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目を覚ました少年が見たのは、何処までも灰色が続く空間だった。
『皆さん、おはようございます。本日も、笑顔でご挨拶致しましょう』
遠くから響き渡る男性とも女性ともつかぬ声に、楕円形のベッドから人々が起き上がっていくのが分かる。
上部がガラス張りになったそれは、放送と同時にパカリと開き、中から次々と全身白色の服装をした者達が出てくる出てくる。
少年も彼らに倣い、目の前の床にある印まで進み、整然と並ぶ列の一部となる。
彼を含めて皆が皆、特徴的な頭巾を被っていた。と言っても少年は、他の人間が身に着け始めたのを見て慌てて真似しただけなのだが。
不思議と頭を覆っていても苦しくならないそれらの正面には、子供の絵のように三本の弧線だけで構成された、満面の笑顔が描かれていた。
『皆さん、お食事のお時間です。
列が進み大扉の向こうへと消えていく。
少年も黙って後に続いた。
扉の外は、変わらず白色だった。
遥か高くに無機質な灰天井が続いており、一片たりとも空を覗かせない。
大理石めいたのっぺりとした壁が区画を区切っており、閉鎖された箱庭の中に町が作られているような景色。
上下左右前後のいずれからも、それだけで人を圧搾できてしまうような濃ゆい気配が漂って来る。
身長5メートルを超える巨躯の持ち主が、番兵のように槍を片手に点々と配置されている。やはり白ずくめ・笑顔の頭巾を着用していた。
だがそこには、色調的な起伏は一切見られない。
一団の流れに逆らわず進むと、10人ずつに分かれてそれぞれの部屋に入っていく。
人数の区切りが分かりやすいのは有難い。
少年が入った場所には、白く長いテーブルが配置されていた。左右に分かれて5名ずつ座り、最後の一人が席に着くと壁が開いて、多腕多足の枝みたいな生物が入って来た。
触手の先端に四角い白箱をくっ付けており、着席している彼らの前に一個ずつ置いていく。
「いつも感謝を」
指を組みながら誰かが言ったのを皮切りに、輪唱のように口々に祈り文句が上がり、卓上のそれに手が伸ばされる。
少年が恐る恐る指先で触れると、パカリと開いて中の肉塊からフォークが生えて来た。
くちゅりと刺して口に含む。歯応えも味も無くただ嚥下されるがままの物体。
モニュモニュとすぐに食べ終え、腹が膨れたんだかそうでないんだか分からない作業的食事を終え、一くさりの祈りを舌の上で転がした後全員が立ち上がる。
『皆さん、労働の前に発芽検査を済ませましょう。お時間は取らせません。なあに、皆さんなら簡単に通過してくれると、私達は信じていますからね』
このまま仕事かと思えば、「検査」とやらが始まるらしい。
——ああ、そんな…
どうすればいいのか、彼に分かる筈も無い。
ここで見つかってしまうのか。
焦る彼の前で再び列がなされ、出入り口付近に立つ花の頭を持つ小さな象の前に一人ずつ立つ。花弁の中心から出る長い鼻に、胸元を差し出して触らせているようだ。
『はい大丈夫。次の方―?はい安全。次の方―?』
どうやら、それだけだ。
おっかなびっくり花頭の前に立てば、何事もなく通された。
ほっと一息一安心。
『あなたはー…あー…残念です…』
びくりと後ろを向く。
引っ掛かったのは、彼のすぐ後ろ。
表情が見えずとも、動揺は伝わって来る。
「ひ、い、いや…、そんな…違う…」
か細い女性の声。
必死に否定するが、その周囲の床に襞が現れ、そこから生えて来た昆虫達に、四肢を拘束され地面に埋まっていく。
「いや…!矯正はイヤ…!」
『私達も悲しいです。こんなにお教えしているのに、まだ怒りを抱いてしまうなんて。でも大丈夫ですよ。どんなにダメな子でも、私達は決して見捨てません!』
声は明るいまま、嫌がる女を引き摺り込んでしまった。
他の面々は僅かに硬直したものの、花が彼らを向いた瞬間目を逸らして外へと急いだ。
『さあ!お待ちかね、労働のお時間です!いつも通り負担は少なめにしてありますので、ゆっくりやって下さいねー!』
一団がまた別の区画に入っていく。
同じような大机。ただし今度の場所では一人分のスペースが仕切りで区切られ、隣が何をやっているか分からないようになっている。
置いてあるのは、白い正六面体。
触ってみれば、煙を吐き出し立ち昇り、
「ウワッ!?」
そこにぼんやりと絵が浮かぶ。何かの、紋章…だろうか?
いや、絵ではなく、
——動いている?
六面体を傾けてみると、紋様もまたトロリと変化する。
どういった原理かは分からないが、これで操作してどうにかするのだろうか?
一通り弄ってみたが、何が何やらまるで分からない。
見回してみても、よく分からない言語らしきものが刻まれているだけ。それ以外には机上に何もない。
——あ、これ、本当に、良くない。
詰みである。
どうにもならない。
どうすればいいのか皆目見当がつかない。
どういったものなのかは分からないが、「矯正」とやら待ったなしである。
少年が頭を抱えていると、隣から手が伸び六面体が掴まれた。
「えっ」
「シッ」
右を見ると、両手に六面体を持った小柄な白服。
「見張りが来たら返すから、それまで休んでて」
彼女は手慣れた様子で二つ同時に操り、恐ろしい勢いで何らかの図形を完成させていく。
申し訳なく思いながらも、他に策も思いつかず完全に任せるしかない少年。
「あ、ありがとう…」
「うん、バレないようにね?」
恐縮しながら、迷惑を掛けぬよう息を殺すことにした。
その後、矢鱈と勘が鋭い少女の活躍もあって、少年が何もしていないとは発覚せずに済んだ。
作業がひと段落したように見えたあたりで、
『皆さん、休憩時間です。次の労働まで、しっかり気力と体力を養っておきましょう』
という指示が入り、室内が弛緩した呼吸で和らいでいく。
どうやら、一旦乗り切ったらしい。
「君、大丈夫?」
隣の少女が彼に話し掛けてくる。
「ずっと様子おかしかったよ?まあ、こんな生活おかしくなっちゃって当然だけど」
その思い遣りに溢れた態度に癒されながら、それでも言わなければならない。
甚だ大きなこの問題を、可及的速やかに解決しなければ。
「えっと…」
「うん」
「君、僕の名前知ってたりする?」
「……うん?」
そう、そういう反応になるだろう。
分かっていた。
分かっていたが、それでも聞かなければ。
「というか——」
——ここ、どこ?
その問いを聞いた少女は、
慌ただしく立ち上がったと思えば
足の指をぶつけてしまったらしく
暫しの間悶絶していた。
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