第二章 アシンメトリー

第7話


 小汚い、というのが正直なところ第一印象だった。

 粗いコンクリートで舗装された一本だけの長い滑走路に、不釣り合いな小さな格納庫。平たいプレハブの建物から伸びるのは鉄骨を適当に組み合わせたような剥き出しのアンテナ。同じく鉄骨でできたレーダーらしきものはさかさまになって地面に突き刺さっている。建物の裏にいくつかある焚火でもしたような跡は、機密文書か何かを原始的に燃やした後か。

 というのも、ここは王立空軍の基地ではない。

 第192前線基地第一飛行場。撤収したメルシア民主共和国軍の残した基地だ。

 世界有数の規模を誇る王立空軍とはいえ、進出した先の地域に一朝一夕で飛行場を整えることは難しい。主力戦闘艇であるヴェスペ自体は補給部隊と多少の開けた場所があれば運用可能だが、今回のような大部隊が動く作戦ではそれでは効率が悪すぎる。加えて、戦闘艇以外の機体、攻撃艇や輸送機なども運用する必要がある。なので、既にあるものを使う。

 第一飛行場、という耳慣れない名称のもそのせいだ。1戦域地区に1前線基地を基本とする王立軍だが、当然共和国の元支配域ではそうはいかない。新たに王立軍基準で戦域地区を増設した結果、その中にいくつもの共和国軍基地が含まれたらしい。そして、共和国軍から引き継いだ基地はことごとく、王立空軍の前線基地に比べれば圧倒的に小規模だ。この小さな飛行場が、第一と呼ばれる程度には。

 あちこちに散らばった飛行場をまとめて一つの前線基地とし、規模と状態が最もよい基地を第一飛行場として本部とする。それが今回王立空軍の取った方法だった。

 ただまあ、よりによって第一に当たらなくてもいいのにな、とユナは独り言つ。

 丁度出てきた一番大きなプレハブ小屋。その中を思い出しながら。

 西部方面艦隊第十七航空団司令部。先程までユナと他の飛行隊長の前で、下の者にでも任せておけばいいような事務連絡をご丁寧に自らしていたのがそのトップの司令である。わかりやすく言えば、ユナの上司だ。それも直属の。ぶっちゃけ外れクジである。

 先生を嫌がる子供や、親を疎ましく思う反抗期ではないが、正直居ると居ないとでは居ない方が随分と気は楽。

「この前の貸しは忘れないでくれよな」

 声を潜めてそう言ってから追い抜いていく茶髪の男は、同じ航空団の先輩にあたる飛行隊長。コールサインはエコーリーダーだったか。フィーニを保護した時の一時的な任務放棄は、結局問われることは無かった。見逃されたのか、発覚しなかったのかは分からないが。残ったのは同僚へのちょっとした借りだけ。

「分かってますよ。これが終わったらうちの隊で酒でも奢りますから」

「なら購買部で一番高い奴でたのむ」

 少なくともここではコーヒーを奢る事さえままならない。

 共和国軍の物であろう空を睨む見慣れない連装対空砲に守られた滑走路に降りるのは、王立空軍の紋章を刻んだ大型の輸送機。この基地に本来来ていた共和国の各種インフラは機能していない。前線にいる軍人たちの食糧や燃料弾薬といった補給はこの巨大な、つまりは鈍重鈍足の四発機がその全てを担っている。この機体がばったり竜種にでも出くわして墜とされれば、ユナたちは味気ない戦闘食糧を食べて飢えをしのぐしかないという訳だ。

「何とも心許ない命綱で」

「ま、陸軍の連中はあいつらでやることがあるんだろうよ。討ち漏らしがいるのに防衛線押し上げちまったら後方が荒らされるしな」

 滑走路を横目に見ながら小さく呟いたユナに、肩をすくめてその飛行隊長は言う。

「というか、うちの輸送機が墜とされるようだったら飯じゃなくて命の心配をするべきだ」

「頼みますよ、たしか明日の護衛はそちらの隊でしたよね」

 別に輸送機が頑丈だとか、護衛が万全だとか言うわけではない。墜とされるかもしれないような状況ではそもそも飛ばないというだけの話だ。こうは言ったものの護衛なんて飾りみたいなもので、実際何かあれば鈍重な輸送機はまず助からない。あの巨体は護衛に就く戦闘艇の何倍もモンスターを刺激する。

「悪いね、楽な役回りで」

「退屈そうですし、むしろ当たらなくてラッキーです」

「若者じゃなくなった身にはありがたい任務さ。連戦だと体にガタが来る」

 陸軍を置いて空軍だけが先行し、輸送機だけで補給を維持。そんな無茶苦茶ともいえる力技が出来るのも王立空軍の抱える数の恩恵だ。空軍が前線を構築できない地上では飛行場を点で支配し、それを拠点に空を完全にこちらの領域とする。足りない地上への火力は対地攻撃に特化した機種である攻撃艇を増やして対応する。補給路の制空権を確実に確保できるだけの戦力があるから、空軍だけで基地を維持する力があるから、それができる。

「さて、俺は機体の面倒でも見てくるわ。この前の忘れないでくれよ」

 格納庫の方へ向かったその同僚と別れ、ユナはその足で食堂のあるプレハブ小屋へ。

 ユナの視界の端にちらりと写るのは土色迷彩の戦闘艇。

 塗装からすればむしろ目立たなさそうなその機体だが、思わず視線はそちらへ向いてしまう。

 そう、この基地に配備されているのは王立空軍だけではない。

 十年に一度と報じられるほどの規模の作戦故に、王立軍だけで人員を賄いきるのは難しかったのか。航空予備軍、その西方予備軍団。本来なら後方業務や予備戦力の扱いで前線に立つことは少ないはずの彼等が、よりにもよって進出先の最前線に配属されている。

 小耳にはさんだ配置情報によれば、この第192戦域地区に配属されているのは第28予備校空団。そしてまだここで顔を合わせてはいないが、その中にはユナのかつての相方であるノアの隊である第一特殊飛行隊も含まれる。進出の足掛かりであった前の基地、第七前線基地で数年ぶりにノアと鉢合わせたのも全くの偶然ではなかったという事らしい。第七前線基地が部分的といえ共用だったり、王立空軍の配置情報に予備軍の情報が乗っていたりという珍しい現象も、この大規模作戦故なのだろう。

 ただ、王立軍の中には、戦場に立つことを王立軍人の持つ「特権」と考える者も少なからずいる。前時代的ではあるが、珍しくはない。雑用軍とも揶揄される予備軍が、王立軍の一大作戦に関わっていることによくない顔をする王立軍人も少なくない。

 生活圏の分けられていた第七前線基地とは違い、ここでは滑走路から食堂まで通常の施設も全て供用だ。変ないざこざが無いといいんだけど、なんて思いながらユナは同時に十数人しか入らない小さな食堂に入る。

 既に飛行隊の面々は席について、何なら食べ始めていた。トラブルを避けるためか、他にいる者も皆纏っているのは王立空軍の軍服や飛行服。

「あ、ユナやっと来た。早く食べないと時間になるよー」

「分かってるって」

 カウンターから自分の分を受け取り、テーブルへ。既定の隊人数に合わせて四人掛けの机を二つ寄せて八人掛けにしてあるので、定員割れのユナたちが座れば半分ほどが余る。

 補給の都合だろう、いつもより明らかに簡素なメニューを気持ち早めに口に運ぶ。一つの隊に割り当てられる食事の時間は限られていて、その上ユナたちは食事を済ませば今日も任務だ。

「いつになったらまともな飯が食えるんだろうな」

「数週間は我慢じゃないの。いいじゃない、たまには」

 食堂の隅には、小さなテレビ。戦死発表を流すため、とでもいう名目で食堂職員が持ち込んだのだろう。最早小さくて狭い食堂でもろくに画面は見えないので、音量大き目で音だけを垂れ流すラジオのような扱いになってる。

 戦死発表は夕方だし、とユナはぼうっとそれに耳を傾けて。

「ただいま入りました速報です」

 ん、と思って一言目で心臓が跳ねた。

「連邦王国軍総司令部の発表によりますと昨日、連邦王国航空予備軍第28予備航空団、及び陸上予備軍第五師団が共同訓練中に竜種と遭遇、壊滅的被害を負ったとのことです」

 そして、続く言葉で机の全員がその小さな画面の方を向いた。

「遭遇したのは小型種に分類される竜種、通称光竜の群体変異型を含む群れで、該当集団は急行した王立空軍の部隊によって掃討されました」

「……は?」

 パサついたパンを口に運ぼうとして固まったクルトがぽつりとつぶやく。

 渡された原稿を読み終えたキャスターは何事も無かったかのように次のニュースに進み、どこぞの中核州で行われているという祭典の話題に移っている。

 訓練中の一個航空団と一個師団がまるっと、光竜とはいえ高々小型種の群れに壊滅させられた。それ自体はまあ、予備軍の装備次第ではあり得ない話ではない。本来、前線を張るような組織ではないのだから。

 ただ。光竜の群体変異型。つい数日前、ユナたちレンツ戦闘飛行隊が交戦・撃破した個体だ。

 それが、昨日予備軍と遭遇した?訓練中に?そんな阿呆な。

 竜種の、特に嚮導型に率いられる群れは広い縄張りを持つ。あの戦闘で群れが一つ壊滅したからといって、一日二日で他の群れが進出するとも思えない。この飛行場から飛び立った戦闘艇の作戦行動半径内は良く知っている。嚮導型は、ちょっとでっかいカブトムシみたくそうごろごろ転がっているような個体ではない。平たく言えば、そんなものこの辺に居るはずがない。

「え、生きてたの、あれ」

「まあ確かに、残弾少なかったし止めは刺さなかったけど」

「いや、さすがにあれで生きてたってのは無いと思うぞ」

 顔を見合わせるアンナとイレーネに、いやいやそんな訳はとソルが答える。

 そもそも、訓練という事は防衛線よりは後方だろう。繰り返し言うが、王立空軍は現在その補給の全てを空路に頼っている。その補給機が行き交う後方に、何であれそれだけのモンスターが居たというのはにわかには信じがたい。

 どちらか一方なら、まあそんなこともあるかで済ませられなくはない。ひょっとしたらわざわざここから何日もかけて遠方まで訓練に行っていたのかもしれないし、補給機の飛行路以外は実のところ制空権の確保もザルなのかもしれない。現に、先日はその光竜の群れが制空任務にあたっていた王立空軍を突破して後方の王立地上軍を襲撃した。が。

「王立地上軍が撃破確認してくれてないの?」

「結構離れたとこに墜ちたし、ないんじゃないか?墜とした瞬間が見えてるかも怪しいだろ」

 ただ、ふたつ重なると何とも言えない胡散臭さが漂って来る。

 無論、重なったにしてもあり得ない話ではない。しかしこう、なんというか、一個師団一個航空団のもみ消すには大きすぎる損害を、無理やり誤魔化しているような。

「じゃあやっぱり、俺たちがやり損ねたって事か?」

 そして、その胡散臭さがユナの不安に拍車をかける。壊滅したと報じられた第28予備校空団は、先日ノアが所属していると名乗っていた航空団だ。彼女の腕は信用しているが、戦場でいかに戦闘艇があっさりと墜ちるのかもユナは良く知っている。

 予備軍の戦死者は、戦死発表では報じられない。昨日までの発表で彼女の名が出ていない事は、何の気休めにもならない。

「今日の任務が終わったら司令に確かめてみる」

「そこまでしなくてもいいだろ。てか、聞いてわかるのか?」

「あの嚮導型の撃破報告は出したはずだよ。それがどうなってるかくらいは分かるって。それに、あの嚮導型をほんとに取り逃しちゃったのかも気になるでしょ」

 ノアの安否が気になる、というのも事実だ。何ならユナの心中でいの一番に来るのはそれだ。

 ただ、それだけではない。これはユナの隊も飛ぶ戦場での話だ。一応は隊を預かる者として、不安要素は極力除いておく必要がある。

 少なくとも、発表にあった予備軍部隊が壊滅したことは恐らく事実だ。被害を隠すのならまだしも、ありもしない被害をでっちあげるというのは考えにくい。何かユナたちからは見えていないものがある。どうでもいいような些細な物かもしれないし、ユナたちには全く関係ないような話かもしれないが、それでも出来ることはしておきたい。

「じゃあ分かったら教えてちょーだい。ここでどうこう言ってもしょうがないしね」

 アンナがそう言い、些細な事と忘れるには少し気掛かりな疑問を胸の内に残しつつもひとまず面々の話題はそこから離れる。何やらテーブルの向こう側で言い合いを始めたソルとイレーネ、それに巻き込まれたクルト。よくある風景。

 それを眺めながら、ユナは隣のアンナに話しかける。別に聞かれて不味い話とかではないのだが、やはり個人的な話なので自然と声も小さくなる。

「ねえアンナ」

「ん、どーしたよユナ。」

「今日戻った後司令のとこ行くからさ、その間にちょっと頼まれてくれない」

「いいけど、何を?」

「軍籍記録の確認」

 ん、と小さくアンナが首を傾げる。

 軍籍記録。王立軍軍籍の、いわば終身版のようなものだ。一度でも王立軍に属したものは退役後も軍籍記録という形で王立軍に記録が残され、それはパスポートのように公的な身分証明として機能する。そのため退役後も基本的な情報―例えば生死などは、そこに記録・更新される。そして、王立軍内部からのアクセスに対してはその軍籍の基本情報はは公開されている。

 なので。

「……ストーカーでもやってんの?」

「人を何だと思ってるの?元第3航空団108局地防空飛行隊エレノア・テラ少尉。現第28予備航空団第一特殊飛行隊隊長。死亡扱いになってないかだけでも確かめてもらえる?」

 そう。もし、既に殉職の確認が取れていて、そして情報が更新されているならば、軍籍記録を見れば分かるはず。気休めといえばそれまでだが、それでも無いよりは。

「あー、そゆこと。分かったよ。知り合い?」

「アンナの前任者ってとこかな」

 そう言ってぬるくなった水を傾ける。

「それは妬いちゃうね。ここに来る前の僚機?」

「砲手」

「あー、負けた」

 そう言って笑ったアンナは、小さく「まかせといて」とだけ言ってテーブルの向かいの会話に混ざる。それ以上は立ち入らないアンナに感謝しつつ、ユナは小さな画面に視線を移す。当然、もう先程の速報については何も触れられていない。テロップもない。

「……壊滅、ね」

 信じてもいない神に祈ろうとして、やっぱりやめた。

 

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