第10話 シリウスプ=リンシパルの事情1
クランベルグでの騒動から1週間後のことだ。
コルテクスト聖教国の教会中央市、教皇庁監査局は神聖な教会の一部署とは思えないほど、慌ただしい雰囲気に包まれていた。
私、シリウス=プリンシパルは、たどり着いた自身の執務室で、金の刺繍入りの教会支給外套を脱ぎ、旅装を解いていた。
今回の中央召喚はずいぶんと急なことだった。クランベルグから帰国するやいなや、姫にもほとんど理由も告げず、マルグリッドを出立することになってしまった。
本人も望んでいなかったとはいえ、結果的に縁談を潰す事になった。
落ち込んではいないだろうか……早く用事を済ませて、戻りたい気持ちが先立つ。
そう、早く早く――気ばかりが焦る。
自分が苛立っているのは理解していた。
これでは聖職者失格ですねと、苦笑も出るというものだ。
コンコンと、執務室の扉をノックするものがある。
「どうぞ、お入りください」と、言葉少なく返事をする。
「久しぶりだ。プリンシパル司教」
「君でしたか、ハイデルマイア司教」
挨拶もほどほどに声をかけてきたのは見知った顔だった。
旧知の友の訪問に、少しばかり頬が緩んだ。どうやら私も、少し気が張りすぎているようだ。
「クランベルグ大公に面と向かって、告訴状を突き付けたそうじゃないか。普通なら教会騎士団を伴って、専門の使者を派遣するところだが、思い切ったな」
聖職者にあまり似合わない溌剌とした声と表情で話す精悍な男はフレデリック=ハイデルマイア。
今日も外を飛び回ってきたのだろうか。日焼けした肌が健康的な印象を感じさせる。
どちらかというと物静かで、線の細い印象を抱かせる自分とは真逆の男だ。
「少しばかり、祖国の事情も重なったのです。私が行くことで、教皇猊下の威光も利用できましたから、そのほうがスムーズであろうと考えたまでのことですよ」
ハイデルマイアとは、神学校時代からの同期だ。現教皇の孫という自身の特殊な事情も知っている。教皇庁監査局という、教会の中にあっても秘匿性の高い部署に配属され、教皇直属の密命を共に果たしてきた、いわば戦友ともいえる間柄だった。
今や、コルテクスト教会は、西方世界全域に広がる巨大宗教だが、巨大な権力には内部の腐敗がつきものだ。それを監視するのが、自分たちの使命だった。
「クランベルグはそれなりの献金もあった国だ。不正に関わった部署も多く、どこも蜂の巣をつついたような大騒ぎだよ。お前の地道な内偵が身を結んだ結果だが、我が監査局を恨む声も多いぞ?」
ハイデルマイアはくっくっくと笑う。
「私はもっぱら、祖国に引きこもって司教の真似事をしていただけですよ。内偵を頑張ってくれたのはハイデルベルグに駐在している部下たちです」
これは本当のことだ。私は日々部下から上がってくる報告を取りまとめ、遠方から指示を出していたにすぎない。
――まぁそういう事にしておこうか。とハイデルマイアはやれやれと頭を振った。
「そういえば、お前の愛しの姫君が大活躍だったそうだな。大公に
姫の話題が出て、心がざわつく。
脳裏に、艶やかな黒髪をかきあげ、儚げに俯くコルテッサの顔が浮かんだ。
姫は今日も、人気のない聖堂で、悲しそうに祈りを捧げるのだろうか。
周囲から呪われた姫と
「……それについて、少しばかり気になる報告が上がっている。件の姫、コルテッサ=マルグリッドの操った死霊は、物を飛ばしたと言うじゃないか。シリウス――それは本当のことなのか?」
にわかにハイデルマイアの目つきに鋭さが増す。
ああ、そういう事でしたか。君がその件の捜査責任者となったのですか。
「命令元は、教皇猊下ですか?」
「ああ、猊下は案じておられる。姫の死霊が生きるものを害する存在になったのではないか? と」
なるほど。『彼』を祖父への連絡役に使ったのも、裏目に出たのかもしれない。
姫の死霊は、特異な存在だ。教皇自身の手によって報告はされているものの、その存在はいまだ監視対象ではあるのだ。
「まぁ、見てもらったほうが早いでしょうね。コントリオン、出てきていいですよ」
私の合図に応じて、足元からにゅうと、半透明の影が這い出てくる。ふわりと宙に浮かんだそれは、くるくると回り、やがて私とハイデルマイアの間で静止した。
「紹介しましょう。私の新しい相棒となった元子猫の死霊。名を『コントリオン』とつけました」
「なっ、死霊だと!? お前も死霊を操れるのか?」
「操るなどというものではないんです。彼らはしっかりとした意思を持っている。あくまで彼の同意を得て、私の手伝いをしてもらっているに過ぎないんですよ」
警戒を強めるハイデルマイアに、できるだけ安心感を与えるような声で諭す。
コントリオンは、生前の癖が抜けないのだろうか、大きく伸びをし、なーおと鳴き声を上げた。
「コントリオン、そこの時計を取ってくれるかい?」
コントリオンはすいっと、置時計にその半透明の体を重ねる。時計がふわりと浮き上がり、そしてそのまま、私の広げた手の中にポンと投げ入れられた。
「詳しくは調べなければいけないが、物質に干渉できるのは間違いはないようだよ」
「――なんという事だ。これは大事件だぞシリウス」
ハイデルマイアの懸念もわかる。
クランベルグのあの日、明らかに死霊たちは姫の怒りに呼応して大公を襲った。姫の影に潜む死霊の数も年々増えるばかりだ。果たして、姫はいつまで彼らをコントロールできるのか。
無制限に死霊を取り込めるとして、いつかその制御が効かなくなればどうなる。
あるいは、姫が意図的に死霊たちを他人を害する目的に使えばどうなる。
それは深刻な厄災となりえるのではないか。
現在でも、死霊に対して教会は無力なのだ。聖句も、聖水も、陽の光も死霊に対して何も効果を示さない。彼らは自由気ままにふよふよと宙を漂うばかりなのだ。
姫の【死霊誘因体質】ならびに【死霊吸引体質】は教皇庁としても、無視できない問題だ。
その為、教皇ハインリッヒは最も信用できる監査局員として、身内である私を、マルグリッド司教として派遣していた。
そう、私はこれまでずっと、姫の監視役だったのだ。
もちろん、そんなことはあの儚げな姫は知らない。
「ハイデルマイア、教皇猊下に会います。至急取り次いでください」
ついに来るべき時が来たのだろう。私に決断の時が迫っていた。
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