8

 果てしなき荒野を前にして、しかし彼らには展望がある。


 魔法があり、精霊が居て、何処かでしぶとく生き残った生命が在るだろう。グノトのように、植物の種子を隠し持っているような強かな人間が居るだろう。

 人は再び、自分達の足で立たなければいけない。

 その為にも、彼らを纏める希望が必要なのだ。

 ローザはその役を、買って出るつもりだった。

 彼と二人で生きられるなら、なんだって出来るという確信があった。

 だから今は、彼が起きるのを待っている。


 フローダは、あれから眠ったまま目を覚まさない。

 彼にはまだ分からない事も多い。

 記憶が戻る糸口は絵を描くことくらい。

 それでも彼は人間の為に必死になって、最後まで屈さずに戦い抜いた。

 記憶を失う前も良い人だったのだと、彼女はそう断言できる。

 彼が目を覚ましたら、どんな話をしようか?簡易的に作られたテント式の住処の中、横たわる少年の寝顔を眺めながらそれを考えるのが、最近の彼女の楽しみだった。


「早く起きてよね?ねぼすけさん♪」


 苦難と悲痛を潜り抜けた先にある、こういう何気ない時間こそが、幸せなのだとローザは思った。







——……て…

「…今回………」

——お…て…

「まったく……例外…」

——おき…

「でも…可哀想………」

——ロー……て…

「…………任務だ……」



——ローザ!起きて!



「え!?」

 彼女は突如跳ね起きた。

 全身が汗でぐっしょりと濡れて、頭は重く耳はまだ本調子でなく——

——あれ?

 違う。

 物音が一切しない。

 虫一匹壁を這わず、

 塵一つ床を掻かず。

 

 凪だ。


 空気すら停まった凪。


 彼女がその原因を探ろうと周囲を見渡し、

 一瞬、それが夢かと本気で疑った。


 部屋の中央で眠るフローダ。

 何故か彼の足側に立つグノト。

 そして、

 彼らと同じように白い服を着た、だけれども見慣れない男と女。

 男の方は、屈強な体格と後頭部で纏められた赤茶の髪、固そうな肌に青く鋭い目、掘りが深い顔を持っている。

 女は一転して、柔らかく丸みを帯びて腰だけが引き締まった肢体と優しげな鳶色の眼差し、よく手入れされた白い肌と艶のある金髪、素朴だが整った顔立ちをしていた。


 まるで名画の中の世界のように、静謐で侵され難き空間。

 二人の謎の人物が、少年の枕元に立っている。


「おいどういうことだ。何故低次元存在が止まった時の中に干渉出来ている?」

「恐らく勇者の力じゃ。あれは他者との意識の接続を基本とする。精霊のうちの誰かが手引きして、ワシとローザを繋げたのじゃろう」

「てめえの落ち度じゃねえか。きっちり説得しとけ」

「面目ない」

「え、えっと…」

 分からない。

 彼らは何を言っているのか?

 グノトはどうして、当然のように彼らと言葉を交わしているのか?

「取り敢えず眠らせるか。それが早い」

「まあ、そうする他ないじゃろうなあ」

「待ってください!」

 反対したのは、名も知らぬ女性。

「彼女には、やっぱり説明してあげるべきです!」

「無意味だ。時間の無駄以外の何にもならねえ」

「私達にとって“時間”はそれこそ無意味、そうでしょう?」

「そういう屁理屈をだな…」

 ローザを置いて話は進む。

 やがて女の頑固さに男が負け、タネ明かしの場が設けられた。


「こんにちは、初めまして」

「こ、こんにちは…」

 和やかに接されて、少女も強く問い詰められない。

「私は3スリィVeヴィー。こっちの男はAdアド4mフォーム。スリィとアドって呼んでね?」

「知ってるかもですけど、ローザです…。あの、あなた達は何なんですか?フローダをどうするつもりなんですか?これだけ頑張ったんですから、彼は助かりますよね?」

 抑えても受け流しても湧いて来る疑問に耐え切れず、聞いた彼女にスリィは悲しげに眦を下げて返す。


「ごめんなさい。私達IMT——世界間秩序維Interworld Maintaining持機構Technologyは、彼を連れて行かなきゃいけないの」


 それは少女が、今何よりも聞きたくなかった言葉である。

「そ、そんな!どうして——」

「正しくは『連れ戻す』だ。元あった場所に片付けるだけだ」

 アドがぶっきらぼうに口を挟み、スリィがそれを咎めるように睨んだ。

「え?あなた達は、フローダが誰か知ってるの?」

「“フローダ”ね…、悪趣味な名前だな?」

「他に良き案も思いつかなかったものでの」

 だったら、彼が知りたがっていた答えを、彼らは持っている。

「教えて!彼は何処から来たの?なんて名前だったの?」

「難しい質問だ。前者は理解させるのが難しく、後者は定義が難しい」

 アドは煙に巻くような、迂遠な言葉をなぞった後、


「まず結論から言うと、そいつは異世界人だ」

 

 唐突に理解の範疇を飛び越えた。

「い、いせか…?」

「つまりね?私達二人とその子は、あなた達が住むこの世界とよく似た、別の世界から来ているの」


 こんなこと、本来信じるべきではないかもしれない。

 だが、魔法という奇跡に、魔王という規格外、今のこの意味不明な状況。

 それらがこのトンデモ話に、一定の説得力を持たせていた。


「いいか?飲み下せるかは構わず話すから一度で理解しろ。世界は無数に存在し、それぞれの世界が互いに衝突したり他に被害を齎したりしないように、それぞれの調整役というのが存在する。時間も含めて四次元的に俯瞰できる存在が、必ずどの世界にも一体は生まれるわけだ。俺達はそれで、そこのグノトは此処、仮称“魔法世界”の調整役というわけだ」


 ローザは何とか付いて行く。

 分からない部分は取り敢えず切って捨て、大枠だけでも掴もうとする。


「だが何事にもトラブルってのは起こる。この世界における『魔王現象』と俺達の世界のイレギュラーが呼応し合って、俺達側からお前ら側へある存在が移動。結果魔王が過去最悪規模となる歴史改変が発生してしまった」

「魔王、…?」

 その言葉が示すところは、

「そうじゃ。魔王と勇者とは、本来定期的に発生するものなんじゃ」

「ど、どうして…」

「精霊システム。調整役が効率的に事象に干渉出来るという長所はあるが、人の意思を集積してしまう関係上、滅びへの指向性の結晶体をも生み出してしまうという欠点がある。勇者とはそれを中和する為の対抗措置でしかない」

「じゃが、此度の魔王は異世界からの来訪者を吸い上げ、あまりにも強くなり過ぎた。遂には勇者を破り、この世界を呑み込んでしまったんじゃ。定められた運命領内から大きく逸脱する歴史。このままでは別運命に統合、と言う名の消滅あるのみじゃった。早急に対処する必要があったんじゃ」

「えっと、質問があります」

「はいどうぞ」

「皆さんは聞いている感じ、空間を飛び越えて、その延長で時間まで飛ばせちゃうような凄い力をお持ちって事ですよね?」

「ほお?」

 アドがそこで驚いたような顔をする。

 理解力が思いの外高いことに感心しているのかもしれないが、ローザはそれに腹を立てるどころではない。

「それじゃあ、過去に戻ってその、『いれぎゅらあ』、でしたっけ?それが起こらないようにすることは出来ないんですか?」


「良い質問だ。そして答えは、残念ながら不可能」


「私達調整役は、歴史を確定する観測者の役割も担っているの。私達はシステムの都合上、問題が起こった日時にしか行けないけど、それを認識した時点で出来事は固定されちゃうのよ」

 まず運命があり、それが曲がってしまう事故があり、それに対処する為に調整役がある。

 だから彼らは、事が起こった後にしか関われない。


「そういったわけで俺達はグノトと協議して、俺達の世界——まあ世界Aとしよう——で発生したイレギュラーを処理し、グノトの世界を運命領内に修正する方策を考案した」

「ここまでの話で分かっていると思うけど、私達は何かその時代その場所にあるもの越しでしか干渉できない。情報の改竄は出来ても、物理的影響力は間接的なものに限定されるの。今の私達の身体だって、影響力の少ない誰かから借りて、見た目の情報だけ書き換えている状態でしかない。それはグノトもそう」

「だから、情報を流し込んでやることにした。俺達の世界から、この事態を打破できる情報を」

「それが、この少年の中に入った、わしがフローダと呼ぶ人格じゃ」

 そう言って指されたのは、停止した少年。



「こいつは、稀代の虐殺者だ」



 そしてアドは、聞き捨てならない暴露を淡々と述べた。

「な、そんな…!」

「人を扇動し、憎しみと排外心を焚きつけ、世界中に放火して回り、自らのお膝元では人種がどうだとかいう理由で大勢閉じ込め、薬品漬けにしたりクソみたいな労働させたりあらゆる人体実験に使っていいおもちゃにしたり、それはもうやりたい放題やる男さ」

「そんな」

 そんなことは、

 フローダは、

 人間の希望で、

 世界の未来で、

 彼女の、大切な人で、

「『無い』と言い切れるか?お前はその片鱗を、見たんじゃあないか?」

「本来おぬしにやる気を出させるくらいを想定して招致したのじゃ。じゃが、結果はあの通り。思いもよらぬほどに強く大きい暴風の目となって、この地表を掃討してしもうた」

 「たった一人で」、そう呟くグノトは、どこか慄いているように見えた。


 魔王でさえ吸い切れない、無尽蔵に湧き出る怒り。

 口先とパフォーマンスを披露しただけで、臆病で怠慢な民衆を勇敢で不退転の精兵つわものに変えた、

 あの才は、

 使い方を間違えればどうなる?

 

 それは起こらないと、本当に言えるのか?


「え、でも、ちょっと待って、やっぱりおかしい!」

 ローザは一縷の望みに賭け、彼らの論理の破綻を指摘する。

「フローダは、記憶を失ってたんだよ?肉体は多分私達の世界の、運命には重要じゃない誰かの物を使ってるんでしょ?ならあなた達は、『世界エー』って所から、何を持ってきたって言うの!?」

 フローダはこちらの世界で生まれた。

 だから連れて行く事は出来ない。

 彼女はそこに活路を見出し、


「それが、それこそが一番の問題だったの」

「そしてだからこそ、その男が選ばれたと言える」


 それが逆に、フローダの異常性を補強してしまう。

「こいつをこの世界に招き入れたのはグノトだ。と言うより、グノトでないと連れて行きようが無かった」

「私達を私達たらしめるものは、記憶の積み重ね。だけど彼に関しては、もっと別の場所に彼を規定する何かを持っていた」

「俺達の技術では情報化出来なかった、上位次元に存在する座標。俗な言い方をすれば『魂』だ」

「神と人との境界が曖昧なこの世界の調整役たるわしじゃからこそ、その領域に触れる事が出来たのじゃ」

「自分を定義出来ず真っさらな状態の奴程、操りやすいもんはねえ。そこに人の怒りを増幅させる性質はそのまま保持されるとしたら、益々これ程の適任は居ねえ」

「ど、どうしてフローダだけそんなことに?」

「仮説じゃが、世界Aでのこの男が、人ならざる者として扱われ過ぎてしまっておる為じゃろう」

「人がこいつを語る時、その語り口は二種類に大別できる。乃ち——」


 神と言って讃えるか。

 悪魔と言って罵るか。


「どちらも、『普通の人間』から外れてしまっているという点では変わらないの。上位次元は下位次元と密接に結びついてるから、下位で誰かが想像した化け物とか神様とか、そういったものが形を成してしまう。下位では存在不可能でも、上位では居ることが出来てしまう」

「何にでもなれる者達がおって、何にでもなれるが故に何かになる事に頓着せぬ。故に下位の思念に引っ張られ形を結ぶのじゃ」

「この男は、そういう世界の住民と、同じレベルに至ってしまったんだよ。『憎悪の爆発』、そういう意味を持った現象となり、故に俺の補助とグノトの能力で、こうやって連れて来れてしまった。だからもう二度と、それ以外にはなれない。そういう段階まで逝ったんだ」

 運命を進める為に確定された未来どころではない。

 その世界が消えても、彼はそういう存在として残り続けてしまう。

 

 それは、永劫に消えない罪と同義である。

 彼はこの先、世界法則の虜囚となることで罰を受け続ける。

 

「…聞きたいことがある」

 決定が覆らないと見て、それでも裁定から揺るがそうとするローザ。

「時間が関係無い貴方達の視点だと、この人の罪と罰の前後関係なんてない事になる」

「そうだな。まず罪があり、それに相応しい罰が定められたのか、まず罰があり、それを受けるに足る罪が用意されたのか。運命という奴の前で、因果関係とはあまりにも儚い」

「それならフローダは、本当はその座には就かなかったかもしれない」

 全てが偶然の結果。

 彼が持つ座標は、偶々彼が丁度良い場所に居たからというだけで、その懐へと転がり込んだ。

「それなのに、永劫の悪役を押し付けられるっていうの?そんなの、おかしいよ…」

「それこそ何の生産性も持たない問い掛けだな。どうあれ既に確定した事実である以上、後から何を言っても動かしようが無い」

「でも、あなた達はフローダが虐殺するところを見たの?」

「それは、まだ…。魂の中から青年時代の情報を引っ張って来たから、まだ彼は指導者にはなってない筈…」

「でしょう?なら未来が変わるかも——」

「変わらない。俺達が運命通りに進めさせる」

「でもフローダ以外がその役を担うかもしれない!」

「魂の座標を持つ者を降板させるというのは、それだけで大きな改変になる。認められない。何よりそれ程の影響力を持つ者を、本来居る筈の無かった場所には置いておけない」

「此度の異常型魔王とこの男。逸脱者二つで歪みを相殺する。それが最善なんじゃ」

「そんなの、そんなのって、そんな…」

「それにだ。そいつが魂とやらを持つ以上、こちらの世界でも必ず惨劇を起こす。この男は、そう生きるしかねえんだ」


 そこでローザの手札は切れた。

 フローダは、帰らなくてはいけない。

 それが彼女にも、

 理解出来てしまったのだ。


「功績が、あがないになることは無いの?」

「罪はね、消えないの。償い続ける事しか出来ない。人はきっとそうやって、過ちを重ねて生きているの」

 「ごめんなさい」。そう言ってスリィが目を伏せた。


「もう良いだろう」

「ええ、ありがとうございます。いつも私の我が儘に付き合ってくれて」

「フン」

 絶望し虚脱するローザに、グノトがゆっくりと近付いてくる。

「これからはおぬしが人を導き、本来の歴史に戻すのじゃ。四つの国が大陸を支配し、飽きもせず人同士で殺し合うあの時間に」

 ローザは答えない。

 自分の手で何かを為したと思っていた彼女もまた、道を舗装する為の道具の一つでしかなかった。

「安心せい。次に目覚めた時、おぬしは一人でも戦える強い者となっておる。精霊達が、正しい方へと導いてくれるじゃろう」

「そんなことには、ならない」

 ぶつぶつと、うわ言でしか答えられない少女。

「私は、フローダが守った世界を、いつまでも平和にしてみせる」

「うむ、その意気じゃ。その決意こそが——」


——世界を動かす火種になる。


「待って!」


 ローザはそこで目覚めた。


 入り口の隙間から伸びる陽光が心地良い。

 しかし汗だくなのは変わらずで頭痛も酷い。


「あ、あれ?」


 「変わらず」?とは何だったか。

 昨日眠りに就く時は、幸せな気分に浸っていた筈で、

 どうして、だったか。

 何かを待っていて、その待つ時間自体が楽しくて。

 大事な事が、思い出せない気がする。


「え、っと…?」


 きっと、夢を見たのだ。

 悪夢を見て、うなされていたのだ。

 だったら、この物思いは打ち切るべきだ。

 答えなど、存在しないものなのだから。

 無い物を追いかけていられる程、彼女に時間は無いのだった。


「そ、そうだ。わたし、皆を守らなきゃ。世界を、救わなきゃ」


 そう、それが最も重要な事。

 彼女は、足掻かなければならない。皆を幸せにするのだ。

 一人じゃない。

 彼女を慕い、着いて来てくれる心ある勇士が、大勢いる。

 勇者は前を向いて、未来を拓かなくては。

 

 だけど、


 だけれども、


「わ、わた、私……」

 喪失がある。

 心に空いてしまった穴から、

 液状化した情感が流れ出て、

 頭に昇り目から頬を伝う。


——そう言えば、彼に朝日を見せられなかった。


 誰の事だかは分からないのに、


 それが堪らなく


 悲しかった。




——————————————————————————————————————




 数十年後。

 勇者と呼ばれた女が死んだ。

 彼女の下に集まった人々は、彼女の教えの解釈を巡って四つに分裂。

 魔王出現前の四大列強時代が戻って来た。


 そして後世の歴史家は、


 魔王と勇者の壮絶な戦いを、


 権威付けの為に創作された神話と考え、


 やがて彼女の想いは


 忘れられていった。

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