第一章 王立空軍

第1話

「第十七航空団所属レンツ戦闘飛行隊、到着しました」

 エリアドネ連邦王国王立空軍西部方面第七前線基地の司令官室。

 無骨な飛行服のまま綺麗な王立軍式の敬礼をし、ユナは眼前の相手に目を合わせる。

 流れ作業のようにサインをしていた書類から顔をあげたのは、この基地の基地司令その人。面倒くさそうに手にしたペンを置き、椅子から立ち上がって右手を差し出す。

「ああ、こんな僻地まで長旅ご苦労様です。別に私の隷下に入る訳ではないんですから、わざわざ来ていただかなくても良かったのですが」

「いえ、補給などでお世話にもなりますし。あと、中尉風情に敬語はやめていただけると」

「なに、確かに階級でこそ私が上ですが、所詮はこんな前線基地の司令。王立空軍の花形である艦隊航空団、その飛行隊隊長を部下でもないのに邪険には出来ますまい」

 慇懃に言うその様子に嫌味や皮肉と言ったものは感じられない。が、見た目五十は超えていそうな中佐が二十五にも満たない中尉に本当に謙遜しているわけではないだろう。あるとしたらユナのその更に上――例えば航空団司令だとか艦隊司令とか――に向けて。

 それにしてもその飛行隊隊長も航空団には20人近くいるんだけど、とユナは胸の内で思いつつも愛想笑いをして短く交わした握手を解く。挨拶はもう済んだ。

「もし何か不便がありましたら、私まで。正規の基地には及びませんが出来る限りで対応はいたします」

「お気遣い感謝します。では、失礼します」

 軽く礼をして部屋から退出しようとしたところで、背中から声が掛けられた。

「ああ、それともう一つ。細かいことについては管理科から話があると思いますが、当基地の敷地は予備軍との共同使用です。だから何とは言いませんが、一応改めて伝えておきます」

 ドアノブに掛けたユナの手が、一瞬止まる。後頭部でまとめられた銀の髪が、小さく揺れた。

「……そうですか」

 扉を開け、もう一度礼をして部屋を出る。

 もしかしたら、と呟いた声は誰に聞かれることも無く散逸した。

 

 

 前線基地とはいえ、連邦王国の顔である王立空軍の基地は基本的に充実している。

 もちろん軍事や生活における機能的な面もあるが、王立軍の各軍が毎年手にしている莫大な予算の行き先はそこだけに留まらない。

 まるで中核州のどこかのオフィスのような小奇麗な通路を行き交うのは、まるで街で友人と買い物をしているかのように明るい笑みを浮かべた若い士官や兵士。少し広くなったところでは、見覚えのあるカフェのロゴが入ったマグカップを片手に談笑する中年士官。

 それらを横目に通り過ぎ、これもまたさりげない装飾のあしらわれた故洒落た扉を開けると見慣れた顔がユナを出迎える。

「おつかれー、ユナ。悪いね、挨拶任せちゃって」

「そういう決まりだから仕方ないって。もうそっちの手続きは済んだ?」

「完全にお客様扱いだからね。形だけだよ」

 西部方面艦隊からの派遣という事で、わざわざ第十七航空団の飛行隊にだけ用意された控室。ご丁寧に電気ケトルとティーパックまで置かれたその部屋で、椅子の上から上半身だけ捩じってユナの方を向く明るい茶髪の彼女は、配属の事務手続きに行っていた三番機のアンナ。

「ソルとクルトは?」

「基地を見て回るって出てったよ」

 さっと見て、足りない顔がいくつか。その見当たらない男性陣の事を尋ねたユナに、アンナの向かいで国営放送である王立放送局の流れるテレビに興味の無さそうな視線を投げていたこちらは五番機のイレーネが答える。こちらはアンナとは違い、黒い髪に女性としては高めの身長。ユナの髪色も含め、レンツ戦闘飛行隊の女性陣は遠くからでも見分けやすいとよく言われる原因である。無論、地上での話だが。

 あんだけ飛んだ後に元気だねー、と呟くアンナに適当に相槌を打ち、ユナは搭乗中から上げたままだった髪を下ろして壁際の無駄に柔らかいソファーに腰を下ろす。

 本来は即応担当の飛行隊の控室だったのだろう、白い長方形のテーブルの周りに並ぶのは八つの椅子。壁にはホワイトボードが埋め込まれ、ブリーフィング用と思われる機体を表す鋭角二等辺三角形のマグネットが八つ張り付けてある。

 そう、足りない顔は別に基地探索に出かけた二人、ソルとクルトの二つだけではない。

 第十七航空団所属レンツ戦闘飛行隊。王立空軍母艦航空団の伝統に漏れず隊長であるユナの姓を冠したこの飛行隊は、現在五名で構成されている。

 王立空軍の戦闘飛行隊の定員は八名。欠番は、四番機と六番機、それに八番機。

 王立軍で部隊が定員割れをしている場合、懲戒免職でも食らっていない限り理由は限られる。後方へ搬送されたか、戦死か。そして可燃性の浮揚ガスを腹に抱えた半飛行船を駆る戦闘飛行隊で、重傷を意味する「後方搬送」となるのは非常に稀だ。

「ユナ、紅茶飲む?」

「淹れるの?」

「そ。どうせ用意してくれたならありがたく頂こうってね」

「ならお願い」

 レンツ戦闘飛行隊が八名編成から七名編成となったのは随分前の話。だが、七名編成から五名編成となったのは、僅か四日前。半年近く共に飛んできた七機だった。けれど、電気ケトルの前でティーパックの封を開けるアンナの顔にそれを窺わせるものはない。イレーネと、ユナにも。主に機動防御を担い激戦区へ投入される第十七航空団の戦場では、そんなありふれた悲劇を何日も引きずっていては自分の命に関わる。

「一応聞くけどイレーネは」

「私は要らない」

「だよね。じゃあちょっと待ってね、ユナ」

 アンナがティーパックをお湯に浸し、待つこと目算二、三分ほど。椅子から立ちたくないアンナからイレーネの手を経由して渡されたティーカップを受け取ったユナは、備品の缶入りクッキーをつまんでから控室の大きな窓から見える陽の傾き始めた景色に視線を投げる。

 軍の基地だという事を忘れさせるような控室だが、決して王立空軍が形骸化しているというわけではない。むしろ、必要な物をすべてそろえた上でまだそこに回せるだけの予算的、そして補給的な余力があるという事。その証拠に、外には舗装された着陸滑走路が方位を変えて三本。一般に未舗装の滑走路が一本という事も珍しくない前線基地としては破格である。

 その短い滑走路に着陸するのは、哨戒任務を終えた戦闘艇や訓練を終えた攻撃艇。着陸後に先程ユナたちも駐機した格納庫へ向かう白い高空迷彩の機体は見慣れた王立空軍のもので、それとは別の格納庫へ向かう土色の見覚えのない迷彩を纏った機体はおそらく予備軍のもの。

 二機種のいずれも、小型化によって不足した浮揚ガス、即ち水素による浮力を、安定翼を含む機体全体で稼いだ揚力で補って空を飛ぶ半飛行船だ。小さな安定翼に、太い胴体。太った、或いはデフォルメされた有翼機のような形状こそ、気嚢がゴンドラを吊り下げる古典的な飛行船とは掛け離れたものだが、系譜としてはあくまで有翼機の技術を取り入れた飛行船。

 そしてそれゆえに、同規模の機体で比べると、揚力のみに頼る有翼機と比べて短距離離着陸性能に優れる。窓の外に見える滑走路が短いのはそのため。もっとも、それに慣れたユナたちにとってはむしろ民間の飛行場で見るような有翼機用の滑走路が無駄に長いだけなのだが。

「随分熱心に見てるけど、どんな感じ?」

 すぐ側で発された声に滑走路をぼうっと眺めていたその意識を引き戻され、声のした方を向くといつの間にか隣にまでやってきていたアンナだ。

「機体更新結構進んでるんだね。ここも大体が置き換わってる」

 何がとは聞かれなかったので、ユナは丁度思っていたことをそのまま口に出す。滑走路を行き交う戦闘艇は、おおよそがレンツ戦闘飛行隊も使っている単座の機体。火器管制システムの導入で砲手を廃し機動性を向上させた連邦王国の最新鋭機だ。三年前に機種転換するまでユナも使っていた複座の旧型機は、格納庫に数機が見えるのみ。ユナたちのような艦隊航空団と違って前線基地の防衛線部隊はどうしても優先度が低くなることも考えると、それだけ新型機に対する上層部の評価が高い事がうかがえる。性能が良かったのか、運用費が安かったのか、はたまた撃墜された時の人的損失が半分になるからか。

 が、アンナはきょとんとしたような顔をすると軽く笑って。

「いやそうじゃなくてね」

「じゃあ何?」

「いわゆる練度ってやつ?まあ前線基地だから中核州の基地みたいに新兵ばっかりって事はないだろうけど」

 それを知ってどうするのだろうか。基地司令に意見でもしに行くのか。それにそもそも。

「自分で見ればいいのに」

「別にそこまでするほど気になってる訳じゃないし」

 なんだただの好奇心か、と判断したユナは雑に答える。。

「ま、普通なんじゃないかな」

 雑ではあるが、別に嘘ではない。

 もちろんユナだって教官でもエースでもないので離着陸を眺めていただけで偉そうなことは言えないが、元から配備されている部隊の練度は恐らく悪くない。否が応でも実戦に晒される前線基地なのだから当然と言えば当然だ。予備軍らしき機体には変な癖のようなものも見えるが、あくまで基本的に前線に出ない予備戦力である彼らの練度が王立軍より劣るのも自然な事。もしくは、機種転換が正規軍より遅くてまだ慣れきっていないのか。

「そりゃよかった。けどまあ、私たちが飛ばされたって事は劣勢気味なんでしょ。寝てる間に防衛線崩壊してましたなんてのはやめて欲しいね」

 冗談めかして言うアンナだが、実際内容はさほど冗談ではない。王立空軍がそう簡単に基地を失うことは無いが、失わないわけではない。寝ている間に、なんて経験は流石に無いがユナも配属先で基地を放棄して撤退した経験は何度かある。そして機動防御として派遣されるレンツ戦闘飛行隊にとって、それは任務の失敗を意味する。防衛線が崩壊したその時、ユナたちが飛んでいたかどうかに関わらず。

 そういう訳で普段だったら少し反応に困る冗談なのだが、今回に限ってはユナは軽く笑ってアンナの懸念を否定する。

「それは大丈夫だと思うよ。ここには防衛線力として派遣されたわけじゃないから」

「あれ、そうなの?」

「詳しい話までは聞いてないけど、今回は共和国軍からの防衛線の引き継ぎだって。私たちは伸びた防衛線に張り付ける部隊が来るまでの繋ぎって訳」

「それってこれのこと?」

 ずっと黙っていたせいで寝ているか起きているのかも分からなかったイレーネが、そう言って国営放送が垂れ流されているテレビの画面を指さす。ニュースと思しき番組で、テロップにでかでかと書かれているのは「数十年に一度の大規模防衛線移管」の字。そんな規模だったんだ、と他人事のように思いながらユナは「多分ね」と肯定する。

 画面の中で淡々と原稿を読み上げるキャスターの襟元に光るのは、王国公務員であることを示す王国の紋章を刻んだ襟章。背景のスタジオに立てられているのは、国旗と違って公式な国家機関しか使用を許されていない王国王室の旗だ。なぜ国家機関なら使えるのかと言えば、それは連邦王国の国家機関は形式上総じて王室が所有しているものとされているから。

「我がエリアドネ連邦王国は西方で国境を接する隣国メルシア民主共和国からの要請を受け、共和国との国境のある西部方面の第七から第十五戦域地区へ王立空軍を追加で派遣することを決定しました。派遣された精鋭の王立空軍部隊は撤収した共和国軍に代わり隣人たる共和国人民の盾となり、既に先行部隊は共和国から防衛を引継いだ地域に新設される第一八三から一九四の十二の戦域地区でその任に着いています」

 戦域地区と前線基地の番号は対応している。流石に部隊名までは出ていないが、ユナたちのことで間違いはないだろう。大方、先行部隊というのも同じ第十七航空団の別の飛行隊の事か。

 ニュースを読み上げる声が終わり、背景にどこかの演習の映像を流していた画面が切り替わってカメラがスタジオに再び戻る。スタジオのモニターに、王国の国旗が映し出される。

「それでは、エリアドネ連邦王国王立軍、本日栄誉の戦死をされた方をお知らせ」

 ぷつり、と小さな音と共に画面が消えた。別に停電だとか電波障害だとかではない。電源ランプが緑から赤に。単純に電源が切られただだ。

「戻った」

 リモコンを机に置く音と共に、控室の扉の方から声。そちらを向けば、リモコンを片手に持った七番機のクルトである。アンナの言っていた通りなら基地探索から帰ったのだろう。それならばもう一人、と思ってやはり。

「あー、戦死発表の時間だったか」

 クルトの後ろから現れるのは、二番機のソル。後ろ手に扉を閉めて、苦笑いのような表情を浮かべる。

「なにも前線基地で流さなくてもいいんだけどな」

「戦死は王立軍人の誉れ、なんでしょ」

 背を向けたまま肩をすくめて言うイレーネに、クルトは鼻で笑う。

 ユナとアンナもこれについては同感。誉れにしろ、栄誉の戦死にしろ、なにも放送電波に乗せてご丁寧に一人一人名前を読み上げて欲しいとは思わない。まあそうはいかないのが、貴族が戦場に出ていた騎士の時代から続く王立空軍の体質というやつなのだが。

 見かねて話題を変えたのはソルだった。

「ま、それよりちょっと早いけど飯でも食いに行こうか。管理科の人たちが言うにはあと三十分もすれば哨戒に出てる奴らが戻って混み始めるとさ」

 もう皆二十歳を超え三十路近い者もいるとはいえ、まだまだ若者の部類に入る軍人たちだ。それに加え、何時間もの長距離飛行をしてきた直後と来ている。戦死発表だって、毎日この時間には放送されている珍しくも何ともない行事だ。場の空気は、一気に食事の話に傾く。

「ここの食堂は大丈夫だよね。この前のところみたいに腹に溜まらない高級料理ばっかりだったりしないよね」

「流石に前線基地だし大丈夫、じゃないかな。あそこは艦隊司令も入ってた基地だったし」

「まあ、行ってみてのお楽しみさ。お客様扱いみたいだし、多少いいものが出るのを期待してもいいんじゃないか」

「そのいいものが腹に溜まらないと意味が無いんだけどねー」

 言い出しっぺのソルを先頭に総勢五名、レンツ戦闘飛行隊の搭乗員達はそんな取り留めも無い会話を交わしながら夕食にありつくべく控室を出る。昨日までも、明日からも戦場を飛ぶ戦闘飛行隊の搭乗員が、まるで学生が学食へ向かうかのように。いつものように。

 そう、別にこうやって毎日戦闘艇が空を舞い、戦死発表が電波に乗るのは非日常ではない。軍人たるユナたちにとってはと言う意味ではなく、この王国全体にとって。

 当たり前と言えば当たり前だ。別に今は戦時ではない。いつも通りの「平時」なのだから。

 

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