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 それからの日々は、あっという間だった。

 

 そもそも毎日同じようなことしかやっておらず、代わり映えのしない積み重ねが続く為、思い返した記憶の中では、時間が過ぎるのがとても速く感じるのだ。

 加えて目まぐるしさ自体はてんこ盛りであり、それが事態の加速に拍車をかけていた。


 まず、彼にはスクロールの製造が不可能だった。


 本来人は自然と精霊と会話が出来るらしく、あの立方体に触った時点で本能的に何をすればいいのか分かるようになっている。

 その上で細かい指定に関しては、机の上に文字として彫られている。

 が、少年は文字が読めなかった。

 「魔法の為に」と大陸中の人間が習わされる筈の、文字が。

 しかも精霊の声が聞こえない。

 例の装置をどのように動かせばいいのか、矯めつ眇めつ触れど振れど、まるで頭に浮かばないのだ。

 前者だけなら、極端な貧困層だったり、或いは捨て子だったりといった説明が出来る。

 だが後者に関して言うなら、最早人間判定していいのかすら微妙な線である。

 彼は役立たずどころか、大きく逸脱した欠落者だったのだ。


 そんな彼が、しかし腐らずに生き続けていられるのは、寄り添ってくれている少女の存在が大きい。

 彼女はあれから毎日彼の隣を占領し、毎回二人分の仕事をしていた。

 彼女は不思議な人だった。

 最初の違和感は、毎回あの同じ装いの群集の中から、彼をどうやってか素早く見つけ出すことだった。

 彼が頭巾をこっそり取っているわけでもないし、秘密の合図を示し合わせたわけでもない。にも拘らず、少女は必ず彼を見つけ、彼を助けにやって来る。

 そう、助けに来るのだ。

 人ですらないかもしれない、ついこの間まで見ず知らずだった少年に、献身的に尽くして魔物達から守っている。

 初めて会った時とは状況が違う。

 彼がスクロールを作れない以上、それを肩代わりするというのは、一時的な手助けなどではいられない。これから死ぬまで、彼の面倒を見続けるという意志の表れ。

 少年としては幸運に感謝したい所であるが、しかし少女がそうまでしてくれる理由が分からず、いつ見捨てられるとも知れない恐怖があった。

 そして何より、やろうと思って実際に常人の二倍の仕事を熟せてしまい、見たところ特別疲れたようにも見えない、魔法的能力の高さも気になる。


 少年とも魔王とも違う方向性で、彼女は得体が知れなかった。



「ねえ、君はどうやって、僕の位置を見分けてるの?」

 ある日彼は、思い切って直接訊いてみることにした。

 彼と彼女と、あの老人。三人は毎日昼休憩に、こうして会話することが習慣となっていた。

 因みに老人はグノトという名だと程なくして知れたが、彼女は頑なに名前を明かそうとはしなかった。グノトも知らないらしい。

彼ら二人は肉親というわけではなく、つい一年程前に出会ったのだと言う。グノトが何かと少女の事を気に掛けているのだとか。確かに彼女の危うい程のお人好しっぷりは、ある意味目が離せないだろう。

 少年は、仮の名として「フローダ」と名付けられた。グノトの発案である。


「えっと、私ね、精霊さん達とは結構仲いいんだ」

 自慢するのが照れ臭いといった様子ではにかむ少女。

「それぞれの人が、どの精霊さんにどれくらい気に入られて、どんな色の魔力を持っているのか、それが何となく分かるんだよね。そこから、どういう気持ちで、どんな人柄なのかまで当てることも出来るんだよ?」

「じゃあ、いつ見張りが来るか分かってるのは…」

「精霊さんが教えてくれるから。と言うより、魔物に囚われた精霊さんの声が聞こえるからだね」

 「凄いでしょ?」と少しだけ自慢げな様子。

 彼女が自身について前向きな言葉を使う事はあまりなく、少年はなんだか珍しいものを見たように感じたのだった。

「じゃあ、僕はどんな感じ?」

「それが君の面白いところで、精霊さんが素通りしてるんだよね。だから君の所だけ精霊さん達の密度が低くて、見つけやすいんだ」

 初めて話し掛けてきたあの日、フローダが困り果てている事に彼女が気付いたのは、その奇妙な性質によって、始めから注意していたことが理由であった。

「でも、フローダはなんで精霊と繋がってないんだろう?」

「記憶が無い事と、関係あるのかなあ…?」

「うぅむ、前代未聞故、何とも言えんのお…」

 彼も何とか手懸りを捻り出そうとしたのだが、頭は何の情報も保有してはいなかった。

 結局分からない事は分からないまま、時はそそくさと過ぎ去っていく。



 その日の作業も終わり、就寝時間となった。

「じゃあフローダ、また明日ね」

「うん、また明日」

 今やお決まりの挨拶を交わし、寝棟へ戻ろうとして、


『あ、そこのあなた』


 少女が、花頭に呼び止められた。


「え、えっと、私が何か…?」

 震えを抑えられない声で、少女が応じる。


『おめでとうございます!あなたの貢献度がおおやけに認められました!あなたは明日から、特別貢献係に編入されます!』


 返答は、底抜けに元気一杯に。

 その内容は、底なし沼のように。

「え…?」

 少女の声色から、それが死刑宣告であるとフローダにも分かった。

「………え?」

 周囲を歩く人間達は、一顧だにせず列を乱さず。


 彼には何が起こったのか分からず、けれど尋常でないことだけは明白。

 故に助けようと流れを脱して、

 グノトに腕を掴まれ止められる。

 少年に見られた老人は、「どうにもならない」とでも言うように無言で首を振った。


 助けを求めてフローダを見る彼女が、花頭に連れられ徐々に遠ざかっていく。


「『特別貢献係』、ここでは名誉な職業とされる、言ってしまえば生産役じゃ」


 つまり、

 その恐るべき実態は、


「見知らぬ男か、或いは魔物か。何かしらの子を産まされる苗床じゃよ」



 そこから床に就くまで、彼の意識には殆ど何もない。

 

 言葉無く歩む人の列の、規則正しい歯車めいた足音と、


——勇者様さえ健在なら…


 別れ際にグノトが悔しそうに呟いた言葉。


 それだけが

 頭に響き続けていた。

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