第15話


 今までと同じ景色、のはずだった。

 放棄された人気のない市街、擱座した両軍の車両に、原形をとどめぬ墜落機。無数のクレーター。落ちた竜種の死骸にたかる地上棲のモンスター。

 これまでとは違って極低空から見るから、というだけではないだろう。

 その後ろにあるものが違うと、こうも違って見えるのか。

 広がるのは、モンスターという人類共通の敵に、圧倒的な自然の摂理に立ち向かった奮闘の跡ではない。人と人とが砲火を交える戦争、その戦禍に他ならない。

 無論、ユナたちはここにいて、各国に兵力を派遣し「騎士団外交」を展開する王立軍も実在する。空想の中の架空の存在ではない。しかしそれと同時に、確かな「戦争」の存在も知覚する。矛盾はする。が、矛盾するからといって否定されるほど、ユナたちの思っていたほど、この世界は単純では無かったのだろう。連邦王国と、それを取り巻く環境というのは。

 途中、共和国の要塞都市の近くを通った。

 かつて、この地域が人類とモンスターの戦いの最前線だった時代の遺物だ。数百年前の物であろう石造りの城壁に城郭。その至る所に設けられた突出部の上に剣山の如く並ぶのは築城時にあったであろう対空弩弓ではなく、高角砲や機関砲を備えた対空戦車、その残骸。防衛線の崩壊をうけて、急遽何世紀も前の遺構を防衛拠点に作り替えようとしたことが見て取れる。

 城壁を超えてあふれ出した市街は戦闘の激しさを物語るように瓦礫と化し。

 そして、その戦禍はそれだけに留まらない。

「……っ!」

 城壁の中に蠢く無数の影は、その一つ一つが竜種、その小型種。

 敵機を避けるため、低空を飛んでいたことが災いした。

 エンジン音高らかに飛ぶ七機の戦闘艇、それに目もくれず。揃いも揃って地に降りたその竜種は、貪るように何かを咀嚼している。

 赤と、黒と、白と、肌色。

「助けよう、なんて考えないで下さいよ。そちらのやり方は知りませんが、私たちの機体はあれと戦うようにはできていません」

 予め釘をさすように、無線越しにカタリナが言う。

「でも」

「そもそも、とっくに手遅れです。この手の城塞は避難壕を兼ねた地下施設が充実していますから、生存者がいればそこへ避難しているはずです。それ以外は、まず助かりません」

 淡々と述べる雑音交じりのその声からは、押し殺したかのように感情は読み取れない。

「だからって」

「私たちの任務は王立空軍を安全に撤退させることです。それとも、私たちを巻き込んで誇り高い自殺でもするつもりですか。ああ言ったあなた達が」

 ユナの代わりに応えたのは、二番機のソルだった。

「よくある事なのか、これは」

 硬い声の問いかけ。レンツ飛行隊全員が恐らく抱いているであろう疑問を代弁する。

「竜種が人間を……集団で捕食するってのは」

 竜種は、人間を好んで捕食する習性は持たないとされている。

 ただ、眼下で繰り広げられる光景は明らかに捕食だ。それも、戦闘に伴う物ではなく、一方的に竜種が人間を狩る形の。これだけの群れでありながら空を舞っている竜種が一頭もいないのが、その不気味さに拍車をかける。

「いつもの光景って訳じゃありません。ですが、大規模な防衛線の崩壊があった時には珍しい事でも無いです。大方、付近一帯の住民が避難していたんでしょう。それで逃げ遅れたか、避難壕の収容限界を超えたか。獲物がまとまっていれば、捕食者が集まるのも道理です」

 城塞の直上を通過。

 煩わしそうに空を見上げた一頭の竜種と目が合う。左前脚の無い、小型種。失われた前脚の断面は真新しい。まるで、昨日吹き飛ばされたばかりかのように。

 興味なさげに獲物へ視線を戻したその竜種が、脳裏に焼き付いた記憶と符合する。

「これが全部、食人種……」

 敵地へモンスターをけしかける「侵攻作戦」。眼下で広がる捕食現場。人の味を覚えた食人種。王立空軍を撤退に追い込んだ昨日の竜種集団による大規模攻勢。

 もしかして。そう思うのと、無線越しに張り詰めた声が響いたのは同時だった。

「七時の方向、敵機4」

 随分と久しぶりに聞いたようにすら思えるノアの声。

 もはや意識するまでも無く、思考が切り替わる。頭の中で絡まっていた思惟を手放し、固定翼機のパイロットには飛ばせないとまで言われる戦闘艇を操るべく空間処理に意識を引き戻す。

「アルファツー確認しました。見つかっては……いますね、多分」

 空に溶け込むことを重視した王立空軍機の塗装は、低空では逆効果だ。しかも、それが五機。レーダーからは隠れられても、目視されれば一目瞭然。

「アルファツーより王立軍各位、お先へどうぞ」

 返事も待たず反転する二機。ヴェスペの非力な空力制御で、大きな弧を描いて敵機の方へ機首を向ける。

 レンツ飛行隊のものを分けたので、残弾は問題ないはず。だが、機体の損傷はそのままだ。カタリナの駆る二番機に至っては、至る所のスラスタが燃料切れを起こしているのが一目瞭然。

 敵機は倍。レンツ戦闘飛行隊は戦力として数えられない。カタリナが言った事もそうだが、20ミリ機関砲の残弾を殆どノアたちに譲った結果、火力支援型のイレーネ機を除いて20ミリ機関砲の残弾は無い。小型高速の敵機体を、連射不能な50ミリ砲と竜種を想定したFCSだけで撃破するのはほぼ不可能。

 二機と四機が交差。ヘッドオンは互いに撃墜無し。

 格闘戦に持ち込もうとするヴェスペに、しかし二機ずつに分かれた敵戦闘機は一撃離脱を繰り返し、主導権を渡さない。格闘戦に持ち込めたかと思えば、残る機体が後ろから襲い掛かりその隙に速度で振り切られる。

 押し出しを図ったのか急制動を掛ければ、押し出された機体は即座にブレイクし他の機体が速度を失った戦闘艇に襲い掛かる。

 今まで撃墜されなかったのが、今撃墜されていないのが不思議なほどの、一方的な展開。そして、その不思議を可能にしているスラスタも、恐らくそう長くは持たない。既にカタリナ期は完全にスラスタ燃料を切らすまで秒読みだろうし、ノア機も同じだけ戦っているなら大差は無いはず。時間が経てば、確実にノアたちが負ける。不安定な綱渡り。

 あるいは、敵機がユナたちレンツ戦闘飛行隊に矛先を変えれば、それを阻止する術はノアたちには無く、ほぼ同数の敵機を相手どっての勝算もユナたちにはない。

 なので。

「シエラリーダーより飛行隊各位、交戦空域から離脱」

 交戦域となっている城下の市街上空に背を向け、加速。

「おいてくのかっ?」

 叫ぶクルトを無視し、無線機を操作。隊長機にだけ装備された、中距離無線を起動。

 周波数は、王立空軍の共通周波数へ。この位置ならば、届くはず。

「シエラリーダーよりオイレンブルク、砲撃支援を要請」

「馬鹿なんですか、鶏頭なんですか。言いましたよね、私。そんなことしたら、」

 開けたままにしてあった通常の短距離無線から焦ったようなカタリナの声が響くが、やはりこれも無視。今まで何度も繰り返したように、操作盤のスイッチを弾く。

「座標転送、口頭修正、旧城塞跡。当該座標にて竜種の集団を確認。高度0050、対空制圧砲撃。必ず空中で起爆させてください」

「オイレンブルクよりシエラリーダー、支援要請了解。対空制圧射撃、旧城塞跡、高度0500。展開中の航空機は目標地点から退避せよ」

 続いて着弾までの時間が告げられ、それをユナはそのまま短距離無線で全機に告げる。

「あー、そういうことね」

 軽く笑ってそう言うのはアンナ。

 小さく深呼吸をして、巡航モードから高機動モードに切り替え。

「シエラリーダーよりアルファリーダー、城塞上空から退避して」

「アルファツーよりシエラリーダー、どういうつもりか知りませんが、私たちが動けば敵機もついてきますよ。下手をしたら、そちらへ流れる可能性も」

 戻ってくる返事がノアの物でないことに一抹の悲しさを抱きつつ、精一杯堂々と答える。

「構いません。それに、私たちでも囮にはなるって言いましたよね」

「墜とされても知りませんよ」

「今に始まった事じゃありません」

 返事は無かった。

 二機が示し合わせたかのようなタイミングで旋回、レンツ戦闘飛行隊の後を追うように離脱。

 すかさず追撃に映った敵機に、レンツ戦闘飛行隊の五機が反転してアプローチ。敵機が射撃位置に着く前に回避行動を強要する。

 七対四、数的有利が逆転する。

 ただ、逆転するのはあくまで数の大小のみ。機体性能、そして戦局までは覆らない。

 綱渡りではなくなった。けれど、劣勢なのは変わらない。新たに加わったユナたちが、射撃位置についても発砲しないのは、すぐに悟られる。

 50ミリなら、残弾はある。当たらなくとも、牽制くらいにはなる。

 が、砲撃はしない。してしまっては意味がない。何故なら。

「――いま!」

 弾着。空中に巨大な花が咲き、一瞬遅れて飛行帽越しにも伝わる轟音。

 地表から数十メートル。時限信管により城塞の上空で起爆した一斉射分合計8発の203ミリ榴弾がその破片を周囲一帯にまき散らす。

 城壁内にひしめき合う竜種を、鋼鉄の雨で叩きつけるように。

 上空で炸裂した対空榴弾は、避難壕のある地下を抉る程の威力は持たない。しかし、地上にいる竜種はその砲弾片と子弾をもろに身に浴びる。

 当然、一斉射であの大群を全て沈黙させることはできない。が、それこそが狙った事。

 食事を邪魔された、そして明らかな攻撃を加えられた竜種が、陥落した城塞から飛び立つ。

 まるで、蜂の巣を叩いたかのように。

「シエラリーダーよりオイレンブルク、弾着を確認。次弾は不要、支援感謝します」

 無数の竜種のその矛先は、当然空で飛び交う機体に向けられる。

 戦場が塗り替わる。予備軍と共和国軍の戦場から、王立軍の独壇場へ。

 撃ち上げられるブレス、振るわれる爪、襲い掛かる巨体。

 瞬く間に不意を突かれた敵機のうち一機が火竜のブレスに呑まれ、消滅。ブレスが消えた後に残るのは、火の尾を引いて落下する原形をとどめない残骸のみ。辛うじて直撃を免れた別の一機も、翼端を掠めた炎の渦から引火し、黒煙を引いて墜ちてゆく。遅れて開いた小さなパラシュートは、しかし別の竜種が横から襲い掛かり千切れ飛ぶ。

 ユナたちは一切攻撃を加えていない。巡航艦の砲撃も、敵機には被害を与えていない。不幸な偶然で、近隣にいた共和国軍機が竜種との戦闘に巻き込まれてしまった。それだけの話。

「シエラリーダーより全機、直ちに現空域より離脱」

 無論、竜種は平等にユナたちの方へも襲い来る。ただ、竜種が相手ならユナたちの方が上手だ。巡航艦の砲撃で手負いとなった小型種、それを一機ずつ50ミリ砲で処理してゆきながら、交戦域から離脱する。ノアも、元はと言えば王立空軍の出身。不安があるとすればスラスタの尽きかけたカタリナ機だが、それだけならばレンツ戦闘飛行隊の五機で十分カバーが出来る。

 後方の城塞跡上空では、不意打ちを生き延びた二機の共和国機が竜種の群れと交戦中。見るからに竜種との空戦に不慣れな機動で、先に落ちた二機の後を追うのも時間の問題だろう。しかし、それで十分。

 直上で敵の気を引いてくれれば、こちらへ流れる竜種の数は一気に少なくなる。ユナたちだけで、十分対処できるほどに。十分逃げ切れるほどに。

「ここからは、私たちレンツ戦闘飛行隊が第一特殊飛行隊を護衛します」

 追ってきた個体を急制動で押し出し、ブレスを回避。その後頭部を50ミリ砲で撃ち抜きながら無線に告げる。

「私たちだって軍隊です。王立空軍を、舐めないでください」

 

 

 その後、敵機と遭遇することは無かった。運が良かったのか、城塞にいた竜種の制圧に戦力を割いていたせいかは分からない。小規模な竜種の群れとも何度か遭遇したが、その半数ほどが城塞の時と同じようにこちらには目もくれずに「何か」を食べていた。それが何なのか、近づいて確かめる気にはならなかった。

 途中で雨が降り出し視界が悪くなったのも、幸いしたのかもしれない。

 援護に出ていた巡航艦「オイレンブルク」を視認したところで、第一特殊飛行隊とは別れた。

 防空を担う制圧艦の護衛なしで巡航艦が展開しているという事は、安全な空域まで戻って来たという事に他ならなかったから。竜種からも、そして敵機からも。

 今日の事について私たちは上には報告しません、と別れ際にカタリナは言った。あなた達は救難信号の発信者を見つけられず、私たちは自己判断で撤退した。なのであなた達も忘れるといいです。と。

 少し遠回りをして第七前線基地に辿り着くと、滑走路の脇の予備軍格納庫の中に見覚えのある土色迷彩の戦闘艇が二機、ぽつんと佇んでいた。

 

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