第13話 決着

 おぞましが歯を剥くと、柔らかな風が吹いた。淡いグリーンに全身が撫でられていくと、おぞましは無傷となった。布面積を減らした服だけが、先ほどまでの戦いの証明だ。


「っ!!」


 誰かが声にならない叫びをあげた。


「俺と霧島以外は、撤退だ。鶴島、目が追いつく限りありったけ打ち込め」


 氷上が通達と同時に、全速でおぞましに突っ込む。銃弾が当たったのか、おぞましの髪が舞うが、それに構わず、氷上に正面から向き合う。


 その背後に忍び込んだ霧島がアキレス腱を狙って切り付ける。おぞましは身を捻って跳躍してかわすと、さらに逆手にも構えた小刀で追撃する霧島のアゴを蹴り飛ばす。脳が揺れ、よろめく霧島。接近を果たした氷上がおぞましの足をつかみ、霧島へと叩きつける。霧島は両膝をつくと小刀を襲来するおぞましへと綺麗に合わせた。


 さすがに回避できないおぞましは、手のひらに深々と小刀を突き刺すと、そのまま霧島を地面とおぞましでサンドする。


「ぐぅっ!」


 うめき霧島は沈黙。霧島に構わず、さらなる追撃を仕掛けようとした氷上の足元に足払いを仕掛ける、おぞまし。後退して、間合いを取る氷上に小刀がせまる。柄を片手でつかみ、受け止める氷上。


 対峙したまま、2人は睨み合う。


「貴様に弾は効かないようだな」


 氷上が尋ねると、おぞましは笑った。小刀で貫かれた手からは血が溢れ続けている。鶴島からの射撃は続いているようだが、回避するそぶりも見せないままだ。先の燃焼によるダメージは見込めるが、罠にかかったときでもないと通用しないだろう。


 その罠も、初見でなくなった今、果たして通じるのか。


「一ノ瀬さんも撤退されないんですね」


 肩を震わせ、隣を見れば、内林が穏やかに笑っていた。


「あの戦いを見ていたら仕方ありませんよね」


 そう言って、氷上らを見る内林は汗びっしょりである。最前線の欧州サッカーで戦う彼にも、恐怖だけでない感情が浮かんでいるのかもしれない。


 おぞましは呪いもあるし、異世界から来たけれど、同じ人なのだ。一般人が、何度も致命傷となる攻撃を続けるのは、あまりにもストレスが強すぎる。


 それでも、おぞましは、戦いで見せろといったのだ。戦いを想定してきたのだ。だから、逃げ出すわけにはいかないんだ。ましてや、おぞましをなんとかしてやりたいなんて俺は宣言したんだ。


「一ノ瀬さん、俺が仕掛けます」


 内林の横顔は蝋人形のようで、それでも穏やかで。


「俺の足が吹き飛んだら、切り込んでください。氷上さんなら合わせてくれます」


 呼吸を止める俺を置き去りに、必ずですよ、と念を押し、内林は真っ直ぐにおぞましへと突っ込んでいった。


 ドリブル・フェイント。いつもピッチ上で見た内林の技術の全てが込められた走りは、おぞましの注意を確かに引きつけた。氷上は静かに俺を見た後、わずかにアゴを引いた。


 内林とおぞましの距離がなくなったとき、内林は急激に体制をくずし、おぞましの足へとスライディングを仕掛けた。


 雪煙が上がる。おぞましは回避の動作もせず、ただ静かに俺を見続けていた。内林は雪煙で見えないが、おぞましの体勢は変わらぬままだ。おぞましが蹴り上げると、足が雪煙から吹き飛ばされていった。


 心臓まで冷え切った、いやな感覚を抱えて、俺は真っ直ぐに最短ルートを突き進んでいく。おぞましは、変わらず俺を見据えている。


 氷上が接近し、内林の足を叩きつける。眉をしかめ、おぞましは氷上のみぞおちへと肘を突き刺す。氷上は地に伏し、てからこぼれた内林の足をおぞましは抱き止めた。


 その一部始終を見ながら俺は、おぞましのふとももにヘッドスライディングで、ブレードを深々と突き刺したのだった。


「発動」


 谷口が静かに告げると、おぞましの体内に侵入したブレードの刃の部分が爆発した。さすがのおぞましもこたえたのか、俺の上へ切腹武士のように倒れ込むのだった。


「ミット」


 おぞましが何か言った。最低の気分を抱きながら、俺はおぞましの体越しに内林と目があった。


「見事だ、と。俺たちの勝ちですね」


 そう言って笑う内林は、片足を失ったにも関わらず自然体だった。






 いつしか意識を失っていたのか。

まぶたがなまりのようで、視界は暗いままだ。


「邪魔ね、えいっ」


 なんだ、涼子か。


「足蹴にするやなんて無体な真似したらあきませんぇ」


「冴島さん、ロギアさんになんてことを」


「輝、あなたにも言い分があるでしょう。けど、ここはおぞましと呼びなさい」


「そこにこだわるんかーい!!」


 思わずツッコミ、目が空いた。


「あら、思ったより元気ね」


 覗き込んでくる涼子には、やはり後光が差している。


「おかげさまでな」


 外傷もないというのに、気を失うとは。っつうか、重いな。まだおぞましが乗ったままらしい。


「氷上、起きなさいよ」


「涼子さん、氷上くんは……まぁ、いいかな。私も加勢するわ」


 野中も交えて、氷上を覚醒させるため頑張るようだ。ため息を長く吐き出すと、少し力を入れてやめる。角度が悪いのか、単独ではおぞましを動かすのは無理そうだ。


「一ノ瀬くん、これは君への個別通信なんだけど」


 進藤の通信が入った。


「まずは谷口さんが向かっているから、まだ賑やかになると思う」


 ぱたぱたとかける姿が目に浮かぶ。


「手短に伝える。おぞましとの戦いに勝利した。彼と、これから話すのも、輝くんがいるから可能だろう。それからどうする?」


「できることがあるのならば、協力します」


 雪は、いつのまにか止んでいた。雲間から光が梯子のように射し込んでいる。


「君ならそういうだろうね。けれど、僕は、おぞましの息の根を止めた方がよいと考えているんだ」


「話を聞かないうちにですか」


「うん。彼が回復したのを見ただろう。君の一撃が致命傷となってはいるが、まだ息がある。意識が戻れば、おそらく瞬時に全快するだろう」


 空の梯子が数を増やしていく。その美しい景色に反して、俺は進藤と1人の生死を話している。


「この考えは、多少の違いはあるけれど、僕だけのものではないんだ。おぞましを生かそうと考えているのは、輝くんと君の2人だけだよ」


 光る梯子をみながら、俺は驚きよりも納得していた。おぞましと戦ったあと、彼の危険性はより高いと認識されているはずだ。


 その気持ちを覆す理論はなかった。


「谷口さんが向かっているのも、俺を抑えるため、だと」


 呼吸がやけにうるさく感じられる。


「霧島さん、生きてますか?」


「なんとかな」


 安否を確認する涼子と応じる霧島の声が届いた。枝松はどうか。


「年甲斐もなくはしゃいでしまいました。おや、一ノ瀬さんは、どこに?」


「おぞましの下です。氷上が起きないので、枝松さんにお願いできますか?」


「お任せください」


「男でならわしも」


「半死人は寝てください。澪さん」


「こちらへどうぞ」


 靴音が大きくなっていく。


「一ノ瀬くん。君がどうあっても、マジェスティのメンバーは、君の考えを尊重するのは、確かだよ」


 進藤が話した言葉が、かろうじて理解できた。強く手を地面に押し当てたとき。


 ずしゃ。


「輝」


 涼子の声が響いた。


「この人の話をさせてください。みなさんも聞いてください」


 内林が地に頭を叩きつけて懇願する様子が、隙間から見えた。その先の天地が鳴動し割れた。何が起きたのか誰もが理解できない中、むくりと起き上がったおぞましの瞳がやけに澄み渡っていたのが、印象に残った。


「レーデ」


 おぞましは血濡れた身を起こしていくが、ままならない。また俺に倒れ込んだところを抱きかかえられた。


「ケリをつけに帰るぞ」


 炎のように赤い髪を靡かせる麗人の瞳もまた澄んでいた。麗人は、そのままおぞましを連れ去っていった。

 おぞましは柔らかな微笑みを残して、消えた。文字通り跡形もなく残像すらなく。


 何も起きていなかったのだと言わんばかりの静寂が辺りを包んだ。柔らかな光が降り注ぎ、俺たちの傷を癒していった。服さえもほつれ一つなく復元されていった。視界がぐるりと回転して、頭をせいだいにぶつけて天を仰いだ。みな地に臥していて、まるで空に潰されているようだった。


「これで終わりかよ」


誰の呟きだったか、やけに境内に響いた。

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