7

『皆さんは、私達に勝てません』


 次々と倒れていく。

 彼らが刻んだ苦渋の反逆が、

 次々と無に帰していく。


『皆さんは私達を、“悪”と呼びました』


 静かに、

 幼子に言い聞かせるように、

 怪物の声が降る。


『けれど私達は、皆さんの安寧を目指すもの。言うなれば善性の存在です』


 世迷言もれ事も、

 それを実行する力さえあれば、

 現実的正義になってしまう。


『皆さん全てが幸せになるにはどうするか、誰も傷つかない世界はどのようにして作るか、それは大きな課題でした。私達が注目したのは、皆さんが「縛られている」ということです』

 

 その存在は話し始める。

 そいつの正しさがそこにある。


『特に“時間”。これが良くありません。過去と未来を認識してしまえば、変えられない事を悔やんでしまえるし、手に入らない物を求めてしまえる。これこそが、人類が陥る「無い物ねだり」の根源であると考えられます』


 それを破壊することが、魔王の使命。


『皆さんにはまず極めて単調で余裕の無い労働を与え思考能力を失って頂きます。この工程の為に必要の無い簡易魔法発動装置を作って頂いているのです。利敵行為をそうと知りながら続ける事に折れた者から生命活動か思考ルーティンを停止します。続いてそれぞれの個性・差異といった概念も忘れていただきます。更に太陽も月も星も見えず日時を客観的に判断することが出来ない状態に居て頂きます。そして世代交代を利用して“時間”そのものを忘れさせていきます。現在は起床から就寝まで私達で管理していますが考える事を辞めて頂ければすぐにでも完全自由化致します。いつ寝ていつ起きていつ食べていつ排泄するのか全て皆さんの思い通りになるのです。勿論最低限の規則として私の外に出てはいけない事や私の許しなく生殖してはならないなどの制限はございます。ですがご安心ください。新たに生まれてくる子ども達は私達に命じられることが当然だと考えるのです。よって自由という言葉が最初から無く従って縛られることも御座いません。呼吸をするのと同じように支配を当たり前に受け入れ深く思考することもありません。昨日の罪を気にして今をないがしろにする事もなければ、明日の不安に憑かれて今日潰れることもありません。これからの生も過ぎ去った死にも心を驚かせず、過度な理想も身に過ぎた絶望もなく、全ての人間に“今此処”があるだけの楽園。私達ならそれを完成させることができます』


 最終目標は、全人類に永遠を与える事。

 時間の無い場所なら劣化する事もない。

 人は、あらゆる悲劇を克服できる。


「だけどそれは、逃げでしかない!」


 徐々に高度が下がる足場。

 削り取られていく激情。

 それでも、彼自身は折れていない。


「僕達は、問題を一つずつ乗り越えて行く!その時が、人が一番綺麗な時なんだ!」

 常軌を逸した怒りを宿し続けている影響か、はたまた大木の操縦権の行使の代償か。何らかの負荷がかかり、脂汗が額を濡らし目と鼻から血を流し、

 彼は、まだ進み続ける!

「お前が、他の誰がなんと言おうと、僕は人間を諦めない!僕は幸せの為なら——」


——地獄にだって堕ちてやる!


『それではどうします?私達の優勢は決定的。皆さんはもう減る一方ですよ?』

「そんなことはない!何故なら植物も求める者も、しつこくしぶといものなのだから!」


 内燃する炉に火炎を絶やさず、斃れた者達の想いを屍ごと喰らい継ぎ、「まだ足りない。まだ足りない」と、心拍までもが唱和する。


 再び勢いを取り戻し無数に枝分かれしていく群林。

 それは一度断ち切られたその断面から新たに芽を出し繁っていく!

 人は奪った武器を手にあと一欠けらでも削ろうと彼らを包む圧倒的存在に挑みかかる!

 花を咲かせろ。

 誇り高く芽吹け。

 それこそが人であること、

 生きている事の証なのだ。

 未だ死んでいない。

 まだ何一つ終わっていない!


『けれどそれでは足りない。精神力には限界があります。一度に私達の全てを塗り替えなければ皆さんは勝利できない。そして私達は今やこの星全ての掌握を完了します。皆さんだけで殺し切ることは不可能なんです』


 その声音に嘲りは無く、

 慈愛と寛容を含むだけ。

 当然の理、自明の法理。

 万象に刻まれた絶対の道理。

 それをそのまま語って聞かせる。

 それ以上の意図も気負いも無い。


『さあ皆さん。私達と共に安らぎの中へ——』




「間違ってる!」




 不思議な音色だった。

 澄んだ色が届く筈の無い距離を貫き、

 その胸に突き刺さるのを誰もが感じた。

「あなたは、間違ってる!」

 フローダの隣に立った少女。

「私が、そうだったように…!」

 銀の髪がサラサラと風に靡き、透き通るような勇姿が白より深く彫り込まれる。

「私達は、困難と闘う!私は、みんなと勝つ!」

 彼女が右手を真上に振り上げ、その掌上に一条の光。

 やがてこじ開けられるように広がり光柱となる。

 武器で喩えるなら剣である。

 より近い物で言うなら扉である。

 空間が開いて向こう側から光明が差し込む、その様が丁度剣身に見えているのだ。


「みんな!諦めないで!」

 少女は左手も加えてその事象を掴み取る!

「そして、私を信じて!」

 制御する!我が物とする!

「私が敵を倒す!それを心から願って!」

 彼女の過去を、

 人の過ちをそそぐ鍵を顕現させる!

「フローダ!あのね!」

 傍らの少年に、告白する。

「“ローザ”!」

 懺悔であり、表明。

「私の名前!」

 そう、決めたのだ。

 その力で世界を救うと。


!推参!」

 

 軽く跳躍した彼女は、そのまま偽物の天国目掛けて落下!

 彼女が振るうのは、意志の集積。

 より多くが一致団結し強く念じることで真価を発揮する究極魔法。

 かつての人類では到達できなかった、結束と不屈の果てにある最大最強の一撃。



 これは、勇者が繋いでいく事を望んだからこそ、精霊に運ばれて手から手へ継承されていった力だった。

 しかし彼女は、それを拒んだ。

 人はもう誰もが敗北を決めつけ、故に本物の輝きは二度と訪れない。

 勇者だと名乗り出て戦っても、全ての人が素直に加勢するわけがない。

 必ず怠ける者が居る。程々に応援して、それで勝てるなら儲け物と思う輩が。

 実際最初の勇者が現れた時、人は彼が居れば勝てると慢心し、ならば頑張る必要も無いと油断して、だから魔王に敗れたのだった。

 今度もそうなる。

 勇者が居なければ奮い立てない者達が、勇者という都合の良い救済装置を前にして、「一緒に戦おう」なんて思うわけがない。

 そう思える者から先に死に、今残っているのは行動しなかった者達だけだ。

 だから、無理なのだと。

 だから、しょうがないのだと。

 内なる声を閉じ込めて、隠れながら死んだように生きる。

 彼女にあったのは、それだけだった。


 けれど、

——けれどね?

 初めて自分の手で人を助け、

 初めて人から感謝されて、

 初めて戦う為に立ち上がる人を見て、

 初めて自分を助けてくれる人が居て、


 そうして今、世界中が戦っている。

 魂魄こんぱく身霊しんれいを薪にして、最後の一つが灰になるまで。


 それならば、ローザもくべなければ嘘だ。

 この燃え盛る勇気の炎に、

 彼女が持つ特別な力を!



「はあああああああああ!!」

『奇妙な、不明な、なんという、それは、一体…』

 魔王は、焦っていると言うより、魅入られているようだった。

 それは本能から来る衝動で、これまでにない情動だった。


 地上の理想郷たる彼らを、殺し得るものを前にしているという、生物的警鐘。


 今まで誰も彼らに与えてくれなかったそれを理解し、陶酔した。

 “畏怖”という美酒に、酔い痴れた。


「いっっっっけぇえええええええええええええ!!」


 華奢な両腕と同じく振り下ろされる美しき断頭台!

 全く統一された願望を想われた分だけ強く実現する万能改変魔法!

 それが魔王の表面を撫でるように通過していくと触れられた箇所から純白の炎が点っていく!


 否、それは花だ。


 八重やえきの花弁によって膨らみを持った高潔の花。

 それが魔王に根を張り割り砕く。

 火のように触れるものを燃料にして更に激しく広く咲き誇り、

 何時までも何処までも覆い尽くしていく。

 それが続く為の源は、魔王それ自体。

 故にこの炎上は、彼らが消失するまで終わらない。


 たとえ地の果てまで逃れようとも、この花炎かえんは燃え延びて行くだろう。


「これが、人の心だ!」

 宙空でローザは、高らかに謳い上げる。


「これが、不可能を可能にするってことだ!」

 人類の勝利を宣言する!


『ああ…ほほほ滅んでいく…わ、私いいぃぃぃ達がががが…私がぁぁぁぁぁ…』

 昇っていくように沈んでいくように、

 声が少しずつ消え入っていく。


『これで、休める………』

 それが、人類が聞く事の出来た、


 魔王最後の言葉だった。

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