第4話 図書館で働く女の子

(かわいい雲。ぬくぬく温かくて、ふわふわやわらかそう。それに包まれて生きて死にたい人生だった)


 私、谷口恵里菜は業務の合間にどっぷりと空想にひたっていた。しかし、ただ呑気にサボっているだけじゃないのです。こう見えても私、国会図書館の司書なのですよ。昔から本が大好きで、物語の人物になりきりストーリーに入り込んだものです。熱中して夜が開けたことも数しらず、今朝もミステリーを一本読み切って朝を迎えています。


(ぬくふわ雲、人生。ノーぬくふわ、ノーライフ?)


 取り止めのない妄想から言葉を連想させていくのは、けっこう楽しいんだぁ。ポイントは脳を可能な限り空っぽにしていくことです。日々、いろんなことがありますから、メンタルも体もその時々で状況が変わりますよね? ですから、ありのままの現在の感覚に身も心も可能な限り近づけていくのです。


 脳内で講師となってお話ししていたら、ちょっと疲れちゃいました。背もたれに軽く身を任せて、ゆるゆるゆる。ふにゃふにゃになっていく感覚が、業務中の背徳感も相まって、なんとも良い感じです。


「すいません、お聞きしたいことがあるのですが」


 突然、響く低音ボイスに、ピクリと身をふるわせてしゅたっと立ち上がります。がしゃーんと真後ろに直進して、なにかにぶつかった椅子。確認するのも怖くて、ただ背中をしっとりとさせる汗たちに、早い退散をお願いしました。


「変わらないね」


(はぁ、また進藤さんにやられたなぁ)


 ようやく目の前の元凶を目に収めることができました。視線だけで講義を送り、無言の抵抗を試みます。


「そんな可憐なリアクションをされると、ついついね」


 ニヤリと応じる進藤さんには効果はなくて、反省の色は全く見られません。長いため息で、最後の抵抗をします。


「今回も銀髪の彼を探しにいらしたのですか?」


 ふわふわ雲を求めて窓際へと進みながら、これもまた最近、変わらない話題にふれました。


「うん。氷上くんが本気で戦って、全く底を見せなかったらしいからね。そんな人が、国会図書館にも来ていた。この国の言葉は知らないはずなのにだよ? 一度、会ってみたい。僕なら知っている言葉があるかもしれないし」


 並んで空を見る進藤さんは、声音を弾ませて、渋い見た目に反して子供のように目を輝かせています。各国を行き来するライターである進藤さんなら、あの人と話せるかもしれませんね。


 わたしが見かけた時の彼は、とても寂しそうだったから。進藤さんと話すことで、何かいいきっかけになればいいな、と思います。


「恵理奈ちゃん」


 声をかけてくれたのは野中聖恵さん。私が絶大な信頼を寄せているお姉ちゃんのような存在です。わたしは駆け寄り、聖恵お姉ちゃんに抱きつきました。


「よしよし。また進藤さんにいじめられたんだね」


「野中さん、人聞きが悪いですよ。谷口さんの自爆なんですから」


「確かに、そうですけど。聖恵さーん」


 ただ情けなく、すりすりとすがり続けるしかわたしにはありません。


「自爆ねぇ……。驚くのがわかった上での声がけは、無罪にはできないわよ。分かっててやってるんでしょうけどね」


 聖恵さんの目線はブルーレーザーと化して進藤さんを打ち抜き、ダイさせてしまうんです。進藤さんは、ひらひらと両手を上げて降参。


「野中さんには、どうしても勝てないなぁ。さすがは、心理学者さん」


「かわいい女の子をいじめるから、バチが当たっているのよ。進藤さんも悪いと

分かっててやっている、負い目があるでしょう?」


「まぁ、そうですね。可愛いと、ついつい」


「もう、私の話はいいですから。聖恵さんは、探し物にいらしたんですか?」


 ふくらむほほに、どこか心地よさをのせながら、話題を変えました。


「そうよ。ちょっと気になる人がいてね」


 腕組みをして唸る、聖恵さん。


「えっ、聖恵さんにも、ついに想い人が」


 目を輝かせ食いつくわたしに、全然、痛くないチョップが返ってきました。聖恵さんは、とても優しい聖母様みたいな人なんです。


「想い人って、古めかしい言葉で、まったく。ちょっと、待って、恵理奈ちゃん。にも、って言ったよね?」


「えっ? いや、わたしには。あっ、その気になる人はいますけど」


「やっぱりいるんじゃないの。どんな人なの?」


「そう意味じゃなくて、そのなんだか寂しげにしてて」


「というと、もしかして見かけただけだったり」


「はい」


 聖恵さんは、ふむふむ、と、頷くとガッツポーズをくれました。それこそ古い……なんでもありません、睨まないで、聖恵さーん。


 察しが良すぎなの、聖恵さんって。


「ごめん、からかいすぎたね。実はね、わたしの気になる人も見かけただけなんだ」


 笑って白状してくれる聖恵さん。そうなんだ、同じ人だったりして。


「はは、そうしていると親……」


「進藤くん」


「こほん。姉妹のようだね」


 ほほをかく進藤さんはにやにやをまったく押さえていません。


「ふふ、お二人こそ夫婦漫才のようですけれど」


 わたしは口元をほころばせて告げましたが「……ない」って、同時に応じる二人に笑ってしまいました。


「今夜、空いてますか? 久々に枝松さんとこに行こうかと考えていてね。よかったら、どうかなって」


 進藤さんからの誘いに、予定を考えます。今夜は読みたい本があったのだけれど。


「私は良いけれど、恵理奈ちゃんは、どうかな?」


 なんかお邪魔な気もするし、本も気になるけど、3人で落ち着いて話せる機会は貴重だし……。


「おじゃまでなければ参加します」


 悩んだ末に、そう答えました。窓の外にはふわふわ雲が気持ちよさそうに並んでいました。

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