第3話


 ***

 

「シエラファイブより各位、周辺確認完了。三キロ圏内に敵影無し。さっきので最後ね」

「シエラリーダー了解、お疲れ様」

 第七戦域地区上空、メルシア民主共和国国境付近。夏らしく色の濃い晴天に、眼下にはところどころに緑色が点在する土色の景色。その景色のあちこちから明らかに自然の物ではない煙が立ち昇り、人々が暮らしていたと思しき集落は上空からでも分かる廃墟となり果てている。

「別に小型種程度ならいくら出てきてもいいんだけど、いい加減面倒くさくなってくるね」

「それが俺たち王立軍人の仕事だろ。こっちからしてみりゃたかが小型種でも、生身の人間からすりゃ怪物だ」

「感覚で戦ってるクルトは楽でいいね。残弾管理とか考えてる?」

「それで弾数ケチって死ぬほうが馬鹿馬鹿しい」

 ユナたちレンツ戦闘飛行隊が第七前線基地から出撃し、数時間といったところ。既に三度ほど小規模なモンスターの群れと交戦し、丁度今も放棄された村に巣くっていた竜種の群れを掃討したところだ。

「シエラリーダーより各位、編隊に分かれて索敵行動に戻って。あと、ケチってもケチらなくてもいいけど残弾少なくなったら言ってね。補給に戻るから」

「シエラセブン了解。けど、そのための20ミリだろ。ロクに抜けない豆鉄砲だって砲は砲だ、主砲が切れたって多少はなんとかなる」

「あんたそんなのでよく今まで死ななかったわね」

「豆鉄砲しかなくなった貴方のフォローをするのは私たちなんだけど」

「僚機のフォローをするのは別にそれに限らないだろ。普段と同じだ」

「貴方ねえ」

「まあ、とにかくシエラセブンは残弾切らしたら言う事だな。補給に戻るかは隊長判断だ」

 ガラスのような耐熱樹脂で覆われたキャノピーの中、無線から響く隊員たちの無駄口に耳を傾けながらユナは頭上に広がる青空に視線を投げる。

 機体の腹に抱えたターボファンエンジンの音と振動がもろに伝わり決して居心地のいいコックピットではないが、長く乗っているせいかユナにとってはどこか落ち着くのが不思議な所。下手な損傷を受ければ爆散する戦闘艇のコックピットなんて落ち着くような場所ではないはずなのだが、逆に戦場を飛び続けた結果ここに座ると落ち着くように適応したのか。

「行くよ、アンナ」

「ああごめんごめん。了解」

 操縦桿を傾け、旋回。残る四機も旋回し、本来は八機で四編隊に分かれるところを五機しかいないレンツ戦闘飛行隊は二機と三機の編隊に分かれる。一番機と三番機の通常の編隊に、そしてもう一方は五番機と七番機の本来の編隊に二番機を加えた三機編隊。普段はあまりしない索敵のため編隊を分けたことで、五機編成の歪さが露骨に現れる。

 今回の任務はいつものような打撃任務ではない。予め防衛線の部隊が確認した脅威に対してそれを撃滅しに行くのではなく、後続の陸軍部隊が安全に進軍できるよう指定された空域の「制空権」を確保するための制空任務。なので、どこにモンスターが潜んでいるのかは分からないし、それをこちらから探して撃破しなければならない。

 何故そんなイレギュラーな任務なのかと言えば、そもそもユナたちがこちらに配属された経緯からしてイレギュラーだからだ。数十年に一度の防衛線移譲。大規模な防衛線の引継ぎ。そのために、隣国メルシア民主共和国の軍が撤退しモンスターが侵入した地域を、陸空共同でそれらをまた排除しながら進まなければならない。つまり、こうやって今ユナたちが制空権を確保しているのも、後方で履帯で土を踏みしめ亀の如く進んでいる大所帯の王立地上軍がいきなり空から竜種に襲われないようにするためだ。

 ユナだって軍務は短くないので似たような任務には覚えがあるが、これほどの規模の物は初めてだ。各地の基地に配置された王立地上軍や王立空軍の防衛部隊、そしてユナの同僚でもある虎の子第十七航空団の各飛行隊が同時に進軍し、撤収した共和国軍の使っていた前線基地の所まで防衛線を押し上げる。

 普段だったらまずないような大規模な攻勢だ。広域で協力して戦力を集中させるという事をしないモンスターに対し、本来より確実なのは少しずつ防衛線を押し上げることで疑似的にモンスターに悪手とされる「戦力の逐次投入」をさせること。ただ、今回に限っては共和国軍の撤収した地域の民間人の保護という問題があり、加えて元々モンスターの脅威の無い「国境」であったところに隣国軍の撤収でモンスターの脅威が生じ、防衛線を新たに張る都合で連邦王国の支配域も後退した。そのため急いで防衛線を押し上げる必要があり、そのために参加する兵力も通常とは比べ物にならない規模だ。人民の盾を名乗る王立軍が、自軍の損害を恐れて自国や隣国の民間人を見殺しにしたとあっては王立軍全体、ひいては連邦王国の名折れ。

「確認だけど残弾は」

「50ミリは9発。まだまだ余裕あるよ」

 無線を編隊内に切り替え、確認。皆相応に場数は踏んでいるので新兵と飛ぶ時のように飛行隊単位で残弾確認をすることは無いが、戦闘においても連携を求められる編隊間では僚機の残弾は自分の残弾と同じと言っても過言ではない。

 副武装の20ミリ機関砲と違い、戦闘艇の主砲である50ミリカノン砲は単発砲だ。自動装填装置が搭載されているとはいえ、空中を三次元的に飛ぶ戦闘艇で機体がどんな向きを向いていても作動するように複雑化されたそれは、再装填に大凡五秒ほどの時間を要する。機関砲のようにばら撒くのではなく、きちんと狙って撃つ砲。そのため、装弾数も最大16発とお世辞にも多いとは言えない。そして、堅牢な鱗を備える竜種を確実に仕留めるには50ミリ砲の貫徹力が必要だ。20ミリ機関砲では硬い部分には弾かれるし、敵のサイズによってはどこも抜けないという事も少なくない。

「ユナは?」

「11発。代わりに機関砲は半分きったけど」

「わお、さすが。あの短絡馬鹿にも見習ってほしいね」

「別にあれもあれでありだとは思うけどね」

 20ミリを主砲の弾数節約に使うも、弾切れの際の保険として使うも自由だ。

「だとしてもねー。ああやって目の前ばっかり見て飛んでるとそのうち墜ちそうで気が気じゃないって。ああいう後先考えずに撃つ手合いは」

「はいはい、愚痴はその辺にして」

 周辺に飛んでいるモンスターがいないことを確認して高度を下げ、左右に分かれて距離を取る。今回の任務には制空権の確保だけではなく地上の障害の確認や排除も可能な範囲で含まれる。半飛行船故に機体が大きく下方視界の悪い戦闘艇においては、二機編隊で間隔を広く取って互いの死角を補い合うのが地上索敵の定石。もちろん、軽量化が重要となる半飛行船に地上捜索用のセンサーの類を積む余裕はない。頼りになるのは搭乗員の目のみ。時折背面飛行を挟んで自機直下の安全を確認するのも忘れない。

 高度を下げると、ユナの目にも地上の状態がよく見えるようになる。

 当然地面に地図のような国境は書いていないし、中核州と違って出入国管理の雑な戦域州では国境フェンスのような物もないのではっきりとは分からないが、恐らくは丁度国境のあたり。

 もともとは防衛線よりいくらか後方の地域だったのか、点在する集落を囲う防壁は野犬の侵入を防ぐ程度の物。それもまるで下草のように踏み倒され、人気のない集落に闊歩するごま粒のような影は、ハイエナに似た姿をしたグールや仔牛ほどの大きさのヘルハウンドなどの陸上棲のモンスター。軍の必死の抵抗の痕跡か、有翼のモンスターの死骸も落ちている。

「うわー、ひどいね。こんなになる前に引き継いでくれればよかったのに」

「……あっちもあっちで面子があったんだろうね。その面子のせいでこの有様なら何のための面子だろうって感じだけど。自国領をこんなにして」

 防衛線が機能していてもそれを潜り抜けることは少なくない種のモンスターだが、これほどの数が堂々と闊歩しているのは通常であればあり得ない。

 集落の密度の割に人も亡骸も見当たらないのは、既に逃げおおせたのか、はたまた死肉を喰らうグールなどのモンスター、もしくは何の変哲もないカラスやハゲワシに食べつくされたか。前者であることを祈るばかりだが、こればかりは祈る以上のことはできない。王立軍はもう少し早く動けなかったのかと思わなくはないが、そこに外交的な問題などが絡んでくるであろうことが分からないほどユナも世間知らずではない。だからといって、この惨状を仕方ないと言って流せるかというのはまた別の話だが。

「一応取り残された人がいないかは気を付けとこ」

「分かってるって。生き残りがいればだけどね」

 縁起でもない、と思いつつユナは否定できない。防衛線が瓦解した後の後方がどうなるかはよく知っている。だからこそ、防衛線を構築し維持する王立軍が戦域州の住民にとってなくてはならない存在だという事も。

 意識するとせざると滲み出る焦燥感。しかし、陸空共同の大規模作戦である今回の任務においては一戦闘飛行隊が勇み足をした所で、むしろ押し上げる防衛線を無駄に引き延ばし防衛線に穴が開く危険性を生むだけだ。その焦燥感を押し殺し、せめてもと空と地上に目を凝らす。

 瓦礫に混ざって擱座しているのは装甲歩兵輸送用の大型トラックや、陸上で前線を構築する主力戦車の残骸。空に四本の機関砲身を突き上げて事切れているのは、地上から低空を舞う小型の竜種やその他の有翼モンスターを撃ち落とすための自走対空機関砲。恐らく先行した部隊が襲われたのだろう、とユナは胸の内で小さく黙祷をささげる。

 それら見慣れた王立地上軍の装備に混ざって放棄されている見慣れない残骸は、恐らく共和国軍のものか。残骸を見る限り共闘したような形跡がないので、王立軍の先行部隊がここに到達するより前に力尽きたのだろう。共和国がこの地域の防衛線を連邦王国に委託した経緯までユナは知らないが、国に完全に見捨てられたわけではないようなのは、この惨状の中で数少ない救いだ。政治を知らないユナでもさっと思いつくところだと、単純にモンスターの個体数が増えたか、それともここの防衛に割ける兵力が不足して防衛線を支えきれなくなったか。どちらにしろ、あちらの軍がこうやって命懸けで踏み止まっていたのなら、ある程度は人民の避難もできているはずだ。

「せめて壊滅する前に呼んでくれれば」

 結局先程アンナが言ったのと同じようなことをぼそりと呟いたところで、無線から僚機であるそのアンナの声が響く。与太話をしているときのような気楽な雰囲気ではなく、戦闘艇の搭乗員としての張り詰めた声音。

「二時の方向、川の岸辺にモンスターの群れ、多分陸棲」

「二時方向……確認した。特定を」

 二機が低空で揃って旋回し、その上空へ。近づくにつれ、黒くうごめく物体だったそれが数頭の二足歩行のモンスターであることが分かる。人間より一回り大きく、体表を覆うのは禍々しい黒の鱗。その姿は、竜種に向けられるような畏敬の念など浮かぶ余地もない嫌悪感を見る者の心に植え付ける。そして、その理由はその姿だけではない。

「……グレンデル」

 一呼吸おいて、アンナが続ける。

 無線越しにも分かる、心底口に出すのも嫌そうな声で。

「喰ってる」

 小さくて武装している「効率の悪い獲物」として人間をあまり捕食しない多くのモンスターとは対照的に、グレンデルというモンスターは人間を好んで食する。グールのような腐肉食ではなく、狙って人間を襲い獲物とするのだ。そのため、水辺を好むグレンデルを侵入させないように人間の居住域に流れ込む大きな水系は各国軍が厳重に管理しているはずだが、そのグレンデルがなぜここにいるのかは言わずもがな。

 頭上を飛び交う戦闘艇のエンジン音はやはり耳障りなのか、グレンデルがその窪んだ眼窩をユナたちの飛ぶ空に向ける。口からは鋭い牙が覗き、その赤色が何の物かは想像もしたくない。

「どうする、ユナ」

「……位置と数を記録、陸軍で対処できる規模だし、弾薬と燃料は温存を、」

 主な任務はあくまで制空。地上の脅威の排除はおまけ。

 だが、そこまで言ったところで。

 それと目が合った。

「―――っ!」

 口を血に染めたグレンデルと?否。

 その足元で微かにその手を動かし、虚ろな目でこちらを見上げる肌色の顔と。

「アンナ、援護お願い!」

「え?」

 低空飛行とはいえ、上空数十メートルだ。本当に動いたのか、目が合ったのかの確証はない。ただ、そう見えた時点で見なかったことにしてしまえるわけがない。ただの気のせいかもしれない――それが「かもしれない」である時点で、その可能性は言い訳にすらなれない。

「シエラリーダーより各位」

 無線を飛行隊無線に。機体の制御モードを巡航モードから高機動モードに切り替え。

「グレンデルを確認、対地戦闘に入った。カバーを要請する」

「ああ、そういう。……了解」

「助かる」

 アプローチのため一度距離と高度を取ってから、機体をロールさせて降下。

 グレンデルも硬い鱗を持つとはいえ、せいぜい刃物や低威力の銃弾を防ぐ程度。20ミリの貫通力でも十分に効果があるが、足元に生存者がいる可能性がある状況では機関砲をばら撒くわけにもいかない。主砲で確実にモンスターだけを撃ち抜く必要がある。有翼機と比べて低速な半飛行船といえど、速度は時速数百キロ。竜種などに比べて圧倒的に小さな目標を撃ち抜くのは容易ではない。が、それはこれが普通の航空機ならの話。

 エリアドネ王立空軍制空戦闘艇、Jh119―C 、通称ヴェスペ。スズメバチの名を冠したその半飛行船の名の由来は機首下面から突き出す長砲身50ミリ砲のみではない。

 長射程で広範囲を面で制圧する反則じみたブレスを持つ竜種との戦闘を想定したヴェスペは、その設計思想からして他国でみられるような同族殺しの空対空戦闘を主眼とした戦争用の戦闘艇や戦闘機とは一線を画する、近接戦闘用の戦闘艇だ。距離があるとブレスが広がって回避できないのなら、敵のすぐ近くでその首が回るより早く動けばいい。そして、それを可能とするのが、半飛行船ゆえの軽量さと小さな翼面積、機体各所に設けられた一液式スラスタ。

 それによって、ヴェスペは空力的な制御では不可能な圧倒的な機動性を得ている。

 例えば、空中で一時的に静止するような。

 足元の生存者への被害を避けるため直上からの砲撃は避け、低空を這うように接近。危険を察知したのか逃げ始めたグレンデルに近づいたところで、スラストリバーサーを稼働し制動、スラスタで強引に前転のように機首を下げ機体の空気抵抗でさらに減速。逆噴射の推力で機体を支え、上面のスラスタを噴射したことで一瞬だが速度がゼロになる。

 本当に一瞬。ただ、ヴェスペをも凌ぎうる化け物じみた機動性を誇る竜種を相手どるのに比べれば、川に逃げ込むべく地を這うグレンデルなど静止目標にも等しい。一瞬あれば十分。

 機首をうごめく黒い影へ。冷たい川辺の地面の上の、グレンデルの体温をFCSに組み込まれたセンサーが検出。ヘッドアップディスプレイに表示された照準環が、諦め悪く獲物を引きずるグレンデルに重なる。上下左右に限定的な可動域を設けられた主砲が追従し、照準。

 撃発。砲身内で加速された50ミリの徹甲弾が、斜め上から寸分違わずその胸元を撃ち抜く。

 想定敵である竜種より圧倒的に薄い鱗と肉に、信管は作動しない。本来ならモンスターの肉や組織を内側から引き裂くための炸薬は仕事をせず、グレンデルを撃ち抜いた砲弾はその後ろの地面へ突き刺さる。

 だが、十分。砲弾の上げる微かな土煙に、千切れて宙を舞うモンスターの半身。それを見届ける間もなく、ユナは再びスラスタを噴射。機体が重力に捕まる前に空中で半回転するようにして機首を空へ向け、逆噴射を解いたエンジンの推力で強引に上昇する。

 それとほぼ同時にもう一つ、こちらは連続した発射音。

 先に逃げていた残りの個体を、アンナの機体の機関砲が容赦なく引き裂く。

「ごめん、一頭取り逃がした」

「了解、私がやる」

 機体を立て直し、改めて地上へ目をやる。

 無傷とはいかなかったのか、川の深みへと逃げるグレンデルの後ろには赤い血が緩やかな流れに線を引いていて。

 それを前触れも無く水飛沫と共に飛び出した魚のような「何か」が水中に引きずり込んだ。種類までは分からないが、恐らくはまた別の水棲のモンスター。しばらくもがくように水面が乱れた後、十秒ほどでぷつりとまるで何もなかったかのように静かになる。

「えぇ、あんなのまで入り込んでんの」

 無線から漏れるアンナの呆れたような声。

 ユナも一瞬呆けてから、そもそも何のために来たのかを思い出す。

「着陸する。生存者がいるかも」

「了解、けど上空警戒もあるしソルたちを待った方が」

「なら上空警戒はアンナがして。私はとにかく着陸する」

 返事も待たずにユナは操縦桿を押し込み、降下する。

「あー、分かったよ。なら私も降りる。ここで一人は危ないって」

 あの民間人がまだ生きているのなら、一分一秒たりとも無駄には出来ない。

 

 

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