6
雲一つ無い黒い夜空の下、樹上の少年は手にした紙に、一心に炭を走らせていた。
「何してるの?」
傍に寄り添うのは、さっきまで安心しきって眠っていた筈の少女。
顔を覆うものはもう無く、美しき銀髪と星明りを反射する大きな瞳、無邪気に動く口に穢れを知らない肌、それらを惜しげもなく披露し少年の肩に寄りかかっていた。
「いや、皆に『やりたい事を見つけよう』って大見得切ったまでは良かったんだけど、そう言えば僕って記憶無いんだったって思い出して…」
「慌てて探してるの?」
クスリと笑う彼女は、何処か憑き物が落ちたように緩んでいて、初めて見せる気だるげな様子に、フローダの胸は密かに高鳴っていた。
「それで、さっきあいつらから接収したものの中に、心惹かれるものが無いかって見てきたんだけど…」
「それで、これ?」
覗き込んだ彼女が見たのは、眼下一杯に広がる遠景を写実的に写し、けれど火を焚いてそれを囲み盛り上がっている実際に反し、どこか寂しさが滲み出ているモノクロの絵。
「うっま!?」
「そうかな?」
「そうだよ!すっごおい!きっとフローダは、絵描きだったんだよ!」
「そ、そう思う?」
満更でもなさそうにニマニマし始める彼を可笑しく思いながら、ふと思いつく。
「ねえ、私も書いてみてよ」
「え゛?」
「お願い!」
「い、いやーそのぉ…」
「私、そんなに魅力ないかな~?」
「そ、そうじゃなくてぇ…」
顔を赤くして震えながら膝に
「人を描くのは、あんまり得意じゃないみたいなんだ…」
蚊の鳴くような声で弁明する。
「君だけがどうとかじゃなくてね?人全般がね?」
「な、なるほど…。芸術にも色々あるんだね…」
「や、やめてよ恥ずかしいから…ホント勘弁して…」
その後彼の描いた絵を見せてもらいながら、
「いつか、いつかね?」
少女は初めて、彼に我儘を言う。
「私の事、描いて欲しいんだ。どんなに下手でも良いから」
それが、彼女の願い。
それを叶える事のできる未来を目指す。それが彼女の生き方。
「うん、分かった」
だから少年も、約束する。
正面からしっかりと受け取り、離さぬように抱きしめる。
ここから先、多くの物を失うだろう。
それでも、ただそれだけは取り落としてしまわぬように。
遠鳴りが響き渡り、
白い塊がゆっくりと鎌首を擡げていく。
オオォォン、
ゴオオォォォォン。
鐘の音のような鳴き声。
『皆さん?私達は、とても困っています。皆さんが行く先は、終わりなき苦しみの道です』
魔王が、制圧に本腰を入れてきた。
『皆さん!私達と共に在れば、幸せになれますよ?何の苦もない生を与えてあげますよ?』
「いいや、苦しみのない喜びなんてない!」
地鳴りのような誘い文句に、
雷のようなフローダの反論。
「不可能の中にあって、可能を作る事。それが、僕らの強さだ!」
次々と白色の内側から食い破っていく枝葉達。
誰かが世界にノーを突き付けその想いの数だけすくすくと育つ。
変形し上から質量でペシャンコにしていく敵に対して、
その足元から聳え立つ怒号が対抗する!
「お前達がどれだけ新しく作っても、僕らがそれ以上の速度で壊してやる!」
少年の言う通り発芽から成長まで止まる事無く、多様な色で白を覆う!
「お前達の王が居るのは、あそこか!」
なおも伸長するフローダの樹が目指すのは、平たい地平の中で例外的に突出する塔。
全てを睥睨する為に作られたであろう、これ見よがしで驕り高ぶった玉座そのもの!
上からは太枝が、
下からは根が、
それに絡みつき締め上げ砕き侵入し内部から押し開くように彼の者の素顔を暴く!
そこに居たのは——
——いない!?
「何処に行った!」
気配は無く姿も見えない。
魔王が君臨するのは此処ではなかった?
——いや違う、気配はある。
そこかしこから匂い立っていたから、逆に特定できていないだけだ。最初からずっと在ったから、それが普通になり感じていることを忘れていただけだ。
これは、
彼の樹木の脈動から伝わって来る、この圧倒的な存在感は。
『ようやくお気づきになりました?』
樹木のうち一本が倒れていく。
壁の穴が再生し幹を半ばから切断したのだ。
と、言うよりも、
「食べてる!?」
少女の声が正しい。
白壁に触れた場所から木が取り込まれている。
伸びたのなら伸びた分だけ糧にするように内側へ吞み込んでしまう。
壊れていた箇所が次々に治っていき抵抗を無かった事にしてしまう。
「これは、まさかそんな!?」
彼女もまた、気付いたのだろう。
彼らは思い違いをしていた。
この構造物は、魔王が作った魔法の都市ではない!
魔王そのものだ。
魔王の身体は
ずっと見えていたのだ。
彼らが長い間暮らしていた場所は、
魔王の腹の中だった。
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