第12話


 

 真っ暗な地上に揺らぐオレンジ色の光。

 それは誘導灯代わりの焚火だ。

 ライトスティックの代わりに先端に火のついた薪を持った誘導員。その指示に従い着陸したユナたちレンツ戦闘飛行隊は、機体に設けられたステップを踏んで機体から降りる。

 夜間で目視での偵察は困難とは言え、何も確認しないのも不安。

 ただ、高度な観測装置を積んだ観測艇は昼間の戦闘で格納庫ごと吹き飛んでいる。護衛艇や攻撃艇では不意遭遇の際の生還は絶望的。とすれば、戦闘艇を飛ばすしかない。

 そういう訳での現場判断での周辺偵察から帰還したユナたちを迎えるのは、まるで難民キャンプのような元は基地だった何かだ。

 既に日は沈み、辺りは夜闇が支配している。ところどころ浮かび上がる赤い点は未だ燻ぶるプレハブ建屋の残骸で、今も時折どこかが崩壊する音がする。

 転々とオレンジ色の焚火があちこちで微かな光を放ち、その周りに伸びるのは憔悴した軍人たちの影。

 焚火で照らし出されるのは、疲れ果てた隊員や建物の残骸だけではない。地に落ちた大量の竜種。撤去するには大きすぎるその死骸が揺れる焚火に照らされ、おどろおどろしい影を地面に落としてている。

 時折トタンを叩くような連続した軽い銃声が響くが、誰一人として反応する者はいない。

「これは?」

 尋ねると、火のついた薪を地面に刺した誘導員はああ、と疲れたように答える。

「地上棲モンスターです。食人種が出てるみたいなので、歩哨を立てることをお勧めしますよ。外周にも立ててますが、それも万全とは。もう既に四人やられてます。怪我人ならもっと」

 慌てて機体にカービンを取りに戻り、焚火の並ぶ方へ。

 付近の放棄された家屋を取り壊したと思しき薪を受け取り、他の所から火種を貰って着火する。恐らくこの火種の大本は火竜のブレスで炎上したプレハブだろう。

 陸軍ではないので、野営用の天幕などは無い。遮るものの無い空の下、あちこちで焚火を囲むのは恐らく飛行隊単位。幸いにして元から定員割れをしているレンツ戦闘飛行隊は全員無事だが、周囲に一人や二人と言った焚火も少なくない。

 司令棟の建物は潰れたものの、主要幹部はなんとか無事だったらしい。今後の事は暫定的に再編された基地司令部に任せて各員は休めるうちに休息をとれ、との伝言。それを信じてレンツ戦闘飛行隊は近くで焚火を囲んでいたどこかの局地防空飛行隊と交代で歩哨を立て、もともと支給されていた戦闘食糧をちびちびと齧る。

 睡魔に負けるのにそう時間はかからなかった。

 一人二人と舟を漕ぎ始めたあたりで順番を決め、交代の時は前の者が次の者を起こすと取り決め、横になる。毛布なんてものは無い。夜が冷え込む季節でなかったのが救いだろう。

 その後いつ寝たのかは、記憶にない。

 

 

 翌朝、ユナを叩き起こしたのは唐突に響き渡った怒声だった。

 飛び起きて、真っ先に自分の晩まで歩哨が来ていない事に気が付く。慌てて辺りを見回すが、少なくともレンツ戦闘飛行隊は齧られた後も無く全員いた。

 空を覆うのは気持ち悪いほど鮮やかな朝焼け。

 日が昇っても眠っていたことにも驚くが、今大事なのははそれではない。

 ふざけるな。できるわけないだろ。聞き取れる範囲だとそんなところか。

 他の隊員が起き上がる間にも大きくなる怒声は、圧倒的な不満の色を含んでいる。

 その中央で、擱座した対空砲の砲座を演説台代わりにして拡声器を持つのは、基地司令を兼任している第十七航空団の司令、フォルカー・アルノルト大佐。

 何があったのか、と怒声にかき消されそうになっている拡声器の声に耳を傾ける。

 要約すれば、こんなところ。

 昨日、竜種の大規模攻勢を受けたのは第一飛行場だけ、ひいては第一九二戦域地区だけではなかった。規模の差こそあれ、今回王立空軍が進出した第一八三から第一九四の戦域地区全体が攻勢を受け、一部の飛行場は陥落、多数が損害不明。戦闘中に通信機能を喪失したこの飛行場も、恐らくはその損害不明のうちの一つ。

 それに伴って、作戦司令部は連邦王国国境までの全軍の撤収を決断した。

 命令文を引用すれば、「共和国軍への防衛の再委任」。

 言葉遊びもいい所だとは思うが、それ自体は妥当な判断だろう。

 ただ、不平が挙がっているのはそこではない。

「即時撤退って。市民はどうするんですかっ。この地域の防衛は!」

 誰かの怒鳴るような声。

 即時撤退。段取りも何もなく、動ける部隊から次の攻勢が来る前に今すぐ撤退せよ。

 モンスターの攻勢を災害と見れば別に不思議な事ではない。安全なうちに、避難する。ただ、王立軍はそのモンスターを災害ではなく、対処可能な敵として対応する組織だ。

 そして、エリアドネ連邦王国がメルシア民主共和国から防衛を依頼されたという十二の戦域地区は無人の荒野という訳ではない。あちらの国の制度は知らないが、連邦王国式に言えば戦域州。大部分は避難していたようだが、それでも未だ残る共和国民は多い。戦地ではあるが、寧ろだからこそ王立軍はそこの人民を守る義務を負う。

 今回の即時撤退は、王立軍としては敵前逃亡も同義。

「避難民移送の為の輸送機は」

「艦隊の支援は。艦隊が動けば、きちんと撤収をする時間くらいは稼げるはずですっ」

 叫び声が飛び交い、怪しい熱気の渦が高まる。

 王立軍でも、部下には上官の命令に従う義務がある。なので、本来なら黙って従わなければならない。従わないのなら、それは命令違反として処罰対象となる。

 ただ、昨日の今日で王立軍人たちの不満と不安は限界に近い。それに、集団であるという意識が拍車をかけている。赤信号、みんなで渡れば何とやら。

 司令官の周りに立つ第十七航空団の一個飛行隊。よく知る顔の彼等が、緊張した面持ちで肩に提げたカービンの位置を直す。

「艦隊は動けない。戦域地区の住民は共和国軍に託すとのことだ」

「無理ですよっ。見捨てるんですかっ」

「悪いが、これは私が上に進言したとしてどうこうなる問題ではない。そもそも、この状況では進言もできない」

 苦虫を噛み潰したような表情。その続けた言葉で、その熱気の渦が勢いを失う。

「撤退支援として、第一九二戦域地区には西部方面艦隊の巡航艦一隻が砲撃支援として後方に展開する。展開は今日限り。今日中に撤退しなければ、その支援も受けられない。いくらここで踏みとどまったとして、増援は無い」

 即時撤退するか、それともここで全滅するかと。

 ここで死んだとして、それでも何が変わるでもないと。

「今これ以上損耗すれば、再びこの防衛線を支えることは出来なくなる。委任はしたが、共和国軍も昨日の今日でそう長くは防衛線を維持できない。撤退して体勢を立て直し、なるべく早く防衛線を立て直すのが先決だ」

 方便なのは火を見るより明らかだ。どれだけ防衛線を維持できるか以前に、共和国軍がここに防衛線を構築できるのかすら怪しい。

 ただ、真実でもある。戦略的には、撤退して体勢を立て直すのが最善だと。

 次第に、熱気の渦は自然と落ち着いて行く。

 不満は残るが、結局組織的な命令無視となるには至らない。

 司令棟の通信設備が失われたので、作戦司令部からの通信は一方通行。長距離無線を拾う事は出来ても、発信は不可能。そのため、現地判断での撤退の準備が着々と進められる。

 残った燃料弾薬を残存する戦闘艇に優先的に補給。

 燃え残った、或いは幸いにも炎上しなかった墜落機からは、部品や燃料弾薬を回収。無事だった僅かな予備機も加えてその場しのぎの共食い整備を行い、稼働機数を少しでも増やす。

 基地に保護を求めて来た僅かな民間人と搭乗員以外の地上要員は、残存した攻撃艇のペイロードが許す限り攻撃艇に収容。収容できなかった分は、幸運にも無事だった輸送機に。、攻撃艇より更に数回り鈍重で目立つ輸送機の安全は保証できないので、そちらに乗るのは軍関係者。

 自力で撤退するには航続距離の足りない護衛艇は放棄。基地司令部の指示で機密保護措置が取られ、格納庫跡の脇で浮揚ガスを利用して焼却。小さな炎が上がる。

 まだ陽の低いうちに、輸送機と攻撃艇からなる第一陣は出立。

 護衛に回す戦闘艇の余裕はない。

 数が居たところで竜種相手には何の意味も無いので、被害を分散するために二機編隊、或いは輸送機は単機で行動。各自で撤退先に指定された第七前線基地を目指す。

 それから一時間ほどおいて、後発の戦闘艇隊が飛行場を発つ。

 こちらも目につきやすい大規模部隊での移動は避け、飛行隊単位での行動。

 昨日の群れによる第二波があった場合に備えて広く展開し、先行する輸送隊を守る防波堤となる。戦力配置が薄くなることは、後方に進出している巡航艦の砲撃支援を頼って許容。敵襲の早期察知と巡航艦による火力投射に重きを置いた布陣とする。

 精鋭部隊扱いの第十七航空団隷下の各飛行隊は殿だ。

 敵と接触する可能性が最も高いという事で、第十七航空団のみ二個飛行隊ずつで隊を編成。

 ユナたちレンツ戦闘飛行隊も、別の飛行隊と行動を共にする。

 死骸とクレーターで使い物にならない滑走路ではなく、その脇の誘導路から貴重なスラスタ燃料を使って垂直離陸。

 レンツ戦闘飛行隊が五機全て離陸したところで、先に空に上がっていたもう一方の隊から通信が入る。

「エコーツーよりシエラリ―ダー。この隊の指揮はそちらに移譲する」

「シエラリーダーよりエコーツー、ですが」

 様々な任務に応じて編成を変えるため、そして母艦が作戦行動中でも遊撃兵力を確保するため、第十七航空団は各種飛行隊合わせて20個もの飛行隊を擁する。そしてその飛行隊には、コールサインにあるようにアルファから順に序列が付けれている。シエラのレンツ戦闘飛行隊は19番目。本来なら、この場合指揮権を持つのはエコーのあちらの隊だ。

 が。

「昨日ので三人やられた。悪いが、よその隊の面倒まで見れる状況じゃない」

「……分かりました」

 あちらの隊長機であるエコーリーダー。目の前でまるで鳶が弁当を攫うかのようにあっさりと「喰われ」た、その光景がフラッシュバックする。

 助けられなかった、と思わず謝りそうになるが、押しとどめた。あまりにも失礼だから。

 残存機のコールサインを確認。

 レンツ戦闘飛行隊五機、そしてもう一方の戦闘飛行隊の三機。二個飛行隊と言いつつも実際には一個飛行隊の定数と同じ機数。その八機で編隊を組んで、通達された方角へと針路をとる。

 不要な交戦を避けるため、飛ぶのは低空。

 竜種の縄張り意識は空に限定されるため、基本的に高度が高ければ高いほど竜種を刺激する可能性は高い。いっそ小型種の高度限界の上を飛ぶという手もあるが、戦闘艇の上昇力では登りきる前に補足されるのが関の山。そもそも戦闘艇の高高度適正は高くない。

 急襲されることを避けるため上空に気を配りつつ、背の高い樹木や建築物に衝突しないようにも細心の注意を。なので、否が応でも地上にも注意が向く。

 恐らく、昨日の襲撃は王立空軍の飛行場に限った話ではなかったのだろう。

 あちこちで家屋が燻ぶり、黒い煙を空に立ち昇らせる。

 集落の中に残るのは竜種の巨大な足跡。燃えることを免れた家屋も、爪でか牙でかことごとく全壊や半壊の憂き目にあっている。

 時折見える森や林も、山火事の後のようにこちらもまた煙を立ち昇らせ、時折赤い火がちろちろと燃え尽きた木の隙間から顔を覗かせる。

 既に避難した後だったのかどうかは分からない。

 竜種に襲われたと思しき、真新しい地上棲モンスターの食べ残された死骸や、赤黒い組織がこびりついた大きな骨。それらは目につくものの、しかし竜種に比べて圧倒的に小さな人間は襲われれば丸呑みだ。小型種の顎の大きさからすれば、丁度良い一口サイズ。昨日見たように。

 転がった死体が無い事は、何の慰めにもならない。

 ただ、その悲惨な光景の一方で、接敵は極めて少なかった。

 竜種を恐れて隠れているのか、地上棲モンスターから攻撃を加えられることも無い。

 低高度を飛行するため低空に棲む小型の飛行棲モンスターとは接触するが、それらは速度で振り切る、或いは副武装の20ミリ機関砲で容易に対処することが出来る。

 竜種に至っては、接触すらしなかった。

 静かな空、と言えば聞こえはいい。

 ただ、昨日の今日でのこの静けさはむしろ不気味。

 他の飛行場の部隊と遭遇する事も無い。既に撤退した後なのか、はたまた。

 状況が変わったのは、散発的な戦闘とも呼べない戦闘を繰り返し数十分ほど経った時だった。速度の出ない低空を遠回りしているので、未だ行程の約半分。周囲に細心の注意を払いながら市街地跡の上空を這うように飛んでいたユナの耳に、無線機の雑音が響く。

 殆ど間を置かず続いたのは、状況把握のため無線を監視していたソルの声。

「シエラツーよりシエラリーダー、救難信号を受信」

「シエラリーダーよりシエラツー、どこの」

 救難信号。最も多いのは、燃料切れや故障に見舞われた機体が出すケースだ。

 ただ、この状況だと他の原因を予測するのは自然な事。

「王立空軍じゃないな。確認する」

 ユナも周波数を聞いて、無線機を合わせる。

 無線機ならどんな単純な物でも拾える、古典的な長短の音の繰り返し。

 ただ、使用する周波数からその所属の推定は可能だ。

「照合した。航空予備軍」

 なぜ予備軍、と小さく首を傾げて。

 思い出した。いやむしろ、なぜ今まで思い至らなかったのか。

 第一飛行場には航空予備軍も配備されていた。ノアたちは移動したと聞いたが、全部隊が移動したとは聞いていない。そもそも、第28予備航空団壊滅の報を聞いたあの日だって、滑走路には航空予備軍の機体が居た。第28以外の航空団もいたはずなのだ。

 が、昨日の戦闘。航空予備軍の機体はあったか。護衛艇や攻撃艇まで駆り出された必死の防空戦闘で、航空予備軍の土色迷彩の戦闘艇は居たか。

 居なかった。一機たりとも。ではどこで、なにをしていた。

「方位、190」

 信号に含まれる位置情報は戦闘艇の電子装備では復号不能。ただ、ユナたちの乗るヴェスペのC型は、電子装備の向上改修で無線方向探知機能が付与されている。なのだが。

「エコーツーよりシエラリーダー、そちらは後方だ。緊急性は低いだろう」

 そう。距離は分からないが、戦闘艇の無線で拾えるのならそう遠くは無い。そして、そちらはユナたちのいた防衛線とは方角が異なる。撤退している方向とは異なり共和国方面ではあるが、前線とは逆側のいわば後方だ。そこで竜種と接触していたのなら、既に撤退する各飛行隊が察知しているはず。順当に考えれば、単純なトラブルの類だろう。

 ただ、そこに違和感がある。

 第28予備航空団壊滅の報道。それと、同じ種の違和感が。

「シエラスリーよりシエラリーダー。ねえユナ、これって」

 そして、音が途切れた。

 単調に鳴り続けていた音、それが唐突に消える。

 救難信号の発振器が組み込まれたブラックボックス。任務中にモンスターの跋扈する生息域で飛行不能となった搭乗員の命綱でもあるそれは、戦闘艇の部品の中でも特に頑丈だ。救難信号を辿ったら、燃え尽きて灰となった戦闘艇の中で唯一生きていたそれが信号を発し続けていた、なんてことも少なくない程。

 一度起動したら破壊されるまで信号を発し続けるそれは、そう滅多なことで機能を停止するはずがない。

 何かあるかもしれない、とユナの直感が告げる。先日の疑問は解決してはいない。昨日の大規模攻勢だって、原因不明。昨日の今日だ。他人事だという建前と、あの晩のノアの言葉。それを言い訳に見ないふりをするにも限界がある。

「シエラリーダーより各位、シエラツーに指揮を委譲し本機とシエラスリーで救助に向かう」

「エコーツーよりシエラリーダー、救助は防衛線の救難舞台に任せても、」

 単機での離脱は流石に無理だ。巻き込むアンナに胸の内であやまって。

 無線から響く声を遮ったのは、これも無線越しのソルの声。

「シエラツーよりシエラリーダー、同行する」

「シエラセブン、俺も行く」

「同じく」

 普段のどこかふざけたような調子ではなく、張り詰めた声。続く二人の声も硬い。

 まあ、それもそうかと小さく息を吐いて。

「シエラリーダーよりエコーツー、先に帰還して報告をお願いします。この分なら、そちらだけでも大丈夫でしょう」

「……了解した。幸運を」

 レンツ戦闘飛行隊は、進路を南の新国境方面へとる。

 

 

 

 

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