第36話 雷光(1)

 ――ラブリスを乗せた飛翔兵器が射出される。


 エドガーは知っていた。

 無線標識を乗せた時、残弾は数えている。


 トビウオは今ので、最後。


 最初から、エドガーが脱出するためのものなど、残ってはいない。


『よし姫さんOK で、どうするんだ。相棒は』


 発射管の振動に、敵兵士たちが異変を知った。

 小走りに、距離を詰めてくる。ほどなくして、囲まれるだろう。


「とりあえず、捕まってみようかと思うんだ」


『大丈夫か? 殺されない保証なくね? いきなり撃たれたりして……』


「無抵抗の相手撃たないでしょ……、撃つかな?」


『しらんよ。相棒の方が人間に詳しいだろ』


 緊張感に欠ける会話である。

 ラブリスを逃がした事で、エドガーの心は穏やかだった。


 そうこうしている間に、兵士たちは彼を拘束する。


 殴られ、床に組み敷かれた。いくつもの銃口がエドガーに向けられる。


 殴られた痛みに耐えながら、無抵抗の相手にあんまりだなぁなんて思っていた。


 口の中に血の味が広がる。痛いのは苦手なんだけど。と考える。


「王女だけ逃がしたか……」


 やってきたベンメルは、床に這いつくばるエドガーを見降ろした。


「よくもコケにしてくれたな、エドガー……」


 ベンメルの顔には静かな怒りが浮かんでいた。


 彼からしてみれば、こんなはずではなかったのだろう。


 完全な不意打ちで辺境の基地を占拠するだけの作戦だったはずだ。


 それがこんなにも手こずるとは……


「そんなに怒らないでよベンメル少佐。でもあなたが悪いんだ。俺の居場所を奪おうとするからさ」


「ふん……、島の頑強な抵抗もお前の仕業か?」


「うん。ちょうど新兵器の開発をやっていたんだ。どうやらそれが役に立ったみたいだね」


「ちっ……、忌々しいやつめ」


 ベンメルは組み敷かれたままのエドガーの頭を踏みにじる。

 床に打ち付けられた顎が痛む。


「貴様だけは逃さぬ。徹底的にいたぶってやろう。王女はどこへ逃がした」


「ぜったい……言わな」


 ――い。そう言い終わる前に、側頭部を蹴られた。


 エドガーの視界に星が飛ぶ。一瞬ブラックアウトした視界が、ぼんやりと戻る。


「ふん」


 二度、三度と蹴られる。

 エドガーを拘束していた兵たちも離れ、上官が行うリンチを見守っていた。


「まったく、忌々しい。貴様のせいで、私はすでに随伴艦を2隻失ったと、いうのに」


「ぐ、う、い――」


 蹴られながらも、エドガーは彼をにらみつけた。


「ははは、みんなにやられたんだ? いい気味――ぐぅ!」


 ひときわ大きく蹴り上げられて、床を転がった。


 ベンメルのそばを離れたことで、一斉に銃口がエドガーに向いた。


「坊ちゃん、捕虜をあまりいたぶるのは」


 黙ってベンメルに付き従っていたオーウェンが苦言を呈す。苛立ちも分かるからこそ、できるだけ口出しは控えていたが、どう見ても主は頭に血が上っている。


「黙れ。オーウェン。私は非常に頭にきている」


「ははは、部下にまでお小言言われるなんて、ざまないよね」


「うるさい!」


 煽るエドガーに、ベンメルはもう一発けりを入れた。


「ふん。いいことを思いついたぞ。このまま貴様をいたぶり続け、その姿を王女に送り付ければどうなるか」


 それを見せれば、あの女も気がきではいられまい。

 ベンメルは冷酷な嘲笑を浮かべた。


 彼はエドガーにコケにされた。


 こいつだけは許さぬと思っていたし、実際、許すつもりもない。


 だがその前に、王女に対しての揺さぶりに使ってやろうと思っていた。


「いやぁ……、俺なんか拷問したって彼女は動かないと思うなぁ」


 対するエドガー。


 ボロボロの傷だらけになりながらも、挑戦的な笑みは崩さなかった。


 こんなやつに、屈してやるもんか。そう思っていた。


「……お前は王女の男なのだろう? 意味があるかないかは試してみてから決めればよい」


 ベンメルの言葉にエドガーは驚いた。


「え、やっぱりそう見える? ……困ったなぁ。ちょっと聞いてくれる? 最近さ、俺モテるみたいなんだよね。ステラちゃんに続いて、ラブリスにもなんだ。鈍い俺だけど、さすがに分かったよ。でも二人に好かれて、正直選べないんだよね。どうしたらいいと思う?」


 急にのろけだしたエドガーを見て、ベンメルは眉をひそめた。


(――こいつ、正気を失っているのか?)


 実際、死を目の前にして精神に異常をきたす者は少なくない。


「ふん。まだ歯向かうかと思ったが……、いささか興ざめだな」


 ベンメルは部下に目くばせをする。連れていけと命じた。


「え、待ってよ。大丈夫! 正気だよ。それよりももっとお話ししない? いやぁベンメル少佐、極悪人! ほんと嫌なやつだよあなたは!」


「――何を狙っている」


「いやぁ、ちょっとでも俺に引き付けておけば、ラブリスが安全になるからさ」


「は、下らぬ。王女の捜索もすでに命じてある。貴様の小癪な小細工のせいで、いまだ艦のコントロールは利かぬが、もうじきに取り返せると聞いている。残念だったな」


「あら、もうなんだ……」


 エドガーは残念そうに顔をゆがめた。

 艦は島に向かいながら徐々に浮上を続けている。


「あ、そういえば、追い出された時のことだけどさ。俺ってやっぱり気持ち悪い?」


「――貴様。話を聞いていないのか? なぜこの期に及んでそんな話をする?」


 ベンメルにとって、エドガーは異質な存在だ。


 研究局で、遠目に見ていた時も何を考えているのかわからないと思っていた。


 ここへきて、このような問答を始めるエドガーに、やはり気味の悪さを感じていた。


「本当に貴様の考えは理解できん」


 だがまぁ――とベンメルは続ける。


「貴様の能力には多少の敬意は払おう。貴様が去ったあとミラージュを調べた。正直震えたよ。このようなものをよくぞ作ったと」


「わぁ、ほめてくれるなんて意外だなぁ」


「ふん……私とて、隠密部隊という汚れ仕事に手を染めてはいるが、少しばかりの誇りというものは持っている――ああ、それと貴様の手が入った島。あれも称賛に値するな。だが、艦の制御さえ戻れば、時間の問題だ」


 ベンメルはエドガーの真意を測りかねていた。


 なぜこんな意味のない会話をする?


 時間稼ぎだとしても、何があるというのだ。


 艦は制御を取り戻しつつある。一時は島に進路を向けたが、今は停止した。


 このまま、回復を待って、一度離脱することになるだろう。


 ユルシカ島からの救援が間に合う道理も無い。


「この艦、水中にいるんでしょ? すごいね。俺にもこの技術教えてよ」


「貴様が知る必要はない。……もういい、無駄話も終わりだエドガー。気が変わった。貴様のいう通り拷問はやめだ。今すぐ殺してやろう」


 ベンメルは傍らに控えるオーウェンに目配せをした。


 老軍人が部下の兵に指示を出す。もうこれですべて終わりだ。


 ベンメルは、エドガーに対して、不思議な感情を抱いている自分に気が付いた。


 先ほどまでは、怒りが先に立っていた。


 だが、エドガーをとらえいたぶるうちに、次第に怒りも消えてきた。


 その代わりに顔を出したのは、少しばかりの尊敬の念だった。


 順風満帆だった彼をここまで慌てさせたのは、エドガーが初めてだったからだ。


 最終的に自身が勝ったが、一歩違えばどうなったか。


(惜しい男なのかもしれん。だが、殺すという決定は揺るがぬ。こいつは危険すぎる)


 床に転がったエドガーを兵士が乱暴に引き上げた。


 ベンメルの眼前に引き出されたエドガーの眉間に、側近・オーウェンの持つピストルの銃口が突き付けられた。


「さらばだ。エドガー」


 老軍人が引き金に指をかける。


 部下に宿敵を殺させようとしているベンメルの表情には、安堵のほかに少しのさみしさが浮かんでいた。


 だからだろうか。次にエドガーが発せられた問いに答えてしまったのは。


「ねぇ、ベンメル少佐。本当は別の名前なんでしょ? 最後に教えてくれないかな」


 ベンメルは面食らった。


(今から死のうというのに、なんだこの落ち着き方は)


 だが、彼も不思議と名乗ってもいい。そんな気分になった。


「よかろう、冥途の土産だ」


 そう言ってベンメルは――いや、その名は偽名なのだが。


 金髪蒼眼の青年将校は名乗る。


「――ガブリール・クライネフという。特務部隊の大佐だ」


「ガブリール大佐……。偉いんだ。すごいなぁ。俺なんか大尉相当だからさ」


 エドガーはそう言いながら、無邪気に笑った。


「……ところでさ、この艦、そろそろ水上に出るよね? 俺、床に転がってたから音で分かったんだよ」


「それがどうした……」


 制御権を取り返すにあたって現在、艦は手動制御になっているはずだ。


 島からは離れているし、一旦浮上したのだろうが――











「――月光、発射準備は?」

『三分はとっくに過ぎているぜ、相棒』


「オーケイ標的はココ。『オメガ・ケラウノス』発射ファイア



 

  ◆◆◆



 ユルシカ基地の高台に設置された巨砲。オメガ・ケラウノス。


 八八式試作電磁加速砲をベースに、より一撃必殺に特化させた決戦兵器。


 エドガーが発射号令をかけるその直前、全長十八メートルの超ロングレンジ砲身が雷を帯びていた。


「エネルギー充填率一二〇%! いつまで待てばいいんですか! 月光さん⁉」


「もうちょい、もうちょいだぜ、ステラちゃん……」


 別々の場所に、同時存在を可能にする月光の仮想情報端末。


 その一つは、ステラと共に巨大砲の発射場にあった。


(相棒、無茶しやがるねぇ……)


 ベンメルの注意を引きながら、狙撃のタイミングを計る。


 それがエドガーの策。



『そこに相棒の逃げ道、あるのか?』


「当てるところ次第かな? まぁ海上に出てくれれば何とか……」



 ラブリスを送り出したあと、そんな事を言っていた。


 作戦通り、エドガーはベンメルに捕まった。そして、指示を待っている状態だ。


(嬢ちゃんには言えねぇなぁ……)


 彼女には、エドガーは安全な場所にいて、狙撃タイミングを待っていると伝えてある。


 真実を言えば、反対するのは間違いなかった。


 ――そして、その時が来る。


『相棒から号令。ステラちゃんやるぞ。発射ファイア!』


「了解! 発射ファイア!」


 暗闇のドームに包まれたユルシカ基地から一条の雷光が迸った。


 その雷光は、基地を包む闇を引き裂き、遥か大海原の先まで伸びる。


 神のごとく雷は、その余波でもって、ユルシカを覆う闇を雲散霧消させたのだ。


 雷の向かう先には、海面に浮上したばかりの漆黒の艦。チェルノボーグ。


 光が、闇を穿つ。

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