦った英雄だと聞き及んでおります」


 はいと答えた割には、言葉は敬語、姿勢は敬礼のまま。


「だから人の話を……俺は駒だ……と

「この国のためにお力を尽くされた方に敬意を払って何が悪いのでしょう?」

「前田上官に見つかったら面倒だ」


 前田上官とはこの場にはいないが、風助と狂四狼の直属の上官だ。小柄で平均な体付き、丸刈りで丸眼鏡をかけた一見ぱっとしない男だったが、怒らせると怖い男だったし、いつも部下を気にかけてくれる気の良い人間だった。狂四狼は前田に対してだけはいつも特別な敬意を持って接していた。


「ではせめて先輩と呼ばせて下さい」

「お前ぐらいなものさ……」


 何者をも寄せ付けない雰囲気を持つ狂四狼だが、こんなに持ち上げられるとなんだか照れ臭いとそっぽを向く。


 不死身狂四狼という人物は多くの警察予備隊の隊員からは畏怖の対象として見られている。それは軍で短期間のうちに武術を学び、優秀な成績を収めたからだけではない。残酷なまでに敵に対し存分にその力を行使するからだ。特に瀕死の重傷を負い、敵に捕まり、敵軍医に匙を投げられ自決用の手榴弾を渡された時の話は有名だ。


 自決はせず、そのまま夜まで耐えぬき単独で敵野営地に潜入、食糧庫と武器庫を爆破した。追ってきた数人の兵士に対し蹴りで恥骨を割り、抜き手で目と喉を潰し、肘で頸椎を捻り潰し、最後には背負い投げで岩に頭から落とし頭蓋骨を潰して皆殺し。これを退けた後、無事帰還した話は今でも語り草となっている。


「天性の素質がある」


 武勇伝を聞きつけた将軍にそう言われたこともある。しかし殺人鬼の素質など嬉しくない。


 それに狂四狼自身は理解していた。自分は単なる障害者だということだ。攻撃的精神病質の傾向を持つ、社会的に極めて危険な人間にすぎないということだ。これは兵士としては天性の素質と言えるかも知れないが、一般市民として野放しにしておくのはあまりに危険。そういう性を背負っている。


 当時の軍は軍法会議でそんな狂四狼に対し、所属していた中隊の降伏の機会を失わせ、多くの兵士を危険に晒したとして、理不尽にも死刑を言い渡した。


 そして軍は狂四狼の扱い方を心得ているようで軍法会議が終わった後も死刑は執行されず、狂四狼を奴隷として残した。それは四肢を失い案山子のようになってしまった後も継続しており、彼はまだ戦場にいた。


「では行くとする」


 そう風助に告げた。


「僕も付いて行きますよ」

「それは困る」


 風助は上司で将来を約束された幹部候補生だ。


「命令です」

「後ろから付いて来るだけだぞ、阿呆め……」


 狂四狼は都合が良い時だけ上官を演じる風助の爽やかな性根を素直に笑えた。


 そして時刻は明け方になる。東の空が僅かに赤みを帯びた頃合いで奇襲に最も適した時間。やや薄い霧が立ち込めて湿気がむんむんとしているが、潜入するには寧ろ好都合。準備は万端だ。


 辺りは杉の林の中で、目指すは眼前にぼんやりと広がる大きな湖。それは真冬なのに氷が張っておらず飲み込まれそうなほど黒い。漆黒の宙を彷彿させるこの湖は地図によると田沢の潟と呼ばれるらしい。日本一深い湖らしく多くの魚が生息しており、それで生計を立てる者も多く、民家が数軒あるとの報告を受けている。


 狂四狼は煙草形状の乾燥大麻を口に含む。するとゆっくり口の中に苦みが広がり、少し後に鎮静作用と覚醒作用が効きはじめる。気が付けば心は落ち着き、恐怖は消え、人間の攻撃的な性質が前面に現れ始めていた。


 今不死身狂四狼は何もかもを破壊したくてしょうがない。


「暗殺は後ろから、戦闘はできる限り間合いを離してやれ。目と目が合うような状況を作らず殺せ」


「「「応」」」


 狂四狼は総勢二十人の仲間と共に円陣を組んでいつもの台詞を繰り返した。


 このやり方を臆病者のやり方だだの卑怯であると言われることも多いが、これは敵を制圧することが目的ではない。隊員がちゃんと人を仕留められるように誘導するためであり、更にはその隊員自身の心を守るための行動だ。


 攻撃的精神病質を持つ狂四狼にはない感覚であったが、通常人間は同じ人間を殺害することに極めて強い抵抗を示す。そして殺人を犯した者は心を蝕まれる。そのためそれを軽減するための措置が必要だ。それがわからない阿呆は狂って死ぬ。


 狂四狼はそういう人間を何人も見て来た。


「残虐であることを誇りに思え。残酷であり続けろ。男も女も、ガキも老人も女も子供も皆殺しだ。暴力は美しい」

「「「応」」」


 これも狂四狼が良く口にする言辞だ。これは一種の性質の悪い洗脳であるが、ある意味で本質を得ていた。強く残虐な男は野生的であり、官能的であり、自身でも気づかないくらいに雄としての色気を放っている。そうすると自然に多くの女が寄ってくるのだ。これに気を悪くする男は少ない。自分に自信を持たせることは心を強く保つことに一役買う。


「この戦闘が終わったら、話を聞かせろ。期待している」

「「「応」」」


 狂四狼は隊員同士の自慢を推奨している。……否、自慢を強要していると言うべきか。いかに自分が勇敢に戦ったか、残虐に振舞ったかを自慢させることで、自分達の行為がいかに正しいかを仲間内で再認識させてやる。


 洗脳という魔法は、かけ続けていなければいつか解けてしまうのだ。洗脳が解ければ罪の意識で心が崩壊してしまうかも知れない。


 この若い隊員達がそれに気付いた時、絶望するだろうか? それとも自分を憎悪するだろうか? それはまだわからない。それでも今は、狂四狼はこうする他に術を知らなかった。罪悪感がないと言えば嘘になる。


「では、はじめ!」


 己の迷いを吹っ切るように高らかに始まりを宣言した。


「「「応ッ!」」」


 若い隊員達が円陣を力強く解き放つとそれぞれの役割を果たすため散開する。


 敵は白い幕を張り、焚き火などをしてそこに陣を張っていた。


 狂四狼は隻脚で右足の膝から下がない。なんとか走ることはできるが良く躓くし、速度はどうしても五体満足の若い隊員に劣る。だから狂四狼は打刀を杖代わりにして突きながら泥道を慎重に下っていく。敵との最初の接触は先行する仲間に任せる。


 陣には歩哨が二人いた。二人とも陣入口に設置されている篝火の近くで暖を取りつつ己の見張りという任務を遂行している。


 その敵兵に、先行した隊員は音もなく接近する。そして背後に回り込み左手で口を押さえ右手に持った短刀で腎臓を一差し、次に喉を切り裂いて躯にした。接触から二秒程度、中々の手腕である。


「先輩の指導の賜物ですよ」


 隣で狂四狼に付きながら走る風助が一言そう囁いた。


「できればもっと楽にやらせたかった。やはり物資の少ないなかで確実に仕留めるとなると、あぁやるしか方法がないのが残念でならない」

「優しいんですね」

「長く使うためさ」


 皆が陣に侵入したのを見届け、最後に風助と狂四狼も敵陣に潜入した。足下には背中に大きな切創がある瀕死の敵兵が転がっている。良くみると拳銃が握りしめられていて、最後の力で発砲しようとしていた。


「きちんと止めを刺せ」


 狂四狼は右義足となっている鉄の棒で何度も何度も敵兵士の頭を踏みつけた。動かなくなるまで、呼吸音が止めるまで踏み続けた。


 その時である。カンカンカンと甲高い鐘の音が辺りに響き渡った。


「ちっ、気付かれたか。思ったより早いな」


 狂四狼は何かのスイッチを入れるように奥歯を強く鳴らす。


――カチ――っと音がした。


 瞬間、陣の奥のひときわ大きい小屋の中で何かが強く発光した。隣にいた風助は眩しさに目を伏せる。しかし狂四狼は微動だにしない。


 そして続く轟音、爆炎、爆風。吹き飛ばされる人、物、家屋。


 狂四狼の黒い着物と赤い首巻が静かに風に棚引く。狂四狼のばさばさとした前髪も流されたが、その奥にある爛々と煌めく二つの黄金色の眼光はその有り様をしっかりと目撃していた。


 爆破したのは銃や刀、毒ガスが納められていた敵の武器庫である。これでほぼ敵の戦力を潰せた筈だと狂四狼は安心する。


「先輩の能力ですか?」

「そうだ。事前に斥候に準備させておいた」


 風助の質問に対し狂四狼は簡潔に答えた。


「ウオヲオオオン!」


 獣の雄叫び。


 狂四狼は手早く一番近くの白い幕を腰の打刀の鞘を用いて取り払う。すると民家から大きな犬が四匹、その奥に笛と槍を持った細身の男がこちらに迫って来ていた。


 犬はそれぞれがざっと見積もっても八貫以上の大きな体躯を持っており、訓練されたような統率の取れた動きで左右から狂四狼と風助目がけて疾駆する。


「おそらく軍用犬……ですね」


 これは偶然ではない。槍兵が持っているのは犬笛のようだ。


 戦中、食糧難に苦しむ旧日本軍において、軍用犬は屠殺の対象だった。故に現在日本には日本で訓練を受けた軍用犬はほぼいないと言って良い。つまりは外部、おそらくは戦中から犬の扱いに慣れている国から持ち込まれた物と推測できる。


「なるほど、後ろにいるのは米国か」

「片腕と片足では無理でしょう、先輩は下がっていて下さい」

「俺を見くびるな、左は任せた」


 狂四狼は風助の制止を振り切って右前方へと出た。そのまま一番先頭にいた犬が狂四狼を捉え、狂四狼の左義手の丸太が犬に噛み付かれる。


「ぐ」


 否、正確には違っていた。狂四狼はあえて自身の左義手を噛ませたのだ。その証拠に狂四狼は腰をやや下し、体の重心で犬の巨体を完全に受け止めて、一本の足と一本の義足で立っている。


 左腕を犬ごと思い切り引き上げた。しかし犬を振り切れない。捕えた獲物は、その獲物が息絶えるまで離さないという野生の表れだ。


「ぬ」


 狂四狼は迅速に腰に刺している打刀を右手で抜くと、左義手にぶら下がっておりがらあきになっている犬の腹に、心臓に打刀を突きたてた。


「一匹」

「ガッ」


 刺された犬が吐血し、最後の吐息を零す。牙を突き刺したまま全身の力が抜けていく。噛み付いた左義手ごと大地にずるずると引き寄せられ、完全な残骸となる。


 狂四狼の左腕は丸太代わりに、鏡面のように磨かれ銀のように妖しげな光沢を見せる刃が、もう一本の脇差が現れた。


「二匹」


『地獄三刀流・風神蹴り』


 狂四狼は全く視線を動かさず、たった今落命した犬を見据えながら、後ろから近づいてきた別の犬に強烈な後ろ蹴りを浴びせた。狂四狼が一匹目の犬に気を取られている間に、殺気を消し近づいてきたその個体を両断にしたのだ。


 右後ろ蹴りを放った足が宙に静止する。よくよく見れば蹴った狂四狼の右義足に装着されていた鉄棒が抜け落ちており、中から這い出てきた物はこちらも朧気に光る諸刃の刀。諸刃の刀から鮮血が一滴、二滴と滴り落ちている。右足に装着した日本刀から放たれる強烈な斬撃が、二匹目の犬を一刀両断にしたようであった。


 その姿は奇怪。


 右手には肩に担がれた打刀、左腕から先は義手の代わりに脇差、右足の先に備え付けられていたのも同様に右義足の代わりに諸刃の刀がある。


 奇怪な三刀流。不死身狂四狼はこれを『地獄三刀流』名付けていた。


「己の失った四肢さえも武器として使用しているとは驚きです」


 見ると死骸が二つ。風助は狂四狼と同数の二匹の犬をあっと言う間に始末していた。なるほど頭だけでなく腕も立つようだ。


「…………うぬらは何者だ」


 槍を持った槍兵と対峙する。


 狂四狼は左義手の脇差を下段に構え、右手の打刀を八相に担ぐ、そして左半身を前に出し右足の諸刃の剣を後ろへ回した。狂四狼の作り出した地獄三刀流の独自の構えである。


「警察予備隊預かり二等警査相当、不死身狂四狼」


「同じく警察予備隊、第二管区隊第十一遊撃士中隊の中隊長二等警察士、風間風助。勝敗は決しました、降伏しなさい」


「ほざけ!」


 風助より僅かに距離の近かった狂四狼に、槍を持った槍兵が狂四狼の間合いの外から下段、狂四狼の股下から金的を狙って逆風に斬り上げる。


 狂四狼は不自由な足で僅かに跳躍する。すると突き放たれた槍の左足で槍の穂先を踏み、地面と左足との間に槍を挟むと右義足に仕込んだ諸刃の刀で槍の穂先を切った。


「ぬぅ」


 穂先を失い、ただの棒切れとなった槍を眺め、舌を巻く槍兵。


『地獄三刀流・火車落とし』


 狂四狼そのまま間髪を容れずに蹴り飛んだ。前宙。綺麗な胴回し回転蹴り。諸刃の刃の付いた右義足は全身の体重を存分に乗せ、振り下ろされた斧のように槍兵に放たれる。


 これを見た槍兵は穂先を失った槍を横に持ち、頭上にかざした。


「う」

「祈れ」


 無駄だから。


 槍などで受けても関係がない。狂四狼の一撃は槍の柄ごと頭をかち割ったのだ。シュウっと頭から噴水のように血が撒き散らされ狂四狼は赤い飛沫を浴びる。


「これで終わったと思うなよ、政府の犬めが……」


 槍兵が倒れる間際、死に際の怨嗟の声が聞こえた。


「正義は我に……あり」


 槍兵はそう宣言して仰臥する。恨めしそうに睨む。


 狂四狼は左腕の脇差を振り下ろす。一閃、槍兵の首を裂く、これを最後の一撃とした。


 狂四狼は夜襲の成功を確信した。

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