第14話
連邦王国は、隣国である共和国と大規模交戦を伴う戦争状態にある。
それが、まるで当たり前かのようにカタリナ・ミュンヒの告げた事だった。
平和主義を標榜するエリアドネ連邦王国、その法令は徹底している。
憲法で謳われた宣戦布告の権利の放棄と、連邦基本法で明記された王立軍の国家紛争不介入の原則。戦争をするための条約として各種戦時国際法への批准を禁じた臣民議会決議及び王室令に、王立軍へ展開状況や装備・予算などの広範な情報開示を義務付けた王立軍基本法。
モンスターへの特化戦力として各国へ王立軍を派遣する通称騎士団外交は、周辺諸国との利害関係においてその平和主義を支える柱であり、かつ平和主義の実践を内外に喧伝するもの。
連邦王国にとって、戦争はする必要のなく、しようにも二重三重に法令がそれを妨げる。
そう習ってきたし、そう見て来た。
軍関係の法令は軍学校で叩きこまれ、ユナ自身は防衛線部隊に艦隊航空団と本国勤務であったものの、各方面への派遣軍に配属された知り合いは数え切れないほど見て来た。派遣軍の護衛を行ったことも一度ならず。今更疑えと言われても、無理がある。
だ、今目の前で見たことも事実。
何かもわからぬまま撃破した車両は共和国軍の国籍マークの記された対空戦車で、カタリナ・ミュンヒの射殺した搭乗員の識別票には共和国国防軍の名が刻まれていた。墜落していた残骸から回収したのは、同じく共和国の国籍マークの一部が残った主翼片。
そして、カタリナの言葉が正しいのならば、同じような戦闘が何十キロにもわたる戦線で行われている。加えて共和国軍との戦闘自体、別に今に始まった事ではないという。
ユナ・レンツはこれですべての状況が理解できるほど頭脳明晰ではない。二つの矛盾する事実が、どう整合を取っている、いや、どう整合を取っていたのかは分からない。
それでも、単純な事実くらいは想像がつく。
「つまり、予備軍は」
何なのか。
それをどう言えばよいのか分からず口ごもるうちに、小さく鼻で笑ったカタリナが答える。
「そうですよ。王立軍が清く正しい騎士団なら、予備軍は薄汚れた血生臭い傭兵団です。予備戦力や後方業務、ってのも事実無根ではないですけど、国内外、というより国内、特に中核州の方々に向けた建前ですね。あなたたちみたいな」
向けられる視線には、どんな感情も読み取れない。
「基本的に私たちの任務は他国軍との戦闘です。それが、連邦王国における予備軍の存在意義です。ある意味、貴方たち以上に軍隊してると思いますよ。戦争屋ですから」
小さく、試すような笑みを浮かべて。
「でも、なんで」
呟いたアンナに、今度は眉根を顰めてカタリナは応じる。
「それは何がですか?何で公になっていないのかという事なら、それをあなた達が聞きますか、と言っておきます。自分で選んでおきながら義務だ何だとのたまって、動物相手に戦争ごっこしている。私たちに血生臭い戦争を押し付けて正義の味方をしている、あなたがた王国臣民が」
蔑むような目と共に、一気に吐き出された言葉。
殴られたかのような衝撃。咄嗟にどうこたえるべきか分からず黙り込む。
言われるまで気づかなかった。それとも、無意識に意識を背けていたか。
予備軍の主な構成員は何だったか。戦域州の住民だ。
王国臣民は王立軍として人民の盾となる事と引き換えに、安全な中核州での生活を得る。戦場となりうる戦域州に住む住民は、代わりに軍役の義務を負わない。かつては貴族と平民という形で行われていた身分制の名残。これが、連邦王国の掲げる「権利と責務」の関係。戦域州というシステムで戦略縦深を確保する、連邦王国という国家のシステムそのもの。
では、その予備軍が、王立軍と同等、もしくはそれ以上に過酷な戦場に立たされていたのならば?戦死発表には乗らないだけで、毎日同じように被害を重ねてるとしたら?
戦域州と中核州という制度そのものが、全く違った意味を持って来る。
レンツ飛行隊の誰も何も言えない沈黙。
「それとも」
一瞬だけバツの悪そうな表情をしたカタリナは、しかしすぐにまるで先ほどの言葉などなかったかのような、最初と同じ無表情に戻る。
「何故そもそも戦争状態にあるのかという話なら、そんなもの一搭乗員の知るところじゃありません。国の上層部にでも聞いてみてください。そもそも今に始まった事でもありませんし」
動揺を殺し切れず視線をさまよわせて、そこでふと引っ掛かった。
「今に始まった事じゃないって、いつから」
「さあ、数年は経ってるんじゃないですか」
その言葉に、ユナたちは跳ねる様に顔を見合わせる。
ユナたちの知っていた世界は、連邦王国は一切の戦争に関与しないという前提の下で整合していた。しかし今、その前提は覆った。連邦王国は、少なくとも共和国と戦争をしている。それも、昨日や今日からではなく、それなりの期間に渡って。
なら、今回の「大規模な防衛委任」は。
国家同士の外交の話をユナは知らない。どうやってこの「矛盾」が整合しているのかも想像できない。ただ、互いに血を流しての戦争をしている国同士が、これだけの広さの防衛線を敵国に委任する。軍の駐留を許す。予備軍を含めて。さすがにそれがおかしいのは分かる。
敵国同士が、相手の国土に大量の軍を進軍させる。
それがどんな文脈であるかは、明らかだ。
「今回の王立軍の進駐って、まさか」
「ああ、さすがに気づきますか」
ただ、帰ってきた答えはその予想を数段超えていた。
「今回の作戦は、両軍合同の侵攻作戦です」
隊の誰かが、短く息を呑む音。
「両軍、合同?」
「ええ。我々予備軍はいわば先遣隊で、本隊は王立軍。別に結果的にそうなった、とかじゃありません。最初っからそう計画され実行された、一つの軍事作戦です」
割れた舗装の破片をチョークの様に、汚れたその手が舗装の上に国境付近の地図を描く。
「攻める分には簡単な戦争ですよ。私たちは敵軍を包囲殲滅する必要すらありません。戦線に数か所穴をあけて、後方の対モンスター防衛線を背後から襲えばいい。相打ちでも構わない。あとは、崩れた防衛線を突破したモンスターが勝手に敵軍を後退させてくれる。最後に、モンスター討伐の大義名分のもとに王立軍が進軍すれば、占領は完了です」
新旧の国境、前線を表す線、部隊配置、無数の矢印。
書き加えられるそれらは大雑把ではあるが、その言葉が真実であることを如実に告げる。
「つまり、私たちの仕事は共和国の一般市民にモンスターをけしかける事です。モンスターから人民を守る軍の背後を突いて、敵軍と刺し違えてでも。あなた達に言わせれば、汚れ仕事担当ってところでしょうか」
降りる沈黙。
破ったのはソルだった。飛行隊最年長の副隊長が、苦虫を噛み潰したような顔で尋ねる。
「それで、王立軍が退くとどうなるんだ」
そう。今は、その本隊が撤退を余儀なくされている状態だ。カタリナの語ったのは、攻める時の話。今とは状況がまるっきり逆。なので。
「決まってるじゃないですか。防衛戦です」
小さく鼻で笑って、カタリナは続ける。
「攻める分には簡単なんですよ、この戦争は。逆に言えば、守るのは至難です。敵の本格的な反転攻勢が始まった今、王立軍の撤退を確実にするため、私たち予備軍には死守命令が出ています。何としても撤退が終わるまでは敵軍をここで食い止めろ、と」
「食い止めるって」
見れば分かる。満身創痍の戦闘艇が二機。殆どゲリラ戦のような有様で、食い止めるどころか敵機数機の迎撃すらまともにできていなかった。ここまで来る際の空からも、そんな大規模な戦闘は見かけていない。が。
「別に、兵力を温存する必要は無いんですよ。王立軍に被害が出なければいいんです。今前線にいる予備軍が壊滅しても、どうせ反攻作戦には支障ありませんし。いまも陸空予備軍の生き残りが私たちと同じように個別に遅滞戦闘を繰り返しているはずです」
「だから、死守命令」
「ええ、文字通り。殺し、殺されるのが戦争ですから」
自嘲的に笑って答えるその顔から、思わず視線を逸らす。
「先程の戦車兵。どう思いました」
尋ねられ、無意識のうちに蓋をしようとしていた記憶が再び顔を覗かせた。
崩れ落ちる上体、広がる赤黒い池。
「……どうって」
「ご存じでしょう。別に、あの兵士は瀕死の重傷を負っていたわけでも無ければ、こちらに銃を向けていたわけでもありません。殺す必要は無かったはず、そう思ったんじゃないですか」
否定は出来なかった。他の隊員も、口を噤んだまま。
「あなた達の知っている「常識」も間違いじゃないんですよ。連邦王国派は戦争をするための法整備をしていない。だから、捕虜を取ることは出来ません。生存者に気付いてしまった以上、身の安全を確実にするには、確実に殺すしかない。拘束したところで、置き去りにするしかないんですから。その場合は、モンスターの餌にでもなるか、救出されて再び武器を手に前線に帰って来るかです」
くるり、とホルスターから取り出された拳銃が手の中で回される。
「そしてそれは、私たちも同じです。批准国同士の交戦において効力を持つ戦時国際法は、ここでは何の意味も持ちません。虐殺、暴行、拷問。禁ずるものがあるとすれば、敵兵の道徳心だけ。コイントスで決めてくれた方がまだましですね」
「…………」
「なんで私たちの携行武器がライフルでもカービンでもなく、拳銃なんだと思います?答えは、コックピット内でも使えるように、です」
手にした拳銃のハンマーで自分のこめかみを小突いて。
「この戦場はあなた達の職場とは全く違います。加勢していただいた恩もありますし、説明できることはしたつもりです。話したことは、誰に言おうが好きにして構いません。もっとも、大声で言って回るのはお勧めしませんが」
なので、と。鋭く目を細めて。
「悪い事は言いません。とっととお帰り下さい。敵がこれ以上増えると、撤退しようにもできなくなります。ここで王立空軍のあなた達に死なれると、色々と面倒なんです」
ぱちり、と拳銃を収めたホルスターを閉め、背を向けて立ち上がる。
「敵機は速度性能と上昇力で私たちの機体を上回っています。追われれば振り切るのは困難です。レーダーを避けて、なるべく低空を見つからないように行くのが無難でしょう」
「貴女達はどうするの」
その背中に声を投げたのはイレーネ。
「言ったじゃないですか、私たちの任務は徹底抗戦です」
小さく肩をすくめて、イレーネは答える。
「その必要は、」
「一つ言っておきます」
被せるように放たれる言葉。振り返ったカタリナの、睨むような視線。
「私たちは血に塗れた人殺しです。ここに広がる地獄の元凶です。蔑むも罵るもお好きにどうぞ。忘れたければ忘れてくれて構いません。ただ、憐みだけは結構です。こっちだって軍人なんです。身を張って戦ってるのを、何であれ憐れまれる筋合いはありません」
剝き出しの感情が乗せられた視線に、ユナたちは射竦められたかのように動けない。
おもむろに立ち上がったイレーネを除いて。
「何か勘違いしてるみたいだけど、貴女達の任務は王立軍を逃がす事。そうでしょう」
「ええ。ですから、」
今度は、イレーネがその言葉を奪った。
「私たちがその殿よ。既に王立空軍の撤退はほとんど完了している。足の遅い王立地上軍は、元々前線までは出てきていない。王立軍を逃がすのが任務というのなら、それはもう完了している。それとも、ここで意味もなく死ぬのが貴女達の任務?」
返事は無い。ただ尖った刃物のような視線が無音で交差する。
「戦線は既に崩壊したんでしょう。これを凌いで反攻に転ずるつもりなら何も言わないけど、そうじゃないっていうのは貴女が言ったわよね」
「だったら何ですか」
「私たちと貴女達、合わせて七機。後方には王立空軍の巡航艦が撤退支援で展開中。撤退できる戦力も今なら揃ってるし、砲撃支援も望める。なんならそのボロボロの戦闘艇二機で嫌がらせをするより、追ってきた敵軍の鼻先を挫くことは出来るんじゃないかしら」
それとも、と薄い笑みを浮かべて。
「憐みを買うような被害者面をしてここで玉砕するというのなら、お好きにどうぞ。自己憐憫に浸りながら自殺したいなら止めはしないわ。ただ、それで軍人を名乗らないでもらえるかしら。軍人って言うのは誰かのために武器を取る者であって、自殺志願者の事じゃない」
引き絞った弦ような沈黙。
恐らく実際には数分にも満たないそれに、先に折れたのはカタリナだった。
「…………一つだけ訂正させてください。戦力はあなた達が来る前と何ら変わってません。見せかけだけの張りぼてが五機増えただけです。或いは、囮が」
依然として腰を下ろしたままのユナたちを見下ろし、続ける。
「あなた方は人が乗っていると分かってしまった戦闘機を迷わず撃てますか?人が乗る車両に本当に砲撃を要請できますか?」
ユナも、他の隊員も、勿論イレーネも答えられない。
「あなた達の覚悟というだけではありません。それで王立空軍が敵軍を攻撃したら、どれだけの事が起こるかはお判りでしょう。王立軍は「戦争しない」軍隊なはずなんですから」
ただ、自分の言った事には責任を持ってもらいますよ、とカタリナは付け加える。
「なので、私たちは撤退しません」
軍人にとって命令は絶対です、と言って。
「20ミリの残弾をこちらに下さい。それが、私たちがあなた達を護衛する条件です」
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