第18話

 

 ***

 

「シエラリーダー、発艦準備完了」

 蛍光灯の明かりと発艦口から入る自然光で照らされた、薄暗い格納庫内部。

 碁盤の目状に区分けされた二段構造の格納庫は、横の列ごとに整備区画と発艦区画が分けられている。今いるのは発艦区画。すぐ前の整備区画では、別の飛行隊の戦闘艇が発艦前の最終点検を行っている。

 コックピットの計器とスイッチを指差し、最終確認。

「コントロールよりシエラリーダー、発艦を許可する」

「シエラリーダー、発艦する」

 格納庫の底が解放。機体を支持していたアームが離れる。

 重力に引かれた戦闘艇は緩やかに落下を開始し、母艦から安全な距離を確保したところでスロットルを解放。ターボファンエンジンで加速して揚力を得た機体は、跳ねる様に舞い上がる。

 母艦より上空に上がり、何度見ても見慣れぬその巨体が露わになる。

 空に浮かぶ双胴の飛行船。全長は300メートル超。

 左右の気嚢を収めた船体の間には格納甲板が張られ、甲板上面中央にまとめて配置されているのは航行艦橋や警戒レーダーをはじめとする上部構造物。そのすぐ前では主砲である背負い式で配置された二基の283ミリ連装砲塔が前方を睨む。

 主砲と上部構造物を挟むよう左右に配置されたのは、全通式の着艦・補給甲板。

 左右の気嚢部にはそれぞれ上面と下面に三基ずつ、計十二基の88ミリ連装対空砲が設置され、各所にちりばめられた20ミリ連装機関砲塔は何基あるのかすら分からない。

 更に今は死角となっている格納甲板下面には、同時に24機の発艦を可能とする発艦口。

 エリアドネ王立空軍、オリュンポス級戦闘母艦。その三番艦「アテーネ」。

 王立空軍の象徴とも言える、世界最大級の大型戦闘母艦。

 周囲には主に付き従う従者のように制圧艦と強襲艦が輪形陣を組み、さらにその前に複縦陣を組んだ巡航艦が先行する。

 堂々たる威容の艦隊だ。

 馬鹿らしいくらいに。

「シエラリーダーより各位、作戦行動に入る」

「了解」

 先に発艦していた四機と合流。高高度で編隊を組み、艦隊に先行して作戦で指定された空域への進路をとる。艦隊と他の飛行隊が視界から消えるまで、そう時間はかからない。

 高空から見る戦域地区は遠く、街を識別できるかという程度。例えそこに共和国軍や予備軍がいたとしても、この高度からでは目を凝らしても分からないだろう。

 ユナたちの想定している連邦王国の「作戦」。それはしかし、あくまで可能性の話だ。

 状況証拠は多くあるが、しかしまだ確定という訳ではない。何なら、ただの誇大妄想に終わってくれと今でも願っている。

 そうである以上、「何ともなかった場合」の事も考えなければいけない。何もないのに突っ走って軍規違反で懲戒処分と言うのでは、あまりにも間抜けが過ぎる。

 かなり苦しくとも一応の言い訳、建前くらいは必要だ。例えば。

「コマンドよりシエラリーダー、状況を報告せよ」

 定刻通りの状況確認の通信。中距離無線から聞こえるそれに、教本通りの返答をして。

「シエラリーダーよりコマンド。敵影は認められz

 音を立ててスイッチを跳ね上げ、中距離無線を叩ききる。

 これで、通信は途絶。恐らくは、通信機の故障などと判断されるだろう。

 規則上、現場での判断が認められるには二つの場合がある。一つは、先日の撤退戦のように指揮統制が困難となった場合。そして二つ目が、通信設備の喪失などで通常の命令系統からの指示が受けられなくなり、かつ作戦行動の続行が必要かつ可能な場合。

「シエラリーダーより各位、通信の不調により、現状艦隊からの指示を受けることは困難。よって、本飛行隊はこれより現場判断での行動に移る」

「シエラツー了解。それはとんだ災難だ。で、どうするんですか、隊長」

 わざとらしく言うソルの声が、緊張で強張った手を少しだけほぐす。

「索敵高度を変更」

 本来の作戦では、飛行隊による索敵は高高度からとされていた。まるで、地上にある見られたくない物から遠ざけようとするかのように。なので。

「4500から、500まで降下」

 もしもこれで交戦中の共和国軍、或いは予備軍が確認できれば、想像は事実へと変わる。既に艦隊は、配置に付きつつある。発表されている作戦が正しいのならば、ユナの想像がただの杞憂に過ぎないのであれば、そこに共和国軍や予備軍がいるはずがない。

 高度計の指し示す筋は急激に減少し、三桁へ。家屋の一つ一つが識別できるほどの高度を這うように飛ぶ。地上からの対空射撃を警戒し、編隊の間隔は広く。

 崩れた市街地、擱座し砂埃を被った車両群。広がるのは、やはり同じような戦禍の跡。

 そして。

 飛び交う小さな点、立ち上る土煙。

 既視感のある光景が、遠くに見える。

「前方に飛行物多数。交戦中の模様」

 空気の濃い低空で速度が出ないとはいえ、時速数百キロ。空力制御では到底不可能な機動で飛び回るその機体が、ユナたちの駆るのと同じ戦闘艇だと分かるのにそう時間はかからない。

 迷彩は土色。そして、それと交戦しているのは以前も見た有翼の戦闘機。

 驚きは無かった。ぐっと唇を噛む。

 地上に目を凝らせば、王立地上軍と塗装だけ違う幌付きトラックや歩兵戦闘車。塵のような無数の点は歩兵部隊か。その相対する先には、見慣れぬ戦車に、見覚えのある対空戦車。

 ここは設定されているモンスターとの交戦域、艦隊による砲撃のキルゾーン。その内側だ。

 ここまで来てでもまだ杞憂かもしれないとは、さすがに思えない。

「不明目標と交戦中の友軍機を確認」

 踏み出せば、引き返せない。

 どう転ぶか、正確な事は分からない。生じる責任だって、未知数だ。なので。

「シエラリーダーより各位へ、命令を通達」

 軍において、上官の命令は絶対となる。部下には命令に従う義務があり、あらゆる命令においてその責任は行動の実行者ではなく命令者に全て属する。

「本飛行隊はこれより、」

 交戦中の友軍を援護する。各機は不明目標を攻撃せよ。そう言おうとして。

 しかし、それを言う前に無線から棒読みの声が響く。

「あーあー、無線の調子が悪くてよくきこえないけど」

 独断ごめんねー、と。

「シエラスリー、エンゲーージ」

 機体を翻し、アンナ機が編隊から離れる。

 呼び止める間もなかった。

「シエラツー、エンゲージ」

「シエラセブン、エンゲージ!」

 立て続けにソル機、クルト機が離脱。緩降下で向かう先は、敵味方入り乱れる極低空域。

「ま、そうゆうことね。シエラファイブ、エンゲージ」

 最後にイレーネがそう言い、機体を振って低空へ消えてゆく。

 硬く結んでいた口元がふっと綻ぶ。操縦桿を握る強張っていた右手も、いつものように。

「シエラリーダー、エンゲージ。各位、あとは作戦通りに」

 巡航モードから高機動モードへ切替。後を追い、交戦域に降下する。

 先に降下した機体は、既に接敵。唐突に上空から現れた敵に、味方に、混乱する戦場。そこにさらに追い打ちをかけるように、ユナ機とイレーネ機の二機が襲い掛かる。

 使うのは副武装の二門の20ミリ機関砲。ヘッドアップディスプレイでうろうろと邪魔なだけの照準環は無視。固定照準で敵機の進路上に狙いを定め、トリガ。

 分間500発×2門の弾幕が、射線に飛び込んだ敵機を粉砕する。

 躊躇は無かった。破片をまき散らして落ちてゆく敵機の横をすり抜け、次の敵へ。敵機は慌てたようにたどたどしい回避行動をとるが、スラスタで機首の向きを調整し、射撃、撃破。

 FCS制御の限定旋回砲と比べ扱いにくい固定機銃だが、機種転換前に乗っていたFCS非搭載の複座旧型機と比べれば機体の軽快さもあり十分扱いやすい。砲手が居ない分照準は圧倒的に甘いが、そこは機関砲の手数で補える。

 機関砲を撃ち上げる対空戦車は、50ミリ砲で沈黙させる。地上車両についてはFCSに頼れる上に竜種に比べればろくに動きもしないので、こちらを撃って来る以外はただの的。

 予備軍機も、混乱から立ち直るのは早かった。

 ユナたちが反転し二度目の攻撃に入ろうというときには、既に落ち着きを取り戻し新手に気を取られた敵機の背後を取っている。

 続けて予備軍機が数機を撃墜し、数の優位も圧倒的に。機体の性能差はあるとはいえ、満身創痍の二機と戦えない五機だったあの時とはわけが違う。少なくともこの空戦での負けはほぼなくなった。

 ただ、それだけでは何の意味も無い。

 予備軍が勝とうが負けようが関係ない。用意が整うまで敵軍を拘束してくれさえいれば問題ない。それがこの戦場のルールなのだから。

 ユナたちは、そこからひっくり返さなければいけない。

 なので。

 中距離無線を再起動。

「………リーダーよりコマンド、繰り返す、シエラリーダーよりコマンド」

 シエラ隊通信回復、と通信手が誰かに叫ぶ声が聞こえる。

「コマンドよりシエラリーダー。状況を報告せよ」

「こちら、王立空軍レンツ戦闘飛行隊。現在我が隊は大規模な敵集団と接触、これと交戦中」

 モンスターとの交戦を役割とする王立空軍は、無線に暗号化を施していない。そして、交戦中だというのなら共和国軍は情報を少しでも集めるべく無線を監視しているはず。

 この通信も。

「周囲に友軍艦艇は確認できず。現有戦力のみでの継戦は困難」

 ここは賭けだ。

 嘘は言っていない。

 レンツ戦闘飛行隊の本来の任務は、竜種の誘導が完了した後の拘束。その飛行隊から、大規模な敵集団と接触、友軍艦艇は無し。そう通信が入れば、艦隊はどう判断するか。

 危惧するのは、竜種の誘引に当たっている任務隊からまだ誘導は終わっていないと艦隊に訂正する通信が入る事。

 だが、制圧艦クラスの任務隊にこの作戦の全貌が伝えられていることは無いとユナは踏んだ。

「艦隊へ砲撃支援を要請する。座標転送。口頭修正、方位190、距離1000。高度0050。対空制圧射撃」

 判断を仰いでいるのか、微かな間。

「コマンドよりシエラリーダー、支援要請了解。座標確認、高度0050。対空制圧射撃。展開中の航空機は目標地点より退避せよ」

 よしっ、と小さく呟く。

 短距離無線の周波数を航空予備軍の物へ切り替え、続いてスイッチをいくつか操作。

 予備軍の戦闘艇は、武装や姿勢制御などの改修部以外は王立軍の物の使いまわし。なので、王立空軍の機体でも、設定さえ適切なら予備軍の使用している暗号通信が利用できる。あの日、カタリナ・ミュンヒから聞いたように。

「こちら王立空軍、レンツ戦闘飛行隊。展開中の予備軍へ通達。まもなく高度0050へ砲撃支援が着弾します。現在の空域から退避してください」

 帰って来たのは無線越しでも顰めっ面が見えそうな程不機嫌な、聞き覚えのある声だった。

「アルファツーよりシエラリーダー。次顔を見せたらって、言いませんでしたっけ」

 思わず、頬が緩む。なるほど、道理ですぐに立て直した訳だと、納得する。

 展開している航空予備軍は他にもいるだろうが、ここで当たりを引くのは運が良い。まるで、誰かが仕組んだのかと疑いたくなるくらいだ。

「馬鹿なので忘れました。それに私も言いませんでした、王立空軍を舐めるなよって」

 呆れたような溜息。続いて無線から響くのは、もう何年も前から知っている聞き慣れた声。

「アルファリーダーより、デルタ、ヴィクター、ウィスキー隊並びに陸上予備軍。王立空軍の指示を追認。レンツ戦闘飛行隊の指示に従い、早急に現空域から離脱せよ」

 感情のこもらない事務的なその声に、しかし拒絶の色は無い。

 だから、こう言うのに躊躇いは無かった。

「あとは、王立空軍が引き継ぎます」

 突如現れた王立軍機が、ごく局地的とはいえ戦局をひっくり返して。そして、その部隊が発した要請にしたがって、西部方面艦隊の砲撃が降り注いだなら、共和国軍にはどう映るか。

 足の遅い陸上予備軍には、多少被害が出るかもしれないが、それには目をつぶる。対地砲撃でなく対空制圧射撃なので、壊滅的な損害を被るという事は無いはず。

 ユナたちだって、全知全能の神ではない。最大の目的は、予備軍全体を救う事ではない。

 地表を塗り潰すような爆発が生じる。艦隊全火力なら203ミリ砲が64門、283ミリ砲が4門。そうではないにしても、先日の巡航艦一隻とは比にならない程の火力。

 こちらが退いたことを見て取った共和国軍も、引いている可能性はある。が、それでも問題は無い。砲撃を要請した座標は、最前線よりわずかに敵軍側。なにより、大切なのはどれだけ被害を与えたかではなく、艦隊が要請に従って共和国軍を砲撃したという事実。

 むしろ、敵軍を混乱に陥れるほどの損害を与えられては、意味がない。それでは、上層部が考えているであろう作戦の大筋からは外れない。

 本来予定していたのであろうタイミングより早く。

 そのまま、モンスターとの戦闘と言う大義名分を掲げて、「足並みがそろわず運悪く交戦域にいた共和国軍」を「作戦行動中の不幸な事故」で予備軍ごと踏み潰すことが出来ないほど。

 状況証拠は、全て王立空軍に共和国軍攻撃の意思があることを示す。

 決して、誤射では通らない。

 王立空軍を、共和国軍との戦争という盤面に引きずり出す。

「シエラリーダーよりコマンド、弾着を確認」

 手順通りに、着弾分布を報告し。

「敵集団、未だ多数が残存。追撃の要を認む」

 そして、遅れて効力射。

 一射目とは比べ物にならない程まとまった爆炎が、敵の直上で大輪の花を咲かせる。

 

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