第14話 ベンチにて

 あれからおぞましとの再会は難しいと結論が出て、一連のおぞまし騒動に関わった俺たちは解散した。


 「これは強制ではない。現職に戻るのが困難なものは、特捜部に転職できる。また所属の有無に関わらず、今まで以上の手当も支給される」


 鶴島はいつも通りの口調であったが、目尻を落として、どこかやるせなさを瞳に宿していた。


 氷上、霧島は「ただ飯くえるぜ」と現金である。進藤、野中、山崎は手当で十分と断り、職務に戻った。谷口は深刻で、野中のカウンセリングを受けながら、現職を辞して、療養に努めている。


 俺は、特捜部に正式に入社した。公務員に名実ともになったのだ。そういえば、涼子は、もともとフリーランスだったけれど、特捜部専属になったんだったっけ。


「今日は何時間いるつもり?」


 春陽が差す、この時間は彼女に後光の加護がある。


「そろそろ腹も減ったし、行こうと思っていたところだよ」


 ちょうど正午を指した腕時計を見たあとに、そう返した。


「とってつけたような言い分ね。まぁ、私も時計を見なければご飯を忘れてしまうのだけれど」


 狭いベンチのど真ん中に腰掛けていた俺に構わず、隣に座ろうとする涼子に、慌てて場所を空ける。


「ありがとう。けれど、気にしなくてもいいのに」


「俺は気にするんだよ」


「終わったわね」


「そうだな。自分の世界に帰れたのだから、おぞましにとっても良かったんじゃないか」


 涼子の言葉を聞きながら、ペットボトルを開けてコーヒーを飲んだ。のどを流れるのは同じなのに、以前よりも風味を失っているように感じられた。


「最近、コーヒーの風味が落ちたと感じるんだよなぁ」


 ペットボトルの中でコーヒーがふらふらと揺れた。


「私も風味が落ちたと感じていたところよ。だとすると、私たちの感覚が変わったのかもしれないわね」


 空をひこうき雲が伸びていくのを見ながら、すっかり共同体のようになった特捜部の面々が俺の脳内に浮かんだ。


「おぞまし事件のおかげで、人との関わりは増えた。こうして感覚の変化を共有できるのは、随分と久しぶりだ」


 少しクサイ台詞を言ったかと、隣の涼子を見れば、目を大きく広げてこちらを見ていた。彼女は空へと視線を向けて、俺も空に戻した。ひこうき雲が伸びるのが終わって、どこからか桜の花びらが、ひとひら飛んできた。


「巻き込まれたあなたが、そうして前向きに捉えてくれているのは、私にとって救いになります」


「救いって、そんなおおげさな」


 俺が目を向けると、空を見たまま静かに涙を流している涼子の姿があった。


「あなたがおぞましと、呼称したあの日から、今日まで、とても早かった。私はね、特捜部と関わってから、それなりに長いから、いろんな現場にいって、それなりに人とも関わっていくようになった」


 まばたきをすると、涼子の涙は弾け飛んでいった。


「輝も暁人も、バカで、本当に勝手にいくの。進藤さん、野中さんは、彼らの世界があって、そこに恵理奈ちゃんも加わっている。枝松さん、山崎さんは、もう年の功だし」


 涼子は煌めく瞳を、こちらへと向けると告げた。


「直人はさ、自分の世界がある割に、危なっかしい。マジェスティを結成して、こき使ってないと、安心できなかったの。ごめんなさい」


 俺は胸がじわりとするのを感じながら、応じた。


「謝る必要はない。それどころか、感謝しているんだ。昔から、熱くなると一直線でな。それを理解しているから、ギャンブルの類はハナからやらない。だから、涼子が巻き込んでくれたおかげで、助かったんだよ、本当に。俺だけなら、ただ熱くなって、何もできなかった」


 俺が言い終わらないうちから、涼子は口元を結び怒りを態度で示していた。


「直人の話は、どうして誰かが中心なのよ。あなた自身の命をかけた戦いだったのよ」


 話を聞きながら、俺は今までを振り返っていた。おぞまし事件、社会人、学生、子供の頃。確かに何かのためであっただろう。けれど、今はそれだけじゃない。


「ありがとう。そこまで言うのは、なかなかできるものじゃない。今夜、空いているか?」


 ほほを赤らめる冴島を見ながら、きちんと話そうと覚悟を決めた。


「え? 予定はないけれど」


「一度、ゆっくり話しておきたい。いつもどれくらいの時間に寝ているんだ?」


「だいたい1時にはベッドに入っているかな」


「それじゃあ0時ごろ、電話してもいいだろうか」


「電話? あぁ、うん、それぐらいの時間がいいわね」


 ジト目を向ける涼子の後光が、少しやわらいだように感じられた。 

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