第9話
***
結論から言えば、エレノア・テラは生きていた。
報道で第28予備航空団の壊滅が報じられた翌日。
そろそろ当たり前となり始めた制空警戒任務を終えて帰投したレンツ戦闘飛行隊が第一飛行場の長い滑走路に着陸した直後、突貫作業で各所に取り付けられた無骨なスピーカーから大音量で響いたサイレンがユナたちを出迎えた。
軍学校時代に空軍生なら嫌というほど叩きこまれる各種の警報音の一つ。意味するところは、全機直ちに滑走路上より退避せよ。緊急着陸する機体がある時に滑走路を空けるための警報だ。機体を安全に下ろし、かつ他機が巻き込まれないために。格納庫に通ずる誘導路はまだ遠く、なのでレンツ戦闘飛行隊の五機は滑走路から外れて舗装のされていない地面の上へ退避する。
貧弱な降着脚で柔らかい地面の上をゆっくりと滑走路から離れ、待つこと数分。遠くに複数の黒点が現れる。恐らくは、あれがこの警報の原因。
その黒点が、見慣れた連邦王国戦闘艇ヴェスペだという事に気付くのに時間はかからない。
機数は四。航空団どころか、飛行隊だとしても定員の半分しかいない。燃料が切れたか、はたまた浮揚ガスが漏れたか。ユナたちが見ているうちにも一機が速度を失い、錐揉みして墜落、炎上した後に空中にパラシュートが開く。
制御系統が破損しているのか、ぎこちない動きでアプローチした土色迷彩の戦闘艇は、一機ずつ順に着陸する。異様に滑走距離が長いのは、本来制動に使うはずのスラストリバーサーが動作していないのだろう。
最初に着陸した機体が有翼機用の長い滑走路をほとんどすべて使って停止し、王立空軍の紋章は刻まれていないその機体のキャノピーが開く。
短い黒髪。見慣れた輪郭。纏うのは王立空軍とほぼ同じ戦闘艇用の飛行服。ユナが見紛うはずもない、航空予備軍第28航空団エレノア・テラ予備少尉。
ほっと胸をなでおろし、その拍子に腕が操縦桿に当たって補助翼がぱたりと無意味に動く。
格納庫から駆けて来た、恐らくは予備軍の整備士が乗降の梯子を戦闘艇に立てかけ、それを伝って降りたノアと残る二人の予備軍人はプレハブ小屋の方へ連れられてゆく。
こちらは見えていないだろう。どこかをちらりと振り向いた顔の、表情までは分からない。
とん、と後ろから肩を叩くとノアは叩いたユナが驚くほどびくっと肩をすくめて振り返った。
「やっ」
場所は司令部のあるプレハブ小屋の廊下。基地司令部兼第十七航空団の司令部、そしてその他の航空団の本部などが入る、司令部棟とでも言うべき建物。なので居るとしたらきっとここだろうと思ってやって来たのだが。
「えっと、おかえり?」
どう声をかけるべきなのか悩みながら来て、結局何も思いつかずにユナはそう言う。平静を装った笑みは、自分でも少し無理があるように思えたが、果たしてノアの目にはどう映ったか。
肩をすくめて振り向いたまま固まって数度瞬きをしてからノアはほっと息をついて、疲れ切った表情を隠すようにどこか頼りない笑みを浮かべ苦笑する。
「ああ、ユナか。……運が良いんだか悪いんだか」
「ん?」
「あーいや、気にしないで」
笑って顔の前で手を振るノアはやはりどこか無理をしているように映るが、それをどうしたのと尋ねる決心はつかない。
「なに、わざわざ私に会いに来てくれたの」
「当たり前でしょ。だって、ノアの航空団が壊滅したって」
「あぁ、それは発表してるんだ。王立放送局?」
そう言ったノアの声がどこか冷たかったような気がしたのは気のせいか。
「食堂で流れてたから、多分」
「なんて?」
「訓練中にノアの航空団と、あともう一つ陸上予備軍の師団が竜種に襲われたって」
「なるほど」
あからさまな含みを持った呟きだったが、その含みが何なのかまでは分からない。
あの報道では隠されていた「何か」を、ノアは知っているはず。ユナたちレンツ戦闘飛行隊の面々の胸の内につかえている疑問の全てとは言わないまでも、少なくともその疑問を解く鍵となる情報は持っているはず。当事者なのだから。
ただ、当事者だからこそ。ユナはそれを聞いていいのか躊躇する。
なので、他にも軍籍記録の事など尋ねたいことはたくさんあったが、結局実際に尋ねたのはこれだけに留まった。
「本当は何があったの?」
「……本当はって?」
「報道にあった中型種は私たちが撃破してるんだよ。その前日に」
返事はない。
戦場での不安要素を潰す。そういう飛行隊の面々の前で披露したような建前だけなら、ここでユナも引き下がれたかもしれない。ただ、結局そうやって色々理由をつけて固めたところで、結局それはユナの個人的な感情に帰着する。
心配だという、ある種極めて自分勝手な感情に。
「ねえ、教えてくれないかな」
そう言って横を歩くノアの方を向いて。
ユナの視線を受け止めたのは、ノアのどこか傷ついたような顏。
力無く何かを誤魔化すように笑って、ノアは答える。
「心配しすぎ。別に大したことじゃないって。きっと別の中型種だって」
「やっぱり。中型種っていうのは、嘘。報道で言われてたのは小型種の嚮導型だよ。私たちが前日に撃破したのも」
その表情に少し躊躇って、けれどもう一歩踏み込んだ。
「お願い、聞かせてちょうだい」
今度こそ、酷く傷ついたようにノアの表情がゆがむ。
「ユナは知らなくていいよ」
突き放すというよりは、言い聞かせるように。
そう言って、ノアは歩みを早める。咄嗟にはその背中を追えず、早めようとした足がその場で無駄に数歩小さな足踏みをし。
「あ、テラ少尉」
そこで、後ろから駆けて来た予備軍の制服を着た小動物を連想させる女性がユナを追い抜き、先を行くノアに声をかける。恐らくは、後方勤務の管理科員か。
「あの、ものすごい言いにくいんですけど」
「なんですか?」
「他の生存部隊から第一特殊飛行隊は恐らく全滅したと報告を受けていたもので、一通りの片づけが済んでしまっていて」
もじもじと両手を体の前で動かしながら、視線を逸らして言いにくそうにする管理科員。
「え、ひょっとして、私物が廃棄されてるとか?」
「いえ、私物はまだ保管されているんですが、その、部屋が、ですね」
そこで言葉を切ると、ばっ、と音がしそうな勢いで頭を下げる。
「本当に申し訳ないのですが、既に他部隊へ割り当ててしまっていて空き部屋がありませんっ」
へっ、とノアが漏らすのがユナにも聞こえた。
「ないって言われても」
「ないって言われてもと言われましても、無いものは無いんです。元々、戦域地区全体でキャパシティ不足気味なのを、無理して収容人数カツカツで配備しているので……」
関係ないはずのユナからしても気まずい沈黙が下りる。
「さすがに、機体もアレだし今日の移動は無理なんですが」
「まさか、戦闘から帰還したばかりの少尉たちにまた移動しろとは言いません。というか、報告とか色々してもらう事もあるので移動されては困ります」
「だから、困るって言われてもさ」
戸惑い露わに言うノアに、その管理科員は顔を上げると。
「空いてる寝台自体ならあります。ただ、その場合他部隊の者と相部屋という形に……」
言いにくそうにするのも当然だ。相部屋なんて珍しくない軍隊という組織だが、そうはいっても同じ部隊などある程度知り合った者同士で割り当てられることが基本。まして、余った寝台を使うというのなら女性も男性も一緒くただろう。
なので、ユナは意を決して声を出した。一歩そちらに踏み出して。
ここを逃せば、もう機会はないような気がした。ノアが、逃げてしまうような。
「だったら、私の部屋が」
二組の視線がユナの方を向く。
「どなたですか?」
怪訝そうに首を傾げる管理科員に、ユナは自分が今飛行服のままだったという事を思い出す。これではどこの誰どころか王立空軍か航空予備軍かすら傍目には分からない。
「第十七航空団、ユナ・レンツ中尉です」
「……王立空軍の方ですか」
頷いたユナは、ノアの方に目を合わせて続ける。
「私は個室だし、もう一人入るくらいのスペースはあるよ」
「でも」
遠慮するように言い淀むノアに、ユナは畳みかける。前に別れた時、三年前の配置換え。その時は、またいずれどこかで会うだろうと思っていたし、現に三年振りではあるが会えた。
けれど、今回は。今回は、駄目だ。別に以前の配置換えのような「何か」が起こったわけではない。にも関わらず、ここで離したらノアが逃げてしまうような、姿を晦ませてしまうような気がする。
「ベッドは譲るよ」
「いや、さすがに床で寝かせるのは」
「べつに珍しい事じゃないよ。任務によっては野営する事もあるし」
「でもほら、予備軍の人間が王立空軍の施設に入るのは」
「ここは共用だし問題ないはずだよ。ですよね」
「え、ええ、まあ」
「だってさ、ノア」
「あ、うん。いやその、けど」
たぶん、ノアはユナと距離を取ろうとしている。ただ、拒絶されているわけではない。天秤のもう片方の腕に乗っているのが何かは分からないが、そことの間で戸惑っている。
揺らぐノアを、だから勢いで押し切る。
「なので、エレノア・テラ少尉は今日は私の部屋を使います。ということで、もう大丈夫です、管理科員さん」
「え、えっと」
「あのユナ、私はまだ」
「これで管理科員さんの仕事は一つ終わりました。帰還したテラ少尉の寝る場所がない問題は、これで解決です」
「あ、そうですね。ご協力ありがとうございます、中尉殿」
懐柔成功、小動物系管理科員が味方になった。
二対一で既成事実を作れたのなら、勝ちと同義。
「では、私は失礼します。あ、伝達事項がある時もそちらへ伺うので部屋が変わる時はまた管理科まで連絡してください。そちらはレンツ中尉、というか個室で中尉ならレンツ飛行隊長ですか。これでよかったですよね」
「よかったです」
「え、えっと、その、ほんとに、え?」
なんかやたらとしどろもどろになっているノアを余所に、管理科員は「失礼しました」と敬礼をしてそそくさと去っていった。一旦形だけでも落着しているうちに退散してしまいたいという腹が清々しいほどにその背中に現れている。
とにかく、これでひとまずは引き留めた。
「じゃあ行くよ、ノア」
ノアと同じ部屋で寝るのは何年振りだろうかと少し弾む歩調を抑え、ノアを引っ張るようにして先導する。
「あのさ、まだ用事が」
「まず部屋の場所くらい教えとかないと迷子になるでしょ」
諸々の疑問は、今は後回しだ。
とにかく、ひとまずはかつての戦友が生きていたことを喜んでもいいだろう。
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