1

 目を覚ました少年が見たのは、何処までも灰色が続く空間だった。

 

『皆さん、おはようございます。本日も、笑顔でご挨拶致しましょう』


 遠くから響き渡る男性とも女性ともつかぬ声に、楕円形のベッドから人々が起き上がっていくのが分かる。

 上部がガラス張りになったそれは、放送と同時にパカリと開き、中から次々と全身白色の服装をした者達が出てくる出てくる。

 少年も彼らに倣い、目の前の床にある印まで進み、整然と並ぶ列の一部となる。

 彼を含めて皆が皆、特徴的な頭巾を被っていた。と言っても少年は、他の人間が身に着け始めたのを見て慌てて真似しただけなのだが。

 不思議と頭を覆っていても苦しくならないそれらの正面には、子供の絵のように三本の弧線だけで構成された、満面の笑顔が描かれていた。


『皆さん、お食事のお時間です。公事こうじに捧げる労働を熟す為の活力となる重要な物です。しっかり食べましょう。働くというのは世の中の役に立つこと。皆さんの価値を上げる行為です。今日も最高貢献人材を目指して、働物階級を上げていきましょう』


 列が進み大扉の向こうへと消えていく。

 少年も黙って後に続いた。


 扉の外は、変わらず白色だった。


 遥か高くに無機質な灰天井が続いており、一片たりとも空を覗かせない。

 大理石めいたのっぺりとした壁が区画を区切っており、閉鎖された箱庭の中に町が作られているような景色。

 上下左右前後のいずれからも、それだけで人を圧搾できてしまうような濃ゆい気配が漂って来る。


 身長5メートルを超える巨躯の持ち主が、番兵のように槍を片手に点々と配置されている。やはり白ずくめ・笑顔の頭巾を着用していた。

 だがそこには、色調的な起伏は一切見られない。

 一団の流れに逆らわず進むと、10人ずつに分かれてそれぞれの部屋に入っていく。

 人数の区切りが分かりやすいのは有難い。

 少年が入った場所には、白く長いテーブルが配置されていた。左右に分かれて5名ずつ座り、最後の一人が席に着くと壁が開いて、多腕多足の枝みたいな生物が入って来た。

 触手の先端に四角い白箱をくっ付けており、着席している彼らの前に一個ずつ置いていく。

「いつも感謝を」

 指を組みながら誰かが言ったのを皮切りに、輪唱のように口々に祈り文句が上がり、卓上のそれに手が伸ばされる。

 少年が恐る恐る指先で触れると、パカリと開いて中の肉塊からフォークが生えて来た。

 くちゅりと刺して口に含む。歯応えも味も無くただ嚥下されるがままの物体。

 モニュモニュとすぐに食べ終え、腹が膨れたんだかそうでないんだか分からない作業的食事を終え、一くさりの祈りを舌の上で転がした後全員が立ち上がる。


『皆さん、労働の前に発芽検査を済ませましょう。お時間は取らせません。なあに、皆さんなら簡単に通過してくれると、私達は信じていますからね』


 このまま仕事かと思えば、「検査」とやらが始まるらしい。

——ああ、そんな…

 どうすればいいのか、彼に分かる筈も無い。

 ここで見つかってしまうのか。

 焦る彼の前で再び列がなされ、出入り口付近に立つ花の頭を持つ小さな象の前に一人ずつ立つ。花弁の中心から出る長い鼻に、胸元を差し出して触らせているようだ。

『はい大丈夫。次の方―?はい安全。次の方―?』

 どうやら、それだけだ。

 おっかなびっくり花頭の前に立てば、何事もなく通された。

 ほっと一息一安心。


『あなたはー…あー…残念です…』


 びくりと後ろを向く。

 引っ掛かったのは、彼のすぐ後ろ。

 表情が見えずとも、動揺は伝わって来る。

「ひ、い、いや…、そんな…違う…」

 か細い女性の声。

 必死に否定するが、その周囲の床に襞が現れ、そこから生えて来た昆虫達に、四肢を拘束され地面に埋まっていく。

「いや…!矯正はイヤ…!」

『私達も悲しいです。こんなにお教えしているのに、まだ怒りを抱いてしまうなんて。でも大丈夫ですよ。どんなにダメな子でも、私達は決して見捨てません!』

 声は明るいまま、嫌がる女を引き摺り込んでしまった。

 他の面々は僅かに硬直したものの、花が彼らを向いた瞬間目を逸らして外へと急いだ。




『さあ!お待ちかね、労働のお時間です!いつも通り負担は少なめにしてありますので、ゆっくりやって下さいねー!』

 

 一団がまた別の区画に入っていく。

 同じような大机。ただし今度の場所では一人分のスペースが仕切りで区切られ、隣が何をやっているか分からないようになっている。

 置いてあるのは、白い正六面体。

 触ってみれば、煙を吐き出し立ち昇り、

「ウワッ!?」

 そこにぼんやりと絵が浮かぶ。何かの、紋章…だろうか?

 いや、絵ではなく、

——動いている?

 六面体を傾けてみると、紋様もまたトロリと変化する。

 どういった原理かは分からないが、これで操作してどうにかするのだろうか?

 一通り弄ってみたが、何が何やらまるで分からない。

 見回してみても、よく分からない言語らしきものが刻まれているだけ。それ以外には机上に何もない。

——あ、これ、本当に、良くない。

 詰みである。

 どうにもならない。

 どうすればいいのか皆目見当がつかない。

 どういったものなのかは分からないが、「矯正」とやら待ったなしである。

 少年が頭を抱えていると、隣から手が伸び六面体が掴まれた。

「えっ」

「シッ」

 右を見ると、両手に六面体を持った小柄な白服。

「見張りが来たら返すから、それまで休んでて」

 くすぐるような少女の声、それが染みるように心拍数が下がり、安堵へと落ちていく。

 彼女は手慣れた様子で二つ同時に操り、恐ろしい勢いで何らかの図形を完成させていく。

 申し訳なく思いながらも、他に策も思いつかず完全に任せるしかない少年。

「あ、ありがとう…」

「うん、バレないようにね?」

 恐縮しながら、迷惑を掛けぬよう息を殺すことにした。

 

 その後、矢鱈と勘が鋭い少女の活躍もあって、少年が何もしていないとは発覚せずに済んだ。

 作業がひと段落したように見えたあたりで、


『皆さん、休憩時間です。次の労働まで、しっかり気力と体力を養っておきましょう』


 という指示が入り、室内が弛緩した呼吸で和らいでいく。

 どうやら、一旦乗り切ったらしい。

「君、大丈夫?」

 隣の少女が彼に話し掛けてくる。

「ずっと様子おかしかったよ?まあ、こんな生活おかしくなっちゃって当然だけど」

 その思い遣りに溢れた態度に癒されながら、それでも言わなければならない。

 甚だ大きなこの問題を、可及的速やかに解決しなければ。

「えっと…」

「うん」

「君、僕の名前知ってたりする?」

「……うん?」

 そう、そういう反応になるだろう。

 分かっていた。

 分かっていたが、それでも聞かなければ。

「というか——」


——ここ、どこ?

 

 その問いを聞いた少女は、

 慌ただしく立ち上がったと思えば

 足の指をぶつけてしまったらしく


 暫しの間悶絶していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る