第6話


 ***

 

 基本的に空戦という物は相手が何であれ高度有利が原則である。

 重力が下に向いている以上、高空から低空へ降りるのは一瞬だが、逆は時間がかかる。つまり、上空にいる方が相手への間合いを好きに選べるという事になる。加えて、高度は容易に速度に変換できる。速度もまた、相手との間合いの主導権を握るには重要だ。

 そのため普段より高度を取って移動していたレンツ戦闘飛行隊総勢五機から最初に見えたのは、そこにいるはずの王立地上軍部隊ではなく、海面の魚群にたかる海鳥のように低空を飛び交う無数の竜種だった。

「シエラリーダーより各位、低空二時の方向、目標を確認」

「おっけー、見えてる」

 アンナの口調とは裏腹に、張り詰める緊張感。

 群れという事は、恐らくは小型種。

 単体の脅威度も低く、かつ低空に集まっているので今ほどの高度は要らないと判断。ゆっくりと高度を落としながら接近すると、おぼろげながら戦況も見えてくる。

 立ち上る黒煙は恐らく撃破された車両の物だろう。断続的に空中に割く黒い火薬の花と引き裂くよう曳光弾が、自走高射砲や自走機関砲といった対空車両が必死の対空戦闘を展開していることを示している。

 ただ、それが無ければまるで竜種の群れが寄ってたかって何もない地面を攻撃してるような光景。空を飛ばず地上を走るだけの陸軍部隊が彼等の縄張り意識に引っかかるとも思えないので、恐らくは何か刺激するようなことを、例えば数を見誤って先に攻撃を加えたりしたのか。

「そんじゃ、いっちょやってやるか」

 無線越しにクルトが息巻く。

 予想より数は多い。この量ならば防空網を潜り抜けたというよりは、抑えきれなかったのか。

 ただ、まるで相手にならない数ではない。まあ、たとえ圧倒的不利だったとしても命令である以上相手にしなければいけないのだが。

「数が多い、無理はしないで」

「勿論。ま、無理しろって言われても困るんだけどね」

 巡航モードから高機動モードへ。制御系統が切り替わり、有翼機と同じ三軸空力制御だけだったものがスラスタも併用したヴェスペ本来の有機的な機体制御へ移行。同時に操縦桿や無数のスイッチの操作量も数倍に跳ね上がるが、それは体が覚えている。

「エンゲージ」

 五機のヴェスペが同時に降下。

 浮揚ガスの体積が重要となる半飛行船故に前面投影面積も大きく最大速度はさほど早くないが、小型種を相手取るには十分。

 機首に備えられた赤外線センサーが体温の高い竜種を補足し、FCSが機首限定旋回50ミリ砲を旋回させ照準。連動してHUD上の照準環が目標に重なる。

 撃発。

 四門の50ミリ砲、そして火力支援型のイレーネ機の88ミリ砲が咆哮、眼下の地上部隊に気を取られていた群れのうち五頭が制御を失って落下する。

 ようやく上空からの襲撃者に気が付いた個体が咄嗟に長い尾や鋭い鉤爪で邪魔者を叩き落とそうとするが、既に散開したヴェスペはその機動性で難なく回避。さすがに脅威と見なしたのか、それまで低空で地上を襲っていた個体や地上に降りて陸軍を追い回していた個体も一斉にユナたちの方へ目標を変更する。

 敵意の籠った無数の視線。

 一撃離脱が通じるのは不意を突ける初撃まで。殆ど死角なく自由自在に回る首から放たれるブレスは、距離をとればとるほど相手に有利に働く。

「アンナ!」

「了解ー」

 再び群れから距離を取ることはせず、進路上にいた一頭に肉薄。

 モンスターにも、同士討ちを避けるという意識はある。それに自分の命をベットできるほど徹底してはいないが、保険程度には十分なる。

 肉薄された個体がその戦闘艇を排除すべくユナの方に首を向け、その隙にスラスタで強引に機首を竜種の方へ向けたアンナ機が今再装填されたばかりの50ミリ砲を発射。炸薬を内包した徹甲弾が分厚い鱗と頭蓋を撃ち抜き、内部で炸裂した炸薬が確実にその怪物の命を刈り取る。

 続けてさらに別の個体に肉薄するが、今度はアンナ機が装填中。教本通りならアンナ機が注意をひいてユナが撃つのが正解だが、実戦ではそうはいかない。

 竜種が装填時間などを理解しているとも思えないが、何か本能的な所でどちらが脅威かは勘づいているのか。放たれる20ミリ機関砲を堅牢な背中の鱗で弾きつつ、迷いなくユナの機体を首が追う。二対一には応じてもらえない。

 ただ、むしろそれがヴェスペの本来想定する戦い方だ。二機編隊のロッテ戦法はあくまでより確実を期すため。スラスタを用いた力技じみた非空力的な機動性をもつヴェスペの設計思想の根底には、圧倒的な飛行能力と人間では及ばない空間把握能力を持つ竜種相手に単機で渡り合おうという、ある種傲慢ともいえる発想がある。

 そして、ブレスは銃砲のようにいきなり放たれるわけではない。その一瞬、眼前で大きく開かれた鋭い牙の並ぶその口を、ユナは瞬きもせず注視する。

 そして、その口腔の奥に揺らいだのは赤い炎、ではない。

 微かな、青白い光。

 飛行服の下で全身の毛が逆立つような感覚。

 回避後の機首の向き、彼我の位置関係、僚機を巻き込まない射線の確保、射撃後の機動。

 それらを考えるのをすべて放棄し、一瞬でも早い回避の為だけに操縦桿を叩きこむ。

 直後、一条の光がその場所を飲み込む。

「光竜っ」

 最もよくみられる類の竜種を「火竜」と呼ぶ事が示すように、竜種を大別する一つの分類としてブレスの種類によるものがある。火竜はその名の通り、面を制圧する炎。

 そして、光竜は圧倒的な瞬発力と点の威力を誇る光線だ。

「こいつらっ」

 学術的には下に更にいくつもの種を抱えるこの大別について、それを見分ける明白な識別法という物はない。学者ではなくあくまで軍人であるユナには、種を特定しそれがどちらに分類されるのか判断する事もできない。

 ただ軍人なら、地上に燃える炎がない時点で気づくべきだった。火竜なら、燃料を積んだ車両や放棄された家屋、生きた植物くらいは容易に炎上させる。少し焦りもあったのか。

「こっちも見えてるって、隊長。シエラツーより各位、敵を光竜小型種と確定。思ってたより面倒だ、気を抜くな」

「了解、たまには新鮮さも必要よね。ありふれた火竜だけだとつまらないし」

 もちろん、厳密な意味での「光線」、つまりは強い指向性を持った高出力の電磁波ではない。それならば、見えた時にはユナは消し飛んでいる。光竜と言うのは、まだ竜種が純然たる自然災害だった時代につけられた名前。研究者によるとプラズマだとか荷電粒子だとかいろいろな説があるが、正確なところは不明。そもそも、モンスターである以上全てが人類の知る「法則」で説明できるかも不明だが。

 とにかく、軍人であるユナたちにとって大切なのは見て避けられるという事。

 回避したユナを追って振り回されるその光線を、極近距離と言う間合いの優位でさらに回避。たった十メートル強の移動でも、この距離なら光竜の頭上から尾の先端付近までほぼ180度移動できる。そしてそれを追うには、光竜は体ごと回らなければならない。

 固定武装の20ミリ機関砲2門を機体の回転に任せて凪ぐように掃射。無理やり首をこちらに向けようとした光竜の鱗の薄い腹側を喰い破った徹甲弾が、その運動エネルギーでもって肉と内臓を裂く。口径ゆえに炸薬は入っていないが、小型種のサイズなら無視できる傷でもない。

 悶えるように首を振り回して出鱈目に次のブレスを放つべく顎を開き、そして爆散。

 その時には、既にユナたちは飛び散る鱗や破片の届かない安全な距離まで離れている。

 暴発とも呼ばれる、竜種の中でも高威力のブレスを扱う光竜でよく見られる現象。定説としては、負った傷がエネルギーの制御を妨げた結果。

「やるねーユナ、これなら残弾の心配はいらないかな」

「だといいんだけどね」

 暴発するかは結局運頼みだ。それに、二十ミリ機関砲の残弾だって無限ではない。

 爆風に煽られた機体をスラスタで立て直し、素早く周囲に目を走らせる。

 火竜ではなく光竜が相手でも、ヴェスペの戦闘の基本は変わらない。

 一見、面制圧の炎ではなく一点を貫く光線なので距離を取れば回避できるように思えてしまうが、それは間違い。群れから離れれば、圧倒的な初速で放たれる無数の光線が回避先の空間ごと薙ぎ払う。相手が一頭でも、首を振って薙ぎ払われれば同じこと。

 何より、光竜のブレスに対して、火竜を想定した断熱装甲は重石以上の意味を持たない。なけなしのヴェスペの装甲も、ヴェスペの物には数回り性能も厚さも勝るはずの地上車両の有する装甲も。全体から襲い来る熱を防ぐ断熱装甲は、一点で貫こうとする光線には抗えない。

 申し訳程度の装甲しか無いヴェスペも、火竜のブレスが掠めた程度なら、もしくはコンマ数秒呑まれた程度ならば、長い歴史の中で王立軍の培ってきた断熱装甲の技術が搭乗員の死亡や浮揚ガスの引火と言う本当に致命的な損傷は防いでくれる。しかし、光竜のブレスについては掠めただけで死が確定する。浮揚ガスとして大量の水素を抱えた半飛行船は、可燃物の塊だ。

 だから、確実に回避できる近距離がヴェスペの間合い。

「アンナ、下!」

「わかってるー」

 五機の戦闘艇が舞う。

 ブレスを放つ空間を作ろうと光竜が群れの中の間隔を広げるが、その空間は同時にヴェスペにとっても回避し射撃位置を作るための空間となる。

 大前提として、ヴェスペは運動性能では竜種には勝てない。

 瞬間的な加速、巡航速度、低視認性。研究者や技術者の必死の努力の結果、そういった個々の部分で優位な点はいくつかある。ただ総合すれば、人類の生まれる遥か前から空の支配者であり進化という名の自然淘汰の最適化を続けてきた竜種には、人類数百数千年の付け焼刃の技術など足元にも及ばない。そもそも、地上という基本的には前後左右の二次元移動のみの環境で進化してきた人類の脳は、三次元的な空間処理や動体視力といった「飛ぶための能力」においては鶏にすら劣る。機体性能も、制御システムも負けている。

 それを埋めるのが、戦術であり、経験だ。

 一機が敵を引き付け、別の機体が射撃する。二、三機がかりで回避先の軌道を塞ぎ、もう一機が撃てば必ず当たる状況を作り出す。同時に複数機で接近し、敵の同時対処能力を物理的にも情報処理的にも飽和させる。あえて高度を捨て、小柄なヴェスペに有利な建築物などの障害物が多い超低空戦に誘い込む。光龍のブレスは脅威だが、まともに喰らえば継戦能力を失うのは火竜も同じ。掠っただけなら耐えるかもしれないという、いわば保険が無くなっただけ。

 そもそも、小型種までならヴェスペは一対一でも十分勝機がある。そして、第十七航空団に所属するレンツ戦闘飛行隊の練度は、圧倒的とは言わないまでも十分に高い。

 一頭また一頭と地に落ち、時には暴発し内側から弾け飛び。傷を負って地上に降りた個体も待ち構える王立地上軍の残存勢力に刈り取られる。確実に数は減ってゆく。が。

「シエラセブン、残弾1!」

「ほーら、言わんこっちゃない。カバーはするから無理しないで」

「はっ、無理してなかったらとっくに死んでる」

 やはり数が多い。

 ヴェスペの50ミリ砲は装弾数16発、火力支援型の88ミリ砲に至っては半分の8発。一度の会敵で撃ちきることは滅多にないが、今回のように既に何度か戦闘をこなした後だと一撃必殺が徹底できたとしても弾数が足りるかは怪しい。

 だから。

「シエラリーダーよりシエラセブン、低空九時に集団」

「了解。シエラセブンより友軍各位、援護を頼む!」

 残弾の少ないクルト機が20ミリ機関砲をばら撒く。まともに狙いもつけられていないそれは当然硬い鱗に弾かれるか、或いは致命傷とはならない末端部に傷をつけるに留まるが、撃たれた光竜の意識はそちらに向く。

 セオリーに反してそのまま光竜の横をすり抜けてまっすぐ離脱を計るクルト機。それを、身をひるがえした光竜達が追う。

 その光竜の後ろから更に追うのは、残る四機のヴェスペ。二機が背後を取り、残る二機はその上空から高度有利を維持して追跡。

 巡航速度では平均的な竜種の長距離移動時の速度に勝るヴェスペだが、その設計思想故に低空での最高速度はさほど高くない。降下の勢いも乗った速度で離脱するがクルト機だが、すぐにその光竜との距離は減少に転ずる。同時に、追う四機と光竜達の距離も広がり20ミリ機関砲どころか機首50ミリ砲、しまいには88ミリ砲の有効射程からも出る。

 最早何を撃とうが、光竜には届かない。速度有利を持つ者の、空戦における圧倒的有利。

 もし竜種が意識的に一撃離脱を徹底してきたなら、人類の機体は圧倒的な不利に陥る。

 光竜たちが、逃げるクルト機を確実に葬るべく顎を開く。ヴェスペの砲とは比べ物にならない射程と威力を誇るブレス、その予備動作。

 が、それは鱗のなく無防備な、そして脳などに通じる急所である口腔内を晒すことでもある。

「今!ブレイク!」

 散開。追跡していた四機が左右に大きく分かれ、直後。

 空が赤と黒で埋め尽くされる。四機のたどっていた、そして光竜達の針路が。

 この場にある火砲は、何もヴェスペの軽量化が進んだ非力な砲だけではない。

 エリアドネ王立地上軍自走高射砲、Skorpion―88。

 同自走対空機関砲、Igel20―4。

 クルト機が先導し、後ろから残る四機が追い込んだその場所は、彼等のキルゾーンだ。

 長砲身88ミリ高射砲の大きな砲基部と駐退機を、仰角を確保しつつ断熱装甲で完全に包むべく不格好に高くなった砲塔。四連装20ミリ機関砲を備え砲塔旋回速度を確保した、伏せたお椀のような砲塔。それらが首を回し、それまでの鬱憤を晴らすかのように火を噴く。

 最初の高射砲の斉射で、二頭が暴発。それに巻き込まれ、更に一頭が制御を失い頭から墜落。

 暴発を免れ、あるいは炸裂した高射砲弾の砲弾片に耐えた個体には、鱗の薄い腹側から撃ち上げられた一両当たり4門の猛烈な機関砲弾の嵐が襲い掛かる。

 飛行隊の援護で陣形を立て直した王立地上軍の対空戦力が、本来の火力を取り戻す。

 自走高射砲が高射砲陣地を形成し、同時に斉射。各門の射線、砲弾の殺傷範囲、射撃精度。それらを緻密に計算した個ではなく部隊としての砲撃で、キルゾーンの標的を確実に爆風と砲弾片ですり潰す。

 その装填時間を。高射砲弾の爆風に耐え、あるいはキルゾーンの外から肉薄した個体を。しかし切れ目のない弾幕で自走対空機関砲が補う。一発一発は小口径で炸薬も入っていない機関砲弾だが、これだけの数が集まれば小型種程度ならそれだけでも撃ち落とせる。

 クルト機を追っていた集団が、一瞬にして壊滅。暴発し、地に落ち、その巨体が力を失う。

 一気に光竜の数が削れる。飛行隊がこれまで一頭ずつ地道に削って来た数に及ぼうかという数が、ものの十秒もかからずに。

 が、当然。これで済むのなら、ユナたちが援護に呼ばれることもない。

 ユナたち戦闘飛行隊に向いていた残る光竜の意識が、再び脅威となった地上部隊へと向く。特に、彼らの仲間をまとめて屠った対空砲部隊に。

 竜種の鋭利な爪と牙による攻撃に対しては嵐の様な弾幕が光竜の接近を阻むが、彼等の前ではそれはささやかな抵抗とすら言い難い。

 高度な射撃管制装置と肉厚な砲身、長い砲身長。それによって同口径であってもヴェスペのものを圧倒する有効射程を誇る王立地上軍の砲だが、竜種のブレスの射程には及ばない。

 閃光。自走高射砲の射程外から放たれた複数のブレスが、結集していた王立地上軍対空戦力を大きく吹き飛ばす。一か所で移動式の高射砲陣地を構築する事を目的とした自走高射砲に、圧倒的な初速のブレスを回避できるほどの機動力は無い。火竜であれば遠距離から放たれたブレスを断熱装甲で耐えることもできたかもしれないが、光竜の前では被弾は死を意味する。

 小型の陸棲モンスターなどとの対地戦闘も考慮された自走対空機関砲は多少ましな機動力を持つが、厚い弾幕を張る部隊から離れれば各個撃破されるのは自明。

 空を睨み、火を噴き。そして、そのまま正面から撃ち抜かれて沈黙、あるいは爆散する。

「シエラリーダーより各位、対空砲を守って!」

 先程の砲撃で数を減らしたとはいえ、この数を相手取るにはまだ彼らの火力が欲しい。

 そもそもこの部隊を守れと言うのが作戦司令部からの指示だが、それでも優先順位はつけざるを得ない。そうでないと、ユナたちまで最悪全滅する。

「了解っ。シエラセブン、残弾ゼロ!20ミリで戦闘継続する!」

「シエラツーよりシエラセブン、勢子に回れ。俺たちが撃つ」

 飛行隊の援護が薄くなった部隊に、隙を突いた光竜が数匹襲い掛かる。装甲トラックが鋭い爪で切り裂かれ、炎上する車両から脱出した兵士が光竜に追われ。

「……っ!」

 無線越しにアンナが呻く。

 逃げる兵士を、背後から光竜の顎が襲う。その後には、何も残らない。

 何もなく人が跡形も無く消えたりはしない。数時間前の光景が、脳裏をよぎる。一口で丸呑みにされただけましとは思いたくないが、あの後だとやはりそう感じてしまう。実際は、丸呑みにされた後でもその腹の中で想像もしたくない苦痛が待っているのかもしれないが。

 決してありふれた光景ではないが、実のところさほど珍しい光景でもない。一応竜種にグレンデルのように人を好んで捕食する習性は無いとされている。ただ、それは喰われないことを保証するものではない。人間はその身に毒を宿すわけでも無ければ、硬い皮を持つ訳でもない。

 そう言う意味では、戦死する時は浮揚ガスの引火した時、あるいは弾薬が誘爆した時とほぼ確定するユナたちは恵まれているのかもしれない。

「シエラファイブよりシエラスリー、こっちでやる」

 竜種の顎に掛かれば、装甲歩兵の纏う防護装甲も布切れと大差はない。逃げ惑う兵士や装甲歩兵を執拗に追い回すその個体を射程の長いイレーネ機の88ミリ砲が狙撃し、撃破。有効射程ギリギリからの遠距離砲撃だが、火力支援型を長年駆って来たイレーネなら可能。

「……やっぱり気分悪いわね」

 呟くイレーネの機体を狙う個体をユナ機の50ミリ砲が貫き、姿勢を崩した光竜のブレスが何もない空間と別の光竜を引き裂く。腹から20ミリ機関砲で止めを刺すのは二番機のソル。

 戦況は完全な消耗戦の様相を呈する。

 光竜のブレスによって、着実に地上部隊の火力は削られる。

 同時にユナたち戦闘飛行隊も一頭一頭と撃墜を重ね、それに追い立てられて射程内に入った光竜を容赦なく残存する自走高射砲と自走対空機関砲が叩き落す。

 力比べのようなダメージレース。ただ、ダメージレースではなく一方的に撃墜を重ねられる戦闘飛行隊のいる王立軍が辛うじて優勢を維持している。

 残る光竜も既に恐らくは片手で足りる程度。王立地上軍の損害は無視できないが、このまま続けていけば勝てる。残弾は足りる。残る個体を確実に撃破すべく、そちらへ向かおうとして。

「ユナ、上!」

 幾つかの偶然が重なった。

 スラスタの燃料警告が点灯。同時に無線から叫ぶようなアンナの声。

 スラスタ噴射を中止し、通常の空力制御で旋回に入りながら、上方に視線を投げ。

 直後、視界が白に染まる。それが光竜のブレスだと理解するのはコンマ数秒後。スラスタ回頭でその場にとどまっていたならば今ユナがいたであろう場所、そこを太い光線が上から下へと貫いている。エンジンの排気偏向板が熔け落ちていても不思議ではない距離。

 だが、どこから?残存する光竜の位置は、把握している。

 答えはすぐに与えられた。

 光線が過ぎ去ったその後を、金属光沢のある白銅色の巨体が通り抜ける。

 全長は今まで交戦していた小型種の倍はあろうかという目算20メートルほど。巨体を支えるため、体に対する翼幅も他の個体より明らかに長い。が、これでもやはり小型種。学術的な分類も、純粋なサイズによる分類も。

「嚮導型!」

 その風圧に揺さぶられる機体の中、無線から響くのはアンナの声。

 竜種の小型種は群れを作るが、それは小鳥や小魚のような捕食者から逃れるための群れではない。むしろ狼のような、捕食戦略としての群れ。故に、その群れにはいわゆる主が存在する。他の個体より圧倒的に大きく成長した、群れの最上位たる個体が。

 正式には群体変異型、王立軍では嚮導型と呼ばれる変異個体だ。

「なんでいまっ」

 見当たらないから王立地上軍が脅威として最優先で撃破したと思っていたが、今まで出てこなかっただけなのか。本来群れを守るべき嚮導型が今まで現れなかったというのは不思議だが、そんな疑問にまともに付き合っている余裕はない。

 巨体に似合わぬ俊敏さで減速、反転した嚮導型が化け物じみた加速で下から突き上げ。

 50ミリ砲を放つも、頭部の厚い鱗に弾かれる。何を食べていたのか血濡れたその顎が弾いた後に開くのは、偶然か、それとも豊富な経験で装填時間という物を学習したのか。

 燃料警告を無視してスラスタを点火、空力制御では不可能な平行移動で撃ち上げられたブレスを回避。距離が詰まり、戦闘艇乗りとして鍛えられた動体視力がその牙に垢のように引っかかった明らかな人工物を捉える。軽く眉を顰め、反転。彼我が最も接近する瞬間に至近から撃つ事は装填時間のせいで叶わず、過ぎ去った背中に放った砲弾は尾の先端を撃ち抜くに留まる。

 基本的に、嚮導型は老齢個体が多い。それは即ち、幾度となく他の竜種や人間との戦闘を潜り抜けてきたことを示す。有体に言えば、歴戦の猛者。そして、角度さえ気を付ければヴェスペの50ミリ砲がどこであれ有効打となる通常個体と違い、場所によっては垂直でも砲弾を拒む堅牢な鱗。この経験と能力が合わされば、人間の代々培ってきた戦術をもってしてもヴェスペがその性能差を覆すことは難しい。

 通常のヴェスペが、一対一なら。

 飛行隊に必ず一機は、半分しか弾を積めない火力支援型が配属されるのは何故か。

「シエラリーダーより各位、交戦中の光竜嚮導型を優先目標に設定する。全機シエラファイブの援護に当たれ」

 弾数という継戦能力を捨ててでも、その88ミリ砲が必要だからだ。

 そして、貫通力と威力を得た88ミリ砲が代償として捨てた速射性。50ミリ砲の倍近い装填時間も一機なら致命的な弱点となるが、それを補うための飛行隊だ。残る僅かな通常個体を王立地上軍の対空砲部隊が掃討するのも時間の問題。盤面は実質5対1。最初から嚮導型が戦場にいれば結果は違ったかもしれないが、既に大局は決している。通常個体を凌駕するブレスの射程と威力も、どのみち当たってはいけないヴェスペには同じこと。

「おっけー、たのんだよーイレーネ」

「了解。残弾2、FCS異常なし」

 イレーネからの無線を聞きつつ、スラスタも使って加速し、接近。

 同時にスラスタの一つの燃料計がゼロを示す。一つ動かなくなってもスラスタ制御自体は効くものの、機動性は格段に落ちる。が、ここでユナが戦域を離脱する理由はない。

 巨体で羽ばたく嚮導型の周囲を五機の戦闘艇が交互に接近と離脱を繰り返す。あちらも通常より長大な砲身を備える火力支援型が脅威な事は理解しているのかブレスから爪、果ては戦闘艇より圧倒的に巨大な体躯を用いてイレーネ機を狙うが、それを残る四機が許さない。

 50ミリ砲とは言え、どこも抜けない訳ではない。無視するならばこちらで落としてやると言わんばかりの機動で鱗の薄い部位に回り込み、そして嚮導型が迎撃の素振りを見せればあっさりと射撃を放棄し回避。主砲残弾の無いクルト機は脆弱な眼球や口腔のある頭部を執拗に機関砲で掃射し、機動性の落ちたユナ機はもとより成功させる気のない一撃離脱を仕掛けてブレスによる迎撃を強制する。当てなくていいなら、光竜のブレスも回避自体は不可能ではない。

 通常個体を掃討した王立地上軍の残存自走高射砲も、嚮導型へ射撃を開始。戦闘艇を巻き込まないよう榴弾ではなく対中型種以上用の徹甲弾が撃ち上げられ、距離がある上に本来の想定より的が小さいためなかなか当たらないものの、こちらも回避行動を強制する。

 その地上からの横槍を嫌ったのか、王立地上軍から離れるように速度を上げる嚮導型。巨大な翼の生む圧倒的な推力で加速を図るその怪物を、しかし絶え間ない迎撃行動を強制することで速度でヴェスペを振り切らせない。

 そして、我慢比べのような応酬の中、嚮導型の注意がイレーネ機から外れた一瞬。

 コンマ数秒にも満たないであろうその射撃チャンスを、イレーネが見逃すわけもない。

 スラスタを点火し、空中で機体を固定。FCSの自動照準を、手動操作で微調整。

「ファイア!」

 88ミリ砲が咆哮。音速の数倍の初速で放たれた徹甲弾が、50ミリ砲なら垂直でも弾く幾重にも重なった背中の鱗を貫通。作動した信管が内包した炸薬を起爆し、砲弾片が内側から筋肉や内臓と言った体組織を破壊する。

 暴発はしなかった。

 不自然に全身が脈打ち、そして糸が切れたように翼から力が抜ける。空の支配者の一角たる怪物が、自由落下するただの肉と鱗の塊へと変化する。

 王立地上軍の頭上だったなら自由落下する巨体も無視できない脅威だが、すでに当初の交戦域からは十分離れ、その心配もない。

「シエラファイブ、優先目標を撃墜」

「シエラリーダーより各位、優先目標を解除。周囲の確認を」

 地に墜ちた巨体が、ひときわ大きな土煙を挙げる。

 正確な生死は空からでは確認できないが、王立空軍では撃墜と行動の停止をもって撃破と見なす。竜種に死んだふりと言う行動は確認されていない上、息があったとしても飛ぶことも動くこともできなくなった竜種が生き長らえる事が出来るほど生態系は甘くできてはいない。

「シエラツーより各位、周辺空域に敵影無し。これでやっと任務は完了かな」

「シエラリーダー了解」

 作戦司令部にも任務を完了したことと飛行隊の損害は無い事を無線で報告し、撃墜した嚮導型の上空を離脱。王立地上軍の被害については、基地についてから報告書にでも書けばいい。残弾や残燃料が心許ないので作戦行動の継続は困難として進出先の基地への帰投許可を要請し、答えも待たずに飛行隊の進路をそちらへ取る。

 去り際に、王立地上軍の上空を通った。

 無数の車両が一目で撃破されたと分かる姿で放棄され、至る所に転がる大小様々の残骸はそれが元は何だったのかさえ、車両だったのか人だったのかさえも、分からない。地面にはブレスのものであろう小さなクレーターが無数に刻まれ、火器も満足に持たない満身創痍の装甲歩兵が動かなくなった光竜が確実に死んでいる事を確かめて回っている。時たま力無く首や脚をもたげる光竜に米粒のような装甲歩兵が吹き飛ばされ、その光竜に止めを刺すのは倒壊した家屋に半分埋まり固定砲台と化した主力戦車だ。

 そしてその後ろ。連邦王国の方から現れるのは、先が見えないほどの車列。

 十年に一度と言われる規模の防衛線の押し上げ、その地上軍本隊だ。光竜に壊滅させられた師団規模の目算百両ほど、たかがその程度の規模である訳もない。巨大な軍が進軍経路を複数に分けて進むのは当然。恐らくは別の経路を取っていた部隊が援護にようやくやって来たのだ。比較的安全の確保された後方を回り込む形で。そしてこれだって、きっと全戦力ではない。

 満身創痍の残存部隊。その何倍と言う規模の傷一つない部隊が続々と現れる。

 この戦闘は辛勝と言うのも憚られるほどの結果だった。敗北と言ってもいいかもしれない。恐らくは光竜の群れと遭遇した地上軍部隊の損耗率は半分を超え、矢面に立った対空砲部隊に至っては八割九割の損耗率を記録していたとしても不思議ではない。

 が、これは王立軍としては敗北でも何でもない。

 些細な悲劇を、圧倒的な物量で塗り潰していく。個々の戦場のありふれた悲劇を、それ以上の地道な見栄えしない勝利を積み重ねて埋め立てる。

 騎士団時代から引き継ぐ「人民を守るため」という大義を旗印とする王立軍だが、かといって常勝無敵の英雄集団と言うわけではない。毎日のように悲劇を繰り返し、それを踏み台にして戦略的勝利を目指すのが王立軍の、ひいては一般に軍と言う組織そのものの本質だ。

 植生に合わせた土色の迷彩に刻まれた王立地上軍の紋章が、傾いた陽を反射して煌めく。

 ほとんど壊滅した地上部隊が、際限なく現れる増援部隊に吞み込まれる。

 それを最後まで見届けることなく、レンツ戦闘飛行隊の戦闘艇は空域を離脱した。

 

 

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