第11話 シリウス=プリンシパルの事情2

 コルテッサ=マルグリッド。マルグリッド王国第一王女。

 かの姫の生い立ちは、最初から波乱に満ちていた。


 彼女の母であるマルグリッド王妃クラリスが産気づいた時、すでにその周囲には死霊が集まってきていたという。当時マルグリッド国の大司教であった祖父は、その現場に居合わせた。


 聖堂で生まれる王の子供の安全を祈っていた祖父は、息を切らせた王宮からの使者によって異変を知らされた。


 祖父が王宮の産屋うぶやにつくと、そこにはすでにおびただしい数の死霊が、渦をなし宙を舞い、取り囲んでいたという。そのあまりに多い死霊のために、もともと産屋の中にいた王妃と数人の侍女以外の人間は一切近づけないありさまだった。

 

 祖父は、聖句を唱え、聖水で清め、祈りを捧げ、時には錫杖で打ち払おうとした。

 しかしそのどれも一切の効果はなく、ただ死霊たちはけらけらと笑いながら宙を舞うのみだった。


 中の王妃たちはどうなっているのか。

 生まれる子供は無事なのか。


 その場にいるもの誰しもが天を仰ぎ、王妃たちの安否は絶望的と思われたその時、赤子の産声が響き渡った。

 そして、不思議なことが起こった。あれほど大量に発生していた死霊たちが霧が晴れるように散っていたのだ。死霊たちのために薄暗く淀んでいた産屋には、暖かな陽光が差し込んだ。

 

 堰を切ったように、産屋に飛び込む王と従者たち。

 そこには、元気いっぱいに泣き声を上げる、珠のような女の子と、やり遂げた王妃たちがみな無事でいた。


 この子は祝福された子だ。

 この子の産声が死霊を払ったと、みな新たな王女の誕生を大いに祝った。


 それまでも死霊と言われる存在は細々と知られてはいた。


 『いわく、生命がその輝きを失うとき、稀に発生する命の残りかす』


 動物などが死を迎えたとき、にわかにその体から影が染み出す。

 影はおぼろげな形をとり、しばらく宙を舞い、そしてそのままいずこかへ飛び去るのだ。

 飛び去った後、その影がどうなるのか、どこへ行くのか誰も知らなかった。

 それは、伝承の中に細々と残り、妖精や妖怪の類と長年思われていた。あのように大量に、はっきりと衆人の目で確認されたのは初めてだった。





「――思えば、姫の周りに再び死霊が現れたとき、お前もそこに居たのであったな」


「はい。姫が3歳、私が7歳の時でした」


 コンテクスト教の本部。教皇の間。私は祖父である教皇ハインリッヒと対面していた。

 壇上の教皇猊下は、純白の法王衣に身を包み、物憂げな様子で嘆息した。


「私も、目の前で見たときは驚いたものだ。王宮で長年飼育していた、密林オウムがその寿命を終えたとき、死を看取った姫の目の前で、死霊化したのだったな」


「はい。その死霊は飛び去らず、姫の影に住みつきました。発生した死霊が消えるという現象は観測されていないので、今でもその死霊は姫と共にあると思います」


 それを皮切りに、姫の周りには再び死霊が集まるようになった。

 死霊は人を害することはなかったが、近づけば寒気と何とも言えない居心地の悪さを覚えた。

 姫出生の時の記憶がある使用人たちの怯え様は尋常ではなかったと聞く。またあの数の死霊が集まるようになるのではないか? その時自分たちはどうなってしまうのか。


 結果姫は孤独となったが、幼い姫は気にしなかった。身近に遊び相手はいたからだ。


「姫の監視を強化しなければならない。人を害することができるようになった死霊たちは危険なのだ。わかってくれるか、シリウス」


「はい……」


 コルテッサは何も悪くない。それは私もわかっている。


 あの子はただ、自分の目の前の日常を、嘆くことなく、謙虚に過ごしているだけだ。


 毎日、聖堂に通い真摯に祈りを捧げる。雨の日も、雪の日も一日たりとも欠かすことなく。

 ただ静かにひざまずいて、目を伏せて。

 

 聖堂に差し込む陽光に照らされると、もともと白く淡雪のような肌がさらに白く染まるように見えた。寒い冬の日には、可哀そうに、手先がかじかみ、ほほがほの赤く染まっていたのを見た。体に障りますからと、促したが悲しそうな表情で「私は、いいのです」と微笑んだ。


 宮殿で見る、後ろ姿は驚くほど華奢で、今にも折れてしまいそうだった。あの姫を支えるものは、ごく少数しかない。お付きのメイドも一人だけだ。


 私はそれをずっと見ていた。

 あの悲しそうな表情。姫は深く傷ついているのだ。幼いころから、姫を監視する役目を負った私はそう結論した。孤独という毒が彼女を蝕んでいる。


 この広い世界で、どうして彼女は、理不尽な運命を呪う事なくいられるのだろうか。


「――コルテッサ=マルグリッドは修道院へ行ってもらう事になるだろう。この度のことで姫の婚姻は絶望的となった。山の奥深くにある少人数で厳格な院だ。もし何かあっても、被害は最小限で済むだろう」


「……っ、猊下! それはあまりにも姫が哀れではないですか!」


 私は立場も忘れてすがるように祖父に訴えた。

 姫の孤独は私が知っている。それなのに、今よりさらに姫を孤独にするような決定を見過ごすわけには行かなかった。


「だが、シリウスよ。お前が反対しようと、もう時は来たのだ。これより先は、何があってもおかしくない。もし姫が人を傷つけることがあれば、教皇として、姫の捕縛命令を出さなければならなくなるのだ」


 そして、その先は、異端として処刑される運命だ。

 それは考えうる限り、最悪の未来だ。


 だが、


 ――――そんなことは、私がさせない。


「猊下。お願いがあります。私を破門してください」


 意を決した私の突然の言葉に、教皇が目を見開く。


「私は僧籍を捨て、還俗します。そして、生涯を姫と共にします。我が人生をかけて姫を支え、決して人を害させません。姫と周りの人々を守り抜くことを神に誓います。ですからどうか……どうか……」


 最後には、振り絞るような蚊のなくような声になってしまう。

 だが、これだけは伝えなければならない。私は全身全霊を込めて、告白した


「私は、姫を、コルテッサ=マルグリッドを愛してしまったのです! 姫がさらなる地獄に落ちることを見過ごす事はできません。私が、必ず姫を守りますからどうか、ご慈悲を――」


 壇上の祖父、教皇ハインリッヒから見て、今無様に地に頭をつけて懇願する私はどう映るだろうか。

 無様でもいい、神の教えももう要らない。

 

 私はただ、私の愛した娘が幸せになれる未来だけをつかみたい。

 そう思った。


「――――あい、わかった」


 長い沈黙ののち、祖父が口を開いた。


「ただいまをもって、シリウス=プリンシパルの僧職を解く。マルグリッドに戻ったのちは、叔父のロベルト伯を訪ねるがいい。ロベルトは病に伏して久しい。後継者を探しておった。その後はいかようにでもするがいい」


 ただ――と、教皇は付け加えた。


「僧籍でなくなれど、お前は我が孫である。何かあればいつでも文を寄こすがいい。あの猫の死霊はくれぐれも、しっかり躾をするのだぞ」


 私は思わず、涙で前が見えなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る