第8話


 ***

 

 バゥンッ、と。

 金属製の安っぽい事務机に、紙を叩きつける音が響く。紙とはいっても薄っぺらい報告書が一枚だけなので、ほとんど平手を叩きつけるのと同じ。軽い余韻と共鳴を伴ってプレハブ小屋の狭い部屋に響くその音に、手元の分厚い書類に目を通していた辛うじて中年といえるその人物が顔を上げる。

「大佐」

「なんだね」

 第十七航空団司令、フォルカー・アルノルト。階級は大佐。

 下からの評価では可もなく不可も無く。母艦航空団を預かる身なので能力としては優れているのだろうが、かといって特段人望に厚いわけでも、人望が無いわけでも無い。

 そんな、基本的には何を考えているのかよく分からないような作り物めいた笑顔を浮かべているユナの上官だが、上げたその顔にはどこか疲れのような物が見えた。

 まあ、単に部下がアポイントメントもなく押しかけて来たからというだけかもしれないが。

「机の予備もすぐには手配できん。もうちょっと丁寧に扱ってくれんかね」

「お尋ねしたいことがあります」

 椅子に腰かけるアルノルトを見下ろす形で、髪も上げたままの飛行服姿のユナは上官の言葉を無視して続ける。

「第二十八予備航空団。この戦域地区に配置されている予備航空団です。第192戦域地区の総指揮を預かる大佐ならご存じでしょう。少なくとも、施設は共用なんですから」

 今度こそ、明らかにため息をつくようにアルノルトの肩が下がる。頭に手をやろうとするように持ち上げられた右手が、しかし行き場を失って彷徨った挙句にとりあえずといった様子で机に転がっていたペンを掴んだ。

「……多少なら。ただ、あっちは指揮系統が全く別だ。詳しい事は知らんよ」

「それで十分です。光竜小型種の嚮導型。私の飛行隊が先日撃破報告をしたその個体が、その第二十八予備航空団を壊滅させたと軍司令の発表があったそうですね。私たちが既に撃破したと、大佐にお渡しした報告書にも書いた個体がです。どういう事でしょうか」

 大きく息を吸い、腕を組んで考え込むような素振りをするアルノルト。

「生き返ったんだろうとか、きっと別個体だろうとか、そう言う誤魔化し以外でお願いします」

 念押しするように続けたユナにもう一度ため息をつくと、アルノルトはとんとんと机を叩いていたペンを止めて応じる。

 座ったまま下から、しかししっかりとした力を感じさせる視線がユナの方を向く。

「レンツ中尉はそれを聞いてどうするつもりかね」

 心底面倒くさそうに。しかし、その答えは多少なりともまともに取りあう気があるという意思表示でもある。

 これで、「ひょっとしたら」の線は消えた。もし止めを刺しそこなっていたり、別個体が現れていたりしたのならば、こうは言わない。あるいは、報道向けの、つまりは一般人民向けの些細な情報統制なら。第十七航空団の下にいた数年間の経験からして、この上官はそういうつまらない事を言って楽しむような種類の人間ではない。

 慎重に、言葉を選ぶ。

 あくまで、ここにユナは王立軍人としている。

 それを見誤ってはいけない。知り合いの安否が不安だからといって上官の所へ押しかけるような間抜けなど、軍学校を出たばかりの新兵だけで十分だ。

「私は一戦闘飛行隊を預かる身です。隊の飛ぶ戦場に不安要素があるのなら、私は飛行隊長としてそれを解消する責任があります。まして予備軍とはいえ一個航空団と一個師団が壊滅するほどのものなら、尚更無視はできません」

 予備軍部隊を「壊滅」させたものは何なのか。既に撃破した嚮導型の名を出してまで存在が伏せられているのは何なのか。それを暗に問う。

 報道で堂々と発表できているのだから、恐らくあの時いた王立地上軍はその上空から少し離れた空域で行われた嚮導型の撃破を目撃していない。でなければ、ユナのように首を傾げる軍人が何百人、何千人単位で生まれてしまう。もし陸軍軍人が竜種の生態に空軍軍人ほど詳しくは無いとしても、それでも誰も気が付かないというはずはない。

 とすると、気付きうるのは撃破したユナたちだけ。

 出来すぎている。連絡の齟齬とか、情報の行き違いとか、そう言う次元ではない。

 明らかに、恣意的に隠されている。軍においてその手の情報統制が為されていないとは端から思わないが、だからといって無視するには近くで起きすぎている。

 直立不動で上官の視線に真っ向から視線で応じるユナに、しかしアルノルトはゆっくりと体を背もたれに預けて答える。

「ならば、中尉の懸念しているようなことは無い、としかいう事は出来ん」

 気にするようなことではない、ではなく、懸念しているようなことは無い。

 そう言って、先程まで手にしていた厚い書類を手に取ってそちらへ視線を落とす。

 これ以上は答えない、とでも言うように。

「……そのお言葉は信用していいのですか?」

「よくないのなら、もっとましな誤魔化し方をしているさ」

 そう言うのも、やはり書類に視線を落としたまま。

 ユナは足元を揃えて王立軍式の敬礼をし、机に背を向けて扉へ向かう。

 扉に手をかけたところで、振り返って尋ねた。

「一つだけ教えてください。嚮導型の撃破報告は正式に受理されているんですか」

「そんなに気になるのかね」

 下を向いたまま視線だけ上げて、アルノルトが言う。

「間違って取り逃した個体のキルマークなんて書いていた日には、一生の恥ですから」

「……撃破報告は受理されている。撃破は五番機、確定戦果扱いだ」

「ありがとうございます」

 扉を閉める音は、プレハブ小屋に小さく響いた。

 

 

 共和国軍の物を引き継いだ簡素な飛行場に、第七前線基地のような控室という物は当然ない。

 各員に与えられるのは簡易ベッドの置かれた寝室のみ。それも基本は四人などの大部屋をパーティションで無理やり区切ったもので、本当の意味での個室が与えられているのは飛行隊隊長以上の士官だけ。ひっきりなしに入る任務が飛行隊単位なので、部屋割りも飛行隊単位である。正式な基地なら男女で部屋も分かれるが、もとから飛行隊ごとに大凡男女の人数は同じな事もあり、収容能力の問題か男女の部屋分けはパーティションで済まされている。

 なので、定員割れを起こして五人になっているレンツ戦闘飛行隊には飛行隊隊長のユナの個室が一つと、残りの四人の入る大部屋が一つ与えられている。――一人だけ外される形になったユナとしては少し寂しさのような物も感じてしまうのだが。

 その、四人用の大部屋。

 司令部から戻りレンツ戦闘飛行隊のたまり場となっている部屋へと続く廊下に差し掛かったところで、ユナは立ち止まる。

 深呼吸。軍籍記録の確認はそれほど時間がかかるものではない。それを頼んだアンナは、恐らくユナよりも先に戻ってきている。気休め程度のつもりではあるが、けれどもしかすると気休めとは正反対の事実が確定するということもあり得る。

 三回目の息を吐き切って歩き出そうとしたところで、別の通路から人影が現れた。顔は見えないが、その歩き方や背格好ですぐにそれがアンナだという事が分かる。

 踏み出そうとした足が二の足を踏む。その間に、ユナには気づかなかったアンナは大部屋へ消える。表情は見えない。

 もう一度深呼吸をしてから、思い切って踏み出す。

 勢いよく扉を開けた。

 思いのほか軽かった扉が勢いよく壁にぶつかり、その音で部屋にいた四人の視線がユナの方へ向く。驚いたような顔が三つと、困ったような顔が一つ。

「どうだった、アンナ」

 その困った顔が何か言う前に、ユナは尋ねる。

 アンナが戻ったのもほんの少し前だし、他の三人はユナたちが何の事を言っているのかは分からないはず。

 が、アンナは怪訝そうな顔をする三人の方にちらりと視線を投げると。

「ユナ、ひとまず最後まで聞いてね」

 ユナの方をまっすぐ見つめてそう言う顔に、いつものような笑みは無い。

「テラ少尉の扱いは、戦死だった」

 心臓がすっと下がったような気がした。喉と胸のあたりがにわかに冷たくなり、両目の焦点がふらりとずれる。

 俯きかけたユナのその肩を、しかしアンナが両手でつかんだ。

「だから最後まで聞いてって。エレノア・テラ、最終階級は少尉。戦死、共通暦771年5月」

 おもむろに持ち上げたユナの右手が、途中で止まる。

「今年って」

「774年」

「だよな」

 呟くソルとイレーネの声が妙にはっきりと聞こえる。

「だいたい三年前。……流石に、三年間も。それにそもそも、ユナの言う通りなら戦死はおかしい。予備軍に行ったなら、王立空軍は退役してる扱いになる。だったら予備軍で戦死したとしても、王立軍の記録は戦死じゃなくて殉職、あるいは単に死亡になってるはず」

 確認するようにユナの目を見て続けるアンナ。

「あり得るとしたら、その三年前に実際に転属される前に戦死した可能性だけど」

 言いながら、アンナも分かっているのだろう。そうだったら所属に階級、隊長という役職までユナが知っているわけがない。そもそも。

「あり得ない。先週会ったし」

 三人から向けられていた視線が変わる。話の流れを知らなくても分かる矛盾だ。

 三年前に戦死した人間に、先週会った。あり得ない。モンスターを始め、人智の未だ及ばぬ「未知」はごまんと存在する世界だが、そんな都合のいい反則は断じて存在しない。

「アンナ、その軍籍記録の写しって」

「とってないよ。……変なとこに目つけられたくないからね」

 内部には公開されているものなので、その場で写しを取ることもできる。例えば、印刷するとかして。ただ、それには自分の認識番号が必要になる訳で。

「なんか、きな臭いし」

 ここに来て、先程の第十七航空団司令アルノルトの変に勿体ぶったような言い草。その理由とまでは言わないまでも、背景のような物がおぼろげながら見えてくる。

「ねえ、それって多分昼間の話にも関係するわよね。何がどうなってるのか説明してくれない」

 幽霊にでも会ったのでなければ、まず間違い無く七日前までは生きているノア。

 そのノアが、三年前に「戦死」したという王立軍の軍籍記録。

 基本的に前線には出ないはずなのに壊滅的被害を、それもユナたちレンツ戦闘飛行隊が既に撃破したはずの嚮導型によって負ったという、ノアが所属すると名乗った第28予備航空団。

 その一方、不確定戦果ではなく確定戦果として正式に受理されている嚮導型の撃破報告。

 アンナが部屋の扉を閉め、隣室が出撃中で空室な事を確かめてから、ユナは個人的なところをところどころ端折りつつそれらを説明する。

「じゃあなに、書類上は居ないはずの人って事?」

「あれか、幽霊部隊ってやつ」

「多少は考えてから話して。だとしたら、何でその被害が報道に流れてるのよ」

「それいったら、そもそも何であんな報道が流れてんだよ。報告がちゃんと通ってるならあれは嘘って事だろ?」

「本当は流したくなかったけど流石に隠せなかったんじゃないか。情報をまるごと隠すよりも、捻じ曲げて誤魔化す方が簡単だからな。実際、俺たち以外はきっと気づかない」

 話しているうちに、段々と険しい顔になる面々。ただ、抑えた声で飛び交う推測はどれも現状の追認以上の意味を持たない。

「司令は一応、私たちが心配しいてるようなことは無いって言ったけど」

 それは果たして、ユナたちがここまで気が付くことを見越しての発言か、それとも単にユナたちには関係が無いというだけの事か。

「まさか、こんな面倒くさい事になるとはな」

「伝達ミスとかだと思ってたんだけどねー」

「流石に聞かなかったことにするには胡散臭すぎる」

「かといって、どうにかなるわけでも無いけど。何か隠されてそうなのは分かっても、それ以上の見当が正直付かないわ。何を言っても、結局は想像の域を出ないし」

 イレーネがそう言い。全員が黙り込む。

「……ならどうすんだ」

「ま、心の隅にでも止めたまま今まで通りやるしかないんじゃないの」

 肩をすくめて言うイレーネに、納得いかないという顔をするクルト。彼ほど露骨に表情に出ないにしても、部屋の中には同じような空気が満ちている。

 が、イレーネの言う事は事実。明らかにおかしいという事は分かるが、その裏側に皆目見当がつかない以上どうしようもない。まあ、見当がついたらどうにかなるのかと言えば、それも甚だ怪しいが。

「少なくとも、王立軍の上が把握してるなら大丈夫でしょ」

 きっと。知らされていないという事は、ユナたちが知らなくても王立軍としては支障がない。例えば、いきなり何かに奇襲されたり、背後を突かれたりという事はない。そういう事なのだから。そのはずなのだから。

 どこか嘘くさく響くその言葉に、しかし一旦はそれでこの話は終わりという事になる。続けたところで今はどうにもならないというのは、皆理解している。

 気持ちの悪い疑問を、五人の胸の内に残したまま。

 

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