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「つまりこの状況について、更に作業手順はおろか、自分の名前すら思い出せないわけじゃな?」


 しゃがれ声で困ったように言われ、


「ハイ、ゴメンナサイ…」

 

 少年もまた弱り切って謝罪する。


「も、もうおじいちゃん?一番大変なのはこの人自身なんだからさあ…」

「お、おぉおぉこれは、ワシとしたことが失礼した」

 少女に諫められ、老人は気を取り直す。

「まあこんな世界では、記憶を失いたくなる気持ちも分かるのお」

「いや、まあ、失いたくて失ってるわけではないと思うんですけど…」

 

 現在は昼休憩。食事の後の自由時間である。

 例の食堂で、ある程度私語も許される貴重な休閑である。


 さて、

 こうなると喫緊の課題は、此処がどういった場所で、何故彼らはこんな不毛なことをやらされているのか、それを手早く把握することである。


「まず、この大陸は“魔王”の手に堕ちておる」


 初手からこれである。

 先行きが早くも不安一色になってきた。


「このタルルト大陸はかつて四つの国に分かれ、大勢の人間が住んでおった。“魔法”という神が与えたもうた力によって、人々の暮らしは進歩し・発展し・やがて衝突していった。その頃は人同士で外交やら戦争やら、忙しなかったのう」


 精霊と言葉を交わし、

 神に祈りを捧げ、

 邪なるものを退ける。

 朝は東から光が差して、

 夜は空へと明かりが吸われる。

 “魔法”という奇跡があり、

 “瘴気”という現象があり、

 それらのぶつかり合いによって

 世界は削られ形を成していく。


 しかしその「正常」な時の流れに、突如として“歪み”が生じる。


「“魔王”。今から恐らく四十五年前に大陸の中心に発生したそれは、地上に立つや否や侵攻を開始。瞬く間に半分以上を覆ってしまったんじゃ」


 それは、「魔王」という言葉で表されるものの、実際のところ現在に至るまで正体不明。

 単なる事象なのか、瘴気の集合体なのか、強大な魔物なのか、知性を持った大魔導士なのか。

 それに明確な答えを返せる者は、今のところ存在しない。

 それは、土であれ大気であれ空であれ喰らい尽くし、強力な魔法を使って再構築していった。

 緑豊かな山々、鮮やかな花々が咲く草原、人の営みが広がる町村。

 それらが全て、無味乾燥な白色に塗り替えられてしまった。

 現在タルルト大陸の何割が魔王の支配下なのか、寧ろ人間の版図が残っているのか、それすら誰にも分からないという始末。

 魔物以外の動物は姿を消し、人は殺され、運が良ければ生け捕りにされ、

 そして今此処に居る者達のように、徹底した管理下での労働を課される。

 毎日時間感覚が掴めぬ場所で、言われるが儘作業に没頭し、おはようからおやすみまで魔物の思い通り。

 更には生殖に至るまで主導権を握られており、完全に家畜的扱いを受けているのだと言う。

 今の人類は魔王にとって、再生産可能な労働力、否、エネルギー源以上の何者でもないのだ。


「さっきのあれって、結局何させられてるんですか?」

「魔術のスクロールの製造じゃな。じゃがあれは、本来紙や地面に記す技術じゃ。それを煙霧に投影するという方法で代用し、魔道具の実体を気体として保存しておる。持ち運びに適し、噴射すれば効果を発揮し、敵拠点に密かに流し込めば簡単に陥落させられる。はっきり言って対抗のしようがないんじゃ」

「そんなとんでもないもの作ってたんですか!?」

「『とんでもない』じゃ済まん。現在の魔法学の範疇に無いどころか、その原理の基礎すら未だ成り立っておらん。この建物と一緒で、言ってしまえば1000年先の技術じゃよ。何故今これがこの世界に生まれているのか、その根本から既に不明。不可解かつ理不尽な代物じゃ」


 見た目の奇怪さ以上に、在りうべからざるモノだったらしい。


「じゃ、じゃあ、実は大変なことをしてるんじゃ…」

「そうじゃな。水の魔法を運河に浸透させ一帯を洗い流すのもよし、呪いを籠めて放散し、風下にあるものを死滅させるのもよし。あれ一個で、上手くすれば主要な都市一つを壊滅させられる、それほどまでに恐ろしい兵器なんじゃ」

 そんなものを、同じ人間を殺し尽くす為の忌むべき道具を、虜囚たる人々に無理矢理作らせているというのか。

「ひ、酷過ぎる…」

「ちょっとおじいちゃん!そこまでは言わなくていいじゃん!そんなこと知っちゃったらこの人が作業出来なくなって、魔物に目を付けられるかもしれないでしょ!?行き過ぎると、『発芽』しちゃうかも…」

「済まないとは思っとる。じゃが、軽い気持ちで分からずに手を染め、後々真実を知る方が傷は大きくなる。なるたけ軽傷に止めることこそが、ワシらにできる次善じゃろう?」

「それは…そうかも、しれないけどぉ…」


 少女は世渡り上手というわけでは無さそうだが、けれど心から人を想える優しさを感じさせる。

 このような無機質でお先真っ暗な空間にあって、不器用ながらも温かみを守り続けている彼女の強さは、とても好ましいものだと少年には感じられた。


「あのね、君はこれから作り方を思い出して、この先もずっとあいつらの言う事を聞き続けなきゃいけないの。そうじゃないと、君が死んじゃうから。だから、気に病まなくて良いんだよ?食べる為に動物を殺すのと一緒。難しい事は考えないようにして、それで慣れちゃえば、此処での生活も悪くないってなっていくから。なんなら私達が友達になるよ。それであいつらに反感さえ抱かなきゃ、死ぬことなんて滅多にないもん」

「そ、そうなの…かな?それでいいのかな…?」

「そうだよ、それでいいの。色々抱え込んじゃって、それで潰れちゃうくらいなら、生きて耐える方が良いんだよ。だって私達は、出来るだけ生き残る為に生きてる。そうでしょう?」


 そうかもしれない。

 生命というものは、欲求と環境との摺り合わせによって作られ、そういった妥協の余地が無くなった時に、死に至る。

 彼らの前に現出した煉獄は、単に自然環境の変化と、それだけの話なのだろう。


——………本当にそうか?


 少年の中で、しこりが生じる。


 ほんの小さな、思春期の肌にできる面皰にきびのようにちょっとした、けれど無視できない位には煩わしい、そんな引っ掛かりがせり上がる。

 災厄の無い未来を諦めて、いつか二進にっち三進さっちもいかなくなる、その時を平らかに待つ。


 その結論が、何故なにゆえか受け入れ難く感じた。


「あ」

 少女が小さく声を上げ、


『皆さん、労働のお時間です。残りの作業も張り切って終わらせましょう!』

 

 声が響いて、この平和な時間の終わりを告げる。

「それじゃあ、またさっきみたいに隣に座るから。安心して?ちゃんと君が一人で生きられるまで付き合うから」

 彼女はどこまでも優しく、それが少年には気になった。

「君はどうして、初対面で、それにとても怪しい僕なんかの事を気に掛けてくれるの?」

 少女はそこで、少しの間沈黙し、


「私には、これくらいしか出来ないから」


 その時の彼女は、


 顔が見えない筈なのに、


 今にも泣き出しそうに見えた。

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