第4話
スラスタによる高機動を売りとした半飛行船であるヴェスペは飛行場の無いような悪環境での使用も想定されている事もあり、当然のようにスラスタと推力偏向を併用した垂直離着機能を有する。スラスタの燃料消費が激しいので、そう滅多に使う機能ではないが。
川から少し離れたところに着陸した戦闘艇。
その内側からキャノピーを解放し、ユナは機体から滑るようにして地面に飛び降りる。
手には戦闘艇搭乗員に支給される装備である護身用のカービン。基本的にモンスターの支配域上空で交戦する戦闘艇は、不時着した際の護身用に携行武器が機内に標準装備されている。ただ、あくまで護身用なので専門的な陸戦訓練を受けているわけではない。
遅れて着陸したアンナを待たず、ユナは川辺へ駆ける。
散らかった無数の肉片に、投げ出された上下に分かれた身体。明らかにオーバーキルな50ミリ砲で撃ち抜かれたモンスターの成れの果て。
その血の匂いが蒸し返す川辺に、確かに生存者はいた。
今は、まだ。
思わず胃の中の物を吐き出しそうになるのを、顔を背けそうになるのを、王立軍人としての意地で押しとどめる。それはあまりにも失礼だから。
赤と白。辛うじて胸から上は原形をとどめている。ただ、それ以外は何が何かも分からない。その赤が血なのか肉なのかも、その白が骨なのか内蔵なのかも。ただ、その中でも明らかにその「量」が少ないのが分かる。大人一人には、明らかに赤と白の量が足りていない。
「…………ぁ、」
声と呼べるのかすら怪しいほどの掠れた声。彼自身の血か、それともユナが撃ち抜いたモンスターの血か分からない赤色で顔を染めた男が、力なくその腕をもたげる。
「……」
後ろからやって来たアンナが、生存者を見下ろして表情を歪める。
とにかく何か声を掛けようとユナは膝を折って、そこで言葉につまった。何と言うべきか。さすがに「大丈夫ですか」とは言えない。答えは分からず、
「王立空軍です、わかりますか」
と無難な言葉に落ち着いた。
誤魔化しのような言葉。けれど、王立空軍という単語を口にした瞬間に男の表情が和らぐ。何か希望を見たかのように。ユナたちが何をできるわけでも無いのに。
いや、正しくは彼が望んでいるであろうことは出来ない、だ。一つだけ、ユナたちが彼のために出来ることは残っている。傍らに置いたそれに手を伸ばし、
「ぁ、……たす、…………さ……」
目が合う。今度は、至近から。多かれ少なかれ覚悟のもとに殉職する軍人とは違う、純粋な恐怖に怯えた目だ。縋るようなその視線に、決めたはずの覚悟が揺らぐ。カービンに掛けた手が、それを持ち上げることなく固まる。
「どいて、ユナ」
ユナを押しのけるようにして前に出たのはアンナだった。
「私がするよ」
肩に提げていたカービンを両手で持つ。セレクトレバーは単発。
「王立空軍西部方面艦隊第十七航空団、アンナ・エインズワース少尉です」
この状態でいつまで持つのかは分からない。もう限界がすぐなのかもしれないし、五分十分と持つのかもしれない。ただ、どちらにしろ助からない事は素人目にも分かる。想像するのも憚られるほどの苦痛に蝕まれているであろうことも。
男の視線が、アンナが身体の前に抱えた銃に向けられる。数秒の間。
「……そ…か、…………たのむ……」
何かを堪えて捻りだしたようなその言葉に、アンナが唇を小さく嚙む。
「お名前だけ教えてください。王立空軍が責任もってご家族にお伝えします」
片膝をついて男の口元に耳を近づけ、小さく頷く。
「……ごめん」
聞こえるか聞こえないかのアンナの声。
乾いた銃声。
微かに力のこもっていた腕が、力なく投げ出される。
構えていた銃がゆっくりと下ろされる。
「やっぱりこたえるね。人が死ぬのには慣れてるつもりなのに」
目を閉じて短く十字を切ってから、少し無理をしたようなぎこちない笑みでアンナが言う。
軍人とはいえ、ユナたちは空軍の搭乗員だ。戦友の機体が火の尾を引いて墜ちてゆくのは何度も見ているが、陸軍のように目の前で同僚が死んでゆくのを見届けるという経験は多くない。
「ごめん、任せちゃって」
「いいって。こういうのはやってあげる側が迷ってたら向こうが余計不安になっちゃうからね」
改めて生存者だった男の傍らに膝をつき、ユナは小さく黙祷を捧げる。
楽にしてあげたとかいう綺麗事を言うつもりはない。最悪と最悪を天秤にかけただけだ。王立軍の名を出した時の反応からして、恐らくは連邦王国の国民。ならば、本来ユナたち王立軍人がその責務として守るべき人間のはずなのだから。
叶う事ならせめて埋めてやりたいところだが、道具も時間もない。空から聞こえ始めるのは、上空のカバーにやって来たもうソルたちの編隊のエンジン音。
立ち上がり、カービンを肩に提げて空を見上げて。
そこで、傍らの茂みが物音と共に不自然に揺れた。二人ほぼ同時に反射で銃を構え、構えてからユナは安全装置がかかったままである事に気が付いて慌てて外す。
「誰!」
強張った声で呼びかけるも返事はない。やはりモンスターかと思って、そこでユナは自分が銃口をそちらに向けていることに思い至る。
「王立空軍です。生存者でしたらこちらで保護します」
途端に茂みの向こうの雰囲気が変わる。
意を決したように飛び出してきたのは、小さな影だった。ほっと安堵の息をついてトリガーガードに添えた指を離して、そこで気が付く。
まずい、という意識が二人の間で言葉も無く共有される。
小さな子供。まだ十にも満たないであろう。
先程、二人は何をしたか。決して胸を張れることではないし、子供に見せられるような事もでもない。そもそも、すぐ近くにいたという事はあの生存者の親族や知り合いであるという可能性も高い。彼は何も言っていなかったが、生きているとは思っていなければそう不思議な事でもないし、実際この子供がモンスターに見つからずにいるのは奇蹟に近い。見ていない、なんて可能性に縋ろうにもそれがあまりにも脆い事はユナにも分かってしまう。
経緯はどうあれ、傍から見ればどう見えるかは火を見るよりも明らかだ。まして、それが子どもとなれば。最悪、あの生存者がこの子供の親や兄弟だった可能性だって十分にある。
ただ、だとしたらそれはユナたち王立軍人が負うべき責だ。国民を守れなかった事は。
駆け寄って来たその子供の、どんな言葉でも受け止める覚悟をして。
しかし、ユナの足に抱き着くようにしてしがみ付いたその子供は何も言わずにその裾を握り締める。まるで母親にでも縋りつくように。
飛行服の生地越しに伝わる涙と鼻水を感じつつ、しゃがみこんで目の高さを合わせた。
「……えっと、……大丈夫……だよ、大丈夫」
慣れない子供の扱いに少し戸惑いながらも、ユナはゆっくりとその背中をさする。
繰り返すその言葉は、どうしても空疎に聞こえてしまう。この子供はまっすぐユナの方へ駆けてきた。その前に、もっと近くにアンナが立っていたにも関わらずだ。
つまりは、そういうこと。
緊張が解けたのか、それ以外の理由か。声を堪えながらもしゃくり上げるようにして泣く子供を、ユナたちは泣き止むまでそうさせていた。ゆっくりと頭を撫でながら、黙ったまま。
その間、アンナはカービンを構えて周囲を警戒していた。子供にしがみ付かれたユナから、心なしか距離を取るようにして。上空では、空からのモンスターの襲撃に備えて三機の戦闘艇が大きな輪を描いて旋回しながら彼等を見守っている。
五分か、十分か。ようやく泣き止んだ子供は、最後にまたそのズボンで残る涙を拭ってからユナから離れた。ただ、片手でしっかりそのズボンの裾を掴んだまま。
涙と鼻水で汚れた顔で見るその視線の先には、カービンを抱えたアンナ。
「…………あー、うん」
抱えていた銃を背中に回し、深呼吸をしてからアンナがユナと子供の方へ歩み寄る。
そして、子供の前で膝をついて頭を下げる。
「……ごめんなさい」
辛くないわけがないだろう。どんな理由があってもアンナがその手でした事に変わりはないし、そう言う事に慣れているわけでも無い。生存者の為と苦しい言い訳を重ねて、そうやってなんとか誤魔化して。それを自分で頭を下げて否定するのだ。悪かった、と。
そして、その重荷をアンナに押し付けたユナも同罪だ。
自分はどんな言葉でも受け止めなければいけないいう覚悟と、それをアンナに負わせるという事実がせめぎ合い。
「あれは、隊長の私が」
「ううん」
ユナの言葉を遮るようにして、子供がかぶりを振る。
その声は、別に諦念の響きと言うわけではなく。
意思のこもった、けれど弱弱しい声で子供は続ける。
「ぐんじんさんがすることなら、そうしなきゃいけなかったんでしょ」
その言葉に、ユナは言葉に詰まる。
泣き止むまで泣き続けて、整理がついた?そんな訳がない。五分十分で整理をつけれるような事ではない。まして、この年の子供が。その「犯人」が目の前にいるのに。
この子もユナたちがした言い訳と同じように「楽に死ぬのが救いだった」と思った?そんなことがあって良いわけがない。
どんな地獄を見てきたのかは分からない。頼りにしていた大人が目の前でモンスターの餌食となるのを見た、というのがこの子供の見た地獄の全てではないだろう。
だとしても、子供がそんな風に思うようなことがあって良いはずがない。死ぬことが、殺したことが救いだったなんて。
「ぐんじんさんが、わるいことするわけないもん。ぐんじんさんは、みんなをまもってくれるんでしょ?」
それとも、王立軍の「威光」がそこまで強く、どこか歪と言えるまで強くなっていたのか。年端も行かない子供が、あれを「王立軍人のしたことだから」で納得できてしまうほど。納得できないはずの事を、無理やり納得させてしまえるほど。勿論ユナにだって王立軍人としての誇りのような物はあるが、やはり手放しで喜ぶことはできない。
前者ならば、ユナたちにできることは何もない。その「犯人」が何を言おうと、何の意味もない。それをなんとかできるのは、この子の家族や、もしくは専門のカウンセラーだ。家族については、まだいればだが。
ただ、後者なら、その「期待」をユナたちが裏切る訳にはいかない。例えそれが歪な信頼だったとしても、王立軍人としてその信頼に応える必要がある。
「……とにかく機体のとこに戻ろうか」
どちらにしてもこの子供がこう言っている以上、これ以上何か続けたところでそれはユナたちの自己満足。
苦虫を噛み潰したような表情を口元に浮かべながら立ち上がったアンナのあとを、子供を連れたユナが続く。裾を掴まれたままで歩きにくく、その親について行くような動きがユナの胸の内にいいようのない罪悪感を生じさせる。
「どうする、このあと」
この子をどうするか、といえば怯えさせかねない。それはアンナにも通じたのだろう。
「まー、さすがに乗せてくのは無理があるよね。戦闘機動にも巻き込めないし」
「そもそも、場所もないしね」
複座だった機種転換前と違い、単座のヴェスペのコックピットは窮屈だ。空間そのものは確保できるかもしれないが、うっかり変な機器を触られて墜落でもしたらたまったものではない。この子供にとっても。
「とにかく作戦司令部に問い合わせてみるよ。もしかしたら陸軍とかが近くまで来てるかもしれないし」
どこか逃げるように機体へ乗り込み、無線のヘッドセットを組み込んだ飛行帽をかぶるアンナ。
「あー、あとで説明するからちょっと待って。うん、とにかくどっちも損傷は何も無いし不時着でもないからとにかく後にしてちょうだい。だーから後にしてって言ってるでしょ、クルト。……シエラスリーよりコマンド、聞こえますか」
その通信の声を機体の横で聞きながら、ユナは子供の相手だ。純粋な好奇心か何かから気を逸らすためか、見慣れない戦闘艇の周りをとてとてと歩き回る子供。ただ、その最中もやはりその手はユナを離さない。
モンスターの気配がないか、子供が危ない部品に触らないか、受け答えで不用意な事は言っていないか、ズボンに掴まる子供をうっかり蹴ってしまいはしないか。あれもこれもと方々に気を張りながらの慣れない子守は、せいぜい数分というところだろうがユナには十分に十分にも思える。
なので、ようやく通信を終えたアンナが機体から降りてきた時はさりげなく子守をアンナにバトンタッチしようとしたが、結局子供はすぐにユナの方へ戻って来た。
「懐かれたね、ユナ」
苦笑しながら言うアンナに、さすがにユナは笑えない。
「作戦司令部はどうだって?」
「どうにもできない、だって。陸軍部隊はここよりはかなり後方、私たちならすぐでも悪路を大所帯で行く地上車両にとっては何時間後になるかも分からない。往復の安全が確認できないから足のある車両で小規模部隊を編成して送るのも難しい。まだ制空権が撮れたわけじゃ無いから、多少スペースに余裕がある攻撃艇も飛んでない。輸送機や救難機なんてもってのほか」
肩をすくめるアンナ。
「じゃあ、司令部はこの子を、」
見捨てろと、と言いかけたところで足元にいるその子供のことに思い至り喉元まで出たその言葉を飲み込む。どこか雰囲気を感じ取ったのか、子供の手が再びユナのズボンを握る。
「本来の私たちの任務は進軍支援のための偵察と制空だからね。上もこうなることを想定してたわけじゃ無いだろうし、上を責めるのもお門違いだよ」
「だからって」
「まーまー、落ち着きなってユナ。私だってそんな事はしたくないって」
語気を荒げるユナを、アンナが手のひらを立てて制する。
「これについては、隊長でも副隊長でもない私が決められる事じゃないから隊長のユナに提案なんだけどね。陸軍が来るのが何時間後になるかも分からないって事は、逆に言えば別に明日明後日になる訳じゃない。何時間か待てば陸軍がこの辺まで来るし、渡河するなら通る場所も限られる。まあ、滞空時間とかの問題で何時間も私たちが地上にいなきゃいけないってリスクはあるけどね」
「でも、それは私たちが任務をちゃんと遂行してるのが条件で」
「頭硬いって、ユナ。今回この辺りに展開してる飛行隊は、多少防衛線の部隊が混ざってはいるけど大体が一七の戦闘飛行隊だよ。話が分からない連中じゃない。多少任務の範囲が広がったって、あとでちょっと礼をすればなんとかなるよ。別にサボろうって訳じゃないしね」
にやり、と悪戯を仕掛ける子供のような顔をしてアンナが笑う。
「現場の判断、ってね。どう、ユナ」
「他の一七の飛行隊への連絡は私がするよ」
「よし、たのんだよ」
無線だけなら多少計器を弄られても墜落の心配はない。ユナはズボンを掴んでいた子供を両手で抱き上げ、普段の数倍の時間をかけてなんとかコックピットまで登って潜り込む。
「シエラリーダーよりジュリエットリーダー。少しいいですか?あ、こら、そこ触っちゃダメだって。あ、ちょっとこら、動かない」
「ジュリエットリーダーよりシエラリーダー、別にいいけどさ……何してんの?」
「それを離すと長くなるというか、まあそれが本題なんですけど」
既にほかの隊員には話を通してあったのか、気づけば上空を旋回していた三機の戦闘艇はゆっくり高度を下げ始めていた。
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