第2話


 エリアドネ連邦王国。複数の州からなる立憲君主制の王国。他国からは軍事国家と評されることもある、世界有数の軍事力を誇り、臣民皆兵を国是とし、国内外の各地に軍を展開している、世界最大の平和主義国家だ。

 勿論、建前としての話ではない。誰もが歴史の授業で習うように、連邦王国は主権国家として確立して以来一度たりとも戦争状態に陥ったことは無く、主権国家として本来持つ宣戦布告の権利も憲法で放棄している。無論、戦争をするための各種の法整備も行われていない。

 代わりに王立軍が各地に抱える182の戦域で展開しているのが、モンスターに対する防衛線だ。世界最大級の規模ともされる王国の軍事予算は、全てが古来より人類を脅かしてきたその圧倒的な存在から、後方の人民や友邦を守るために使われている。ノブレス・オブリジュ、即ち高貴たる者の義務。もしくは、権利と責務。それが封建制の旧王国時代から引き継いだ連邦王国の基本理念だ。貴族制であったかつては貴族がその特権の引き換えに戦場に立ち、立憲君主制となった現在は王国臣民がその臣民たる権利と引き換えに人民を外敵たるモンスターから守る義務、つまるところは従軍義務を負う。

 そして連邦王国の平和主義を支えているのが、その対モンスターに特化した潤沢な予算を誇る王立軍だ。公式に謳われている文言を借りるのならば、「騎士団外交」。派遣された王立軍が各国の防衛線を部分的に支えることで、利害の一致を生み近隣諸国と友好的な関係を維持している。今回の防衛委任も、恐らくその一つだ。軍事国家と言われる所以も、そこにある。

 逆に言えば、だからこそ王立軍は潤沢な予算を確保できている。持てる者として人類を外敵たるモンスターから守るという疑いようのない大義名分があるからこそ、どこにも遠慮することなく予算を確保できる。人類同士で殺し合いをするために作られた他国の軍とは違って。

 が。王立軍にだって日陰の部分がないわけではない。いや、正確には王立軍ではないのだが、連邦王国の軍事組織と言う点では。

「まあ、やっぱそんなもんだよね」

 食堂での食事も終えて外も薄暗くなり始めた時分。

 適当な理由をつけて隊員たちと別れたユナが一人呟いたのは、西部方面第七前線基地の本来ならユナたちには用のない区画である。

 建物の外見こそ大差ないものの、明らかに必要最低限の設備で済まされている内装。壁紙や塗装のなされていないコンクリート打ちっぱなしの壁に、蓋いも無くむき出しの蛍光灯。埃の積もった四角い箱は、恐らくは放送用のスピーカー。時たますれ違う人は、ユナの王立空軍士官の制服を見るなり顔を顰めて視線を逸らす。先程までのような喧騒は無い。

 第七前線基地の建物のうち、連邦王国予備軍用の物であった。

 わざわざ隊員たちと別れて来たのはここに来たのが個人的な都合と言う点もあるが、それだけではない。貴族が戦場に出ていた騎士団時代からの流れを汲む王立空軍とは違い、予備軍は指揮系統からして正規軍たる王立軍とは別の組織だ。後方業務や予備戦力、或いは雇用確保の意味合いが強く基本的に前線に出ない予備軍が、「権利と責務」を基本とする連邦王国でどのような位置づけにあるかは言うまでもない。

 そんなところなので、正式にアポイントメントを取って来たわけではない。別組織ではあるが入るなと言われているわけではないし、ただ建物の中をふらついているだけ。

 では何のために、と問われるとそれはユナにも分からない。

 願掛けか、自己満足か、はたまた勝手な感傷に浸るためか。

 どうせ何も入っていないと分かっていても、つい郵便箱を覗いてしまうような。

 なので、無機質な扉の一つから出てきたその姿は完全に不意打ちだった。ユナだってそれをどこかで期待していたはずなのに。

 目が合う。相手の目が見開かれる。驚きの、その裏にある感情までは読み取れない。

「……ノア?」

 咄嗟に漏れた呼び慣れた、けれど久々に口にするその名はひどくぎこちなく聞こえて。

 肩下ほどの黒髪の、ユナと同じくらいの年頃の女性。三年ぶりに目にしたその姿は記憶の中のものと変わらない。纏う制服は予備軍のもので、唯一そこだけが記憶と異なる。

「王立軍の部隊が来るらしいとは聞いてたけど、そっか」

 ノアは数回瞬きを繰り返した後、軽い笑みを浮かべてそう言う。

「ユナの部隊だったか」

 後ろ手に扉を閉め、廊下の壁際に寄るようにユナに手招きする。

 人気のない廊下で二人して壁際によって、ノアが再び口を開く。

「大体三年ぶり?」

「だね。三年半ってとこかな。元気みたいでよかったよ」

「ユナも生きてたみたいで安心した」

 その屈託ない笑みにほっとして初めて、ユナは自分が軽く身構えていたことに気付く。そのまま何に身構えていたのかに思考が及びそうになり、それを無理矢理止めた。

「派遣されてきたって事は、艦隊所属?」

「そうだね、第十七航空団。まあ、今は母艦じゃなくてこの基地配属だけど」

「すごいじゃん。防空隊だったあの頃とは大違いだ」

 かつての事にノアが先に言及してくれたことに安堵している自分に軽い嫌悪感を覚えつつ、ユナは「おかげさまで過労気味だけどね」と答える。

 そう、機種転換前の防空隊時代。何ならその前の訓練生時代。そこで使われていた今や旧式となった複座戦闘艇で、ユナの操る機体の砲手を務めていたのがエレノアである。ノアと言うのは、そのエレノアと言う名の愛称。純粋な飛行時間では分からないが、共に飛んでいた年数で言えば機種転換後より長いはずだ。

 つまり、今ユナの横で予備軍士官の制服に身を包んでいるノアは、かつては王立軍人だった。

 予備軍という組織には王立軍から独立した組織である他に、もう一つの特徴がある。

 連邦王国を構成する数多の州は大きく二つに分けられる。本来の領土であり強固な王立軍によって守られる中核州と、王国属領であり防衛線の前後によって戦火に呑まれることのある戦域州。本来なら戦域州に人を住まわせるべきではないのだろうが、安全な中核州だけで人口を賄う事は不可能。必然として戦域州に人を住まわせ、その安全のために防衛線を押し上げ更に戦域州が広がる。これが制度や名称の差こそあれ、人類規模で繰り返されている循環である。

 そして予備軍の特徴というのは、主に臣民、即ち中核州の出身者で構成される王立軍とは対照的に、主に戦域州の出身者で構成されるという事だ。王立軍人は前線に立つことの対価として臣民たる権利を得て、予備軍人は前線に出ない代わりに臣民たる権利を持たない。

 ノアの出身は戦域州。

 軍学校での成績が優秀だったノアは、ちょうどその時期王立空軍が兵員不足に陥っていた事もありユナと共に正規軍に配属された。しかしその後、FCSを備えた単座戦闘艇の導入で砲手が廃されたことで、予備軍に転属されて今に至る。

 中核州から戦域州に移住した「入植民」の両親を持つユナも、育ちこそ戦域州だが生まれは中核州で、その両親も戦火で世を去り現在は中核州に住む親戚に後見されるれっきとした臣民。

 ユナは王立空軍に残り防空隊から艦隊航空隊に格上げともいえる転属を受け、一方でノアは敢えてそう言う言い方をするのなら、王立空軍から追い出された。

 その点について、思うところがないわけではない。

 なので、何となく「そっちは何してんの?」と聞いてしまってからユナは後悔した。

 それを知ってか知らずかおどけた敬礼をしたノアは、けれどきちんと爪先まで揃えて名乗る。

 まっすぐ胸を張って、はっきりと。

「西方予備軍団第28予備航空団第一特殊飛行隊隊長、エレノア・テラ予備少尉」

 そのまま一呼吸おいてから、ノアは敬礼を崩した。

「防空隊で最終的には隊長機の砲手をやってた経験が活きたらしい」

 肩をすくめて言うノアに、ユナも崩した王立軍式の敬礼を返す。

「西部方面艦隊第十七航空団レンツ戦闘飛行隊隊長、ユナ・レンツ中尉です」

「隊長、ははっ、艦隊航空隊の隊長か。これは負けた」

 言葉とは裏腹に嬉しそうに笑うノア。

「うまい事やってるみたいでよかったよ」

「まあ、戦死戦死で繰り上がっただけなんだけどね」

 あと何かあるとしたら、独断専行しない従順な「優等生」な若造は、経験豊富故に自己判断の多いベテランに比べて扱いやすいからか。

「じゃあ同類だ」

 ノアが視線を窓の外に投げ、つられてユナもそちらを見ると控室からも見えた土色迷彩の戦闘艇。ユナたちの機体には刻まれている王立空軍の紋章は無く、色合いが違うせいもあってまるで別の機種かのようにすら思える。

 いつもの癖で機体をなんとなく観察しようとしたところで、横に並ぶような位置に移動したノアの頭がその視界を遮る。

「ところで、なんでわざわざこんなとこまで?」

「ん?まだ詳しい話は聞いてないけど防衛線の引継ぎとか」

「あー、うん。それはそうなんだろうけどさ、そうじゃなくて」

 すこし歯切れ悪く言い淀んで、ノアは続ける。

「なんでわざわざこっちの施設まで?」

 用があるはずも無いのに、と言外に。

 別に他意はないであろうことは見れば分かる。これが偶然すれ違った予備軍人に言われていたならば幾らか別の意味が生じていただろうが、肩が触れ合う距離で軽い笑みを浮かべるノアが尋ねたそれに文字面以上の意味は無い。

 答えようとして、口を開いたところでユナの動きが止まった。

 何と答えるというのか。もしかしたらここに来たら三年間会ってなかった昔の相方に会えるかもと思ったからと?言えるわけがない。流石に。

 言いかけて口を半開きにしたまま固まったユナに、しかしノアはやはり笑みを浮かべたまま。

「ひょっとして私がいるかもとか思った?」

 違う、と咄嗟に嘘をつけないのがユナの性格が災いした。

「あ、えっと、まあ」

「そっか。それは嬉しいな、ほんとに」

 ノアの顔がほころぶ。遠くを見るような、少し力の抜けた横顔。

「てっきり忘れてるかと思ってた」

 その横顔に、胸の内に居座っていた羞恥心もすっと溶ける。

「まさか。そんな薄情だと思われてたんなら心外だね」

「冗談。でも、わざわざそっちから来てくれてるとは思わなかったな」

「それは、」

「こんな所に来てたらなんて言われるか分かったもんじゃないのに。艦隊航空隊の隊長が、予備軍の施設なんかに」

 その笑みを浮かべたまま。今度は、あからさまに含みを持たせてノアが言う。

 流石にユナも少しむっとした。少し語調を強めて反駁する。

「こんなとこって、別に行き来は禁止されてないはずだよ。ノアだって軍から追い出されただけだし、変なこと言われる筋合いは無いでしょ」

「……ふっ、やっぱり。変わってないな、ユナは」

 それにノアが声を上げて笑って答え、それでようやくユナはノアに乗せられていた事に気付いた。ノアは何がそこまで面白いのか、手の甲で目尻まで拭っている。

「ねえ」

 じっと目を細めてノアの顔を覗き込む。

「ごめんって。ちょっと言ってみたくなっただけ。それっぽいでしょ」

「それっぽいって。悪趣味って言われない?」

「言われない、生憎こっちはどういう訳かひねくれたのが多いから」

「ノアはそっちに行って何か変なのに染まったんじゃない?」

「ひょっとしたらそうかも」

「自覚あるんだね」

「そりゃあもちろん。何もかもが違うからね、そっちとは」

 真面目なユナには合わないかな、と言ってノアは笑う。

「へえ、例えば」

 何の気なしに尋ねた。話の流れで。

 昔のように話をして、ユナも少し油断をしていたのかもしれない。

「いろいろ、ほんと。別に一概に悪いって訳でもないけど」

 そう言って、ノアが浮かべるのは色々なものを無理やり纏めたような表情で。

 ユナが返す言葉を選びかねてるうちに、ノアはそれまでの表情が嘘だったかのような笑顔に戻って続けた。

「せっかく久しぶりに会ったんだしまだゆっくり話したい気分だけど、明日から面倒な任務があるんだ。ユナのほどじゃないけど、ちょっとした派遣任務。慣れない仕事でいろいろしなきゃいけないことがあってね。そろそろ戻らないと」

 適当な理由をつけて話を打ち切られた、と取れなくもない。ユナの頭にもそうかもしれないという考えは浮かび、けれどまあ別に気にすることでもないだろうと結論付ける。実際軍人は休暇でもない限りそう暇ではないし、何よりユナはノアを信用している。もしノアがこれ以上話したくないんだとしてもそれにはきっと相応の尊重すべき理由があるんだろう、と。

「あーごめん、忙しかった?」

「まあまあ。けど予備軍の仕事なんて三年ぶりにあった戦友と立ち話も出来ないほど大事なものでもないから気にしないで」

 戻るのが遅れたのはお腹でも壊したことにして誤魔化すよ、と学校をサボる子供のように悪戯っぽく笑ってノアは持たれていた壁から身を起こす。

「じゃあね。会えてよかったよ」

「こっちこそ」

「次会うのは何年後かな。一年後か、また三年後か、もしかしたらあの世かも」

「そうだったらきっと私が待ってる側だね」

「さあ、どうだろう。予想出来たら苦労はしないさ」

 ひらひらと手を振って背を向ける。

「お互い生きてたらまた会おう」

 また当分会うことは無いだろうと暗に言うように。当たり前と言えば当たり前だ。王立軍と予備軍は基本的に接点を持たない。むしろ共同使用になっているこの基地がイレギュラーだし、共同使用だからと言ってこうやってふらふらとやって来るユナもイレギュラーだ。

 去ってゆくその背中を見届けてから、ユナも予備軍の施設を後にする。

 数年ぶりに戦友の顔を見れた事、そして以前と変わらないように話が出来た事に、心なしかユナの歩みは軽くなる。

 建物から出て広がるのは、予備軍側の格納庫と整備場。充満する、嗅ぎ慣れた燃料と火薬の匂い。王立空軍とは対照的な簡素な格納庫の方に目をやったが、もう見慣れぬ土色迷彩の戦闘艇は居なくなっていた。

 

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