第3話 アイスブルーのシリウス
「シリウス様」
声をかけてもらっただけで、ついつい声が跳ねてしまう。
いけない。リリアの教えその一 『淑女は軽々しく喜んではなりません。喜ぶときは、最大限の印象を残しながら、相手の目を見てニッコリと』だ。
午後の柔らかな陽光に照らされて淡く小麦色に光る前髪。穏やかな湖面のようなアイスブルーの瞳。見るものすべてを癒すような、優し気な表情。
ゆったりとした身のこなしで壇上の端から歩いてくる青年は、シリウス=プリンシパル様だ。
私の命を救ってくれたプリンシパル大司教様のお孫で、22歳という若さで、引退したおじい様の後をついで司教職についた英才だ。
「君たちも元気そうですね。良いことです」
死霊たちがシリウス様のまわりに群がる。シリウス様は死霊たちにもとっても好かれる。
城内の誰もが、死霊たちを気味悪がるけれど、リリアとシリウス様だけは、分け隔てなく接してくれる。死霊は友達と思っている私にはそれだけで救われる話だった。
「君は新しい子だね……たぶん、猫かな?」
シリウス様は死霊のもとの姿あてが特技だ。
私の死霊たちは、基本丸くて、半透明ふわふわというどの子も似たような姿をしている。
よーく見ると、小さなしっぽがあったり、牙があったりと、生前の特徴が残ってるんだけど、本当によく見ないと分からないくらいの差。
それをシリウス様は的確に当ててくる。その的中率はいつも100%だ。
「すごいですね、シリウス様。確かにその子、猫です。昨日の夜に城下町の路地裏で死んじゃったんだと言っています」
「そうでしたか。――命半ばで死んでしまった事は悲しむべき事ですが、生まれ変わるまでの今しばらく、姫のそばで過ごすのもいいでしょう。あなたの魂に祝福があらんことを」
祝福をもらった元子猫の死霊はうれしそうに聖堂の天井に舞い上がり、くるくると回った。それをみて、優し気に微笑むシリウス様。
はー。尊いってこういうことをいうのでしょうね。ほんとに聖人。
私は、シリウス様のこの笑顔が本当に好きだった。
「ところで、姫様。先ほど王に呼び出されたと噂を聞いたのですが、何かありましたか?」
ぽけーっと、シリウス様の顔を眺めていたら急に話を振られてびっくりした。
私は、動揺を抑えながら答える。
「え、えっと……、実は私に縁談が決まってしまって」
私は、遠方のクランベルグに嫁ぐことになった事、一週間後にはもう行かなくてはならないことを伝えた。
「なんと――それは、なんというか」
いつも聖人君子なシリウス様だから、普段通りの笑顔で
『それはとっても良いことですね。おめでとうございます』
とでも言われるのかなと思ったら、意外なことに、シリウス様は言葉を詰まらせた。
それどころか思い悩むように、眉毛を寄せて考え込んでしまった。
「姫様は、よいのですか? そんな説明もろくになく、他国に追いやられるように嫁ぐことになっても」
「それは……正直突然のことですし、こころの準備もできてないのですが、でも王族ってそういうものですし、ね……」
そうなのだ。私だって、生まれたときから王女をやっている。国のならいくらい、理解している。王族に小説のような自由恋愛なんて許されていないのだ。
――でも、本当のことをいうと、嫌だった。
逃げたい。断りたい。顔も知らない男の所に行くのなんて、まったく想像できない。
それに……今、目の前で真剣な顔で私のことを心配してくれているシリウス様。
本当は、私はこの人のことが好きだった。
好きだという気持ちを自覚したのは、14歳の時だ。シリウス様は、まだおじい様のプリンシパル様の下で、修行中の身だったけれど、たまに会う私にとてもよくしてくれた。
そのころから死霊たちとも仲良くしてくれた優しい人に、私はすぐに好きになった。
お父様に、シリウス様と結婚したいとわがままを言ったり、本人にも好きだと伝えたけれど
「姫様、私は神に使える身、ましてや修行中の身です。それに、姫様とは身分も違いますから、どうか」
と、困らせてしまった。
お父さまにも王女としての自覚が足らないと、こっぴどく叱られて、その夜は一晩中泣いて過ごしたものだった。シリウス様のほんとうに困った顔が忘れられなくて、それからその気持ちはそっと胸の内に秘めたままにしてある。
だけど、18歳になった私の胸にもその想いはまだ残っている。きっとこれからもずっと。
「――しょうがない事、なんですよ。本当に、しょうがない……」
そこまで言って、私はしゃがみこんでしまう。そんなつもりはなかったのに、止めどもなく涙が溢れてきた。声が抑えられなくなって、ついにはしゃくりあげてしまう。
『――そっか、私、本当はすごく、悲しかったんだ』
一度自覚してしまうともう駄目だった。どうしても止められなくて、シリウス様の僧衣の裾をつかんで、大声で泣いてしまった。
シリウス様は黙って、そっと抱きしめてくれた。
死霊たちがそっとほほをなでてくれたのが、ひんやりとした風が通り過ぎていったのでなんとなく分かった。
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