第15話 赤髪の麗人

 春の夜は暖かい日中と打って変わり、夜になるとまだまだ肌寒かった。俺は窓を開け、夜風に当たっていた。あの日以来、何とも言えないもどかしいモヤモヤが脳裏に浮かんでは消え、胸中には熱が迸る。日常が非現実になっていたのもあるが、何より、このままで終わるとは思えないのだった。

 ディスプレイを確認すると、23時50分。涼子との約束の時間が迫っていた。


「一ノ瀬さんですね」


 声に目を上げると、窓のサッシに麗人が座っていた。夜でもわかる燃えるような赤い髪と目を持つ、あの日、おぞましを連れて行った麗人だ。心臓がバクバクと音を立てる中、何をされるかわからない相手に精一杯に虚勢を張った。


「これから予定があるのですが」と、用件を聞かずに断りをいれてみたが、艶やかな長髪が風に揺れ少し尖った耳がのぞかせるだけに終わった。


「私はレーデ・カロルと申します。突然の来訪の上、ご予定の前とは、失礼いたしました」


 丁寧に会釈をするレーデだったが、帰る気配はまったくない。ため息を一つつくと、仕方なく会話を続けた。


「日本語が上手ですね。魔法の効果ですか?」


「えぇ、ご推察の通りです。それにしても不思議な方ですね」


 そういってレーデは指を顎に当て、コテっと斜め四十五度を決める。


「人は差別する生き物。わたくしもロギア……あなたたちがおぞましとよんだ彼も見た目からして、こちらの世界の人間とは異なる。そのうえ、魔法に対しても抵抗がなさそうに見えます。多少の警戒は、もちろんお持ちのようですが」


 そして油断なく目を細め、こちらの真意をうかがわんとする。


「確かに差別は俺にもあります。されたこともしたことも。人が差別をしないなどあり得ないとさえ思う。レーデさん。あなたはロギアの仲間でしょう? でしたら俺がレーデを見る目はロギアと変わりません」


 レーデの目を捉え、余すことなく語り終える。こういうことに決して手を抜くことはできない。


 レーデは真っ直ぐに話を聞き終えると、柔らかな笑みを浮かべ提案した。


「思った通りのお方ですね。これは断っていただいても構わないのですが。一ノ瀬さん、一度、こちらの世界を体験しにいらっしゃいませんか?」


「いやです、面倒くさそうなので」


 即答した俺に、レーデさんは目を丸くしたあとに、声を出して笑った。


「ははっ、ロギアの言ってた通りだね。ごめんね、笑っちゃって」


 目尻に涙まで浮かべている。


「レーデさん、まだ時間あります?」


「うん、あるよ。彼女に確認?」


 そう言って、片目をつぶるレーデは、とても愛らしかった。


「あぁ、これから予定があるといえば、そう思うのは、当然ですよね。でも違います」


 しっかり断っておいてから、軽く電話の説明をする。「ほう、情報系の魔装具ですか」と、好奇の目を輝かせるレーデを横目に、ディスプレイをスライドした。


「もしもし。電話でってことは、直接は言いづらい話なのかしら?」


 当初の話にも、今の話にも合致した質問を口頭一番にくれる涼子。


「あぁ。その話は別の機会にするとして、今、目の前にレーデさん……

こないだおぞましを連れ去った赤い麗人がいるんだ」


 受話の向こう側で、どたん、と音がした。


「おい。大丈夫なのか」


「平気よ。そ、それでどうしては、あとにして。その……レーデさんから話があったんでしょ?」


「レーデさんの世界に、一度、きてみませんか、とのお誘いだ」


 しばし沈黙。


「当然、断った。そのあと、涼子に確認しておいた方が良い気がしてな」


「確かに断るのが普通ね。危険も多いでしょうから、好奇心や同情で行く世界ではないはずよ」


「ないはず、か。涼子は、行くのもアリだと思うかい?」


 いつしか握りしめていた拳に気づいて、緩めた。風が柔らかく吹いてきて、その先にはレーデの後ろ姿があった。


「ちょっと、レーデさんに確認したいことがあるんだけど、いいか?」


「というより、スピーカーにして話しましょう」


 レーデさんに伝えると、大きく頷いたあと、世界が光に満ちた。光が収まったあとには、寝巻き姿の涼子がジト目で出迎えてくれた。

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